第2話 ねえ気付いてよ、朝まで一緒にいたいの ~終電なんて大嫌い~
第2話から第4話までは、第1話「黒い髪の人魚」のスピンオフ版です。
少しボリュームがあるので、3日に分けてアップ致します。
ヒデ君とチュンチュンが出会ってから、半年くらいたった頃のお話しです。毎週ヒデ君のアパートに遊びに行くようになったチュンチュンが、いつも帰り道に考えることとは、何でしょうか。
人魚編からは想像もつかない、まだまだ初心だった頃の二人の気持ちを細やかに書いてみました。第1話があれですから、お口直しといいますか、ハッピーエンドで暖かな気持ちになって頂ければ幸いです。
頬を撫でる風が冷たくなってきた。季節はそろそろ冬になるんだものね。
私は、今日もまた、ヒデ君と一緒に、駅まで歩いているところ。
コートの襟を立てて、マフラーを鼻まで上げて、だけどヒデ君のコートのポケットで、手をしっかり握りあっている。あったかいな。
私が指を絡めて、ギュって握ると、ヒデ君も「ニッ」って笑顔を向けて、ギュって返してくれる。
私は、握った手に想いを込める。ヒデ君に送る。
‥‥‥帰りたくない。ずっと一緒にいたい。
終電なんて早く行っちゃえばいいのに。帰れなくなればいいのに。
もう、私、苦しくて、泣きそう。
胸が、張り裂けそう‥‥‥。
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ヒデ君とは、半年前に、大学の学食で初めて会った。四階建ての学食の一階。地味な定食が中心の階で、不人気だからいつも空いてるの。
ヒデ君は、私と同じ留学生の女の子が紹介してくれた。
その子には、もう日本人の彼氏がいて、それがヒデ君のクラスメイトだった。
その子が、「彼の友達でね、もう一人いい人がいるんだけど、今彼女いないらしいから、チュンチュンを紹介してもいいかな?」って紹介してくれて、私も別に彼氏が欲しいってわけでもなかったんだけど、どんな人なのかなって、お昼に学食で会った。
だけど、私、会ってすぐにびっくりしちゃった。
私が中国人なのに、ヒデ君は全然構えたところがなくて、
「へー、それじゃ、俺も『チュンチュン』で揃えていいかな? よろしくな、チュンチュン」って、まるっきり屈託のない笑顔で話しかけてくれて、緊張がスーッと解けてきた。もう、すぐに、直感で分かった。この人は、私を、私のまま見てくれてる、って。
私、日本に来てから、中国人が嫌いな人に沢山あってきたから、意地悪されたこととか、馬鹿にされたこととか、いっぱいあったから、初めて会う人には、いつもニコニコした仮面被って、日本大好きって顔をして、自分をなるべく見せないようにして、心の奥からじっと観察してたの。
だけど、ヒデ君には、そんなの全然必要なかった。さっきまで、ガチガチになってた自分がバカみたいに思えてきた。
カバンを置いて、お昼を買いに行くときも、「俺はチュンチュンと同じのでいいからさ。一緒に並ぼう」って、さりげなく私に合わせて横に並んでくれて、なんかこの人優しくていいなあ、一緒にいて心地よさそうだな、きっと楽しいだろうな、って思ったんだった。
ヒデ君は、すごくハンサムだったし、鍛えてるのか、身体も素敵だったけど、それはオマケだったの。私、そんなの、別にどうでもよかったんだから。
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ヒデ君を紹介してくれた子は、割と男の子と奔放に付き合うタイプの子で、半年に一回くらい、彼氏が変わっていた。みんな日本の男の子だった。
その子は、「私、初めて会った男の子見るときにね、いつも、『この人とできるかな?』って考えるの。それで心の中でOKサインが出たら、しばらく一緒にいようって思うの」って、なんとなくだけど、ちょっと自慢げに言っていた。
私は、ヒデ君を見たとき、そういうことできるかなんて、全然そんな眼では見なかった。
だけど、初めて見たヒデ君は、ちょっと低くて優しい声で楽し気に話しながら、私の目の前で長い手指を動かし、それが何だかくるくる舞ってるみたいで、とっても綺麗だなって感じてた。私、それ見ながら、この手なら繋いでもいいなあ、きっとすべすべして気持ちいいだろうなあ、って思った。
きっと、それ、その子が言ってたのと同じことなのね。
今なら分かるもの。そう思うもの。
私、ヒデ君となら、そうなっても全然構わないのに。
ううん、違う、もっとね。
私は、ヒデ君がいい。
初めてする相手は、ヒデ君じゃなきゃ、嫌だ。
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私、会ったその日に、ヒデ君とライン交換して、二人とも大学に来る火曜日と金曜日は、一緒にランチを食べた。ヒデ君のバイトがお休みの日曜日には、外で映画見たりご飯食べたりして、デートしてた。
だけど私、すぐにヒデ君のこと、自分でも怖いくらい、すごく、深く、好きになっちゃって、そのうち毎週私がヒデ君のアパートに遊びに行くようになった。
一緒にお買い物したり、公園をお散歩したり、ジム行って鍛えたり、図書館で本読んだり、昔の映画のDVD見たり、ご飯作って食べたりした。いつもすっごく楽しかったし、一緒にいる間中、ずっと幸せだった。
もちろん、距離もどんどん近づいて行った。
私は、ヒデ君の部屋で、隣に座って、肩に頭を預けて、髪を優しく撫でられるのが大好きだった。まるで私の敏感なとこが全部髪に集まったみたいに、ヒデ君の綺麗な手で撫でられるたびに、指が髪の間をツーって通るたびに、身体がゾクゾクっとして、なんだか自分が自分でなくなるような変な気持ちで、すごくドキドキしてたの。もっと、もっと中まで、って。
そのうち、どちらが求めるでもなく、そっと抱き合ってキスを交わすようになった。最初は唇が触れ合うだけでビクってしてたんだけど、そのうちそれがだんだん深く、激しくなってきて、私、自分でもびっくりするくらい大胆になっちゃって、夢中で抱き着いて自分から舌を差し入れて、艶めかしく絡みあうようになった。それはまるでヒデ君と溶け合ってるみたいで、一つになってるみたいで、ヒデ君が私の唇を優しく嚙むたび、私、身体の中心が疼いてくるのを止めようがなかった。
そうしているうちに、ヒデ君は私の胸や身体を触ってくるようになって、私、胸を優しく揉みしだかれて、思わず、「んっ!」「いやっ」「そこ、ダメ‥‥‥」とか声を出しちゃうけど、ほんとは全然嫌じゃなくて、すごく嬉しくて、もっと、もっと、私の奥まで触ってきて欲しいって思ってた。
このところは、ずっと、もっとヒデ君と近づきたい、もういっそ、早くヒデ君と合わさりたいって、心と身体が叫んでいるの。したことないから、すごく怖いんだけど、でも、ヒデ君とそうなりたいの。
だけど、そこで、しばらく止まってる。
ヒデ君も、なんか、すごく我慢して、あそこ硬くして、苦しそうにしているのが伝わってくるの。
なのに、ヒデ君は、毎週、終電に間に合うように、私を駅まで送り届けてくれる。
そして、いつも優しく微笑んで、ためらいがちに手を離し、改札の向こう側に、そっと、私を送り出してくれる。
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うん、でも、本当は私、分かってるの。私がいけないの。
こないだ、ヒデ君と二人でご飯食べながら、ヒデ君を紹介してくれた子と彼氏の話をしてたとき、私、その子のことちょっと軽いなって、そういうのちょっと嫌だなって思ってたのもあって、眉をひそめて、
「中国ではね、付き合うって、そういう関係になるのって、もう必ず結婚するくらいの覚悟があって、初めて出来るものなの。それくらいになって、周りからも、ようやく許されるものなの。なのに……」って、ヒデ君に言っちゃったの。
もう、バカ。ほんと、バカ。
そんなこと言われたら、ヒデ君、怖くて私に手を伸ばせないわよね。当たり前よね。
「あ、それ、私とヒデ君のことじゃないのよ」って、すぐフォローできればよかったのに、後から気付いたの。
それだったら、私から言い出せばいいんだけど……うん、そうね……でも、そんなの、やっぱり、私から言えないよう。
「朝まで一緒にいたい。ヒデ君とそうなりたい」なんて、女の子から言えないわよう!
だからこうやって、必死に心で叫んでるのに。
強く手を握って伝えようとしているのに。
もう、ヒデ君のバカ。早く私をさらってってよ。今日は帰さないって言ってよ。
私、絶対、嫌がらないのに。ついて行くのに……。
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コンビニの角を曲がって、線路沿いの道に入る。あとちょっとで駅に着いちゃう。
でも、そうだ! 高架下に公園があった!
「ヒデ君! わ、わたしブランコ乗りたい! 一緒に乗ろ!」 そう言って手を引っ張る。
そうよ、ブランコ漕いでる間に、終電行っちゃえ!
だけど、ヒデ君は苦笑いして、
「チュンチュン、何言ってんだよー。あと5分で電車来るぞ。ブランコはまた今度にしような。次は少し早く出て、一緒に漕ごう」って、優しく笑いながら諭すように言ってきた。
‥‥‥ブランコ作戦失敗……。やっぱり思い付きじゃダメか。
んもう、もういいわよ! もう今日はいい。大人しく帰る!
私は、泣きそうな気持になって、シュンとしょげて、ヒデ君の腰に両手を回して、ギュってして、だけど仕方なく駅に向かって歩き出す。ヒデ君も私の肩を抱いて、ちょっと悲し気な顔で、名残惜しそうにしてるのに。
******
駅前に着いて、高架下からエスカレーターに乗った。少し行ったところが改札だ。
私とヒデ君は改札の前まで歩いて、くっついて、ギリギリまで、終電がやってくるアナウンスを待っている。お願い、来ないで。終電なんて、いつまでも来ないで。
だけど、ちぇ。ホームから下りの電車が来るメロディが流れてきた。
もう! 今日はしょうがない。帰る!‥‥‥でも次来るときは絶対に言う! 「私、今日は帰らないから! 朝まで一緒にいるから!」って。
あれ? ここで、いつもなら、ヒデ君は、優しく微笑んで、「今日も楽しかった。ありがとう。チュンチュン、また来週な」って、手を離して送り出してくれるんだけど、今日は、なぜか笑わないな。真顔のままだ。どうしたの?
「チュンチュン、あのな‥‥‥」
「ん、何?」
「あのあと、よく考えたんだけどな‥‥‥」 ヒデ君はそう言って、横を向いて少し黙り込み、だけど何か心を決めた面持ちで、こちらを向き直って、私をギュっと抱き寄せた。
そして、小さいけれど、はっきりした声で、
「チュンチュン。俺な、この先の事は、何年も先の事は、そのとき、お互いがどこで何をやってるか分からないし、絶対とは言えなくて、約束まではできないんだけど、……俺はお前と一緒になりたいと思っている。そのくらいに思ってる。お前を愛している」って告げたあと、大きく息を一つ吸って、私の瞳を覗き込んできた。そして、今度はすっきりした面持ちになって、ニコってしながら、
「次来るときは、朝まで、ずっと一緒にいてくれ。俺のものになってくれ」って、ようやく、やっと、言ってくれた……。
ああ、もうだめだ。私は、こらえ切れずに、口わななかせて、両目から涙をこぼしながら、ヒデ君に向き直って、だけど、思わず、
「もう、バカ!」って言っちゃった……。
「えーっ!? 何それ。完全に想定外の答え。何で?」って、ヒデ君が苦笑いしながら聞いてくる。
「なんででもよ。バーカ、バーカ、ヒデ君のバーカ!」って言いながら、私は、ヒデ君の首に手を回して、ギュって抱き着いて、そして、
「もう……やっと言ったわね! それじゃ、次来るときはお泊りの用意してくるね! 私、ヒデ君のものになるわ! 大好き!」って言いながら、大胆にキスしちゃった。
そのまま私とヒデ君は、きつく抱き合って、延々と長く深いキスを交わす。
最終に乗る乗客が、遠巻きにして「おおーっ」って、ざわめいてる。
ふふふ、もう、ほっといてよね。今日は二人がようやく踏み出せた記念日なんだから。
遠くから、電車がレールを踏んで近づいてくる音が聞こえてきた。
サンキュー、終電。大っ嫌いだったけど、今日は、初めて幸せな気持ちで乗れるわ。
私は、最後にヒデ君にチュってやって、それから胸の前で手を振って、急いで改札を抜けた。
そして、もう振り返らず、泣き笑いしながら、階段を駈けあがっていった。