14話 根回し
“残り5日”、金曜日。
学校、休み時間。
「貞男、お願いがあるんだけど聞いてもらえるか?」
「お前がお願いなんて珍しいな。何だ?」
「月鉤さんが困っていたら助けてあげてほしい」
「ん?何で月鉤?…というか、お前の話ではあの子は困っている所を隠すんじゃなかったか?こちらが気づけないならそもそも助けようなくね?」
「あの子、悩み事がある時は右手の拳を強く握る癖があるんだ。そこを見ておけば気づけるよ」
「へぇーそうなんだ。って、そこまで知っているならお前が助けてあげろよ」
「悪いが、来週の水曜日から長期旅行に行くから無理になるんだわ」
「って事は5日後?随分と急だな…。で、どこ行くの?」
「海外」
「マジで?」
「うん。あっ、そうそう。お土産は買ってくるつもりないから期待するなよ」
なんせ片道だからな。
「あっそ。まぁ楽しんで来いよ。んで、物はいいから土産話は聞かせてくれや」
「ああ。…だから、その間は月鉤さんの事よろしくな」
「ん?…ああ、分かった分かった」
「頼んだぞ」鋭い目線を送る。
「おっ、おう…」
少々強引になったが、伝えたい事は伝わった。貞男は律儀な奴だ。こいつなら、俺が居なくなっても彼女をしっかりと支えてくれるだろう。
放課後、ランニングを終えての帰り道。見覚えのある人物を見つけ、彼女と一緒に急いで物陰に隠れた。
あの時のナイフ男…。今は月鉤を服従させているから、あの男を服従させてやり過ごす事はできない。何とか見つからない様にしないと。
壁からそっと顔を出し、向こうの様子を窺いながら彼女を自分の体で覆う。
「あいつ、ヤバい奴だから注意な」
「今のご主人様も大分ヤバい奴ですけどね」
「…言えてる」
表情と声に緊張・恐怖の様子はなし。良かった。
「ごめん。しばらくこのままで居てくれるか?」
「”しばらく”とは?」
「…見たら分からない?」
「ああ、ご主人様の興奮が静まるまでですね?」
「何でだよ」
「ほら、興奮してる」
「してるんじゃなくてさせられたの。分かるだろ?」
「やっぱり興奮してる」ニヤ
その顔…。って事は、これはもしや…。
「なるほどね。そうやって永久コンボに誘い込んでるわけか。さすが翠」
「ちぇっ、気づくの早過ぎ。もうちょっと遊びたかったなぁ」
くそ…。そっちがその気ならこっちも――
「あーでもやっぱ興奮してるかも」
「でしょう?」顔がパァッと明るく。
「うん。だってさ、こんな顔も仕草も可愛い子に真横にいられたら興奮しない方がおかしいもん」
「……」
ほら黙った。褒められ慣れていない彼女だからこそ効く口撃だ。可愛いのは事実だからこちらとしては何の後ろめたさもない。ってか、顔赤くしちゃってる姿が本当に可愛いのだが。
…まずい。これでは言っている事がマジになる。いやその部分は確かにマジ何だけども…。
冷静さを保とうとしている横で彼女が震える声でボソッと言う。
「か、可愛すぎてすみません…」
顔真っ赤。乗っかって自爆しよったぞ、この子。おかげで一気に冷静になったわ。
「謝る事はないよ。事実なんだから」
下を向いて縮こまり、表情を隠そうとする姿が実にいい。仕返しは成功だな、満足満足。
余韻に浸っていると、震える小さな声が聞こえる。
「本当にそう思ってる…?」
何を今更…。
「当たり前だろ? 翠は可愛いよ」
事実だからね。
「そっか。可愛い、か…」
ボソッと言って微笑む彼女。事実確認できたのが余程嬉しかったのか、しばらくずっとそれを繰り返していた。
気がつくと、ナイフ男はいつの間にかいなくなっていた。今の内に彼女の家へと急ぐ。早歩きで進んだため、いつもより早く家の前に着いた。いつも通り「またね」をすると彼女がモジモジと何か言いたそうにしていたので聞いてみる。
「どうしたの?」
「あ、いえ…全然大した事ないのですけど、ご主人様って土日は全然会ってくれないな、と思いまして…。どうしてでしょうか?」
「どうしてって…」
『月鉤さんの予定把握してなくて、服従カードを使うタイミングが分からないから』なんて正直に言えないよなぁ…。
「もしかして私の事嫌いなん――」
「それはない!」
「…じゃあ、何で…?」
「翠の土日は予定がみっちり入っていて忙しんじゃないかなって思っていただけだよ」
「なーんだ、そんな事ですか。心配して損した」
「…?」
「基本的に私、空いてますよ? 最近はあまりに暇で、ランニングしていたくらいですし」
「そうなんだ…」
意外と空いてたのね。それよりランニング! 習慣になっている様で本当に良かった。これで俺が居なくなっても続けてくれるな。
地獄に行くまでの課題を1つクリアし、小さくガッツポーズする。そんな俺に彼女が淡々と話しかける。
「今週末は日曜日の午後から友達と遊びに行くくらいです」
「へぇー」
「……。いや『へぇー』じゃなくって、そこは『それ以外の時間は空いているんだよね?やった』でしょう?」
「…そ、それ以外の時間は空いているんだよね。やった」
「言わされた感ありまくりで言うのやめてもらえません? 不快なんですけど」
「ごめん…」
「はぁ…。まぁいいです。そういう事ですから、土曜日は朝から会いに来てください」
「え?それって翠の家に直接行くって事?」
「そうですけど、何でそんなにビビってるんですか?失礼ですよ?」
「ごめん…」
「そればっかり。どうせ謝るならそんな反応しなければいいのに。これだからご主人様は…」
彼女がブツブツ言っている隣で考える。服従状態じゃない彼女は親友ではなく話友達程度の仲。そんな親密度の人間が突然家へ訪ねてきたらどういう反応をするか。これは容易に想像できる。
確実にドン引きされる…。期限ギリギリまでは彼女のサポートに徹したいしなぁ。カード期限の最終日なら良かったんだけど。
そんな感じで打開策がないか考えている所でまたしても彼女が話しかけてくる。
「今週の土曜日、私は意図的に空けています。ご主人様なら理由はもちろん分かりますよね?」
「えっ?」
全然分からないんだけど…。何なの?
「そのリアクション…って事は……。だとしたらガッカリです」
「ごめん…。良かったらそれが何か教えてくれないかな?」
「はぁ…。仕方ないなぁ。…リミブレ最新刊・11巻の発売日ですよ。ファンなら“その日はガッツリ空けて本屋の開店と同時に買いに行く“の一択でしょう?」
「そ、そうでございますね」
「そんなわけで、土曜の朝はまず“一緒にリミブレを買いに行く”で決まりです。分かりましたか?」
「う、うん。でも何でわざわざ本屋? ネット注文の方が手軽じゃない?」
「かぁー分かってないですねぇ。書店に並んでいるものを買う事に意義があるんですよ。自分の手に持って、レジでお金を払って手に入れる。ここに購買したという達成感が加わる事で、この購買行動の一連過程は最高の体験に昇華されるんですよ」
「そ、そうなんだ…」
「そうです!だからネット購入という邪道な方法はやりません」
邪道って…。…あっ、でもこれは利用できるな。
「じゃあ、当日は本屋の前で待ち合わせしない? 開店時刻に合わせてさ」
「えー私の家でよくないですか?本屋には語りながら行きたいですし」
「ちょっと家の手伝いがあってさ。本屋の開店時間あたりまで空かないんだ」
「そうでしたか。なら仕方ないですね」
「ごめんね。そういうわけだから、当日は本屋前集合って事で。ここから近所だし、マルイ書店で良かったよね?開店時間は――」
「10時です」
「OK。じゃあ、10時集合で」
「分かりました」
この日の去り際、俺はまた小さくガッツポーズして家に帰った。
自室。着替える前に鍵付き引出しの鍵を開け、一冊のノートを取り出す。ノートの表紙は“月鉤”。月鉤さんの体調・精神面の変化を記録したものだ。脈拍数や愛想笑いの数、ため息の数、我慢のサイン(右手を強く握った数)など、ストレスの要因となりそうなものを一式。ぶっちゃけ、これが分かったからといって、彼女の環境を改善できるわけではない。が、数字を記録していると目に見えないストレスが数値化で見える化された様でスッキリできる。そして、とりあえず書くという作業を続ける事で小さな達成感を味わえる。なので、これは彼女の為のものとみせかけて、今では自分を安心させる為のものとなった。
今日も我慢のサインはゼロと。…お、これで5日連続じゃね?
今日も達成感を味わいつつ機械的に数値を記入。最後にもっとこうすればよかった、次はこうしようなどの反省・改善点を書いて記録は終了。
記録は彼女を初めて服従させた次の日から始め、今で丁度ノートの3分の1くらいの所まできた。
残り日数的に1冊分うめるのは無理だな。
苦笑い。ノートを閉じ、引出しに入れて鍵をかける。見つかると恥ずかしい事になるから鍵は必要だ。誰にだってそういったものの1つや2つあるはず。この引出しは、そういった厄介ものをしまうのに昔から重宝している。
机の上のペンケース内にある消しゴムを取り出す。実はむき出しの上部だけ消しゴムでカバー内は空洞。上部を外して鍵はカバーの中へ。再び消しゴムで蓋をして鍵隠しは終了だ。
風呂に入り、リビングで親と夕食を食べていると、テレビでまたもや自殺者のニュースが。
確か、おとといも昨日もあったような…。
少しゾッとする。過去に自分が『その内毎日になる』と、軽はずみで言った事が本当になったような気がして。




