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タコと、少女と、生き肝伝説。  作者: 壺天
一章
3/73

明津宮神事 二

 直の生家は、とある神社に縁のある家系である。

 とはいえ、堅苦しい縛り事があるわけでもなく、家自体はそこいらの一般的な家庭と大差ない。

 


 ただ一点。

 とある《祭》において、各代ごとに二人。

 一族の内から年相応の者が(みこ)の職に()く、というお役目があることを除けば。





「母さーん、帯、どう? 結べとる? これ」



 町のはずれに、海へと鼻を出す一つの山。

 その山頂には開けた土地があり、古びた神社が木々の合間から屋根を覗かせている。

 

 直の一族が受け継ぐ、『迎山神社』。

 そこで十二年に一度行われる『祭』は、空が朱に染まり切らない夕暮れ前に始まる。


 境内には提灯が連なり、中心となる舞台には白の幕が張られ、続々と神社の親類たちが集まって来ていた。


 旧暦の水無月の朔日(ついたち)、現行暦でいうところの、六月の終わり頃。

 その日こそが、これからひと月のあいだ続く、『明津宮神事(あきつみやしんじ)』の最初の夜である。



「直ちゃん、後ろちょっと()じれてる。 こっち向いて」



 明津宮神事――――直たちの言う『祭』は、旧水無月の初めと終わりに()り行われる、この神社の神使(しんし)を主とする神事だ。


 最初の夜、選ばれた二人の巫は、その身に神使の御霊を下ろされる。

 (うつつ)に呼ばれた神使は、その後一か月の間此岸(しがん)でもてなしを受け、 その魂を慰められることとなる。

 そうして最後の夜に神使の舞――――つまり、巫の神楽(かぐら)をもって神の世に戻るのを見送られるのだ。


 最初の夜は神使の迎えであるため大事(おおごと)にはせず、神社の親族だけで()り行なわれる。



「はい、いいよ。 綺麗にできた」



 神使の御霊を下ろす巫――――この迎山神社では、使える巫を『(くら・ざ)』と呼ぶ。


 右座(うざ)天津弥彦(あまつみひこ)

 左座(さざ)陸弥彦(くがみひこ)と称し、この二人一組を、この神社の神使代役として見立てるのだ。


 (くら)の最初の務めは、神使を呼ぶための場を清める、しめやかな『榊舞(さかきまい)』。

 そしてもう一つは最終日の夜、神使を身に下ろして舞う『曲舞(きょくまい)』である。

 こちらは神使を体現するように勇猛で、新体操のような技を組み込んだ神楽だ。




 この迎山に仕える神使は、『猿』。

 座を演ずるものは、神猿(まさる)として神楽を奉納するのである。




「ごめん夏っちゃん、ありがとう。 鏡ないけん、見えんのよね」 



 陽が落ちかけているとはいえ、七月目前の夕暮れに、重ねた衣装は少し蒸せる。

 顔に施された化粧を気にしながら汗を払えば、夏子が手ぬぐいを差し出してくれた。

 それをありがたく受け取って汗を拭うと、直ははっと思いついたように辺りを見回した。



「そういえば、『扇と鈴』、もう準備できてるんかな。 帰った時に練習で使ってから、ウチ持ってきてないんやけど……」



 座の舞は、天津弥彦が扇、陸弥彦が鈴を持って舞う。


 普段の練習では似せた仮物を使うが、学校帰りの最後の打ち合わせで使ってから行方を知らない。

 舞具自体は神事の最中、祝詞(のりと)()みあげた宮司に手渡される手順なのだが。




「心配せんでも、二つとも僕が持って出てきたよ」




 背後からの声に、直は首を巡らせた。

 幼びて少し高いに、落ち着いた物言い。

 振り向いたそこには、まだ学生服を着たままの、小さな姿があった。



(はる)!」


 まだ幼い少年だ。

 直が名前を呼ぶと、後ろに手を組んだまま近づいてくる。

 直の後ろから顔を出した夏子が、おっとりと笑いかけた。


「晴君、帰っとったんや。 姿が見えんから、どこ行っとんかと思っとたわ」


「ちょっと用で出てたんや。 ――――探さんでも、もう二つとも父さんに渡してあるから」


 少しばかりぶっきらぼうなのはいつもの事。

 本家、つまり神社神主の一人息子である(まさき) 晴真(はるま)は、直の二従弟(ふたいとこ)にあたる。

 直の弟と同い年の小学六年で、今は県内の有名私立に通う、いわゆる『できた子』だ。



「晴君、表の方に出るん? その恰好(かっこう)。 私暑いから、裏で居るつもりやけど」


 神事に参列するとなると、特に本家の子などは正装でいるものだ。

 学生であれば、あるなら、制服である。

 未だ私服に着替えていない晴真の姿を指して夏子が聞くと、晴真は首を振って舞台裏に目を遣った。



「制服は、単に着替えるんが面倒やったから。 表出たところで小父(おっ)ちゃん()ぁに捕まるんが関の山やし。 俺も裏に居る」



 親戚中が集まる夜だ。

 神事が終われば、直たち子供だって挨拶回りがある。

 それを見越して、余計な顔出しはしないと言う事だろう。

 年の割に大人びて晴真がそう言ったところで、その背後からにゅっと手が伸びてきた。


「あ、」


 直が声をかける前に手は小さな頭をがしっと掴んで、無造作にかき混ぜだした。

 首が居れるくらい抑え込まれた晴真は、「ぐっ」と(うめ)き声を上げて手をバタつかせる。


「なぁに、ぶつくされた面で偉そうに(言い)よんじゃ。 お前はホンっマ、愛想が足らんやっちゃな」


「あら、尋ちゃん。 もう準備できたん」


 晴真の頭をぐわんぐわんと揺らし始めたのは、巫姿の尋巳だった。

 直のと瓜二つである衣装は、(はかま)と上掛けの刺繍(ししゅう)の色で見分けられる。

 天津弥彦である直は、空色。

 陸弥彦の勝色(かちいろ)を身に(まと)った尋巳は、思うさま晴真をもみくちゃに撫でくりまわすと、満足したのか納得顔でぽいっと放り出した。



「その年で可愛げ無くしてどうするんや、もうちょい年相応にしてみぃ。 本家の長男がそれやったら、爺連中に可愛がってもらえんやろうがよ」


「……うッッッ、さい! ほっとけバカ尋巳! お前ん方こそ、年相応に落ちついてろッ」



 この馬鹿力!

 先ほどまでの澄まし顔もどこへやら。

 解放された晴真は、顔を真っ赤にして尋巳から跳び退(すさ)る。

 傍若無人ないとこから距離を取る晴真を、直は袖の裏に隠してやった。

 いつものことながら、はねっ返りな晴真と、それを玩具(おもちゃ)にして遊ぶ尋巳は相性が悪い。

 懐かない子猫のような晴真を揶揄(からか)うのは楽しかろうが、尋巳の方が大人げないのも確かだ。

 おかげで晴真の尋巳嫌いは年を追うごとに悪化しているようで、どうしようもない。



「ほらもー、お兄ちゃんもいい加減にして。 そんに晴君、いじめんのんよ」



 もうそろそろ始まるでしょうと夏子が言いかけたところで、尋巳の向こうからもう一つ、小さい影が駆けてくるのが見えた。




「直ちゃん、尋兄ちゃん、もう準備できた?」


孝介(こうすけ)



 いとこの中では特に生白い肌が、落ち始めた夕影にぼんやり浮かぶ。

 小づくりの鼻の上にちょんと眼鏡を乗せ、頬を上気させながらやってきたのは、直の弟の桧原孝介(ひのはらこうすけ)である。

 こちらは晴真と違って涼しげな私服姿で、早く早くと言うように、尋巳の袖を引いて舞台の方を指さした。



「柾の伯父さんが呼んどるよ。 もうそろそろ始めるからって」



 本家・柾の当主は、この神社の宮司だ。

 祭舞台の周囲は幕がめぐらせてあり、表側の様子はこちらからは(うかが)えない。

 一月後の『本宮(ほんみや)』は屋台などが出て近隣の住民も参加の中行われるが、今日の『()めの宮』は神社と縁故のある人間ばかりで奉納される。

 話し込んでいて気が付かなかったが、いつの間にか表側の参列者の声も鳴りを潜め始めていた。



「ああ、もう時間やったか。 直、行くぞ」


「うん」



 急いで駆けていく尋巳の後に、直も続く。

 しかし足を踏み出しかけて、何かに上掛けをくいっと取られた。

 はてと首を回して後ろを見れば、晴真が顔を落としたまま(すそ)を握っている。



「? 晴? どしたん」



 (いぶか)しんで問うも、晴真は何事かを言いあぐねるように顔を(しか)めて俯いたまま。

 逡巡(しゅんじゅん)したかと思うと、ゆっくり裾を放して首を振った。



「ごめん、何でもない。 行って、直姉。 もう始まるし」



 そう言って晴真は舞台裏でなく、本家の方へ帰っていく。

 直はその姿を見送ったが、(うなが)す孝介に背を押され、最後まで追うことはできなかった。

 何か言いたいことがあったのか、気になる所だが、今は時間がない。



 いそいそと舞台の入口へ辿(たど)りつけば、木箱入りの猿の面を差し出される。

 今から演じる天津弥彦の顔だ。

 彩色が剥がれないよう、夏子と二人ががり、慎重に面をつけた。



 急に狭くなった視界の先で、準備はいいかというように、陸弥彦の面の向こうから尋巳が(うなづ)く。

 肩にかかった紐を払って、直も頷き返した。

 いよいよだ。



 祝詞が終わり、囃子(はやし)が始まる。



 いよいよ、ひと月に及ぶ祭の、幕が開くのだ。


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