たま出版と大陸書房 この2社は1970年代の超能力ブームの総本山だった?改訂増補版
この2社は、1970年代に、かって日本にオカルトブームや超能力ブームを引き起こした、火付け役となった2大出版社だった。
と、、私は思っている。
まあほかにもブームに乗っかって、それ系のオカルト本を出した出版社も多かったのは事実ですがやはりこの2社がメイン?でしたね。
その1、大陸書房
大陸書房は、1967年創業の、オカルト分野の出版社だった。
今現在はもう存在しない出版社である。1992年に倒産している。
超古代史や、失われた大陸もの、超能力。ミステリー分野で、画期的な出版をしたと私は思っている。
超古代史物では
中でもチャーチワードの「ムー大陸」が火付け役となった。
今の言葉でいえば「とんでも本」の世界であるが
当時の青少年に与えた影響は計り知れなかったと思う。
ここからあえて強制付会気味に言い切るなら、、のちのオウムのカルト宗教への道が開かれた?とさえいえるのであるから。そういう超能力ブームの仕掛け人だった。
日本の超古代史物では、吾郷清彦著、「古事記以前の書」などが印象に残っている。
私はこの書で超古代史に目を開かれたのである。いわゆる「古史古伝」紹介の先駆的書物である。
日本の超古代にすごい超文明が日本にあり日本は世界の支配者だたっという
まさに「トンデモ本」の世界であるが、竹内文書などのこの世界感にはしびれましたね。
超古代に、「天の宙船」というまあ、円盤にのってそのころ日本の王が世界を巡察していたという
これはもうSFの世界でしょう。
超能力物では
末広千幸の超能力シリーズ本などが印象に残っている。
彼女は当時マスコミにも引っ張りだこで、人気霊能者だったがのちにアルマゲドンの託宣で?
南米移住を信者とともに決行したがそれはやがて崩壊して移住者は日本に舞い戻ったという経緯がある。
、末広自身はアメリカにとどまりその後の行方は不明である。
そして特記すべきは、高藤聡一郎を発見して世に出したことでしょう。
彼の仙道シリーズはまるでたま出版のケイシーのように大陸書房のまさに看板スターだったからです。たま出版といえばケイシー。大陸書房といえば高藤聡一郎、というメインスターでした。
彼の仙道は確かに正統派であり今読み返しても、そんなに破たんも。齟齬もありませんよね?
まっとうな見解ですらあるでしょう。
私が愛読したのは、「仙人入門」と、「タオ健身法」でした。
この2書は名著だと今でも思っています。内容も正統派?です。
さてそんな大陸書房の中でも一番異彩を放っていたのが、
高藤聡一郎 の「仙道』シリーズであった。
著者略歴によると、昭和23年生まれ都庁勤務後世界放浪、仙道と出会う、とある。
今ではすっかり名前を聞かなくなったがご健在なのであろうか?
1970年代のオカルトブームで、いろいろ出てきたが、
仙道系の領域は珍しく、私も興味を持った一人だった。
主な著書は5冊、仙人入門、仙人になる法、仙人不老不死学、仙人瞑想法、、タオ健身法、である、
その後ムーブックス【学研】から、結構いろいろ仙道
入門書みたいなのを出しているが、
この5冊の焼き直しか敷衍と思っていいだろう。
彼の説く仙道の、要諦は、体術(太極拳)と気功(人体エネルギー)と、食養術、漢方、呼吸法、瞑想法、などとても広範囲でしかも
理論的である。
つまりまやかしがない?のである。
心身鍛錬法としても良いかもしれない、そう思わせるほど
納得させるものがる。
不肖、この私もいくつかの鍛錬法を実践したことも有るし、自己治療で体の不具合を直したことも有る。
先の5冊の本はすべて所持している、
中でも「タオ健身法』は今でも名著?であると思って居る。
内容は東洋医学の実践書であり、
なんというか一家に一冊、東洋医学版「家庭の医学」見たいなものである。
日常良く罹るところの病気や不調の各症状の治療法が、鍼灸、服薬、手技、呼吸、瞑想、食養法などにわたって詳しく述べられている。
しかし難しくなくて、どれも素人が実施可能な療法であるところがミソである。
便利といえば便利な本である。
私もいろいろ試してみたが結構効果もある。
西洋薬が大嫌いな人にはうってつけの名著?であろうか。
いつだったか、オウムの修行場が映し出されて、そこにこの本がさりげなくおいてあったのを今でも鮮明に覚えている。
と言って高藤仙道イコールオウムではないので誤解のないように。
あくまでオウムがかってにこの本を参考にしていたというだけのことである。
今でも私は体が不調の時にはこの本での療法を試している。
先の4冊の本もあるが今ではほとんど開くこともない。
先の4冊では仙道の修行法が述べられていてそれを極めれば、
きわめて高い瞑想の悟りが開けるようであるが、今こうして中高年では、
大周天、小周天を実践するほどの熱意もないからであるが、
大周天をきわめて、幽体離脱してもしょうもないし、
7つのチャクラを開発して、
クンダリニを目覚まして、悟りを開きたいとも思わないからだ。
というわけで、日常の病気や不調の手軽な実用東洋医学書であるところの、
唯一、この実用書だけが、役にたっている?というわけである。
高藤聡一郎は1998年ころまで学研のムーブックスで本を出していたがそれ以降は新刊もなく彼の近況も不明である。
余談ですがのちにあのオウム真理教の事件があって、テレビの特番で事件以前にサティアンにカメラが入って報道したことがあったのでした、
その時信者の本棚にこの「タオ健身法』がおいてあってびっくりしたことがあります。
オウムの土台には高藤仙道もうまく取り込まれてたんだなあ、という感慨でしたね。
オウムとは。ほかにもインドのヨガ思想、チベット仏教。タントラ教などがごっちゃ混ぜに
悪用されているのです。長く東洋思想を独学で研究してきた私にとって、
オウムはこうした伝統宗教の「イイトコドリ」ならぬ「悪用」でしかないという事実でしょう。
だから私はオウムを早くから見透かしていましたし、引っかからなかったということです。
ひげもじゃのいかがわしい教祖が空中浮揚するあの本がそのころ書店の店頭にいっぱい並んでましたが、私は目もくれませんでした。
その2、たま出版
たま出版は1969年創業。当初、精神世界やオカルト系の出版物が中心だった。
雑誌「たま」やエドガーケイシーシリーズで。精神世界物で有名。
特にエドガーケイシーシリーズの刊行は画期的だったと思う。
「転生の秘密」ジナサーミナラ著はかって、この私が初めて読んで
その世界感にぶっ飛んだ思い出があるくらいすごいショックなもので、
私の世界感がひっくり返った衝撃的な本だった。
エドガーケイシーシリーズにはほかにも
「超能力の秘密」ジナサーミナラ
「夢予知の秘密」
「超人ケイシーの秘密」(上巻・下巻) ジェス・スターン著
などがある。
、先ほども述べたようにとくに、ジナサーミナラ著の「転生の秘密」は日本にケイシーを
知らしめた画期的な書だった。
この本でケイシーを知ったという人が多い、
私もその一人で、一読、それまでの価値観と世界観がフットンダような衝撃があったと記憶しているくらいだ。
これはまさに人生大転換の衝撃のスピリチュアルな本である。
ジナサーミナラ女史の古い著作、たま出版から出た、「転生の秘密」これはある意味、私の、転換の書でもあったといえよう。
エドガーケイシーについて、その、生まれ変わり、転生について、焦点を当てて書かれた、この本は、
私のスピリチャル意識の転換をもたらし、霊的人生観への転換をもたらしたといってよいだろう。
世の中って何て、不条理なんでしょう。
何の、罪もないのに、実の母親から、深夜、橋の上から突き落とされて殺されてしまった、少女がいました。
また、夢と希望に満ちて、入門したのに、暴行されて無残に死んでしまった力士もいました。
一体この世に神も仏もないものなのでしょうか?
一体このいたいけな少女が何をしたというのでしょうか。
この17歳の少年力士が何をしたというのでしょうか?
何もしていません。何の罪も犯してはいません。
ではなぜこんな目にあわなければならなかったのでしょうか。
神も仏もない、ただ、すべては気まぐれに生起しまた消滅する。
そういってニヒリズムを気取ることもできるでしょう。
しかし、それで満足できますか。
人は答えを欲するのです。
なぜ、つみなくしてこんな目にあわなければならないのかと。
答えはおそらく、透徹した、真理を見抜く佛眼でしか分からないでしょう。
ヨブは神に問いかけました。
なぜにかかる災いが我に起こりしやと。
エドガーケイシーはその答えを遠い遠い過去世に自ら作り出したカルマに求めました。
彼は言う。「私たちは愛と霊性の完成のために幾多の輪廻転生を繰りかえしてきていると。
そして「私たちは蒔いたものはいつか、必ず刈り取らなければならない」と。
「あなたは選んでココに生まれてきたのだ」と
だから、「今いるここがあなたにとって最良な修練の場なのである」
と
「今いるここからはじめなさい」とエドガーケイシーは言う。
「うろたえたりしないで、頭をぐっともたげてあたりを見回しなさい。
そして、今あなたがどこにいるのか良く見渡しなさい。
すべてはあなたが遠い昔に作ったカルマを今、清算しているのです。
いたずらに嘆いてはいけません。今、あなたは野茨を食べるしかないかもしれません。
しかし、今、あなたが植えたイチジクの実をいつか、あなたが食べる日が必ず来るのです。
くじけてはいけません。」
「人は蒔いたものはいつの日にか必ず自ら刈り取らねばならない。」
この世は天国ではありません。
鬼もいれば蛇もいれば悪魔もいれば天使もいます。
詐欺師もいれば、殺人鬼もいます。
それがこの世なのです。
いたし方のないことなのです。
そうした,汚辱の世だからこそ、また、仏性を磨くこともできるともいえるでしょう。
まわり中、善人ばかりでは、悟りも慈愛も奉仕も忍辱も磨けません。
私たちは、いつの日か、汚泥の中に咲いても一切それに汚されることのない
大白蓮華のように、無常の大菩提心に目覚めるしかないのでしょう。
ケイシーの思想についてはこれいじょうは詳しくは語らないが興味があれば自分でお調べください。
このように私は1970年代に大陸書房とたま出版で
精神世界に目覚めたのである。
ただしその後の1980年代のカルト宗教の勃興期には
私はあくまでも傍観者であり、オウム真理教にも
あるいは
K科学にもA宗にも入る気もなかった。
私にとってはあのエドガーケイシーが真理であり、あまりにも衝撃的であり、
それ以上の新興宗教なんてばかばかしくて到底受け入れられなかった、というのが
本音だったからである。エドガーケイシーを超えるような新興宗教ななんてあるはずがない。
それが私の結論だったのだから、そんな雨後の筍のようなカルト系宗教には入る気すらおきなかったという次第である。
そういう意味ではケイシーのおかげで今私が「ポア」もされずに
こうしてのうのうと生き延びていられるのは
ケイシーに感謝しなければなるまい。
今でも私はケイシーを信じているしそういう意味ではケイシーの信徒?である。
以上のように
この2社は1970年代当時のオカルトもの超能力物の草分けであり
開拓社だったのである。
その影響はのちの80代のオウムなどのようなカルト宗教の勃興のある意味地ならし、、地盤づくりをした
という負の功労者?だったといえるのかもしれない。
もちろんこの2社にはソンナ慮りも悪意も全くなかったにしても、、、。