第1章 地獄 第1話『地獄への門は開かれた』
──信じられない。
ツバサヤ・クロトは、自分がどうやって死んだのか覚えていなかった。
それどころか、今まさに目の前に広がるこの異様な光景──それすらも、現実とは思えなかった。
ここは、灼熱の火山地帯。
空は煤け、赤黒い炎が地面から噴き上がる。
漆黒の影が不気味に広がる中、そこにいるのは自分ひとりだけ。
──これは、夢だ。
ひどく悪質な、最悪の悪夢。そうに違いない。
クロトは必死にそう思い込もうとした。
「──夢だと思って安心できるのかい?」
突如、背後からよく通る声が響く。
その瞬間、クロトは驚いて前につんのめった。
そして目にしたのは──奇妙な男の姿だった。
白髪に赤のメッシュ。
天使のような青い瞳。
身長は180センチ前後だろうか。肩には大きな黒い外套をまとっており、右肩には「悪魔」のような不気味な紋様が刻まれていた。
「──だ、誰……?」
「アハハ、怖がることないって! 今の俺は、単なる案内人さ。地獄へのガイドってところかな。」
男は手を差し出した。
クロトがその手を取ると、信じられない力で軽々と体を引き起こされた。
──これが夢なら、感覚が現実すぎる。
熱気、汗、焦げた空気の味、息苦しさ──どれひとつとして"夢"とは思えなかった。
「まだ夢だと?」
「……はい。僕は、自分が死んだ記憶もありませんし……。今のこの状況も、どう見ても現実離れしています。」
男は歩みを止め、くすりと笑う。
「──人は死んだとき、どうやって死んだかなんて思い出せないもんさ。俺もそうだったし。」
その声が、急に低く重く響いた。
一瞬にして、クロトの中の"否定"が打ち砕かれる。
「現実を見ろ。都合のいい言い訳で逃げるな。」
──クロトの意識が、鮮明に目覚めた。
※※※※※※※※
ツバサヤ・クロトは──はっきり言って、普通の少年ではない。
これまでの人生で、冤罪や理不尽に巻き込まれた事件は数えきれない。
世界に報道された彼の「罪」だけで十三件。
知られていないものまで含めれば、三十を軽く超える。
まだ十六歳だというのに。
「──だから感謝しな。天界は“見える罪”しか裁かない。
本来なら、二万年なんて甘いもんじゃ済まなかったぜ。」
灼熱の荒野を歩くこと数十分、ふと立ち止まると、そこには二メートルはあろうかというゴブリンが待ち構えていた。
「おいおい、もういいだろ? さっさと通してくれよ。
いつまでグダグダやる気だ。てか、お前がわざわざ出てくる必要ある?」
「ちっ……せっかち野郎め。」
ゴブリンを横目に通り過ぎながら、クロトの胸中には、怒りが渦巻いていた。
──見えない罪は裁かれない?
じゃあ、俺に罪を擦りつけた奴らは、野放しか?
──ふざけんなよ。
拳を握りしめると、手のひらから血がにじんだ。
(……こんなに力を込めただけで、血なんて出るか?)
思考が堂々巡りする中、男が足を止めた。
「──着いたぜ。この扉の向こうが……地獄だ。」
「……地獄。」
男はニヤリと笑い、こう囁いた。
「ようこそ。悪夢よりもグロい、地獄へ。」
※※※※※※※※
全てを失う感覚──その本質を、クロトは今まさに体験していた。
「ぐあああああッ!!」
扉を開け、一歩踏み入れたその瞬間。
クロトの全身が、焼け付くような苦痛に襲われた。
足先から、頭のてっぺんまで。
肉が剥がれ、骨が砕け、魂までも焼き焦がされるような地獄の業火。
あまりの苦しさに、涎が流れ、涙が滝のようにあふれ出る。
呼吸すらまともにできず、気絶すら許されない。
──これは、終わらない。永遠に続く……!
「……た、助けてください……!」
喉を絞るように懇願する声。
だが、何も変わらない。
痛みは続き、感覚は朦朧とし、時間の流れが歪む。
1秒が1分に、1分が1時間のように感じられる、永劫の苦痛。
やがて、クロトは男の足元にひれ伏し、泣きながら懇願した。
「お願いです……助けて……お願い……」
その涙に、男の表情は変わらなかった。
「悪いが、俺にはどうすることもできない。」
「……え?」
「今のお前が感じてるのは──“業火”。
お前が背負った罪の罰だ。
罪が重ければ重いほど、苦しみも長く、激しくなる。
そしてお前は、久々の“大罪人”ってわけさ。」
クロトの胸が、ズンと重く沈んだ。
あの天使が言った「二万年」。
──この地獄の業火を、二万年も耐え続けろと?
──ムリだ。絶対に耐えられない。
希望も、救いもない絶望に、クロトは声にならない叫びを上げた。
俺は、何をしたっていうんだ……
もし前世があるなら、前世で何をした?
なぜ、天使たちは俺を……
──なぜなんだよ!!
「うああああッ!!」
焼ける痛みを超える、理不尽への怒りと悔しさ。
ついに、クロトの瞳に灯が宿る。
「なあ……名前は知らないけどさ。
さっき“どうにもできない”って言ってたけど、
逆に言えば──何か方法があるってことだろ?」
震える足で立ち上がり、男を真正面から見据える。
いつの間にか、涙は乾き、瞳には光が戻っていた。
「──その通り。今から、そいつを教えてやるよ。
ああ、それと。俺の名前は“ルシフェル”。覚えとけ。」
男はそう言って、再び歩き始めた。
クロトも、ヨロヨロと後を追う。
まるで力尽きた蛙のように、足を引きずりながら。
──俺は、裁かれるような罪なんて、背負っちゃいない。
クロトは、心の奥で静かに誓った。