潮守 五
「……ウ、」
ウソやろ。
予想外の宣告に、直は絶句する。
要約すればつまり、彼らがいう術がかかっている以上、直たちかこの男たちのどちらかがこの勾玉から離れ過ぎると、双方死んでしまう可能性があるということだ。
そんな危険な状態に自分が置かれているのだと理解して、直は一瞬気が遠くなりかける。
よくもそんなとんでもない術に巻き込んでくれたものだ。
文句の一つも言いたくなって口を開きかけたが、それより早く尋巳がちっと鋭く舌打ちした。
「七面倒なことしてくれたもんやな、この海洋生物共。 それじゃ何か。 俺と夏と直。 この三人は術ゆうんが働いとる以上、お前等から離れれんゆうことか」
無視を決め込もうとした矢先のあんまりな暴露に、尋巳は苛立たしげに歯噛みする。
これで男たちから距離を置くことはできなくなった。
それどころか、下手をすれば術が切れるまで四六時中一緒に行動しなければならない可能性が出てきたのだ。
頭痛がするような気がして、直は両目を手で覆った。
そんな直たちを八景が勝ち誇ったように嘲笑いだしたため、尋巳がすかさず頭を鷲掴んで黙らせる。
他に隠し事なり、術の解消の仕方なり話せることがあるだろうと尋問を始めたところで、直は背中をつっつかれて振り返った。
背後には、孝介と晴真が不思議そうに突っ立ている。
「なぁ、直姉。 術って、なんのことなん?」
「え? ……アンタ等、見てたんちゃうん?」
突然の晴真の質問に面食らって、直は逆に聞き返した。
そういえば、この二人がどこから事の経緯を見ていたのか、話を聞いていない。
「そういや、そうよ。 二人共、何時からここ居った?」
目線を合わせながら問いかけると、晴真が納屋の屋根を指さして答えた。
「直姉たちがこの人等の前に倒れて、ゴホゴホ言うとったときから。 真っ暗ん中に青い光が見えたけん、上から降りてきたんや。 そしたら三人とも倒れとるし、変な雰囲気やったから、倉庫の裏に隠れた」
様子を窺っていれば、直たちが危機に陥っていることは察しがついた。
その元凶があの青い勾玉であることも見当がついたため、倉庫の壁に立てかけてあった梯子を上って、加勢したのだという。
直が一通り経緯を聞かせると、二人はようやく話に追いついたと、腑に落ちた顔をして目を見合わせた。
「玉とか、術とか、訳分からんかったけど、やっと分ったわ」
「僕等が来たん、ホンマにタイミング良かったんやね」
確かにあの時二人の手助けが無ければ、直たち三人は男たちに連れ去られていたことだろう。
まさに間一髪だったと今更ながら思い返していると、晴真と顔を見合わせていた孝介がふと怪訝そうに首を傾げ、ぽつりと呟いた。
「でも、神社の家の子供を狙っとたんやったら…… 僕等は?」
「あ、馬鹿!」
咄嗟に声を上げて、直は孝介の口を塞ぐ。
しかし声が届いてしまったのだろう、騒がしかった背後がしんと静まり返る。
まずい。
直が孝介と晴真を背に隠したままぎこちなく振り返れば、騒いでいた全員の顔がこちらに向けられていた。
男たちの顔つきが訝しげな色から、いや、まさか、という疑惑の色に変わり始め、尋巳は肩を竦めて、あーあと諦めた顔をしてみせる。
あーあ、じゃない。
どうするんだ、コレ。
直の焦りをよそに、弟たちを注視していた八景が強張った顔をして「そういえば、」と頬をひくつかせた。
「おい、子供。 お前等、この三人の知り合いか……?」
抑えた声で問われ、孝介と晴真は顔を見合わせる。
その様子を眺めていた尋巳は軽く頭を掻くと、二人を自分のほうへ引き寄せた。
「孝介、直の弟。 晴真、本家の息子。 本家いうんは、俺等んとこの神社の宮司の家いうことな」
つまり、血縁だ。
孝介と晴真を順に指さしてそう説明すれば、ポカンとそれを聴いていた男たちは大きく目を見開いた。
そして、
「なにぃいいいいいい!!?」
ざざーん。
打ち寄せる波音を背に、八景の絶叫が夜空に木霊する。
大声に耳を塞いだ尋巳が、呆れた表情で潮守たちを順繰りに見た。
「おかしいとは思うとったんや。 この神社の身内の子供ゆうて、なんで俺等三人しか狙わんのか。 お前等なんか勘違いしとるんやないか?」
「で、ですが、言霊、言霊が……」
「言霊? なんやそれ。 ウチで子供ゆうたらこの五人。 他の親戚やったら成人した兄貴等か、生まれたばっかしの赤ん坊がニ、三人だけや」
尋巳が宣言して、晴真と孝介が頷く。
八景と文都甲はあまりに衝撃的だったのか、驚愕の表情で固まってしまった。
浮子星だけは大して驚いた様子もなく、「弱ったなぁ」と全然弱っていない調子で笑っていた。
そんな三人に鼻を鳴らすと、尋巳は腕を組んで言った。
「まぁ、丁度ええやないか。 どうせ次打つ手ももうないんやろ。 策が頓挫したんが分かったことやし、人様の肝なんざ胸糞悪ぃもん、諦めるこったな」
「でも、このまんま解散ゆう訳にいかんやろ。 勾玉がある間はウチ等、この人等ぁと無関係ゆうわけにはいかんのやで」
孝介が繁みの奥から探してきてくれた最後の一つを受け取りながら、直は掌で勾玉を転がしてみせた。
よく見ると、それらは全て同じ形をしているが、色はそれぞれ違っている。
何とはなしに「色が」と呟けば、浮子星が首を伸ばして語りかけてきた。
「そいつはワシ等とお前さん等、それぞれ二人一対のもんじゃから、持つんならちゃんと自分のもんを持っといたほうがええ」
「……違うもんなんですか?」
年上とみて、つい敬語で聞き返す。
色味はそれぞれ異なっており、近づいてきた夏子が一つ一つ納屋の灯に翳しながら確かめた。
「これ、碧。 こっち、深い青。 あとは水…… 空色かな?」
「碧は、お姉さん。 濃い色のは、お兄さん。 最後のはそっちのお嬢ちゃんのじゃな」
浮子星の指示する通り各々の勾玉を受け取ると、尋巳は手元の石と浮子星を交互に見る。
直も、渡された勾玉をしげしげと観察して首をひねった。
大きさは、親指より少し小さいぐらい。
丸みを帯びた形に、膨らんだ部分の中央には、麻紐ぐらいなら通りそうな穴が開いている。
夏子と尋巳のものよりも薄く澄んだ色は、水とも空ともつかぬ不思議な透明感を宿しており、直は束の間じいっとその美しさに魅入った。
「先刻の術は覚えとるか? 水鏡に、姿を写し取られたろう」
ちらりと脇の文都甲へ視線をやりながら、浮子星は尋巳に問いかける。
「ああ、あの訳分からんヤツ」
「あの時鏡越しに向かい合った者同士が、今、その荒渦の玉を介して結ばれとるのよ。 あれはそういった術だ」
水映しの術は、二者一対。
異なった理に在るもの同士を、一つの玉を介して繋げている。
「あの時、向かい合った……?」
「じゃぁ、」
浮子星の言葉を受けて慎重に呟いた尋巳と夏子が、ゆっくりと視線を動かす。
その先にはそれぞれ、浮子星と文都甲が居た。
「――――じゃぁ、」
遅れて頬を引きつらせながら直が見た先には、砂にまみれた、蛸の姿。
――――いやいやいや、
今日、一体何度目になるのかという呻き声が直の口から零れた。
確かにあの時直が宙に浮く水の輪越しに見たのは、今きつい視線を送ってきている、特徴的な一本線の、――――――おい、誰か嘘だと言ってくれ。
「針千本が俺で、夏が亀か。 で、直は蛸」
「嘘やろッ!?」
貧乏くじ、その言葉が脳裏を閃く。
「あや? お嬢ちゃんは、八景と組むんは気が進まんかいな」
すっとぼけた様子で浮子星が言うのに、直は返事に詰まって苦い顔をした。
ぎぎぎと足元を見下ろせば、目だけの顔が、忌々しげに直を睨みつけている。
「(だって…… コイツが一番敵意むき出しで面倒くさいしっ)」
そう。
邂逅からこっち、八景と呼ばれているこの蛸が気勢を和らげる様を見せた瞬間は一度もない。
最初から全力で嫌悪と高慢のツーコンボなのだ。
あの態度でこれから四六時中一緒に過ごすのかと思うと、呻き声の一つや二つ、それ以上出てしまうくらい当然だ。
「(それに……)」
それに、直はまだ、彼の第一印象。
つまり、暗闇で襲われた恐怖感が拭えずにいる。
この何でもない小さい蛸が、あの異様な大蛸に変化するのかと思うと――――とにかく、一番組みたくない相手だったのだ。
項垂れる直に、自分の勾玉を玩びながら尋巳が視線を向けてくる。
「文句言うてもそうなっとるもんは仕方がないやろ。 諦めぇ、阿呆」
「うう…… 尋兄やってウチの立場やったら嫌がるくせにぃっ」
「まぁな!」
「ちくしょう!」
頽れる直をけらけら笑ってから、尋巳は浮子星に顔を戻した。
「それで、この石からはどのくらい離れたらアウトなんや」
あうと…… と浮子星は一度首を傾げ、それでも意味を察したのか、文都甲に話を振る。
「ワシ等、どのくらい離れれんもんなんかいな?」
「個々の資質によるところが大きいものですから、こればっかりは何とも……」
「やとよ」
「――――つまり、『できるだけ近くに居れ』、ゆうことですか」
重々しく頷く従兄に、直はふざけんな! と頭を抱えた。
一体何の罰ゲームなんだ、それは。
悲嘆する直を尻目に、尋巳は潮守たちを見下ろして話を進めてゆく。
「まぁ、石の作用みたいなもんについては、追々話聴かせてもらうとして…… 今日はもう遅いけん、一晩それぞれ家で過ごすしかない。 ホンマは本家に泊まる予定やったから、家には誰も戻って来んはずやしな」
祭りの夜、直たちの家の者は本家で泊まるのが通例である。
直も尋巳も夏子も、片づけが終われば本家へ戻るはずだったが、流石に潮守たちを連れては行けない。
親連中には今日は集まれないことを知らせておけと晴真に言い含め、尋巳は直に八景を拾って押し付けてきた。
「とにかく、詳しい話は明日や。 とりあえず今日はその蛸持って帰って、明日稽古場の方まで来い」
よし、じゃあ解散。
尋巳の号令に従兄弟たちが頷く中。
押し付けられた怒れる蛸を引き剥がしながら、直は盛大に溜息をつくのだった。