3話 親友ルーティン
朝の教室。
「2人共、おっはよー」
「おはよー」
月鉤が自分の机に荷物を置き、別のクラスメイトの下へ。
「元気になったみたいでよかったな」
「ああ」
一先ずは、ね。元気にさせるには愚痴らせないといけないし、一時しのぎにしかならない。よって、これとは別の手段が必要になる。今日はそれを試さないとな。…と、その前にやっておくことが――
「貞男、昼休みは飯食う前に保健室な」
「……。あー、はいはい」
――昼休み。
ガラガラとドアを開け、第一声。
「すみません。ベッドを使わせていただたいてもよろしいでしょうか?」
「あー、いつものね。どうぞご自由に。ただし、静かにね。私、うたたねを楽しんでいる最中だから」
「ありがとうございます!」
「うっさい。いいから黙って使え」
眼鏡を机に置き、突っ伏してゴロゴロやる長髪の女性は嶽 輝美。保健室の先生なのに、基本放任主義でおられる大変心が広いお方だ。
ベッド周りのカーテンを閉め、貞男をベッドに押し倒して早速始める。
数秒待たずしてギシギシと揺れ動くベッド。最初はゆっくりだったが、時が経つにつれ、より小刻みに、より激しく加速する。
「アッアッアッ……」
たまらず漏れる声。こちらも加速していく。
「アッアッアッアーッ!」
突然乱暴に開けられるカーテン。
「うっさいから出てけ」
こうして俺達は保健室を締め出された。
教室に戻る途中、貞男が笑顔で語る。
「いやースッキリしたわ」
「そりゃよかった。ってか、体のメンテはしっかりやっとけよな。2か月後大会なんだから怪我はご法度だろ? もっとエースとしての自覚を持て」
「ああ、分かってるって」
「それ何百回目だ? 絶対分かってねぇだろ。毎回マッサージしてやるこっちの身も考えろよな」
「わりぃわりぃ。けど、自分でやるより千汰にやってもらう方が効果あるから効率いいんだよね」
「…単にラクしたいだけだろ」
「―—それはそうと、毎度の事ながらよく気がつくな」
「そりゃ毎日見ているからな。ちなみに今日は右肩が少し傾いていたから、腰周りか尻周りに違和感があるんだと思ったよ」
「ほぇー正解だ」
こいつが毎日挨拶してくるからそのついでで、姿勢や顔色を条件反射的に見てしまう。毎日の様に見ているなら、その変化に気づくのは当然だろ?
「いつもありがとな、千汰」
「気にするなって。あと、罪滅ぼしみたいなものだし…。つっても、この罪は一生消えないんだけどな」
苦笑いする俺を貞男が真顔で見つめる。
「その罪、陸上部に入ってくれればきれいに消えるぞ。…だから陸上部に入らないか?」
「悪いがお断りだ」
「そっか、残念」
昨日と同じ様に苦笑いする貞男を見て心で呟く。
『そんな簡単には消えねーよ』と。
◇◇◇
放課後、昨日と同じ様に月鉤を尾行して家の前ら辺に来たところで服従。その状態になった瞬間、ジッとこちらの目を見たかと思えば、急に微笑んだ。
「昨日の約束、ちゃんと守ってくれたんですね。嬉しいです」
「約束? …あぁ、『明日も来る』ってやつね。守るのは当然だろ?」
「…本当ですかぁ?」再び顔を覗き込まれる。
「本当だよ。親友を信じなさい」
「…分かりました。そういう事にしておいてあげましょう」
笑っているのに笑っていない感じでちょっと怖い。ってか、それよりも昨日の事を覚えていたっていう事の方が怖いな。服従中の記憶はちゃんと記憶されているって事だから、これが素の記憶に影響したら即バレだ。
危機感を感じつつも昨日と同じ様に第二公園へ向かった。
公園に到着。そこから人目のない林内に移動して早々「ちょっと失礼」と、彼女の右手を手に取る。
脈拍は早すぎず、低すぎないから問題なし。次は――
「今日食欲はあった?」
「……? はい、ありました」
「じゃあ、体の怠さはあった?」
「ありませんでした」
それから目を覗き込むようにしてみて、顔全体もじっくり見る。唐突に始めたこれらの行動は簡単な疲労確認だ。付け焼刃ではあるが、やらないよりはやった方が良いと思い、今日から始めることにした。これにより、彼女の見た目じゃわかりにくい精神疲労のサインを拾えたらと思う。
確認が終わった所で次に移る。
「ちょっとこれを読んでみて」
彼女に渡した紙に書かれていたのは“親友3箇条”なるもの。なお、内容は今日の休み時間中に考えた。
彼女が目を通している間にその内容を宣言する。
「1つ、気を遣わない! 2つ、隠し事をしない! 3つ、困っていたら助ける!」
当然の大声に彼女はビクッとしていたが、予想通りの反応なのでそのまま続ける。
「この宣言を毎日一度だけ一緒に言おう。…まぁ、恥ずかしくて面倒なのは分かるけどやってほしいんだ。…ダメかな?」
「…畏まりました」
半信半疑の表情。嫌な顔されなかっただけで上出来だ。
これの狙いは記憶へのすり込み。服従中は潜在意識である為、反復回数を増やす事でなんとなく頭に記憶させる事ができるのではないかと考えた。将来、彼女の前に親友候補が現れた時、『なんとなくだけどこの人親友っぽくないなぁ』と、正しい親友を自分で選別するフィルター機能として働いてほしい。
恥ずかしがる彼女と一緒に3箇条の宣言を済ませた後は、「これに着替えて」と半袖シャツ・短パン・ランニングシューズを渡す。木の陰で彼女が着替えている間に、周辺の見張りをしつつ、こちらも半袖・短パンになる(予め下に着ていて制服を脱いだだけ)。これから何をするかは見て分かる様にランニングだ。
ストレス予防やうつ病の治療には運動療法が用いられる事がある。人間にストレスがかかると『危機が迫っている』と脳が判断し、防衛反応が起こる。で、同じ危機が起きたらすぐ逃げられる様にする為、それを記憶しようとする。危機を記憶しようとする力は他の記憶したいものをなぎ倒してずっと働き続けるので、1日中その危機の事ばかりを考える羽目になる。結果的にストレス過多の時は記憶力が激減し、疲労だけが蓄積する。
この負のスパイラルから抜け出す方法こそが運動だ。運動にはストレスによる脳の過剰反応を和らげる効果がある。心拍数150越えのキツイやつを10分程度耐えないといけないのだが、手っ取り早い選択肢がこれだけならやるしかないだろう。抗不安剤などの薬をもらうという手もあるが、薬耐性と出費が高くなるだけなので持続性を考えれば断然運動の方が良い。
また、運動は続けるほど走れる距離がのびて走りも早くなって結果がでやすいので、自己肯定感が上がりやすい。なので、自信をつけたい人にうってつけだ。あと、『何か嫌な気分になったらとりあえず走っとけばなんとかなるか』と思えるので、不安に対しても気楽になれるから、運動はストレス対策としてはかなり良い方法である。
ってなわけで、彼女にはランニングを習慣にしてもらって自信をつけてもらう。行動が習慣化するのに大体3週間かかるといわれているので、それまでは一緒に走る予定だ。
一応彼女に運動の重要性を伝えたが、これもまた半信半疑の顔をされた。まぁこれに関してはやれば分かるので、理解が浅くてもOKだ。
動的ストレッチを教えながらやった後、公園外周に出る。
「んじゃ、行きますか」
「はい…」
「えーっと…ゆっくり走っていると暇だから、つき…翠の愚痴が聞きたいなー」
「え? 走りながらですか?」
「そう。ダメだった?」
「いえ…」
走るのは嫌だが、愚痴はしゃべりたいといった反応。結局愚痴の方が勝ってしゃべりと共に走り出してくれた。並走し、彼女の息の上がり具合を見ながら速度調整する。これと彼女の愚痴への反応もこなすのは中々難しい。第2公園周りには知り合いが滅多に来ないのだけが救いだ。知り合いが居たらそっちの方も気にしないといけないから。
20分かけて3キロ走破。彼女は汗だくで息も結構あがっていたが、愚痴だけはやめなかった。やはり彼女にとって愚痴もとのストレスは相当厄介な相手なのだろう。
「よし、今日はこれまで」
「えっ? もうですか?」
「うん、お疲れ様。あとは歩いてさっきの所まで戻ろうか」
「はい」
「…ちょっと失礼」
脈拍確認。…中々の流れっぷり。今日はこれで十分だな。
公園内の林に戻り、そのまま静的ストレッチを行う。こちらも動的の時と同じく教えながら。
「翠は運動って良くする方?」
「…全くしない方です」
「本当? だとしたらそれで今日いきなり3キロ走れたのは凄いよ。運動センスあるじゃん」
「そんな事無いですよ。足がパンパンになっていますし…」
「普段やってない事をしたんだからそうなるのは当たり前だよ。それよりか、筋肉に効いているってことだからよく運動できていた証拠だよ。これで休ませたら更に成長できるね。やったじゃん」
「は、はぁ…そうですね」
ランニング後、初の微笑。最初は結果に不甲斐なさを感じてか悲観的な感じだったけど、最後は少し満足感を出してよかった。
着替えを終わらせた頃には今日の服従可能時間が20分を切っていた。なので、そのまま彼女の家前まで向かった。
“あと2分”で家前に到着。そこで貸していたランニングシューズを受け取る。そして、シャツと短パンを受け取ろうとしたが――
「洗濯してお返しします」
「いいよ。こっちで洗濯するから」
「そういうわけにはいきません」
そういうわけにはいかないのはこっちの方だ。洗濯してもらった場合、彼女の家には誰のものか分からない服が残る事になる。素の彼女は混乱するだろう。一応素の彼女とは面識はあるが、服を貸し合うほどの仲ではないから、返してもらおうとすると当然不審がられる。不審がられれば近づく事が難しくなって彼女の環境改善が不可能になる。つまり、服を今返してもらわないと計画がパーになるって事だ。
何かないか、何か…! …あっ、そうだっ!
疲れた顔をしてヨロヨロとその場に座り込む。
「久々に走ったから疲労がどっときた。悪いけど水を1杯いただけないかな?」
「畏まりました!」
一大事だと思い、家の中に駆けこむ彼女。その場には無造作に置かれたシャツと短パンが。俺は急いでそれらを回収し、全力で走る。その甲斐もあって帰り道は誰の追跡も無かった。
よっしゃあ、何とか乗り切ったぜ。
久々に全力で走った事も含め、今日はよく眠れそうだ。
◇◇◇
上機嫌で家に帰ると、玄関には月3頻度でみかける靴があった。その持ち主に会いたくなかったので、玄関の扉をそっと閉め、足音を立てない様に細心の注意を払って廊下を進む。結果、階段へ辿り着くのにいつもの10倍の時間がかかった
よし、ようやく…。
一段目に右足を置こうとした所で、リビングから声が。
「あら、もう帰るの? もっとゆっくりして行けばいいのに」
「ありがとうございます。今度来る時はゆっくりさせて頂きますね」
「残念…」
声と足音がこちらに近づいてくる。
まずい、隠れないと。でも急に動くとバレ――
階段前でもたもたしている俺の横を、身長が俺と同じくらいのショートヘア女子が横切るが、こちらに目を合わせることはない。すれ違いざま、ボソリと威圧的に言われただけ。
「加代子さんに会いに来ただけ」
「分かってるよ」
彼女はそのまま玄関へ。彼女は横市 泉奈。同じ高校に通う同級生で陸上部所属。家が近所の幼馴染でもあり、昔は仲が良かったが、中学のアレ以降から仲は激変。今では話しかけても無視され、目も合わせてくれない程の仲になった。俺が関わる事で発生する迷惑を彼女に与えたくないので、この状況で助かっている。
彼女が通り過ぎた後、母と遭遇。
「ただいまぐらい言いなさいよ」
「ごめん」
「さ、一緒にお見送り行くわよ」
「いいって、どうせ嫌がられるだけだし」
「うるさい。いいから黙って来る」
腕を強引に捕まれ、引きずられる様に玄関へ。
ほらやっぱり…。
俺の顔を見て彼女の表情が悪くなるも母の力により、一瞬で笑顔に変わった。
「またね、泉奈ちゃん」
「はい、また」
棒立ちしていると尻をつねられたので、条件反射の様に言う。
「またな」
「……」
彼女は俺の言葉なんてなかったかのように帰って行った。
「相変わらず嫌われているなぁ」
「そうかしら?」
「どう見てもそうでしょ」
「あんたが帰って来るまではいてくれたのよ?」
「それ、帰った原因が俺って事じゃん」
「あんたバカねぇ」
「はい、バカですけど?」
「はぁ…。もういいわ。とにかく、泉奈ちゃんにお菓子もらったからお礼を必ず言っておく事。いいわね?」
「言っても言わなくても同じ―—」
「い・い・わ・ね?」
「はい…」
泉奈がくれたお菓子というのはこの前旅行に行った時のお土産で2、3千円する割と高めのやつ。彼女は母と非常に仲が良いので、それがあってのこのお土産だと推測する。
どう考えても母さんと父さんに向けてだな。
俺は一個もつまむことなく部屋へ。早速スマホで泉奈宛にメッセージを送る。
『お土産ありがとう。美味しかったよ』
送信完了。数秒後に既読が入るが、返しのメッセージが来る事はなかった。既読スルーはいつもの事。もう1年以上は続いている。これからもこれが続いてほしい。




