11話 きっかけ
“残り8日”、火曜日。
朝の教室。
「おっはよー」
「おはよ」
今日も月鉤は元気だ。俺があれを始めてから更に声の張りが良くなった気がする。良い傾向が出ていて何より。
席にカバンを置いて挨拶に出かける時、ジッとこちらを見てすぐにまた目を逸らした。
目力があったような気がするけど、何だったのだろう?
そんな俺の疑問何てお構いなしに、彼女は無事連続挨拶記録を更新した。
放課後。いつもの様に彼女の家にあがって廊下で着替えを待つ。そして数分後、ドアが開かれた。
「お待たせしました」
「…上にジャージ?」
「はい。少し肌寒いと思ったもので」
走ればどうせ暑くなるからと思って、そういうのに無頓着だった。悪いことしていたんだなぁ。
「今まで気づかなくてごめん」
「何がですか? それより早く行きましょう」
気づかないフリ気遣い。これが気遣いを極めた者のテクか。
俺は心の中で彼女の気遣いに感謝しつつ、彼女の後に続いた。
公園に到着。いつも通りの流れで進み、雑談タイムになった。愚痴り合いタイムじゃなくなったのは、最近彼女の愚痴るネタが減ったから。朝の健康面での向上しかり、これも非常に良い傾向だ。
食パンはそのまま食べる派?ちぎって食べる派?というどっちでもいい話をしていると彼女が疑問を投げかける。
「ご主人様は何で私を助けてくれたんですか?」
“くれた”と過去形になっているという事は、この一連の行動を始めたいと思ったきかっけを聞いているのだろう。にしても真面目に答えると恥ずかしそうな疑問だ。ここはうまく流したいな。
「親友だから」
「それは後付けですよね? きっかけを聞いているんです」
ですよね。さっきの話題と違って真剣なまなざしを送ってきやがる…。これはいよいよ真面目に答えないとまずいな。
諦めた様に苦笑いし、頭をポリポリしながら話を始めた。
「中学3年の頃、色々あってさめちゃくちゃふさぎ込んでいたんだよ。高校受験は親に『とりあえず高校には行け』って言われていたから気合で勉強して、何とか受かった。受かった瞬間、達成感と共に自分の中で生甲斐というか…自分を支えていたものが一気に抜けた感じになって無気力になったんだ。何もしたいと思わないし、ただ毎日がくるのが怠かった。ただ、せっかく高校には受かったって事で、登校だけはする事にしたんだ。その時は1週間か2週間行って怠かったら行くのやめようと思ってたっけ。
そんな思いで登校していた時、翠に出会った。君は浮かない顔をするの事などお構いなしに挨拶してくれた。最初は入学したてによくやる社交辞令の一環だと思った。どうせ1週間も経てば、ある程度グループ形成されるからしなくなるってね。…でも、違った。君は2週間経っても3週間経っても…半年経っても俺に挨拶を続けてくれた。しかもよくよく観察していたらクラス全員にそれを続けているっていうね。
誰にでもできるけど、誰にでも続けられない事。君はそれをやってのけてけた。もちろん今も継続中でね。…俺はそれがどこまで続くのか見たくなった。それが見たいが為に学校に来ていると言っていい。
君は俺が学校に通い続ける理由をくれた。今俺が学校に行けているのは間違いなく君のおかげだ。もし君が居なかったら俺は今頃自分の部屋でずっと閉じこもっていたはず…。だから、今の俺があるのも君のおかげ…俺は君に救われたんだよ。
そういうわけで、俺が君をこうして助けるのは当然だろ? だって、恩人なんだからさ。……以上!キモイ理由だったろ? 今なら親友やめるって言ってもOKだから――」
「―—やめませんよ、絶対に!」
「……?」急に抱き着かれて困惑する。
「私だって…!私にとってもご主人様は恩人だから…」
泣いてる? …って事は本気で恩人だと思っているの? それは違う。俺は恩人っていう綺麗なものなんかじゃない。
「こっちのエゴを押し付けた感じで助けているだけだから。勘違いさせてごめんね」
「それって、助けたいから助けているって事ですよね? 十分なんですよ、それで! 絶対勘違いなんかじゃない。ご主人様が恩人だって事は!」抱き着く力が強くなる。
「痛い痛い痛い!」
「その痛みが勘違いじゃない理由です。ご理解いただけるまで続けますが、覚悟はいいですよね?」
「よくないです! 分かっ、分かりましたっ! 十分理解させていただきましたぁ!」
「よく言えました。えらいえらい」
服従初日の様によしよしされる。あの時は主従関係があったが、今では完全に逆になってしまった。
◇◇◇
ぼやけた気分が晴れると、私は家の前に立っていた。
ここまではいつも通りだ。制服に仕掛けたスマホという点を除けばね。
そう思ってふと自分のジャージ姿を見た時、驚愕する。
あっ、そうだ! いつも通りだったら私、江口君と走りに行くんだった。って事は、スマホは制服のポケットに入ったままじゃん…!
「ただいまー!」
「おかえり…って、どうしたの?そんな慌てて」
「うん? ちょっとね」
慌てて階段を駆け上り自分の部屋へ。制服のポケットを確認するが――
ない、ない。ないぞー どこいったスマホ。
どこを漁っても出てこない。途方に暮れていると、ジャージのポケットに重みを感じた。まさかと思って探るとそこに探し物が見つかる。
どうしてジャージのポケットに…? 江口君がわざわざ気づいて入れる訳がないし……って事は催眠中の私…?
スマホは録画状態ではなかったが、フォルダ内を確認すると新規動画があった。その動画名は“絶対観て”だった。こんなのを残すのは1人しか考えられない。
ナイス私! スマホを持っていく為に、ジャージのポケットに入れてくれたんだ。催眠状態でも私のやりたい事をちゃんと理解してくれてる。やっぱり私は私なんだなぁ。
催眠状態でも記憶は共有しているという事実。これにより、新しい仲間を得た様な気分になった私は高揚した。その気分のまま、“私”が残した動画を再生した。
ジャージのポケットの布が少し被った状態で江口君の姿が映った。
まず開始早々思ったのが――
「何でご主人様呼び? 呼ばせてるの? そういう趣味なの?」
若干引いたが、動画内の私の声が、妙に“ご主人様呼び慣れ”していたので一先ずヨシとする。
一行は家を出て第二公園に到着。それまで終始無言で距離を取って歩いていたので仲悪いのかと思ったら、公園に着いた途端楽しく話出したので焦った。しかも内容はリミブレ最新刊の話。
「あぁ、私も混ざりたいよぉ…」
そして話が一段落ついて間が空いた時、彼がアイコンタクトみたいなのを送ると私が反応して掌をみせる様にして腕を差し出した。彼はそのまま指を脈のところに押し当てる。それから顔をジーッと見たり、足のむくみをみたりしていた。
「脈拍測定にしろ、むくみ確認にしろ、しているのはどう考えても私の健康チェックだよね。江口君、私の体調を気にしてくれているんだ。…そういえば、朝の挨拶の時も顔を覗き込んでいた気が…。…という事は毎日見ていてくれたんだ、私の事」
気にかけてくれる人がいたという事実を知れて一気に上機嫌になる。単純だな、私は。
健康チェックが終わると、“親友3箇条”なる復唱タイムが始まった。どうやら親友についての約束事を叫ぶ儀式的なものらしい。『ひとーつ』とか言っているし、完全に体育会系のノリだった。これもまた引かせてもらったが、“私”の声がやたら出ていて楽しんでいる様子だったのでヨシとする。
急に画面が上下に揺れ出した。どうやらランニングが始まったらしい。揺れと布のこすれ音でわけが分からない状態になっていたのでここはスクロールして飛ばす。揺れがおさまった所まで飛ばすと食パンはどう食べるかというどうでもいい話が始まった。『くだらないなぁ』なんて思いながら聞いていると、急に“私”の声圧が変わってこう聞く。
『ご主人様は何で私を助けてくれたんですか?』
私が聞きたかったのは『どうして内緒で催眠をかけているのか?』だったが、これはこれで興味があるので是非とも知りたい。
最初は軽い感じで見ていた動画だったが、江口君が真面目に話始めた辺りから目が釘付けになった。
彼の弱みが赤裸々に語られる。彼はいつも冷静で感情をコントロールできる大人なタイプだと思っていたので、投げやりな感じで生きていたのは意外だった。
そして、どうして私を気にかける様になったのかが語れる。それが進むにつれ、申し訳ない気持ちでいっぱいになった。そうやっていっぱいになった気持ちはいつの間にか涙に変換されていた。
「挨拶を褒めてくれたのは嬉しいけど、実はそれ全部“見せかけ”なんだよね…。そんなので誰かが救われるだなんてあり得ないよ…」
中学で親友を失った時を境に私は臆病になった。これ以上人との繋がりを失うのが怖くて必死になって…。だから私は朝一番にクラス全員に挨拶するんだ。挨拶していれば、繋がりを保っている感覚に酔えて安心する。皆の為に見えて自分の為にやっている事なんだ。
あと、気遣い上手で優しいってよく言われるけど、決して優しいわけじゃない。優しいと皆が寄ってくれ易いからそうしているだけ。私は皆に優しいわけじゃない。周りが自分に優しくなる様に仕向けているだけなんだ。
そんな見せかけだけの自分には何の魅力もない。魅力がないからじっとしていたら誰からも話しかけられない。それが分かっているからこそ自分から話しかける…いや違うな。話しかけられないのを待っているのが怖いから、その恐怖に耐えきれなくて話しかける…と、こんな感じだ。とにかく、私は凄く臆病で惨めな奴って事。
私は今や皆が接しやすい様に優しいを精一杯演じている人形そのものだ。そんなのだから、他人の好意が全て偽りに感じる。どうせその好意は私の上面部分を見てのものでしょって。その証拠に私が本気で困っている時は誰も助けてくれないし、気づいてもくれない。一応私自身が隠そうとしている部分もあるからかもだけど、好意が本物なら関係なくない?何でこういう時だけ皆スルーするの?何で大事な時にだけ……。
そうやって何もかもに嫌気が差して、一層の事人間を辞めて人形になろうって狂いかけた時、君がさりげなくカーテンを閉めてくれるのを見て思い出したんだ――
いつも君が私を助けてくれている事にね。
最初にそれをされた時は、単なる気まぐれか、私の見せかけ気遣いに対する義務的なお返しかと思っていた。だって、私に優しくするメリット何てそれくらいしかないから。だから、彼の気が済めばそれっきりだと思っていた。でも、それが数回、数十回と積み重なっていけば、いよいよそうは思えなくなる。
そもそも彼にはそれ程気を遣った覚えはなかったので、私への気遣い返済はとっくに完済しているはずだ。それなのになぜ続けるのか?私は気になった。気になって考え続けた、その理由を。そうして考え抜いた末に導き出した理由はおそろしくあり得ないものだった。ただ、そう考えないと、辻褄が合わないっていう矛盾。その理由というのは――
君が私に本物の好意を示してくれているという事。
自分が助けたいから助ける。そこに見返りを求めない。だからこそ続けられる。そこに見返りという原動力が無くても。
彼がどうしてそこまでしてくれるかは謎だったが、現実にそれが起きているので受け入れないといけない。受け入れた事で、見返りを必要以上に求めてしまう自分の醜さが露点して凄く惨めで嫌な気持ちになった。嫌過ぎてもう何もかも投げ出してラクになりたいと思った。でも、できなかった。
…いや、させてくれなかったというのが正しいかな。だって君がそれを続けていたから。それなのに私だけが逃げ出してしまったらもっと醜くなっちゃうからね。本当いい迷惑だよ、全く。…だけど、そのおかげで私の見せかけ気遣いはなんとか続けられたんだ。だから――
「私も君に救われていたんだよ、江口君…」
本人は目の前にいなかったけど、思わず溢れてしまった言葉。抑えられなかった。だって、言いたくて、伝えたくて仕方なかったから。
あと、一つ嬉しかった事がある。それは私の“だったらいいのに”が本当になった事。正確にはそれが実現したのは私ではなくて“私”だけど。
君は私の知らない所で“私”を救ってくれた。そして、間接的にだけどそれによって私も。
君が“私”を助けてくれる様になったきっかけは、おそらく私の見せかけの気遣いを信じての事。私の偽物の好意に騙されたって事になる。でも、そんな彼は私に本物の好意を示してくれており、今では私の恩人となっている。
そう考えるとワケが分からない関係だ…。
懺悔と感謝がごちゃごちゃに混ざったはっきりしない感情だったが、これからやらないといけない事ははっきりしている。
「明日学校で会ったらちゃんと顔見て挨拶できるかなぁ…?」
多分…というか絶対できる。彼は私のどんな挨拶でも受け止めてくれるから。
今回の動画視聴は引いたり、喜んだり、泣いたりと色々あったが、最後はスッキリした。
結局、彼が内緒で催眠をかけ続ける理由は分からないままだ。
でも、もう不安はなかった。
だって彼は私の――




