『ラボ』の主 二
直の学校では、一年が三階、二年が二階、三年が一階に教室を持っている。
今年三年になる尋巳は三―五組で、教室は西棟一階の端にある。
昼食時、半数ほどの人が食堂に捌けた教室。
弁当組や食堂での戦利品を早々に持ち帰ったグループが団欒している様子を、直は廊下から窺った。
見たところ教室内に尋巳の姿はない。
さてどうするかと思案していると、外から戻っていた男子生徒に声をかけられた。
「あれ、一年? 先輩探しに来た?」
「あ、いえ、その…… 栗谷……先輩、いますか?」
先輩ゆうか、一応、親戚なんですけど。
つい正直に付け足した言葉に、男子生徒はピンと来たという顔で手を叩き、「もしかして栗谷の妹か?」と目を輝かせる。
「従妹です」
即座に訂正を挟みつつ、直は尋巳の行方を尋ねる。
教室にいないということは、食堂にでも向かったのだろうか。
そう思っていると、
「栗谷なら、部室棟の『ラボ』に行ったと思うで。 嶋先生んとこ。 四限終わりに、いっつも通り窓から消えたから」
脇で聞いていたらしい男子グループの一人が、窓の外を指しながら教えてくれた。
『部室棟』、『ラボ』、二つの単語に、すぐにあそこかと思い当たる。
「分かりました、行ってみます。 ありがとうございました」
慌ただしく礼をした直は、そのままダッと駆け出して教室を後にした。
直の高校は古い公立校のため、部室棟も長らくトタン屋根の古いものを使用していた。
しかし、直が入学するつい一年前に新しい部室棟が旧跡地に建てられ、今は真っ新な白い外壁が学校の一角で輝きを放っている。
その内の一部屋。
校舎に近い一階の一番端の部屋――――通称『ラボ』は、どういうことか、とある一教師の占有部屋となっていた。
「すいませーん、失礼しまーす。 先生いらっしゃいますかぁー?」
件の『ラボ』と呼称される部屋の前へやってくると、直は扉を二、三度ノックして声をかけた。
扉は、おそらく生徒の誰かが貼ったであろう様々なステッカーが賑やかである。
すぐに「どうぞ」という返事が扉の向こうから投げかけられ、ゆっくりと扉を開けた。
そして飛び込んできた光景に、直は後ろに飛び退いて、八景と一緒に両目を剥く。
「「な、ななな、な、な!」」
部屋の中は八~九畳ほどの大きさで、壁面には大小さまざまな水槽が並べられていた。
奥の窓際には本棚と山積みの資料。
部屋の中央には簡易のテーブルがあり、こちらもまた、資料が山積みになっている。
その資料を退けた僅かなスペースに昼食を広げ、男が三人、椅子に座って直を見ていた。
従兄の尋巳、部屋の主である眼鏡面の教師――――――そして浮子星である。
そう、浮子星がきょとんとした顔で座っていたのである。
なぜ?!
「『な』んで浮子星がおるか? 俺が居るんやけん、居るにきまっとろうが」
イチゴミルクのストローを噛みながら、平然と言い退ける尋巳。
そんな従兄に、直は浮子星を指していた指先を改めて振り下ろす。
「どっ どっ どっ……!」
「『ど』うして、嶋と飯食っとるか? こいつが金欠で飯が食えんゆうから、ほれ。 俺の弁当食わっしょる」
「ばばば、ばっ」
「誰が『馬』鹿や、しばくぞ阿呆」
二人の動揺を完璧に読み取って、尋巳は焼きそばパンの最後の一切れを口に放り込む。
その悪びれない態度に、どうにか焦りを飲み込んだ直は、ぐっと顎を引いて尋巳に詰め寄った。
「馬鹿やん、どう見ても大馬鹿やん! なんで浮子星さん、大きいなっとんよっ そんでもって、どうして先生と呑気にご飯食べてるん?!」
先の休日に潮守たちのことは秘密にすると決めたばかりだというのに。
なにをやらかしているというのか、この男は。
浮子星も浮子星だ。
人の目に触れすぎるのは困ると言っていたくせ、何故そんな平然とした様子で教師と食事を共にしているのか?!
言いたいことが一気に沸き上がり過ぎて、直は一瞬くらりと眩暈に襲われる。
「まあ、そう取り乱さず。 話は全部、栗谷君から聞いてるから」
大丈夫だよ。
尋巳の弁当をかき込みながら頷く丸メガネの教師は、嶋 理仁。
部屋の主で、直たちの高校の生物の教師である。
校内でも特に年若いこの教師は、直が入学する前年に二人の高校に着任してきた。
某国立大を卒業した俊英でありながら将来性の高い職に恵まれず、地元で教職に就いた変わり種として有名で、ひょろ高い長身にどこか間の抜けた笑みを絶やさない姿は一見して頼りない印象の人物である。
なんでも大学時代、自身が在籍していた海洋生物学科でカイアシ類という生き物に運命の出会いを果たし、以来その魅力にはまって日の目を見ない研究に没頭。
就職を諦めてカイアシ類と心中する寸前までいった所を地元の恩師に拾われて教職を目指し、今に至っているのだという。
現在は臨海のこの町で教鞭をとる傍ら、熱烈な片思いの真っ最中であるカイアシ類の独自研究に勤しむ、所謂蜜月生活を送っている。
因みに。
就任一年であまりに自由行動が多いのを問題視され、若輩者ながらこの一室をあてがわれた嶋は、何の縁があったのか尋巳とろくでもない友人関係築いている。
公職の給与を惜しみなく自ら邁進する研究の諸経費に充て、万年野犬のごとく飢えに苦しんでいるこの男に飯を恵むのが尋巳の日課なのだ。
まぁま、座りなさいと席を勧める嶋教師のフォローを無視して、直は頭を抱えた。
大丈夫?
いいや、大丈夫じゃない。
聞いちゃってるところがすでに全然大丈夫じゃないです。
なんとか、このカオスを乗り切る術はないか。
直が猛然と頭を回転させる中、器用にパイプ椅子の上で胡坐を組む浮子星が手を振って呑気に言う。
「心配せんでええよぉ嬢ちゃん。 嶋は筋の通った男じゃけん、口が堅いのは確かじゃ。 ワシが保証する!」
出会って大して経ってもいないだろうに、えらく浮子星は嶋をかっているらしい。
嶋の方も満更ではないようで、「いやぁ、そう言われますと照れますねぇ」と、悠長に笑ってみせる。
「何をぬかしとるんだ、この阿呆!」
「この短時間でどんだけ信頼築いとるんですか、浮子星さん……っ」
浮子星までこの有様に、直と八景は揃って声を上げる。
アンタらの為に秘密にしよう決めたんじゃないですか!
直ががっくりと戸口に寄りかかると、二つ目のパンに手を伸ばした尋巳が、
「そんでお前、何しに来たんや」
と、パンの袋を開けながら聞いてきた。
何をしに、だって?
猛然と言い返そうと顔を上げた直は、瞬間ぴたっと固まった。
何をしに?
何をって、それは、
…………。
「――――といれ、行きたい、です」
……………………。
「トイレなら横にありますよ」
「これ宜しく!!」
尋巳に向かって水着入れを放り投げると、中から「ぐえっ」と押しつぶされたような声が上がる。
それを背に、直は女子便所へとダッシュで駆けこむのだった。




