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タコと、少女と、生き肝伝説。  作者: 壺天
三章
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神使の足跡 一

 山向こうの朝日の光が届く頃。

 登校前の水屋に、制服姿の三人の姿があった。


「もう、お兄ちゃん、ざっつ! 見栄えを気にしてよ見栄えを!」

「阿保か、口に入ったら同しやろうがこんなもん」

「またそうゆうこと()うっ」


 机に広げられた弁当の総菜の上で、直と尋巳、夏子の三人はあーでもないこうでもないと箸を交えていた。

 朝練と称して舞の練習を早朝行っている直たちの為に、昼食の弁当は夏子が一人で用意してくれている。

 それだけで充分ありがたいので、詰め込む作業ばかりは練習を切り上げ、自分のモノは自分でやるようにしているのだ。



「ご飯済んだら流しにお皿、お願いしますねー」



 居間で朝食をとっている潮守たちに、夏子はプチトマトを飾りながら声をかける。

 最早日常となりつつある光景に、直は横目でちらりと視線を流した。

 潮守たちの話を聞いてから早数日。

 あれ以降特に変わったこともなく、日常は過ぎていく。

 潮守たちは何ら態度を変えず、年長の尋巳や夏子も何も言わない。

 直も多少わだかまりを感じながらも、いつも通り生活を送ってきた。

 




「今日は海藻サラダにしてみました~」


 皿を下げに来た文都甲に、夏子はニコニコと海藻の盛り上がった文都甲専用の弁当箱を見せる。

 いつの間に教えあったのか、海藻好きだという文都甲の嗜好(しこう)に合わせたらしい。

 披露(ひろう)された文都甲は、「おいしそうです」と目を輝かせている。

 その親密さは、どこか新婚ほやほやのカップルを思わせて、



「(夏ちゃんと文都甲さん、めっちゃ仲ええな……)」



 和気藹々(わきあいあい)とした雰囲気に、直はふと視線を遠くする。

 まさか好き合ったりなんかして…… と、異種族間の禁断の恋を危惧(きぐ)したが。



 この形、もしかして亀ですか?


 分かります~? がんばったんですよう


 とてもお上手です! 色合いも愛らしいですねぇ


 そうそ、可愛くしたくって!



 ――――違う、これ、女子のノリや


と、考えを改める。

 美しく整った文都甲の女顔や(たお)やかな所作もあいまって、そこだけ華やいだ女子空間がみえる。

 なんだかややっこしいなと思っていると、



「尋、『ういんなー』を多めに入れてくれ。 ワシゃぁアレが気に入っとるんじゃ」


 

 一方で、一緒に入って来た浮子星は、適当におかずを突っ込む尋巳の背後から口を挟んでいる。



「お前ホンマ好きやなぁ」


「おお、病みつきでなぁ。 あの味、あの歯ごたえ、海ではありつけん代物じゃ」


「だが残念。もうこれ以上、入る余地はない」


「なら、ちーとばかし他を減らして……」


「駄目ですよ、浮子星さん。 食事はバランスよく食べんと」


「…………はい」




 夏子にやんわりと咎められた浮子星は、上背のある体を丸めてしゅんと肩を落とす。

 それを馬鹿めと指さしながら笑う尋巳は、プチトマトを()けるなと冷ややかに(たしな)められている。

 こちらもこちらで長年の友人、いや、年の開いた兄弟のようである。



「(なんだかんだゆうて、馴染(なじ)んでるんよなぁ、この人等ぁも)」



 自分の箸を休めて、直はぼんやりとそう思う。

 文都甲の慎ましさや、浮子星の人懐っこさを前提にしても、随分と距離が縮まった。

 夏子も尋巳も、お互いの相方と楽しそうにやり取りをしている。

 数日前まで一月を無事に過ごしていけるか頭を抱えていたというのに、これではまるっきり取り越し苦労だったと肩の力が抜けるようだ。



「(とんだファンタジーがやって来たと思っとたのに…… 案外順応していくもんやなぁ)」



 慣れって恐ろしい。

 直がそう一人、物思いに(ひた)っていると、



「八景さん終わったよー」



 小さな肩に蛸姿の八景を乗せた孝介と晴真が、食べ終わった器を持って台所に入って来た。

 食べ終わったといっても、八景は丸めた米粒を咀嚼(そしゃく)している最中である。

 人型の浮子星たちに比べて、未だ蛸姿の八景の口では、食べ終わるのに大分時間を食うのだ。



「蛸の姿じゃ、食べるんが(のろ)いわ。 茶碗一杯に十五分もかかるんやもん」



 自分と孝介の膳を持った晴真は、やれやれといった態度で八景を揶揄(からか)った。

 それを聞いた八景はむっとした様子で振り返り、ぐいっと晴真と顔を突き合わせる。


「うるさいぞ小猿、――こらちは素手で食うているようなものだし、口も小さい。 もたつくのは当たり前だ」


「その一々小猿ゆうのやめれん? 地味に腹立つ」


「猿に猿と言って何が悪い、貴様らも俺を蛸と呼ぶのだから同じことだ」


 口の()かん奴やなぁ

 お前こそ口の減らんチビだ

 チビってゆうなこの蛸!

 また言ったなチビ!



 唐突に始まった言い争いに、間に挟まれた孝介はあはは…… と苦笑する。

 たった今仲が良くなってきたと思った途端、これだ。

 溜息ついた直は、孝介の肩から八景をひっ掴んで持ち上げた。


「ちょっと、朝から大人げない。 晴も、そこまでにしとき」


「俺、悪ないよ」


「言いだしたんは先やろう。 ほら、口ばぁ荒さんと、お茶碗下げな」


 えーと口を尖らせる晴真を追い立て、直は机の上に八景を下ろす。

 しかし、それが気に入らなかったのか、八景は赤く変色しながら腕を振り上げて怒った。


「貴様等、俺を一々物のように掴んで移動させるな! 俺は玩具じゃないのだぞ」


「やって、そうせんとアンタ、すぐ移動できんやろう。 必要行為や必要行為」


「よくもまぁ抜け抜けとっ」


 恒例となっている言い合いをして、直は弁当の作業へ戻る。

 直だって一々構いたい訳ではないのだが、蛸の八景では動きが鈍く、事あるごとに持って移動しなければ間に合わない。

 それを不服としている八景は、こうして掴まれるごとに文句を言うのだ。

 いい加減諦めて黙って運ばれていればいいものを、この軟体生物の矜持(きょうじ)はそれを簡単には許さないらしい。

 小さいくせに、大したプライドである。

 すると、二人の様子を見ていた孝介が、不思議そうな顔をして言った。




「なぁ、直ちゃんって、なんで八景さんの事、人型にせんの? もうそろそろ八景さん、人の姿にしてあげたらいいのに。 その方が自分で何でもできるし、便利やろ?」


「えっ……」




 何気ない孝介の提案に、直は一瞬言葉に詰まった。

 急なことに驚いて、箸でつかんだ唐揚げを取り落としかける。


「え、えーと、な…… それは、」


 それは?

 自分でも形にできる当てもない言葉がむなしい。



 八景を人の姿にする。

 それは今まで、なんとはなしに避けてきたことだった。

 確かに、人型になれば八景も陸での生活をおくりやすくなるだろう。

 そんなことは分かっているのだが………… 直はすぐに言葉を継げず、口を(つぐ)んだ。

 不自然にぽっかりと間が空き、他の者も手を止めて直たちを見る。

 机の上の八景も、面食らったように黙っている。




「「…………」」



 お互いに黙り込んでしまった二人に、孝介は、


「なんか、いかんの?」


と、駄目押しで首を傾げてくる。




「いや、駄目とかじゃなくてな…………」


「…………」



 そう、駄目だとかいうわけはなく。

 単純に、人型にしたり、小さくしたり。

 そういったことを気軽にできるほど、直と八景の間柄はまだ気安くはない。

 それだけのことなのだ。


 八景だって、直に姿を変えて『もらう』なんて、一々恩を売るようなことは抵抗があるはずで。

 それが分かっているからこそ、今まで最初に変わった蛸の姿のままにしておいたし、必要最低限以外、世話を焼かないように放っておいた。(とはいえ蛸の姿では、その必要最低限も相当多くあったのだが)

 

 最初の頃こそ『(人型・原型に)戻せ』『嫌だ』とやり合っていたが、いつの間にかそれも言わなくなってしまったし。

 その流れで人型にしてやらなかったことが、機を逸してしまった原因ともいえる。

 そんな細やかな機微を言葉にするのは、中々どうして難しく、答えを待つ孝介に返事をしあぐねていると、

 



 トントン。


「! 夏ちゃん?」




 急に肩を叩かれ、直はびくりと振り返った。

 肩越しに目をやれば、箸を片手に夏子が微笑んでいる。

 夏子は答えを待つ孝介を見下ろすと、



「そうゆうんはな、タイミングゆうんがあるんよ、考くん」



 そう言ってにこっとし笑った。



 言われた孝介は「ふうん……?」とまだ不思議そうに相槌を打ち、直と八景を交互に見て、



「タイミング、まだなん?」



と、無邪気に言う。




「う、うん。 そうやね……」

「…………」


「難しいよねー」


 

 だんまりの八景と動揺する直を尻目に、夏子は明るく笑い飛ばす。

 そうしてくるっと八景に向き合ったかと思うと、「八景さん、ご飯美味しかったですか?」と固まった空気を(なご)ませるように質問を始めた。



「え……」


「ほら、まだ八景さんの好物、聞いてないじゃないですか。 今まで食べたもので何か気に入ったモノ、ありました? あったら明日のお弁当にそれ、入れますけど」



 不意を突かれた形で夏子に問われ、八景は半身を引いて距離をとる。

 いきなりというのもあるが、以前の水鉄砲の件もあって、夏子には強く出られないらしい。



「いや、俺は…… その、出されたモノだけで十分うまい、ので。 ……大丈夫です」


「そうですか? ならええんですけど」



 夏子は八景の答えに破顔して、「今日のはね」と弁当を披露しだす。

 八景はきょどきょどと目を揺らして、流れに置いて行かれた直は、突っ立ったまま従姉(あね)と八景を眺めた。



「こんな奴に気ぃ遣うてやることないわ、何喰うても気に入らんのやけん」


「もぉー そうゆうこと言わんの、感じ悪いやろー」



 尋巳が茶化して夏子が言い返し、場が元の雰囲気に戻り始める。

 どうにか話題は流れたらしい。

 ほっと息を吐いた直は、心の中で夏子にありがとうと拝むポーズをとった。

 それから孝介の方に顔を寄せて、小さく「考、」と呼びかけた。



「ん? なん?」


「ほら、さっきの話し、」


「うん」


「……今はちょっと、な。 まあ、また、そのうち」


 そのうち、なんとかするだろうから。


「? そう」



 少々有耶無耶(うやむや)にして誤魔化したが、孝介は素直に分かったと頷いてくれた。

 まあ、また、そのうち。

 そのうち、普通に姿を変えてやる流れがあるだろう。

 八景の方から、また言ってくることもあるかもしれない。

 今は急に人型にするのも不自然だし、自然にそうゆう流れになるのを待とう。


 弟の頭をそっと撫でた直は、戸惑っている八景をちらりと見て、弁当を詰める作業に戻るのだった。



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