瀬戸の海、唄う山
こぽり、こぽり。
ここは波、穏やかな瀬戸の海。
行き交う船舶が水面に白波をたて、その上を渡る風は、柔らかな潮の匂いを運んでいる。
朝焼けと夕焼けは海を赤と金に染めて、昇る月は、波を銀色に光らせる。
そんな海に面した、地方の港町。
そこには、岬の山に抱かれた、一つの神社があった。
社の名は、『迎山神社』。
創建は古く、長く近隣の者に親しまれてきた神社であった。
境内はこれと言って目立つものがあるわけではない。
だが一つ――――特筆してあげるならば、拝殿前の番の石像。
参道を守るその姿は、多くの社でよく見うけられる、いわゆる「狛犬」――――獅子や犬によく似た架空の獣――――とは、趣を異にしていた。
西日を受け、行儀よく台座の上に控えるのは『猿』。
この辺りの土地には珍しい、山野の獣だった。
古めかしく時を経た風情の二匹の猿は、この迎山の「神使」。
『神猿』とも呼ばれる、神の御使いであった。
これは、夏の始まりの頃。
梅雨が訪れる時節の話。
迎山には自然の気がまつろい、ざわざわと海を戦がせていた。
山の気は唄う。
『まつり、まつり、みやのおまつり』
『おのこ、めのこ、ついのよりしろ』
『しんしのよりしろ、ついのわかご』
『もどる、もどる、まさるのみたま』
『いわえやいわえ、いやさかの』
『みたまおろしのついのわかご』
その声に意思はない。
響きだけの唄に、空気は揺らぐ。
近く訪れるであろう変化の気配に山は沸き立ち、木々が騒ぐ。
そして、それを遠く眺める影が一つ。
海に浮かぶその黒い姿は、夕日の中、じいっと迎山を見上げていた。
辺りに、影を見咎める者は誰もいない。
波に揺られる異形は、すっと目のようなものを細め、呟くように『コポポ……』と奇妙な声を発した。
泡が立ち上るような囁き。
かと思うと、それはくるりと身を翻し、次の瞬間にはとぽんと海に消えていた。
立てた波はすぐにかき消え、後にはいつも通りの海が残るだけ。
赤い海が、揺れるだけであった。