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タコと、少女と、生き肝伝説。  作者: 壺天
二章
21/73

『ラボ』の主 一

 穏やかな波音と、白く浮かぶ雲の群れ。

 瀬戸内の海に面した山沿いに、直たちの町はある。



 直の住む迎山から数キロ。

 沿岸を走って、隣町の端の少し高くなった土地に見えるのが、直と尋巳の高校である。


 梅雨中のこの時期、風は潮気を(はら)んで少々べたつく。

 海岸沿いの県道を自転車で飛ばすと、紺の学生スカートを湿る風が膨らませ、ひらひらと(ひるがえ)った。





「尋兄ぃっ やっぱ無理、これ(こぼ)れる!」



 自転車で前を走る従兄(あに)を追いかけながら、直は悲鳴を上げる。

 自転車のハンドルを握る手つきはおっかなびっくりで、前の(かご)に入った青の水着入れからは、バシャバシャと水の跳ねる音が漏れ聞こえていた。

 外からは中の様子は分からないが、布地には水気が飛んで、所々黒く(にじ)んでいる。



「やからビニールにしとけゆうたやろ。 それか、水なしにするか」



 そう言って呆れ顔を浮かべながら振り返る尋巳に、直は内心だってと呟き、目を逸らす。





 今朝方、いよいよ休日を終えて登校する段になって、直は八景の運び方について頭を抱えていた。

 変化すれば小さくなれる他の二人と違って、八景は通常のタコと同じ大きさにしかなれない。

 前日まではバケツの中に入れて持ち運んでいたが、学校へ行くとなると、そんな目立つ姿で連れ歩けないことに思い至ったのだ。

 家を出るまで時間はない。

 悩み抜いた挙句、尋巳の古い水着入れを押入れの奥から引っ張り出し、それの中に八景を隠そうと考えたが、ここでもう一つ問題にぶち当たった。


 八景の乾燥の問題だ。


 水に強いとはいえ、ナイロン製の糸で織った布地の水着入れでは、水分を容易に通してしまう。

 後々海水をかけてやる必要があると考えると、受け皿になるものが必要だった。

 尋巳はビニール袋にでも八景を突っ込むか、水なしで移動するかと提案してきたが、直はどちらの案にも首を縦に振りかねた。

 ビニールなんぞに入れて八景が窒息する羽目になってはかなわないし、水なしでまた昨日のように弱らせるようなことになっても困ると考えたからだ。


 潮守の生態を理解していなかったとはいえ、八景を失神させてしまった落ち度は自分にあると、直は後ろめたく思っていた。


 結局、防水を兼ねてとった策は、水着入れの中に子供用の小さいバケツを入れるというものだった。


 しかし、舗装の乱れや歩道との段差がある道を自転車で走ると、籠の中の袋がガタガタと揺れて、中の水があふれ出る。

 これでは学校に着くまでに折角入れた海水もなくなってしまうだろう。



「おい……」



 直が苦心して極力籠を揺らさないように自転車を操っていると、絞っていた開け口が押し広げられ、低い声が漏れ出てくる。


「いい加減、言い()きたがな…… 俺をこんな所に押し込むのは――――ギュっ」


「わ、ちょっとっ 出て来んといてよ! 誰かに見られたらどうするん?!」


 直は八景にみなまで言わせず、水着入れを上から押さえつける。

 何故俺ばかりこんな仕打ちだ?! と(わめ)く声に、他にやり様がない直も、静かにしてと声を(ひそ)めて言うしかない。



「あーもう、防水の鞄みたいなんがあったらええのになぁ」


 歩道との段差を何とかやり過ごしながら、直はそう一人ごちるのだった。




***




「(つっっっっっっか、れた……)」


 午前の授業を終え、やって来た昼休憩の時間。

 直は、机の上に身を投げ出してげんなりとしていた。

 机の脇、直の影になったところでは、吊るされた水着入れが開け口をきつく縛られて怪しく(うごめ)いている。


 いざ八景を匿って過ごした学校生活。

 その初日から、直は幾度も難題に襲われることとなった。




 一時間目の地理は、比較的何事もなく過ぎた。

 八景が何時文句を言いだすかと気が気でなかった直だが、思いの外水着入れの蛸は、中で大人しくしてくれていた。



 

 問題は二時間目の体育からだった。

 夏も近づく今日日、直のクラスの女子は、他クラスの女子と合同で水泳が授業内容であった。

 これに関しては、八景から離れず授業を受けるのは難しい。

 この授業は事前に理由をつけて見学させてもらうつもりだった。

 だが、いざ移動しようと机を立ったその時。

 事前に見学する(むね)を明かしていた友人に水着入れを持ってい行く姿を見られ、指摘されたのだ。


 なぜ休むのに水着入れを持って来ているのかと。


 ――――最もである。

 焦った直はどうにか切り抜けようと、机から取り出した冊子をおもむろにバックの中に突っ込んでみせた。(突っ込んだ時に、柔らかいものが(つぶ)れる感覚と、ぎゃっという声が聞こえたような気がした)


『いやぁ、ほら、見学中に予習しとこうと思って~ 鞄替わりよ、鞄替わり』


 そう言って乗り切った。

 お陰で数学の教科書とノートが、そこはかとなく海水臭く湿気てしまった。

 



 三時間目。

 現国では、今日に限って移動式のグループワークが行われた。

 最初に六人の班分けをし、ランダムに机を移動するのである。

 運悪く直は移動組に振り分けられ、授業中ずっと水着入れを持って動き回る羽目になった。

 移動する先々でおかしな目で見られたのは言うまでもない。




 そして(とど)めが四限の家庭科である。

 丁度今週は調理実習が当たっており、出された課題はなんてことはない洋食のメニューだった。

 この頃になると、言葉はなくとも動けないことに八景が苛立(いらだ)っているのが分かったため、あともう少し(こら)えてくと祈るようにしながら授業に臨んだ。


 そこにハプニングは起きた。


 直が少し目を離した隙に、八景が外の様子を窺おうと水着入れの口をほんの少し開いたのである。

 そして、水着入れを放置していた場所が悪かった。

 直は何げなくコンロ横の椅子に水着入れを置いていたのだが、八景がその口を開いたと同時に、使っていたフライパンから油が跳ねた。

 その油は最悪なことに開き口から外を(のぞ)きかけた八景に命中し、突然のことに泡を食った八景が、水着入れごと跳ね上がったのであある。


 ひとりでに跳躍した水着入れに、その場にいた全員の目が集まる。


 直は顔を真っ青にして、声もなく叫び声を上げた。

 落ちてきた水着入れをキャッチした直は、『すいません! 油にあたって放り投げてしまいました! すいません!』と後ずさり、冷やしてもらってきますと叫んで、保健室へ逃げ出したのだった。






「(いかん…… この調子やったら、そう遠ないうちに皆にバレる。 『蛸を連れて歩く女』呼ばわりされる……)」


 なんとか授業の成果物で昼食まで済ましたが、今日一日の奇行を怪しむクラスメイトの視線が痛い。

 この状況を打破するには、午後は何としても穏便にやり過ごすしかない。

 何食わぬ顔で授業を受け、周りの不審を払拭するのだ。

 そう直が決意を固める中。

 先ほどから机の下では、暴れまわる水着入れが、何度も足に体当たりをきめていた。




「…………」




 すっと伏せていた上体を起こし、辺りを見回す。

 誰もこちらに注意を払っていいないのを確認すると、直は勢いよく机の下に潜り込んだ。



〈ゴソゴソゴソゴソ、一体何なん今度は?!〉



 縛っていた開け口を開き、直は声を落して中を覗き込む。

 するとその鼻先へにゅるりと八景が顔を突き合わせるように出てきた。

 眉間には、先ほど海水で冷やしたやけどの跡が残っている。

 きゅうと目尻を()り上げた八景は、同じく声を落としてまくし立ててきた。



〈いい加減限界だ! こんな狭いところになんぞこれ以上入って居れるかっっ〉


〈しようがないやろ、他に隠しとく方法がないんしやし! こっちはアンタのフォローでいっぱいいっぱいなんや。 あと二時間、大人しとってよ!〉


〈いいや、無理だ。 これ以上は(こら)え切れんっ 出すつもりがないなら、自分で出るまでだ!〉


〈はぁ?! いかんに決まっとるやろ――――ああ、こらっ〉



 直の制止も聞かず、八景は狭い開け口から逃走しようとする。

 こんな所で姿を現されてはまずい、焦った直が押し戻そうと腕を出すと、



 ぎゅうううう~~


〈だあああ、痛い痛い痛い痛い!〉



 突っ込んだ左手に、八景の腕全部が万力のように絡みついて締め上げてきた。

 あまりの圧迫感に、直は声を押さえて叫び声をあげる。



 放せ! ふざけんなっ

 出せ! 貴様こそふざけるなっ



 お互い譲らず机の下で睨み合う姿は、傍から見れば怪しさ満載である。

 突然の奇行を横目に眺めてゆくクラスメイト達にはっと気が付き、直は慌てて椅子に座り直した。

 しかし、以前左手は八景に締め上げられたまま。


 ちらりと見下ろせば、イラつきもピークという顔が見上げている。


 流石に、午前いっぱい狭くるしい所に閉じ込めたのはひどかっただろうか。

 直は額を覆って息を吐いた。

 


〈――――分かった、わーかった! 丁度昼やし、どっかで出したげるから〉



 空き教室か、校舎裏。

 探せばどこかしら、人気のないところが見つかるだろう。

 海水もかけてやらなければならないしと、一旦休戦の構えで八景を見下ろす。



〈やけん、一旦放し。 移動するから……〉



 そこで直は不自然に言葉を切る。

 体を硬直させ、青い顔で俯いた。

 ――――なにやら不快な感覚が全身を襲う。


「(う、やば……)」


 冷汗が流れるのを感じながら、直はゆっくりと立ち上がる。


〈おい…? どうした……うわっ〉


 急に顔色が悪くなった直に、八景は訝しんで声をかける。

 が、それには答えず、直は乱暴に水着入れを引っ掴むと、急いで教室から駆け出すのだった。



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