8話 お揃いの2人
“残り13日”、木曜日。
放課後、第二公園にて。
月鉤がランニングに慣れて来た所で、当初の運動療法の目的であった高強度運動に挑戦してもらう。挑戦するのは10分坂ダッシュ。20mくらいのそこそこ傾斜がある坂を全力で駆けあがるもので、駆けあがったらすぐに下まで戻って再度あがるというのを10分間繰り返す。休息時間は下っている時だけで、20mなんて数秒で下り終わるのでほとんど間がない。息が上がった状態を10分間維持するというのがこの運動の醍醐味。これをこなすことで脳のストレス対処機能を最大限活性化できる。わざとゆっくり下って息を整えると心拍数が下がるので、そういった手抜きは禁物だ。
坂ダッシュは平地のダッシュに比べ、スピードがでにくい。そのおかげで平地よりも足にかかる負担が少ないので、平地よりかは怪我しにくい。しかも平地よりも心拍数があがるので、ストレス対策目的ならこちらを選ばない手はない。ただ、毎日やるのは流石に回復が追い付かず怪我のリスクが高まるので、月曜と木曜の週2ペースで行う。
内容と理屈を彼女に説明する。当然嫌そうな顔をされたが、親友が自分の為を思って考えてくれたメニューだということを知ってしまっているので、引くに引けない状態になっていた。
公園から坂へ移動。坂の下で構えをとって早速1本目。
「さっ、行こう!」
「はいっ!」
ダッと駆け出して足を回転させていく。並走中、彼女の息がみるみる内にあがっていくのが分かった。数秒で上まで到着し、すぐに下へ。息は上がったままだ。
「さ、ゴー!」
「は、はい!」
2本目…そして3本目とこなしていく。こなすごとに足の回転が遅く、呼吸も激しくなった。全力走なんて普段やることはないだろうし、数本でこうなるのは当然だ。ましてや運動をやらないタイプ。体にかかる負荷は相当な者だろう。そう考えるとよくついてきている方だ。
だが、6本目を越えた辺りでゆっくり走る事すらできなくなる。時間はまだ5分も経っていないので完走は絶望的だ。それでも彼女は登り続ける。どんなに苦しくてもやり続けるという彼女の良い所が出ていた。
これこそ俺が彼女を尊敬する理由だ。俺は諦めてばっかりだから、反対に位置する彼女の姿は心に刺さりまくる。
残り1分。既に上りを歩く事すら危うくなっていたが、それでも歩く。何でそこまでできるのか気になったので聞いてみた。すると彼女はこう答える。
「知ってました? やめなければ、限界はなくなるって事を…!
「その台詞…さすがリミブレファン」
全クラスメイトへの毎朝挨拶しかり、彼女の継続する力が秀でているのはそれが要因だったのかと、今更ながら気づいた。自分の過去を振り返ると、同じリミブレファンとして恥ずかしい思い出ばかりだ。
10分経過し、終了を彼女に伝えるとその場で大の字になって倒れた。大口を開けて呼吸を整えている。数分経って落ち着くと、ムクッと起き上がった。
「失速してしまってすみません」
「いいよ、別に。ってか、最初にしては良くやれていたよ。10分続かないと思ったもん」
「続けられるのは当然です。やめる気なかったですから」
「か、かっこええ…」
「それはそうと、ご主人様は余裕そうですね?」
「…昔これと同じようなのをやっていた事あってね。その貯金があるだけだよ」
「そうでしたか…それを追求したい所ですが、今は“こっち”が先ですね」
そう言うと彼女は俺の手を取った。
「どこへ連れてくの?」
「どこへって、決まっているでしょう? 坂の下ですよ」
「えっ? もう終わったのに?」
「終わったのは私だけです。ご主人様はまだですよね?」
「それって…」
「“息が上がった状態を10分間維持”でしたよね? 親友がやり切ったんです。やらない・やり切れないとは言わせませんよ?」
「…分かったよ。やるからその怖い顔やめて」
彼女は並走できない。20mくらいあるから坂の上にいった時点で服従が解除されてしまう。なので、彼女に坂の丁度真ん中で立ってもらう事にした。理由を尋ねられたので、きつい所で応援がほしいからと答えて誤魔化した。
腕時計のタイマーを押してスタート。
運動貯金があったせいで息は上がりにくく、5本目からようやく息が上がり始めた。あとは持ちこたえるだけ。20本目を越えて足が乳酸で重くなり始めても彼女が中間地点で「絶対やめるな!」と鬼の形相で応援しているので、歩きたくても歩けない。結果、10分後には彼女と同じく大の字で倒れることになった。
「ご苦労様です。しぶとくて良かったですよ」タオルを渡される。
「あ…ありがとう」
胃の中のやつ全部出そうで苦しい。…こんなに必死になったのは何年振りだろうか。なんせ久々にスッキリしたなぁ。
「良い顔してますね」
「翠もね」
この後、ストレッチをいつもより入念にやった。残り時間を愚痴り合いで潰し終わり、帰ろうと立ち上がった時、彼女がその場で座り込んで立てなくなっていた。
「すみません。足に力が入らなくって」
「気にする事ないよ。むしろあれだけ追い込んでいたらそうなるのは当然だって」
彼女の前に背中を向けて屈んだ。
「おぶるから乗って」
「え…? でも……」
「汗臭いから嫌ってやつね。でもさ、早く帰らないと汗が渇いてお互い風邪をひくだけだから、今回ばかりは我慢してほしい」
「……。分かりました」
変な間があいたけど、なんとか背中に乗ってくれた。腕を首に回し、こちらは足を持って落ちない様にしっかりと密着してもらう。移動中はずっと静かだったから凄く我慢してくれているのが分かった。警告が鳴る恐怖に怯えつつ歩く。
まるで爆弾を背負っているような感覚になりながらも、ようやく彼女の家前に到着する。いつもならここでお別れだが、立てるかも怪しかったので、今日ばかりは家にあがらせてもらい彼女の母に引き取ってもらってから帰った。彼女の母は走っている事を知っているので娘がクタクタの状態で帰ってきたのに説明は不要だ。
それにしても、あの状態で明日の朝は大丈夫だろうか?
次の日。
案の定、翌朝学校で見た彼女は大丈夫じゃなかった。ロボットみたいな動きで登場し、歩き方はギシギシと金属摩耗音が今にも聞こえてきそうな様子だ。
教室移動中、友達に「大丈夫?」と気を遣われながら「大丈夫、大丈夫!」と笑顔で言って、手すりを使いながら階段をそーっと一段一段降りていく。その姿は全然大丈夫そうじゃなくて、少し吹き出してしまう。
「千汰、大丈夫か?」
「大丈夫、大丈夫!」
「いや、大丈夫じゃないだろ」
手すりにしがみつきながら、生まれたての小鹿の様になって降りる俺。その姿を見て貞男はしっかりと吹き出した。
くそ…。土日でしっかり筋肉痛治すぞ。
◇◇◇
その日の放課後、第ニ公園にて。
筋肉痛はあるが、多少動かして血流をよくした方が治りが早くなるので運動は休まない。が、走るのはさすがに無理だったので、歩きでの3キロとなる。歩行中は痛みを紛らわせるのも含めていつもの愚痴からの雑談となった。
「ご主人様ってあまり怒らないし、いつも穏やかですね」
「そう?人並みに怒るとは思うけど」
「そんなことありません。だって、私の愚痴を毎回聞きに徹してくれているわけじゃないですか。普通ならイライラしているか、げんなりしていると思います。だから……」モジモジ
「……? あーそういう事ね。気を遣ってくれてありがとう。別に我慢しているわけじゃないから安心して。ちょっとした癖みたいなものなんだ」
「癖?」
「うん。俺さ、イライラとか疲れた感みたいなネガティブな要素って、人に伝染するものだと思ってるんだよね。例えば、ファミレスで食事している時に隣のテーブルの人達が『来るのおせーんだけど』とか言って、めっちゃイラついていたらこっちもイラついてこない?」
「それは…きますね」
「でしょ? で、そのイライラを誰かに愚痴ることでその誰かもイライラする。そして、その誰かもまたそのイライラを別の誰かに、って続けていった結果、最悪その最初にイライラさせた人…つまりは怒っていた本人に戻ってくるパターンもあると思うんだよね」
「うーん…。ちょっと飛躍し過ぎな気はしますが、クラスや部活とかの小規模な集団内ならあり得そうですね」
「そう。結果的に1人のイライラが伝染して複数人をイラつかせるんだったら、誰かに伝染する前に俺の所で断ち切っておいた方がいいじゃん? だからそうやってイライラとかのネガティブ要素がきたら受け止めるようにしているんだ」
「それを続けていたから癖になったと……あれ?でも、受け止めるという事は、やはり我慢していたという事じゃないですか?」
「え…?違う…よ?」目を逸らす。
「顔と声が全く信用できない人のそれになっていますよ?」ジト目。
「そんなことはない」
「あります。…という事は、私は愚痴でご主人様を我慢させていたわけですか…。今後は愚痴を控えますね」
「それはダメだ」
「はい?」
「そうなると翠が我慢する事になるだろ?」
「ええ。ですが――」
「親友3箇条の1つ目! 言ってみなさい」
「…気を遣わない」
「そういうわけだ」
「……」
「あとさ、親友の為ならこのくらいの我慢はどうって事ないんだよ。とりま、翠は親友を舐めすぎ」
「……。ズルい…です」
「何が?」
「うー」
ポカポカと背中を叩かれるのもしっかりと我慢し、今日のトレーニングも無事終了した。




