表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
タコと、少女と、生き肝伝説。  作者: 壺天
二章
24/73

『ラボ』の主 四

 全てが正しい歴史なのか、それは自分たちにも分からない。

 神の世はとは、あまりにも遠いものだと、文都甲は話し始めた。





 その昔、陸と海は断絶しており、互いの行き来は閉じていた。


 ある日、海の恵みを求めた陸の神が、海の神に互いの子等の婚儀を行い、それをして海と陸の結びとすることを思い立った。

 海の神はこれを承諾し、陸の一の子と海の一の子が、結ばれることとなった。

 陸の神子と海の神子は互いに想い合い、幸福に過ごした。

 しばらくして二人の間に、一つの命が生まれた。

 海の神子はその子を産むために、自らのつ連れ合いに産屋を立てることを望み、出産の間自分の姿を覗き見ることを固く禁じた。

 出産の日、産屋からは海の神子のもがき苦しむ声が漏れ聞こえていた。

 陸の神子はその身を案じ、禁じられていたにもかかわらず、様子を窺おうと産屋を覗き見てしまった。



 海の神子はいた。

 しかし、その姿は元の美しい姿ではなく、海の(しょう)を現した異形の姿であった。



 海の神子は嘆いた。

 陸で生きるため、出産を最後に捨てようとしていた海の姿を見られてしまった。

 もう陸の姿へは戻れない、出産の忌からも逃れられない――――陸で生きることはできない。

 海の神子は陸の神子と子を残し、海へと帰ってしまった。

 しかし、海と陸の婚儀は果たされなくてはならない。

 幸いにも海神の神には、子は二人いた。

 陸の神子は弟神子――――乙姫と番い、子を養い育てることとなった。









「二人はそののち、幸福に過ごしたと伝えられています。 しかし、陸を後にした兄神子様――――兄媛(えひめ)様は、陸者へと本来の性から変じ損ねた(とが)と、産後の(いみ)を二重に背負われ、(けが)れに(まみ)れて竜宮に戻られました」


「…………海神の神さんは、(ひめ)さんを助けようとはせんかったん?」



 話を聞き終え、孝介が悲しげな顔で文都甲の袖を引っ張った。

 文都甲はそれを儚げな笑みで見下ろすと、そっとその手を取る。



「分かりやすいように古物語のようにお話ししましたけれど、海神(わだつみ)様は本来、我々潮守と交流することはありません。 海神様は、言わば海を司る総て。 生物のように意思、意識があるわけではなく、我々を取り巻くものそのものなのです。 我々がその恩恵を授かっても、それはただ、海神様の営みの産物を頂いているに過ぎない。 海神様のご意思で、何かが与えられるものではない」


「神道に似とるな」



 尋巳が言えば、文都甲はそれに、陸の(ことわり)ですねと頷く。



「兄媛さまも半ば、海神様と同じような存在です。 半分だけ我々に似た、神に近い御方です。 今お話ししたのは竜宮に伝わる古物語ですが、全てが偽りではありません。 これは凪――――私の先達(せんだつ)の、その内でも特に位のある者にしか伝わっていない言い伝えですが、陸と海の婚姻は確かに昔、なされたのです」



 古物語は、全てが真実ではない。

 けれど、全てが偽りでもない。

 真とは、わずかに隠れていてこそ、語り継がれていくと、文都甲は微笑む。



(わずら)った兄媛様は、それでも陸の若者のことも、産主である海神様のことも、恨みには思いませんでした。 一人、何者にも癒せぬ穢れを背負うことを選ばれたのです」


 しかし、穢れは少しずつ周りへ伝播(でんぱ)する。

 媛は竜宮京を、海を守るため、自らを封じることを決めた。



 ――――そうして数千年、兄媛は長い苦しみの眠りにつかれた。



「潮守と陸の交流は、だんだんと途絶えてゆきました。 陸は海に求めることはあっても、海にはそれが無かった。 潮守は海で生きることを決めたのです」


 そんな中、わずかながら残っていた陸との交流筋から、穢れを内から払うという希少な妙薬の話が伝えられた。

 その妙薬こそ、『猿の生き胆』。



「話を伝え聞いた当時の凪は、それさえあれば、兄媛様を目覚めさせることが出来るのではないかと考えました。 そうして皆様の使える社に居られた、御使い殿に出会った」



 結果から言えば、肝を手に入れることはできなかった。

 神使である猿は、腕っぷしも強いことで有名だったらしい。

 肝を奪おうとした先達は返り討ちにされてしまった。

 ただ、事情を聴いた神使は、兄媛の境遇にいたく同情し、ある申し出をしたのだという。



「陸には『御霊廻(みたまめぐ)り』という穢れ払いの法がある。 それは、穢れに澱んだ魂を洗い、全ての気を浄化する(みそぎ)。 海の御霊である兄媛様の穢れが払えるかは分からない、御霊廻り自体も危うい旅だと御使い殿は申され、それでも自分が兄媛を連れて、払いの旅に出ようと仰って下さったのです」



 こうして神使は兄媛の“(こん)”だけを伴い、御霊廻りへ旅立った。

 苦しみもがく、兄媛の“(はく)”だけを置き去りにして。



 話の合間に、晴真が手を上げる。


「魂と魄って? タマシイと何が違んですか?」


「魂は、そのまま、私たちが抱く大元のタマシイそのものを言います。 魄は、我々潮守にとって、魂と同様に重要なもの。 (うつつ)を司るもの。 (しょう)を表す体そのものとはまた違う、魂の殻のようなものです」


「ふうん?」


 難しいですね、すみませんと、文都甲は晴真の頭を撫ぜた。

 文都甲の説明は、かみ砕いて話してくれているのだろうが、所々抽象的で飲み込み難い。

 そんな中、尋巳が分からないといった顔つきで、口を挟んだ。


「けど、仮に肝で穢れが払えても、魂は神使さんが持っていてしもうとるんやろ。 それでは媛さんも目覚めんのやないか?」


「いえ。 実は魂魄とは、互いに引き合うものなのです。 健全な魂魄では正しく引き合う力も、穢れていては引き合う力を失い、気が乱れ、それが苦しみとなって現れます。 どちらか一方の穢れを払うことができれば、力が再び復活し、魂も魄に引かれ戻ってくる。 戻った魂も、穢れを浄化されるはずなのです」


「しかし、約束は破られた。 帰り着くべき日取りに、神使様は戻られなかった。 そのため貴方たちは、肝を求めて、陸へ上がった」


 文都甲の語りを引き受け、嶋はそう言葉を結ぶ。




 嶋のまとめに文都甲も首肯し、直たちを見渡した。


「海に伝えられる史実はこれで全てです。 陸の、皆様の一族の歴史は、私たちも存じ上げません」


 孝介が、直の方へそっと寄り添ってくる。

 晴真も、追い詰められたような顔をして、じっと固まっていた。

 尋巳は何も言わない。

 直も、誰も、発するべき言葉を持っていなかった。



 ずっと昔の、陸と海の婚儀に端を発する物語。

 想い破れ、穢れを負った海の御媛さま。

 神の、陸の思惑に翻弄(ほんろう)された、哀しい人のお話し。


 別に、直接自分たちが悪いわけではない。

 けれど、同じ陸に生きる者として、その憐れな生い立ちに引け目を感じてしまうような。

 そんな感情が、直たちの胸に押し寄せていた。





「――――陸はいつもそうだ、奪うだけ。 与えることなど、ほとんどしない」



 吐き捨てるように、八景が言う。

 浮子星が八景を引っ張って(たしな)めるが、その一言が直の心に突き刺さるようだった。




「話してくださって、ありがとうございます。 約束通り、あなた方の秘密は、ちゃんと守ります。 勿論、」


 この子たちも。

 嶋の言葉に、俯いていた直や晴真たちは顔を上げる。


 


 そこへ、パタパタと足音が部屋へ入って来た。


「さ、お話は終わった?」


「夏ちゃん、」


 全て一緒に聞いていただろうに、夏子がいつも通りの様子で、たんと大皿に盛った料理を座卓に置く。


「先生も、文都甲さんも、随分喋って疲れはったでしょう。 沢山作りましたから、遅いけど、ご飯にしましょ」


 にっこりと笑う夏子に、直と晴真、孝介は互いに顔を見合わせる。

 文都甲と嶋を見れば、二人は優しい面差し浮べ、直たちを見返してくれた。



「――――すみません、話が長引きましたね。 お腹が空いたでしょう」


「そうですね。 いいタイミングですし…… いただきましょうか」



 ありがとうございますと二人一緒に礼を言って、夏子に(うなが)されるまま箸をとる。

 それを皮切りに、それまでの話などなかったかのように、和やかに夕食が始まった。

 孝介と晴真もおずおずと箸をとって、食事を始める。




「…………」


 部屋が俄かに明るい空気に包まれ始める中、直は一人、置いて行かれたように俯いた。

 居間を満たす声が遠くなる。

 

 そうして背を向けている八景をちらりと見て、膝の上に置いた手を固く握りしめるのだった。





***


 


 夕飯を終え、家を辞す嶋を見送ったあと。

 風呂に呼ばれるまでの間、直は一人裏の稽古場を訪れた。

 いくつかに分かれて設置されている裸電球を一つだけ灯し、(ひじ)(ひざ)にストレッチがきくサポーターを付ける。


「…………何を始める気だ」


 半眼で直の様子を窺う八景が、バケツの淵から問いただす。

 それを振り返らず、直はサポーターをつけながら「練習」とぶっきらぼうに返した。


「あんたらが来て、バタバタしとって、ここ二、三日出来てなかったから」





 八景たちが現れて意識から吹っ飛んでいたが、今は明津宮神事の真っ最中だ。

 一月後、直は尋巳と一緒に、神使の依代として神楽を披露(ひろう)しなければならない。

 その舞は、未だ完成していないのだ。


「…………」


 本番では動きやすいよう、和紙で作った半面をつけるが、練習はそれ用の彩色のない和紙そのままの半面を被って行う。

 準備を整え、ぐ、ぐ、と体を伸ばした。



 最初の位置につき、呼吸を整える。

 初めの立ち位置では、正面に陸弥彦である尋巳が立つ。

 囃子(はやし)のリズムを思い出す。

 まずは、礼から。

 ゆっくりと腰を落とし、大きく前転――――陸弥彦と交錯する。

 (ひるがえ)って、立ちの構え、側転。

 その場で腕を振るい、優雅に舞う――――倒立、よろめく。



「(……っ)」



 乱れている。

 それは自分でよくわかっていた。



 潮守と竜宮の媛。

 そして、この社の神使の約束。

 聞いた話が頭の中でこんがらがって、気持ちが悪かった。



 神使を生き写したかのように、剛毅に足を踏み鳴らす。



 話し終えた、どこか寂しげな文都甲の笑みに、直は胸が痛んだ。

 それがなにか、身勝手な思いのような気がして、一人罪悪感のようなものに駆られた。

 聞かなければ良かったのかもしれない。

 潮守たちが、どうして肝を求めたのか、なぜ、自分たちを襲ったのか。

 そうすれば、こんな気持ちにならなかっただろう。

 潮守たちが救いたいと願う兄媛。

 話を聞いて、彼ら同様、直にも彼女に救われてほしいと願う気持ちが生まれた。

 けれどそれには、自分たちのうちの誰か一人の命を捧げなければならない。

 そんなことはできない――――できないのに、憐れむ心を抱く自分が、きっと、綺麗でいたいだけの薄汚れた存在のような気がして、後ろめたく思うのだ。



 それを振り払いたくてここにやって来たのに、思うように動いてくれない体に、いら立ちは募るばかり。



 舞台の対角で、陸弥彦と向かい合う。

 腕を払い、腰を落とす――――助走から、前方宙返り――――踏切が足りず、着地に失敗。

 骨に響いた痛みを、直は身を固くしてやり過ごす。




「(あとひと月……)」




 間に合うのだろうか、不安が更に覆いかぶさるようだった。

 それでも続けるしかない。

 直はもう一度最初の位置に戻り、落ち着くように大きく息を吸って吐いた。




 構えの体勢をとるその背を、バケツの縁から八景が、黙って見つめていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ