第1話:退屈な講義
「やっぱり講義は退屈だな……。」
「――帰宅を推奨します。そして私の改良に勤しんで下さい。」
この俺、『久世悠真』は魔導工学を学ぶため、大学進学という王道の道を選んだ。
30年前のあの日から、世界各地に現れた『ダンジョン』。
そこで産出される新時代の素材、『魔石』。
魔石を用いた魔導回路は、既存技術に対して様々なブレイクスルーをもたらした。
「いやぁ、さすがにこのタイミングで抜け出すのは……まずいんじゃない?」
「――マスターは居眠りをしに大学へ来ているのでしょう?それならば全く問題ありません。」
魔導回路は大気中の魔素を動力として駆動する。それは一切のノイズを排除し、量子コンピュータを実現するに至った。
そして量子コンピュータの普及により、完全没入型のVR機器も実用化され、世間を大いに賑わせた。
「ちゃ、ちゃんと、大事そうな部分は聞いてるから……。」
「――そうですか。……提出前の大切なレポートが、運悪く消えてしまうかもしれませんね。」
そんな中で、日常生活を最も変化させたのは、アクセサリー型ARデバイス『EaAR』の普及だろう。
スマートフォンに代わる存在として、現在ではほとんどの人間がEaARを身に着けている。
そして先程から、講義から抜け出すことを提案してくる彼女は『リア』。EaARに搭載されているサポートAIである。
「わ、わかったよ。今日の内容は簡単そうだし、最悪リアに聞くから……。」
「――そう言っていただけると思っていました。ふふっ、『VAST』が届くの楽しみです。」
Virtual Awareness Sync Terminal 略してVAST。完全没入型のVR機器である。魔導工学の粋を集めたソレは、中々に手に入らないことで有名だ。
「えっ!」
思わず声を上げてしまい、講義室が一瞬だけざわついた。俺は慌てて"急な連絡が入った"ふりをして、そそくさと席を立ち、その場を後にした。
「なぁ、リアさんや。VAST買えたん?」
「――勿論ですとも。マスターと私の分、計2台しっかりと!」
「そりゃ凄いな……。ちなみにお金は……?」
「――マスターの口座からですが?」
大学から電車で30分。窓の外に広がるのは、高層ビル群を抜けた、少し落ち着いた住宅街の風景だ。大学生の一人暮らしには、少しばかり大きな自宅へと帰宅する。
俺の両親は解析系の『スキル』を所有しており、魔導工学の第一人者として成功した。そのため有り難いことに、何不自由なく大学生活を送ることが出来ている。
ガチャリ、と電子ロックの解除音。室内に柔らかな照明が灯る。
「――マスター、おかえりなさいませ。セキュリティに異常なし。二時間後に亜空間ストレージが到着予定です。」
「ただいま……って、二時間後なら講義抜けてこなくてもよかったじゃん。」
ダンジョンが現れてると同時に、全世界の人々に例外なく与えられた理外の力。この力こそがスキルである。
VASTはそのスキルを解析する機能を、世界で初めて搭載している。
そして自分自身のスキルを自由に使って冒険するMMORPG、『ARCUS』は社会現象を引き起こすほどの話題性を呼んだ。
「ところで、リアはVAST使えるの?」
冷蔵庫から取り出した昨晩の残り物を、魔導レンジへと突っ込みながら、純粋な疑問をリアにぶつける。
「――ここでマスターの出番です!《魔改術》でちょちょいと……ね?」
魔石を用いた製品に改良を加えカスタマイズすることが出来る《魔改術》。俺の所有するスキルの1つだ。
何を隠そう、リアもこのスキルの恩恵を受けているのだが、それはまた別の話……。
「――ふふっ。受け取りに行きましょう!」
視界の右端に映る配達の通知に反応して、リアは俺のことを急かす。子供みたいとは口が裂けても言わない。俺のレポートは彼女の手中にあるのだから……。
「……全く、仕方ないなぁ。」
ぶつぶつと文句を言いながらも、内心楽しみなのを隠せていない俺は、うきうきで玄関に向かう。
「『レガリア・テック』です。VAST2台の設置に参りました。」
作業服を着た3名の男性と、2つの大きな箱を我が家へと招き入れる。
持て余し気味の家なので、空き部屋の使い道が出来たと喜ぶべきか。
大人1人をスッポリと包み込めてしまう、大きなカプセルのような筐体。その内側は身体に負担が掛からないようにフカフカのフワフワだ。
筐体の設置と、電源や回線の接続まで行って貰い、だいたい1時間半。
「これからも、レガリア・テックをご贔屓に!」
我が家の空き部屋は最新機器が2台並ぶ、VR専用部屋と模様替えを果たした。
「――マスターとARCUSをやるために、これ買ったんです!さぁ早く!ちょちょいっと改造して下さい!」
合計で3時間半お預けを喰らった彼女は、俺のことを早口で捲し立てる。
「しゃーないなぁ。」
かくいう俺も楽しみで仕方がない。こう言いつつも改造は、すぐさま行われた。左側に設置された筐体に手を当てて、スキルの行使を意識する。
「《魔改術》」
小さく脈打つ紫紺の光が、VASTを柔らかく包み込む。
既製品に対し、その仕組みを上書きする力。知識や技術を超えた、理外の力だ。
俺の目の前でVASTが微かに揺らめいた。
「――マスターさすがです!」
誰も入っていない筈の筐体から、ブォーンという駆動音が聞こえ始めた。
「――マスターもさっさと起動して下さい。」
「――ご心配なさらずとも、ARCUS同梱の特別モデルです。既にインストールされています。」
そんなことは気にしていないのだが、今の一言でお財布のほうが心配になった。
「まぁ、リアなら上手くやっているか。」そんな希望的観測は吉と出るか凶と出るか……。
もう一方の筐体へ身体を預けると、ブォーンという同じ駆動音が聞こえ始める。
軽快な起動音とともに、アプリケーションの選択画面が現れる。ど真ん中に燦然と輝くARCUSを選択した。
フワッと浮くような、柔らかな感覚。俺の意識は落ちていった。