12話 私の親友①
“残り7日”、水曜日。
1限目の授業が終わり軽く伸びをしていると、隣から声を掛けられる。
「え、江口君、ちょっといいかな?」
「ん?あ、はい」
10秒の沈黙。
え?聞き間違い?でもこっち向いてるしなぁ。
謎の硬直と目力の圧。確実に何か言いたそうにしている。
待っていればその内言ってくれるだろう。気長に待つか。
そうして、気長に待つ事9分。休み時間が終わりに迫っていた。
いやー引っ張るねぇ。もうすぐ2限目の数学始まっちゃうけど…もしかして、休み時間跨いで授業中も続ける気かな?
この9分間、彼女の目力は1秒も衰えることがなかったので、冗談でやっているわけではなさそうだ。言いたい事があるのに言わない。それでそれを待ち続けている、という事は――
“察しろ”ってことか!
これが“言いたい事当てゲーム”だという事をようやく理解。おそらく気遣いプロの彼女の事だから友達の間でよくやるものなのだろう。で、最近俺と話す機会が増えた事でようやく友達と認めてくれたからこそのフリというわけだ。
ごめんね、察しが悪くて。どうやら、君の友達になるにはまだレベルが足りないみたい。だって、何を言いたいか全く分からないもの。
ただ、せっかくゲームに誘ってくれたのを放棄するのは失礼なので、何としても察したい。そこで俺はやむを得ず、延長をお願いしてみる。
「あの…月鉤さん」
「え、あ、何?」
「もし良かったら延長をお願いできないかな?」
「…延長?何の話?」
「言葉の通りだよ。情けなくてごめんね。あともう一つ。これは本当に良かったらでいいんだけど、連絡先を教えてもらえないかな?」
「……?」
「うん。その反応するのは分かってた。でも、学校にいる内に答えられるか分からないからさ…。家でも考えてみて分かったらすぐに連絡したいんだ。だからお願いします。俺にチャンスを下さい!」
頭を下げて頼み込む。
「こ、こちらこそよろしくお願いします!」
すると、なぜか彼女も頭を下げてきた。ここでチャイムが鳴り、一時中断したものの、次の休み時間で連絡先交換が行われ、ゲームの延長が無事認められた。
困難を乗り切った事で浮かれた感じになる俺。なぜか彼女もそんな感じに見えたのは気のせいだろう。
放課後、月鉤の部屋にて。
「えー今日も走るんですか? 雨ですよ」
「ジムとか体育館の上とか屋内で走れるところって意外とあるからね。雨だからは通用しないよ」
「ちぇっ、せっかく休めると思ったのに」
最近はこうして命令を素直に聞かずに自分の考えをしっかり主張してくる機会が増えた。何度も服従を繰り返して支配力が弱くなったせいだろう。こちらとしては我慢される方が辛いのでありがたい。
「…で、どこでやるんです?」
「トンネル」
「…トンネルかー、排気ガス充満してそうで嫌だなぁ」
「なるべく交通が少ない所を選ぶから大丈夫」
「そういう心遣いができるなら、休みにしてくれないかなー」
「それは無理」
「かたぶつーおにー」
言いながらも着替え始める彼女と、慌てて部屋の外に出る俺。
何だかんだ従ってくれるのは良いが、行動にもう少し恥じらいを持ってくれるとありがたい。
ガチャ「どうしたんです? 急に外に出て」
「何でもない。とりあえず早く着替えてくれ」
「……? はーい」バタン
「ふぅ…」
ガチャ「そういえば、ご主人様は男でしたね」
「そうだよ」
「親友だと思って油断していました。ごめんなさい」
「謝るのはいいから早く着替えて」
「はーい」バタン
「はぁ…疲れる…」
ガチャ「ご主人様の変態!覗き魔!」
「いきなり何なんすかね?」
「いや、一応定番リアクションをやっておこうと思いまして」
「そういうのいいから、早く…ね?」
「はーい」バタン
「……」
ガ――グッ。
「あーちょっと! 開けてくださいよ」
「着替え終わったらな」
「変態!鬼!鬼変態!」
「はいはい。鬼変態に変態されない為にもとっとと着替えるように」
「ちぇっ、つまんないの」
数分後―—
「お待たせしました」
「本当だよ…」階段を下る。
「随分とお疲れですね? 走るのやめときます?」
「やるよ…。ん…?まさか、これを狙って…?」
「ふっふっふ。ようやくお気づきですか」
「やはり…。こやつめ、やりよるわ」
「そうだろう、そうだろう。まぁそちらも気づいたのはさすがだった。褒めて遣わす」
「はっ!有難き幸せ」片膝をついて顔を下げ、拳を地面に。
「うむ……ぷっ」
どちらともなく笑い出す。明るい空気のまま玄関へ。
「仲が良いわね、2人共」
「当然。親友だからね」
「そうだったわね。あら…?雨だけどその恰好っていうことは今日も行くの?」
「はい。トンネル内を走るので濡れないかと。翠さんには絶対風邪をひかせないので安心してください」
「そう。よろしく頼むわね」
「任せてください」
2人で「いってきます」と玄関を出て行く。
傘をさして並列して歩く。傘をさしているから、誰が歩いてるかは分かりにくいだろう。
「翠さんには絶対風邪をひかせない」キリッ
「茶化さないでくれる?」
「えーどうしようかな。もう一回言ってくれたらいいですよ?」
「言わないよ」
「えーつまんなーい。ノリわるーい」
「悪くて結構。って、コラ。傘を振るな。肩濡れてるぞ?」
「少しじゃないですか。気にし過ぎー」
そう言いながら、傘をしっかりとさしなおす彼女だったが、急に立ち止まる。何事かと見ると悪戯っぽい笑みを浮かべた。
嫌な予感がする…。
そう思った次の瞬間、さしていた傘を急にクルクルッと閉じたかと思えば、こちらの領域に侵入してきた。
「何なの急に?」
「傘をさすのが面倒になっただけです」
「いやさすだけじゃん。どこが面倒なの?」
「面倒ったら面倒なんですよ。細かい男は嫌われますよ?」
「それでいいから傘をさしなさい」
「嫌です」
「…分かった。じゃあ、持っている傘貸して」
こうして両手傘さしという人生初の行動に出た。これにはさすがの彼女も引いたのか距離をあけて自分の傘の下に入る。引いたついでに自分の傘も持ってほしかったのだが、なぜかそれはそのままだった。
まぁ月鉤さんが雨で濡れないなら何でもいいや。
そんな感じで歩き続け、トンネルに到着した。
ここ大見トンネルは全長400m。車通りは少ないので、市民ランナーの間ではしばし雨の日のランニングスポットとして利用されている。ランナーは早朝か夕方過ぎに多く、この時間帯は俺達2人だけだった。薄暗かったが、走る分には問題のない明るさだ。
「このトンネル、出るらしいですよ」
「出るって何が? 石油?」
「この流れで、何で石油? てか、本当に石油が出るならこの町もっと発展しているはずですよね?」
「ですなぁ」
「でしょう?―—じゃなくって、出るといったらあれしかないじゃないですか。おばけですよ、おばけ!」
「へぇー。でもこのトンネル、昨年できたばかりのトンネルだよね」
「…どうしてそういうところでは的確なツッコミを入れてくるんですか? ここは『えー怖い』って乗ってくれないと困ります」
「……。えー怖い」
「この空気でその返しをしてくるのが一番怖いわ」
「でしょ?」
「はぁ…もういいです。とっとと始めましょう」
そう言うと、スッと右腕を差し出してきたので、こちらもとっとと始めることにした。
トンネル内なので3箇条復唱の声やランニング中の足音が響く。が、それ以外はいつも通り。トンネルの端に行っては戻るといった往復を繰り返し、今日は6キロ走破した。
「今日もお疲れ様」
「はい」
ストレッチを一緒やる。さすがに何回もこなしているだけあって一連の内容を覚えたのか、教えなくても自主的に動いてやってくれるようになった。
終わった後はトンネルの壁を背に座る。トンネル内は人・車通りは少ないが、風通りは多いので、ジッとしているとやや寒い。ここ最近彼女は上にジャージを着るようになったので、寒くないか心配だ。そう考えていると、自然と隣にあった彼女の左手を握っていた。そして確かめるように何度もなぞる。
「やっぱり冷たい」
「……?」
寒いって事か。
両手で包んで暖かくなるかやってみたけどダメだった。
って、アホか俺は。どう考えても場所がよくないってことだろうが。
「寒いからどこか別の場所で休もうか」
そう言って手を離した途端―—
『ケイコク~ ケイコク~』
配慮したのに何で?
慌てた俺は原因を考える。とりあえず、場所を変えようと言った瞬間に警告が入ったのだからそれが原因かもしれない。
「今のなし。やっぱりここで休もう」
が、待てどもカードは赤色のまま。移動しようとした事がきっかけである以上は、ここを迂闊に動くこともできない。途方に暮れながらも、彼女の冷たい手を思い出し、せめてそれだけでもと思い、再び包んで温めた。すると、それと同時にカードが黒色に戻る。
何で?……あー寒いけど、動くのは面倒的な感じか。そういえば、来る時も傘をさすの面倒がっていたもんなぁ。
妙に納得して一安心。あと、彼女はさっきからこちらに顔がみえないくらい俯いているので、疲れもあったのだろう。
「寒くない? 大丈夫?」
「……。大丈夫です…」
「そう、なら良かった」
俯いたままなのと、声がか細かったので、本当に大丈夫かは怪しい。が、数分後にはいつも通り雑談を始めてくれたので大丈夫そうだ。ただ、顔が少し赤かったので心配。『絶対風邪を引かせない』発言しておいてこの体たらくは本当に情けない。
明日月鉤が学校を休んだら全力でお見舞いにいかないと。
決意を胸に今日のひと時はひとまず無事終了した。
◇◇◇
ぼんやりがハッキリしたら今日も家前にいた。トンネルを走っていたのだけ記憶がある。雨はやんでおり、右手にたたんだ傘を持っていた。そして、ジャージのポケットにはスマホの重み……!
慌ててフォルダをチェックすると題名が“私の親友①”の新着動画を発見する。瞬間、私は急いで家の中に駆けこんだ。
「ただいまー!」
「おかえりなさい。今日はどうだった?」
「これから確かめる!」
「…?」
一先ずシャワーを浴びて興奮を鎮めた後、自室で正座をして例の動画を視聴する。
冒頭は“私”が雨だからって駄々をこねているシーン。
「舌打ちしてるし。何か私だけど私じゃないみたいでおかしな感じ」
と呟いているそばからドア前でガチャガチャ漫才をやり出した。
「この2人、何やっているんだ? というか“私”が一番何やってんのよ。着替え見られるとか恥ずかしくないの?そりゃ、江口君になら少しくらいなら見られてもいいって所あるけど…一応親友だから……」
呟く声が薄く引き伸ばされるように小さくなっていく。とんでもなく恥ずかしい事を言ってしまったのに気づいたからだ。そんな私の恥らいなどお構いなしに動画は進み、歩いてトンネルに向かうシーンになった。ここで“私”が『傘をさすのが面倒』とか言って駄々をこね出す。
「面倒なのはあんただよ」
明日彼に会ったらすぐにでも謝りたいと思ったが、謝ればこの隠し撮りがバレて彼がこうして放課後会ってくれなくなるかもしれないので何もできない。ここはもどかしさを我慢するしかなかった。そうやってモヤモヤしていると、自分の傘を閉じて彼の側に駆け寄るシーンに。
「何やってんだこいつ? 積極的すぎるでしょ…」
このあざと過ぎるプレー。さすがの私も“私”に引く。
本当に私なの?いやそんなはずない。でも、ちょっとそうしたい空気ではあったかも…じゃないの!……多分あれ!洗脳でおかしな感じにさせられているだけ!きっとそうに違いないよ!
言い聞かせるようにして気を持ち直す。その間に動画では傘2本持ちというシュールな画になっていた。“私”は彼から少し離れて彼の右手の傘下に収まる。それを見てホッとする反面、残念がっている自分に気づき、再び自己嫌悪に襲われた。
トンネルに着いて“私”がしょうもないフリをした以降は、前の動画と同じ内容。ランニング中は例の如く揺れで画面酔いするだけなので飛ばした。
トンネルの壁を背に座って休むシーン。座っているからか画面は私の足と左手だけが映し出されていた。彼の様子が分からず、つまらないと思って飛ばそうとした所、画面左端から急に彼の手が出現する。そして、その手は私の手を撫でる様に触った後、両手で優しく包み込んだ。
「ポカーン…」
まさかの環境擬音の声出し。
だって、それくらいの衝撃があったから仕方ないじゃん。というか、何が起こった?何でいきなり彼も積極的になったの?まさか彼もおかしく――
『やっぱり冷たい』
『寒いからどこか別の場所で休もうか』
と、画面内の彼が言ってくれたことで私は正気を取り戻した。
「何だ、そういう事ね」
寒いかもしれないと思っての手繋ぎ。彼なりの気配りだ。思い返してみれば、彼はいつだってそうだったじゃないか。“私”の事を第一に考えて行動してくれる親友。そこに下心などないのだ。
あっ…でもそれはそれでやばくない? 善意だけでしているってなったらこんなの――
いきなり画面の彼が手を離す。すると、“私”がビクッとなってその衝撃でスマホが上を向き、“私”の顔を映す様になった。現在眉間にシワを寄せ、凄く残念そうな顔をしている。
『今のなし。やっぱりここで休もう』
画面の彼がそう言うと、再び手が包まれる。
「“私”、めっちゃだらしない顔してる…」
コタツに入った時やお風呂に浸かる瞬間の幸福で全身の力が緩んだトロッとした顔。第三者目線で見てみると、ちょっと引く。で、それが自分となるとガッツリ引く。
「でも、この顔になっているという事は、そういう事だよなぁ…」
相手が善意だけで尽くしてくれるとなればこうならざるを得ない。先程予想していた通りだ。
『寒くない? 大丈夫?』
『……。大丈夫です…』
全然大丈夫そうじゃないんですけど…。
すっかりやられてしまった“私”の情けない顔を見て真顔で呟く。
「江口君、恐るべし…」
動画視聴後、スマホをゆっくりとテーブルに置き、明日の自分もこうならない様に注意喚起するのであった。
少し落ち着く為にベッドに横たわる。そうして落ち着いたところで今朝の事を思い出し、ニヤニヤする自分の気持ち悪い顔を隠す様にゴロゴロした。が、一向に落ち着かないので、その原因でもあるスマホの連絡先欄のア行をスクロールし、それを見た。で、考える。
江口君に最初どんなの送ろうかな?いやこういうのは向こうから来るのを待った方がいいのかな?
ひょんな事から手に入れた彼の連絡先。彼はゲームだの延長だの意味の分からない事を言っていたが、当初の目的だった連絡先交換ができたのだから気にしない。
まさか、勇気を出して聞こうとしたはいいけど、緊張であそこまで言葉がつまるとは思わなかった。人生初の経験だよぉ…。
過去を思い出して赤面している所にピコンとスマホが鳴る。
慌てて画面を見ると彼からのメッセージが…
『やっぱり分かりませんでした』
何が? てか初メッセがこれって…。分からないのはこっちの方だよ…
全く考えている事が読めない彼に思わず呟く。
「ほんと江口君、恐るべしだわ…」
私は頭を抱えた。




