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20話 仕方がない反応

 気づいた瞬間、呼吸が苦しくて焦る。息を整えている間に周りを見て、ここが第二公園近くの坂の上だと把握。


はいはい、いつものね。


 私はこれが彼関連のものだとも秒で理解。慣れたものだ。

 しかし、今日は慣れない事が起こって再び焦る。


何で江口君が坂の下に?


 “いつもの”は“私”と彼が一緒に運動するというもの。私が運動する時に彼は出現した事がないので、今回初となる。

 彼が坂の下から私を見ていた。表情までははっきりと見えないが、どこか心配している感じなのは伝わる。


今の状況。息が上がっていたって事は坂ダッシュをしている途中って事だよね?


 “途中”というのが気持ち悪く感じたので、今はとりあえず坂ダッシュをやり切りたい。と、私が思う前に体が勝手に坂を下り出した。


いやー慣れって怖いね。勝手に動いちゃうんだもの。


 何て考えながら、坂の半分まで下った時にスマホを見てふと気づく。


あれ?録画状態が動いたまんまだ。いつもなら止まって題名までつけているくらいなのに…。


 何かがおかしい。そもそも彼との運動は“私”の役目。それを私が今やる事になっている時点で――


もしかして、途中で催眠状態から冷めちゃった感じ?…だとしたら、“私”じゃなくてこのまま私として江口君と接したらまずいのかな?


 彼が私の健康の為に色々やってくれているのは知っている。ただ、私にこっそり催眠をかける理由は謎のままだった。なので、ここで私が普段通りに彼と接してしまえば、今のこの関係が崩れてしまうかもしれない。それは“私”はもちろん、私にとってもマズイ事。


なら、やるしかないか…。


 一先ず家に彼と帰るまで、私は“私”として接する事を決意。

 そんなわけで、“私”として彼に話しかけ――


「えぐっ…」


やばっ!いつもみたいに呼びそうになっちゃった!


 慌てて訂正。


「ご、ごめん…。えーっと、ご、ご主人様?」

「何かな?」


 “ご主人様”呼びはっず!よく毎日これで呼べるなぁ。


 一応今までの彼とのやり取りから、彼が“私”にこの呼び方を強要しているとは考えられなかった。なので、この呼び方は“私”が自発的にやっているという事になる。そう考えると恥ずかしさが倍になった。


彼の反応…。一応バレてはいないのかな?


「今は坂ダッシュ中って事でよかっ…よろしかったですよね?」


あぶなっ!敬語敬語。


「…あ、うん」

「で、まだ始めたばかりですよね?」

「うん」


ちょっと疑いの目で見られているのが気になる…。…今はさっさとダッシュに戻ろう。


 そんなわけで、ダッシュに逃げて誤魔化すことにした。

 が、すぐに後悔。ダッシュはいつも“私”がやってくれていた。なので、私にとっては今回が初。それ故、キツさも初だった。

 5本目を越えた辺りから、呼吸が戻らなくなって普通に倒れそうになる。正直そのまま倒れてしまいたかった。ただ、これをやり遂げたという実績がありやがるので、倒れるわけにはいかない。私は死に物狂いで食らいつく。なので、10分タイマーが鳴るまでの記憶は無い。


呼吸が整う頃を見計らったかの様に彼が話しかけてきた。


「お疲れ様」

「お、お疲れ様…です!」


坂ダッシュもだけど、敬語も疲れる…


「膝枕はどうする?今からやるの?」

「…何です膝枕って?」


どういう事なの…?と、とにかくわざわざ確認してくるという事は江口君から提案したものじゃないのは確か。って事はまさか――


「いや始める前、ご褒美にしてほしいって自分で言って――」

「そーでした!すっかり忘れていました!」


やっぱりそうか!“私”め…。とんでもないものを褒美にしてくれたな?


「…?」

「すみませんけど、それ無しでお願いできますか?恥ずかしいので!」

「あ、うん。いいよ」


ふぅ…乗り切ったぁ…。


 私が安心していると、彼がまた話しかけてきた。


その笑顔、次のもロクな事じゃなさそー…。


「それじゃあ、愚痴り合いしようか。昨日はできなかったしね」

「あっ、はい…」


やっぱり…。


 一応“私”とのやり取りを何度も観ているので、彼が私の愚痴を聞いてくれるのは分かっている。ただ、この愚痴り合いも今回初。慣れていないからこそ、もしかしたら嫌われるかもしれないという恐怖がある。そうなるのは、散々彼に愚痴を聞いてもらっていたはずなのに、心の奥底ではまだ過去のアレを気にしているから。彼は頑張ってくれているのに、未だに払拭できずにいる自分が情けなく思えた。

 なんとかして払拭しようと、話し出そうとしても最初の一言が難しくて出ない。すぐに言ってしまえば楽になるのに。厄介な事に、時間が経つにつれてその一言が出にくくなっていく。


私は何てダメなんだ…。結局また同じ事してるじゃん…。


 そうやって私が下を向きそうになった所で…


「まず俺からいくね?一昨日―—」


 最初何が起こったか分からなかった。急に話を切り出す者だから。でも、それを聞いている内に、嫌でも分かってきた。彼が私を気遣っているのだと。


いつだってそう…。君は私をちゃんと見ていてくれているんだよね。


 いつから始まったか分からないけど、今も続く彼の私への気遣い。これを知るだけで胸が暖かくなる。安心感で満たされた事で、恐怖や不安という概念が私の頭から吹き飛んだ。

こうして、心がいつもの空間に入ったと認識した事で、私の表情もいつもの様になっていた。いつも彼に向ける表情、即ち自然な笑顔だ。

 余裕を持てたことで彼の言葉も自然と入り、理解できる様になった。彼の愚痴という命題なのだが、話の流れ的に加害者・被害者双方の観点を入れている。そして、最後にはどちらが悪いと決めつけるのではなく、“仕方がない”という彼なりの落とし所をつけて終わらせた。これは彼が愚痴る時、たまにやる手法。これをする事で一方的な怒りになる所が分散されて、怒りが弱まる。おそらく、前に彼が言っていた“怒りを受け止めて我慢する”のを遂行する為に自分で編み出したものだろう。

 なんて感心しつつ、相槌していたら彼の話は終わってしまった。


もっと聞きたかったのに、残念。ってか、『聞いてもらって良かった』みたいな事言っているけど、ほぼ自己解決してるよね?


 愚痴として成立させる為の一言。そして、“私が聞き手としてしっかり仕事をしていた“と、私を気持ちよくさせる一言でもある。こういうさり気無い気遣いができるのはズルいと思う。


「俺ばかりスッキリしても申し訳ないから、次は翠のが聞きたいな」


 彼が愚痴を切り出した目的。この厚意に甘える…いや、正確には甘えないといけない状況にさせられているというのが正しい。


白々しいなー、もう。てか、“翠”って…。


 初の直での呼び捨てに、恥ずかしくなりながらも答える。


「……ほんとにいいの?」

「うん」

「…分かった。それじゃあ、昨日友達と遊びに行った時の話で――」


 あとは敷かれたレールの上を走るだけの簡単な作業。ただ、そのレールの上は彼の合いの手で溢れており、快適だった。それもあり、愚痴はあっという間に言い終えてしまう。まだ続けていたいと、頭の中で次のネタを探していると――


「ちょっと失礼」

「っ…!」


 急に腕を取られて驚く。しかも距離まで詰められてさらに。何事かと思ったが、手首に指を当てていたので、それが脈拍測定だとすぐに気づく。


でも何で急に?…てか、この距離感…!


 これも“私”は毎日していて慣れているけど、私は慣れていない。その証拠に、自分の顔が熱を持つのが秒で分かった。


うわー、どうしよう、どうしよう!変な奴って思われたくないよ。とりま、落ち着け私。


 そうしようとするもちっとも落ち着かず、熱くなるばかり。そんなあたふた状態の私の事などお構いなしに、彼は私の顔をジッと見てきた。


近い近い!何なのさっきから?


 鼻息がかかるまでの所まで接近してくる顔。この光景には見覚えがあった。それは土曜日の午前の事。


“私”、こんなのに何分も耐えてたの?絶対無理なんだけど!


 恥ずかしさと熱で頭がおかしくなる。まともな思考ができずに『どうすればいいの?』の混乱が続く。 

 そんな緊急事態時にまたしても彼が――


「ごめん。少しじっとしていて」

「えっ…!」


 彼がこちらの顔に向かって手を伸ばしてきた瞬間、私の脳が遂に限界を迎え、この場からの逃走を命令した。

 その後の事は覚えていないが、気づいたら自分の部屋だった。安全地帯に戻った事で、もう一度先程の事を思い出そうとするも、刺激が強過ぎて何度も断念する。ただ、それでも逃げたのはめちゃくちゃ恥ずかしかったからであり、決して嫌とかそういうのではない、というのはハッキリしていた。


待てよ…。江口君からしたら私が嫌で逃げた事になっているわけだから…。まずくね?急いで誤解を解かないと…!


 すぐにスマホを開いたが、どうにも文字をうてない。それは恥ずかしいのもあるが、聞くのが怖いというのが一番大きい。すでにそれが原因で嫌われていたらどうしようという不安が、指を膠着させていた。


う…うてない…。私の臆病者ー!


 自分を煽るが効果なし。結局この膠着状態は続き、『もう少し落ち着いてからにしよう』という先延ばし放置案件に突入する事になった。


 風呂上がり。部屋に戻ってスマホを確認すると、彼からのメッセが。私は全神経をスマホに集中させた。


『明日から学校だけど調子の方はどう?』


 この一言で、さっきの彼の行動を全て理解。脈拍測定も顔近づけも最後行動も、全ては私の体調を気にしての事だったらしい。土曜日のデジャヴで、今度は最後までするつもりなのかと少しでも考えてしまった自分が恥ずかしくなる。


でも、あの近さと雰囲気は反則だって…!


 土曜日は画面越しで第三者目線を気取れたが、今回は違った。そしてそれは予想とも大きく違っていた。特に恥ずかしさのレベルが桁違いで。私はこれに何だかんだ逃げずに堪え切った“私”を尊敬した。


返信どうしようか…。んーここは乗っておくのが無難かな。


『ちょっと風邪気味だったみたい。心配ありがとね。早く寝て早く治すよ』

『お大事に。治らなかったら恨んでもいいから』

『なんで(笑)』

『恨むと早く治るそうだぞ』

『どこ情報?』

『俺』

『じゃあ、信用できるね』

『簡単に人を信用したらダメだぞ。そういう所を狙われるんだ』

『どっち?』

『どっちも』

『ムズイ』

『困ったら貞男に聞くと良いよ。奴ならちゃんと導いてくれる』

『そうなんだ。じゃあ、そうするね』

『ぜひぜひ。ごめん、早く寝るんだったね。おやすみ』

『おやすみ』


 よく分からない流れになったが、一先ず彼が誤解していないようなのでヨシとしよう。

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