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タコと、少女と、生き肝伝説。  作者: 壺天
一章
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明津宮神事 一

「もうッ ひぃーろぉーちゃーんんん!!」



 朝の平穏を(つんざ)く声に、びくり。

 一瞬肩を揺らして(まばた)いた後に、(なお)はまたやらかしたなと、見当をつけた。

 家からほど近い、いとこ兄弟宅。

 その裏口から庭へ入り込み、台所に上がり込める勝手口へ足を向ける。

 朝から騒々しいことだが、声は従姉(あね)夏子(なつこ)のものだ。

 彼女があんなに大声を出す相手は、大概というか、ほぼ決まっている。

 取っ手に手をかけゆっくりと押し開けた直は、そっと中を(のぞ)き込んだ。



「おはよーぅ…… 何事ですか、朝から」



 おずおずと戸口から(うかが)いを立てると、「直ちゃん!」

 勢いよく振り向いた明るい茶の目とかち合った。



 彼女・栗谷夏子(くりやなつこ)は、今年十七になる父方の従姉だ。

 肩を超した茶色い髪をいつも顔の横でまとめ、ぱっちりと見開いた目は髪同様明るい。

 目元は直と同じで少しだけ吊り上がり、すっと切れ長。

 地域の女子が一度は憧れると言っても過言ではない隣町の女子高の制服を身に(まと)い、その上からエプロンを被ってお玉片手にプリーツを揺らす姿はとても可愛らしい。

 実家の『朝練』で時間のない直の為に、こうして毎朝朝食を用意しておいてくれるなど、普段はとてもよい姉なのである。

 だが、どうにも今朝はタイミングが悪い。

 直を見る夏子は、色白な頬を赤く上気させ、かっかと怒りを(あら)わにしていた。



「聞いて! 聞いてよ、直ちゃん!」


「うん、うん、外まで聞こえてたけど…… どうしたん、一体」


「どうしたもこうしたも、見てん、コレ!」



 憤懣(ふんまん)やるかたないとばかり、勢いよく右手を突き出す夏子。

 目の前に迫るそれに()け反りながら、直は「え?」と首を傾げる。

 夏子がかかげた右手。

 そこに握られていたのは、一本の電気コード。

 だけ。



「……え? その先は?」



 きょとんと直が問い返すと、あまりにもショックといった風情(ふぜい)で、夏子は床を指さしてみせる。

 果たしてそこには、十合炊きの炊飯器が一台。

 (ふた)だけは辛くも閉じた状態で、コテンと転がっていた。

 もちろん、電源コードはない。

 一目見れば、もう本来通りに使用できないと分かる有様だった。



「うーわ」


「もうっ まだ三年目やのに! 今日の晩、『お祭』で使わんといかんのに!!」



 主力家電の末期(まつご)を嘆き、夏子はわっと顔を覆う。

 常に炊事を共にする相棒の痛ましい姿だ。

 ショックも大きいのだろう。

 それをどう(なだ)めたものかと往生しながら、直は夏子の向こうで素知らぬ顔をして朝食をかっ込んでいる人に、呆れ顔で声をかけた。



(ひろ)兄ぃ、どうしたらこんな惨事になるんよ」


「ああ?」



 ガサツに声を上げたその青年は、ぎろりと(わん)(ふち)から直を(にら)んだ。

 この態度の悪い男は、夏子の兄・栗谷尋巳(くりやひろみ)である。

 夏子とは年子で、年は十八。

 今年高校三年になる。

 妹である夏子に似て茶色っぽい目は切れ長で、そう意図しなくても人を睨んでいるような風貌だ。

 短く切った前髪からのぞく額の下には始末の悪い悪知恵を蓄えており、それを働かせることにかけては一族で右に出る者は無い。

 雑な性根は温厚な妹とは対照的で、よく血縁の者からもそのことを揶揄(からか)われたりする。

 そして優しい夏子が唯一、「お兄ちゃん!」と声を荒げさせられる相手でもある。



 直としてはつい先ほど『朝練』を共にして別れたばかりの従兄(あに)なのだが、状況から見て、この惨事は尋巳に原因があるのだろう。

 白状しろと視線をやれば、尋巳は鼻を鳴らして、



「配置が悪いんじゃ、配置が。 お前も足持ち上(もった)げて避けよったろうが。 前から邪魔や()うとったんに、置き場所変えんかったんが悪い。 よって俺は無罪」



と、茶碗片手に箸を振る。


 察するに、置き場所の問題で通路を横切っていたコードを、いよいよこの従兄は盛大にひっかけてしまったらしい。

 今までも家の誰かしらが引っ掛かっていたが、ついに根元の方が音を上げたという訳だ。



「中身は出とらんし、昼飯は無事やってんから、そう騒ぐなや」



 呑気(のんき)にのたまう態度には、微塵(みじん)も反省はない。

 床に転がった炊飯器を机の上に戻してやりながら、直は中を確認した。

 確かに、中身には問題はないようである。



「そーゆう問題違う(ちゃう)でしょ。 この間(こないだ)洗濯機買い換えたばっかしやのに、また出費やん。 しかも今日のお祭、どうしても炊飯器無いと困るのに…… 今壊してしもうて、母さんになんて言う気よ」



 一(しき)り落ち込んでから尋巳を睨み、夏子が「どうしよう」と溜息を吐く。


 夏子の心配は、今日の晩の『祭』のほうにあるらしい。

 『祭』には親戚中が集まるし、家にある炊飯器を全部フル稼働させて食事の用意をしなくてはならない。

 一台抜けるだけでも、主食の量が足らなくなってしまうのだ。

 直はふむと目を宙に漂わせて考えた。



「そういえば、杉田のおばちゃん()も大きい炊飯器あった気ぃするよ。 昼前には手伝いに来てくれるんやろ? そ()時に持ってきてもろうたら?」



 炊飯器を撫でながら提案すれば、「あ~! そうや、それがええわ!」と息巻いて、夏子がパタパタと廊下へ出ていった。

 提案通り、小母(おば)の家へ電話をしに行ったのだろう。

 その背を見送った直の横で、もしゃもしゃと米をかき込む音が再開する。



「あいつもしょうもないことで騒ぎすぎや。 壊れたモンは、それはそれでどうもできんのやけん」


「それは流石(さすが)に開き直り過ぎやろ。 一体どんな引っ掛かりかたしたら、コードの根元からブチ切れるんよ」



 心底反省のない従兄を呆れ顔で一瞥(いちべつ)すると、直は机に並べられた弁当に米を詰め込み始めた。

 しかし、尋巳の方はまるっきり意に介さない様子である。

 平然と米の二杯目を所望しながら、そんな事より、と話題を変えた。



「お前、さっきの『朝練』。 『榊舞(さかきまい)』は良い(ええ)にしても、『曲舞(きょくまい)』はまだ全ッ然、やったろうが。 あとひと月で仕上げ、間に合うんか」



 ギクリ。

 椀を差し出しながらじろりと見上げる目に、直は口を閉ざしてふいと顔を逸らした。



 桧原直(ひのはらなお)、十六歳。

 夏子と尋巳の従妹(いとこ)で、先ほどから二人の間に立たされている少女である。

 いとこと同じ吊り上がり気味の目は明るく、額が露わなさらさらと揺れる髪は、首筋が見えるほど短い。

 夏目前の日に焼けた肌はほんのりと浅黒く、筋張った四肢は少年の様でもある。



 その伸びやかな腕で無闇やたらに米をかき混ぜながら、直はぐうと(のど)を鳴らした。

 尋巳の言う、『舞』の話。

 正直言って、今その話題は相手にするのが辛い。

 「あー……」と意味を成さない声をあげ、どう返そうかと考えあぐねていると、ジト目で頬杖をついていた尋巳は、呆れ気味に長く息を吐いた。



「そりゃ、内容が内容やから、今すぐ完璧にっつうんは無茶かもしれんがな。 お前、ちょっとは今自分がどういう状況か、言うようにせぇよ」



 分かりづらいんだという指摘に、うぐと言葉に詰まる。

 自覚はあるのである。

 「いやぁ……」と間を持たせながら椀を差し出して話を煙に巻こうとすると、ぴんと眉をはねた尋巳が、釘を刺してきた。



「あのなぁ…………()うとくが、お前の方であんまり進展がないようなら、構成、もうちょい(やさ)しゅうし直すからな」


「! それはいかんっ」



 尋巳の一言に、直はぱっと血相を変えて身を乗り出した。

 それはまずい。

 それは嫌だ。

 自分の落ち度は分かっているが、それだけは困るのだ。



「ごめん、分かった。 もうちょっと頑張って底上げするから、それは待って」



 まだ、『祭』の本番までひと月。

 根拠のない言い分だと、後ろめたさはある。

 自分でもわかっている。

 けれど、『舞』に関しては、直にも譲れないものがあるのだ。

 今の構成を変えないこと。

 これだけは、どうしても尋巳にも納得してもらいたかった。

 思いつめた表情で口を引き結ぶ直に、尋巳は箸を止めてじっと視線を返してくる。

 そのままじっとりと睨み合い、尋巳が先に終わらせた。



「……まぁ、現状維持にしろ、簡単にするにしろ、俺の方は困らんしな。 ただし、こっちで間に合わんて判断したら、どう()おうが構成は変えるぞ」



 これ以上の譲歩はせん、と切り上げる声に、机に手をついていた直は不承不承(うなづ)いた。

 覚悟はしていたが、これであと一か月、死ぬ気で『舞』の完成に挑まなければならなくなった。

 自分で望んだこととはいえ気の重い話だ。

 再び炊飯器に向き合った直は、一人重い溜息を落とすのだった。


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