紋様と調査 一
なか わたる かわ み おろす やま
みほとけ や たまわり ひ ひとつ
のち ひ ふたつ
みちる つき てん かしぐ やま いたる
「途切れ途切れ~ 読めたのがこれだけってこと?」
「ううん、霞んどるところもあったけど、大方読み取れとるはずやで」
盆の上に並べた握りめしを頬張って、夏子と晴真が確認しあう。
襖を締め切った仏間には、畳の上に広げられた大皿の夕食がいくつか。
それらを囲みつつ全員が睨んでいるは、例の紋様を晴真が解読して、現代文に書き直したものだ。
「『なか わたる』って、なんかの中を渡ってるってことかな?」
味噌汁の椀を傾け、孝介が首を捻る。
解読文は語句が切れ切れで、文意を特定するのが少々難しい。
行儀は悪いが、おかずを指で拾いながら、直と尋巳は渋い顔をする。
「『なか』って、なんや。 漢字の『中』か? それとも固有名詞か?」
「『わたる』って、主語は書いた人かな? 『かわ』は川?」
矢継ぎ早に疑問を呈する二人に、嶋がお茶を注いで文を指し示す。
「多分『川』だろうね。 と、きてるから、『何かの中を通る川』か、『中心の川』、のどちらかと訳した方が自然かな」
「何かの中ってなんや、訳分からん」
「比喩とか?」
「川自体?」
「何かの中を渡る、川みたいなもん??」
「えー 意味不明」
確定要素の乏しい文章を前に、推理は飛躍する。
夕食を頬張りつつ、めいめいが文意を解そうと思考を巡らせる中。
「あの……」と小さい声と共に、文都甲が手を上げた。
全員がそちらを見遣り、注目を集めた文都甲はきょどきょどと視線を彷徨わせる。
はい、文都甲さん、と夏子が掌を向けると、おずおずといった様子で文都甲は用紙を見た。
「――――全体は千々で読み取りにくいですが、文自体はそれほどむつかしい意味を持たせているとは思えません。 細部には拘らず、そのまま読んでみてはどうでしょう」
そのまま。
言われて、直たちはもう一度全文を読み直す。
今度は部分でなく、全体を俯瞰して考察してみた。
「『なか』は多分主語なしで、修飾やないかな」
「じゃあ、『中心の』。 中心の川を『見』? 下ろす山に?」
「『仏』に『や』を賜った、日はそのまま日で、一つ、つまり一日か?」
「仏に『や』って…」
「仏とくれば、多分お寺だろうね。 一日お寺に…や、や、屋根? 宿? かな? 泊まった?」
「『のち ひ ふたつ』が、泊まった後、二日して?」
「月が満ちとる…… 満月か。 それが天を傾ぐやから」
「天頂を過ぎた満月が見えるとき、山に至った」
「おそらく、山はこの迎山だろうね」
嶋の一言を最後に、全員が黙り込む。
捻らずにそのまま読めば、この読解が妥当だろう。
ペンを取り出した夏子が、用紙に向かって身を乗り出した。
「訳すと、『中心の川を見下ろす山にあったお寺で一日休み、そのあと二日して満月がてっぺんを過ぎた頃に、迎山についた』、であっとる?」
原文の横に訳を書き添え、全員を見回す。
「誰かの、日記… みたいな?」
直が拳で唇に触れながら呟く。
「誰かって…」
「神使殿じゃあないかの? この場合」
これは飛躍しすぎだろうか。
浮子星の言葉に、全員が何となく嶋を見る。
「特定の人間しか読めない文字…… それだけでも、期待をかけるには十分だと思うよ」
そう言って嶋は頷いた。
これが神使の記録。
確定とまでは言い難いが、物証が手に入った。
そして、解読も。
「それで、どうする?」
後ろ手に体を支え、尋巳が嶋を見る。
嶋は腕を組んで顎を撫ぜ、すっと目を細めた。
「宿にしたという、寺を探そう。 もしかしたらそこにも、似たような痕跡が残っているかもしれない」
「いつの時代に書かれたもんかも分からんのに、探せますか?」
直は眉を顰める。
紋様が刻まれた時代が不明瞭な以上、寺が創建された年代で篩にかけるわけにはいかない。
近隣の全ての寺院が調査対象になる。
しかし、嶋は迷いなく首を縦に振って、訳文を指でなぞった。
「いけるよ。 ここから二日と夜、満月が傾ぐまでの間。 それが移動時間だ.」
地図がいるね、そう言って嶋は腕時計を叩く。
範囲は、休憩と夜休む時間を考慮しても、おおよそ二十五から三十時間前後。
そう時間を予想して、指先で机の上に円を描く。
「史料は千六百年代から残されてた。 その中に伝承でも記述は一切なかったから、神使の存在があったのはそれ以前かな」
流石に車や馬車の時代ではないと思うけどね。
笑った嶋は、円の中心から、ゆっくりと指を円の外へ真っ直ぐ移動させた。
「そうなると、二日と数時間、仮定として人の足で移動できる圏内にある川が見渡せる山、そこにある寺院だ」
嶋の提言に、直たちは俄かに盛り上がる。
この推定が正しければ、次への目算が立ったことになる。
切れたと思っていた糸が、繋がった。
幻の神使が、現実の形を描き出し始めたのだ。
目配せし合った直たちは一様に頷きあい、身を寄せ合って調査への相談を始めるのだった。
***
皿、重ねてええかー?
台拭きどこやっけ……
お爺様の御膳は、下げてもよろしいですか?
あーお願いしますー、みんなぁー手ぇ洗ってよー
あ、用紙汚れちゃったね
孝介、そっちはワシが持とう
うん、ありがとー
結論に至ったところで、直たちはがやがやと後始末に立った。
当面の方針は、紋様の筆者が宿を借りたという寺の特定、その調査だ。
まだまだ不確定要素の多い段階だが、具体的な方策が立っただけでも調べた甲斐があったというものだ。
まずは明日、嶋が用意してくれるという地図を元に、捜索範囲を決定。
そして実地の探索だ。
明日から騒がしくなるだろう。
残り物にラップをかけていた直は、作業を終えてふと顔を上げた。
居間では、孝介が潮守たちと楽しそうに話し込んでいる。
その向こうに一人、縁側に出ている晴真の後ろ姿が目に入った。
輪に加わらず、何をしているのだろう。
気になった直は、浮子星たちを避けてその背に歩み寄った。
「晴」
「――――直姉」
脅かさないように声をかけると、晴真はぼんやりと顔を上げた。
板床に広げているのは宿題だろうか。
「勉強?」
「……うん」
短く答える晴真の、ノートを挟んで向かい側に腰を下ろす。
広げられているノートは白地が目立ち、まだまだ進んでいないことが分かった。
進捗はいまいちらしい。
何の教科? と直が口を開きかけると、
「直姉も、読めんかったんよな、あれ」
下を向いた晴真が、そう、平坦に呟いた。
ぴくっと、直はノートに伸ばしかけた指を止める。
読めなかった。
それは、あの奇妙な紋様のことだろうか。
直はノートを覗き込んでいた上体を起こすと、「――――うん、読めんかった」と、短く答えた。
「それが、どうかした?」
しんと静かな晴真の様子に、直は小さく聞き返す。
しかし、晴真は握っている鉛筆を玩び、じっとしてそれには答えない。
ガラス戸越しに聞こえる虫の声が、二人の間に落ちる。
その音を聞きながら、直は重ねて問うことはせず、白いノートに再び視線を落としかける、と。
「なんかな、」
下へ目線を彷徨わせる晴真が、ぽとりと零した。
「ん?」
「……なんか、あの模様を見とると、ぷかぁって、いっこいっこの……形? の……意味、みたいのんが、浮かんでるようんなって……」
不思議なんやけど、
「それ、読んでるみたいな、感じなんや。 いっつもの、ふつーの、文字を読んどるんとは、違う感じで読めて…………変な言い方やけど」
詰り詰り、晴真は言葉を探すように言い重ねる。
小さな声を聞き漏らさないように、直はじいっと押し黙ってそれを聞いていた。
言葉を探し終え、ゆっくりと口を閉じた晴真に、一瞬挟んで、直は「そうなんや」と答える。
「なんなんやろうな」
独り言のようにして、晴真は物思いに沈んだ。
何故晴真にだけ読めたか、その疑問には、直も答えてやれない。
言葉なく静かな横顔を見守って「それでも、」と直は言った。
「なんやろうと、晴が読めてくれて助かったわ。 でなかったら、神使さんの調査、ここで手詰まりやったもん」
な?
淡く笑んだ直は、俯いた顔を覗き込む。
下を向いていた頭はゆらりと直を見遣り、少し考えて、かくりと頷いた。
「そう、かな?」
「うん。 そうやと思うで」
「…………そ、やね。 ――――そっか」
晴真はガラス越しの夜を眺める。
「俺居らんと、始まらんかったんやな」
「そうやな、始まらんかったわ」
直を見上げる顔が、ゆるりと笑う。
それにつられて、直もくしゃりと破顔した。
そのままくつくつと「そうやな」「そうやで」と重ね合う。
背後で孝介たちがどっと盛り上がり、居間が笑いに溢れる。
その陰で、直たちは二人だけ。
縁側で秘密のように笑いあうのだった。
***
二人の背を、居間から眺めるものがあった。
「優しいなぁ、嬢ちゃん。 ――――八景も、随分世話になっとるんやから、もうそろそろ仲ようしたらどうじゃ」
嶋と孝介の興味を、文都甲が一手に引き受けるようになった合間。
縁側の二人に気が付いた浮子星が、じっと様子を見守って、微笑ましげに呟く。
いきなり水を向けられた八景は、畳の上に丸まって、横目で直を盗み見る。
そうして関係ないとばかりそっぽを向き、
「――――うるさい、大きな世話だ」
と、瞼を閉じた。
「じゃが、世話になっとるんは本当じゃろう」
「ぐ……」
「礼くらい言うてもええと思うがのぅ~」
ほんに、利かん気じゃなぁ。
苦笑する浮子星に、ばつの悪そうな八景はそれ以上答えない。
黙りこくってしまった弟分を撫でで、浮子星は再び縁側の直たちを眺めた。
塞ぎこんでいた晴真の目に、もう暗い光は無い。
仲睦まじい二人の様子に触れ、浮子星はそっと頬に笑みを浮かべるのだった。




