暑い夏の夜 情事のあとのちょっとした冒険
今日はすごく暑い日だった。昼間は38度もあった。夜になっても30度を切らない。
こういう夜は「熱帯夜」じゃなくて、なんて言うんだっけ?
俺とチュンチュンは、寒いくらいにエアコンを効かせた部屋で抱き合った。しばらく会えてなかったから、ベッドの上で、お腹を空かせた魚みたいに、お互いが激しく身体をむさぼりあった。
そうして、ことが終わったあと、チュンチュンが俺の背中からバックハグをして、細い身体に不似合いな、大きくて柔らかい胸を押し付けて来た。だけど、
「あっつ。チュンチュン暑いよ。汗が引くまで少し離れててくれ」
「ひどーい、なにそれ? そんなの私も一緒よ。それとも何? しちゃったらもう私なんかいらないの?」
「そんなわけないだろーw ただ暑いのが苦手なんだよ」
「その割にヒデ君、こんな風呂なしのアパートにずっと住んでるじゃない。私、日本に来て5年になるけど、お風呂ない友達、ほかに見たことないよ」
「風呂は毎日ジムで入れるから要らないんだよ。三軒先に銭湯もあるしな。家賃浮いた分、プロテイン代に回したい」
「だけど、お風呂屋さん、こんな時間じゃとっくに閉まってるでしょ? 彼氏の家にお風呂がないって、女の子にとっては大問題よ。もう学生じゃなくて就職したんだから、もうちょっといいとこに引っ越そうよ」
「はは、まあそう言うな。ここ気に入ってるんだよ」 そう言いながら俺はチュンチュンに向き直り、白くて華奢な身体を抱きしめる。が、しかし、暑いものは暑い。
「‥‥‥そうだ、チュンチュン、いいこと思い出した」
「何?」
「これから冒険に行こう」 そう言って俺はチュンチュンと一緒に、ベッドからムックリ起き上がった。
俺は、短パンとTシャツを身に着け、「チュンチュンもこれでいいぞ。かえってこっちの方がいいくらいだ」と言って、俺のパンツと短パン、白Tシャツを貸してあげた。
チュンチュンは、「えー? こんな格好で、一体どこ行くの?」って戸惑いながら、割合嬉しそうに黒いボクサーパンツを穿いていた。広い肩幅と長い手足、形のよいツンと尖った胸。美女がボクサーパンツ穿くとこんなカッコいいんだ。知らなかった。
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二人でアパートを出ると、「ムン」って、湿った匂いのする暑い空気がまとわりついてくる。暑い。部屋も暑かったけど、外に比べたら天国だったな。
出てすぐのところにある、街道沿いのセブンでパピコのコーヒーを買って、二人でかじりながら歩く。
途中、チュンチュンが振り返って、後ろ向きに歩きながら、上目遣いに俺を見上げ、
「ヒデ君。私たち、付き合って丁度3年だね! これまでずっと、すごく楽しかったよ!」って声をかけてきた。
「ああ、俺もそうだ。ありがとうな。お前と出会ってこの方、ずっと、こんないい女ほかにいないなって思ってた」
「ふふーん。そう、ありがとね。‥‥‥私ね、話したかも知れないけど、大学2年の時に、学食でヒデ君と初めて会ったとき、初めから普通に話が出来たんで、すごくビックリしたのよ」
「へー、そうだったんだ。全然気が付かなかった」
「ヒデ君、中国人を差別する気持ちが全然ないように見えたんだもん。『あ、この人、そのままの私を見てくれてるんだ』って嬉しくなったの」
「そんな、差別も何も、国なんてそいつの価値と全然関係ないだろうに。まあ、育った環境とか言葉の問題はあるにしてもさ。それにあんときは、そんな立派なことなんて考えてなくて、『なんとかこのいい女口説き落とそう』って、必死だったんだよw」
「あはは、そうなのか。それで正面から向き合ってたのか。‥‥‥だけど日本で暮らしてるとね、男女問わず、あちこちで意地悪されるのよ。残念だけど。だからずっとバリヤー張って、本心出さないように、ニコニコした仮面被って生きてたの。だけどヒデ君には最初からそんなの全然必要なかったの」
「そうだったのか。まあ、確かに留学生になってみないと、リアルには理解できないのかもしれないな。だけど俺の前じゃ、仮面なんてご無用だぜ」
「うん、ヒデ君のそういうとこ、私、好きよ。ずっと好きだった」と言いながら、チュンチュンがニコニコして腕を組んでくる。だけど、あれ? ノーブラだから乳首がツンと立って透けてるな。Tシャツ黒にすればよかったか。
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「さあ、着いた」
「って、ここ中学校じゃないの。こんなとこ来てどうするのよ?」
「忍び込むんだよ。ほら、ここから」 目の前の植え込みに、人が一人通れるくらいの隙間が空いている。校門は街道の裏にあるから、中坊が近道でここをくぐるんだろう。遅刻しそうなときとか。
「えー? 大丈夫? 見つかったら捕まっちゃうんじゃない? 強制送還とか、私、嫌よ」
「何度も来てるけど一度も見つかってないから大丈夫だろ。それにお前どうせ来週上海の大学院に行っちまうじゃないか」
「そうか。もう関係ないのか。‥‥‥うん、そうだね。それじゃ行こうか。なんかドキドキするな」
俺とチュンチュンは手を繋いで芝生のグラウンドを横切り、体育館の横にあるプールに辿りついた。街道沿いにあるので、街頭に照らされて割と明るい。プールサイドに立つと、水面がユラユラと光を反射し、青い水底が空けて見える。
「ああ、目的地はプールだったんだ。カルキの匂いがするね。いい匂い。私、中学のとき水泳習ってたから、この匂い好きなの」
「ケミカルな匂いだけどな。俺も割と好きだよ」
「へー、気が合うね。だけど、私、身体の成長が早くて中学のときから胸大きかったからね、水泳の授業のときは男子がみんな私見てて、すごく嫌だったな」
「ははは、国が違っても男の考えることは一緒だな。美人も大変だ。俺も中坊だったら夢中で見てたと思うぜ」
「ヒデ君なら全然いいわよw ……あれ? だけど、ねえ、服はどうするの?」
「どちらでも。俺は素っ裸で入るぜ。いつもそうしてる」
「それじゃ……、私もそうする。ビシャビシャのまま戻るの嫌だもんね」
「濡れて胸の透けた白T、いいじゃないか。B級アイドルみたいで」
「もう、こんないいところなのに。バカ」
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俺とチュンチュンは、プールサイドで服を脱ぎ、バスタオルと一緒に畳んで置いた。
俺が先に手すりから水中に降りて、チュンチュンを待つ。
チュンチュンは、手すりに掴まって、「冷たくない?」って言いながら、ピンクのペティキュアを塗ったつま先でチャプチャプして、「ああ、大丈夫ね。あったかいくらいだ。気持ちいいー」って言いながら、トプンと飛び込んで俺に抱き着いてきた。
「ああ、涼しい。これほんとにいいね。スッて意識が鮮明になる」
「そうだろ? 俺のおとっときなんだぜ」
「いつもここきて泳いでるの?」
「いや、俺、筋肉だらけで沈んじゃうから泳ぐの苦手なんだよ。いつも汗流してサッパリするだけ」
「ふーん、そうなんだ。じゃ、今日は、私の雄姿、見せてあげるね」
チュンチュンはそう言って、「4」のペイントのある飛び込み台の前まで移動し、ポンと壁を蹴って、両腕を伸ばしてスッと蹴のびした。そのまま潜水したと思ったら、しばらくして水中から浮き上がり、ゆったりとしたクロールで泳ぎ始める。ああ、綺麗なフォームだ。肘から腕を抜き、細い指先を伸ばして入水させ、息継ぎは最小限。膝下を細かく上下させて、まるで水面を滑るように、静かに進んでいく。
チュンチュンを頂点にした三角の水紋が、プールサイドの俺まで届く頃、水面から「トプン」と姿を消したと思ったら、逆方向に両腕を伸ばし、そして大きく搔きながら、また水面に姿を現す。上手だ。これは本物の水泳選手のターンだな。
折り返しを半分くらい過ぎたところで、チュンチュンはコースを斜めに変え、俺に向かってきた。そして、5mくらい手前にきたところで、スッと水中に潜って、そのままひと掻きして、潜水しながら近づいてくる。
腰まである長い黒髪が水中で真っすぐ後ろになびき、広い肩幅から細いウェストへと続く白いVシェイプがとっても素敵だな。
ああ、これはそうだ、まるで人魚だ。黒い髪をした、東洋の人魚。すごくいいじゃないか。「スプラッシュ」の金髪女優にも全然負けてないぞ。
チュンチュンは俺の前でザパっと水面に現れ、俺の胸に飛び込んだところがゴール。
俺は、両手でチュンチュンの腿を抱えて、
「綺麗なクロールだった。いいもの見せて貰った。まるで人魚みたいだったぞ」って声をかけたが、人魚はそれには答えず、 「ヒデ君、ヒデ君……」って言いながら、俺の眼を覗き込んできた。ずぶ濡れだから分かんなかったけど、どうも泣いてるみたいだな。
「わ、私のこと、忘れないでね!」
「もちろんだ、一生覚えてるよ」
「きっとよ! 絶対よ!」
「ああ、忘れようったって忘れられないよ。俺が死ぬときもきっと思い出す」
「わ、私もそうよ! ヒデ君の名前呼ぶから!」
「ははは、看取った家族がビックリするから、それはやめとけ」
「‥‥‥ねえ、私たち、どうにかできなかったのかな? こんなに好きなのに」
「何度も話し合っただろ。道は分かれたんだ。神様が俺たちを選ばなかったんだよ」
「うん……そうだったよね。お互いもう縛らないって決めたんだよね」
「そうだな。だけど、お前との時間は、俺にとって人生の大切な彩りだったよ。この先、ずっと、大事に抱えて生きてく」
「うん、わ、私もよ!」
そう言って、人魚は眦から、大粒の涙をポロポロとこぼし、俺の顔を両手でそっと包んで、口づけてきた。俺たちはきつく抱き合いながら、お互いが深く舌を差し込み、長い時間、激しく絡み合っていた。
そして、しばらくして、人魚はそっと俺の顔から手を離して、後ろに回し、俺の局部を優しく握りながら、「ねえ……入れていい?」って小さな声で聞いてきた。
「そうしたいけど、水中で上手くできるかな?」
「大丈夫。‥‥‥もう、濡れてるから」
そう言って、人魚は自分の中心に俺を優しく導き、俺は人魚の体内に静かに埋没していった。
暖かくて、柔らかい。涼しい水に囲まれているのに、交わった局部だけは暖かく溶け合っていく感覚。まるで胎内回帰しているようだ。
俺と人魚は、強く抱き合ったまま、名残を惜しむように、ゆっくりと身体を上下に揺らしていく。「ああっ! んっ!」と小さな声をあげながら、少しずつ人魚の息が熱くなってきた。
「ねえ、ヒデ君」 少し首をかしげ、薄く眼を開いた人魚が俺に話しかける。
「なんだ?」
「今日は大丈夫だから、最後まで全部中にしてね。私、ヒデ君の大事に持って帰るから。私の真ん中にヒデ君の印を残して……」って、真っ赤に腫らした眼から静かに涙を流しながら、俺を見つめて哀願してくる。
「ああ、是非そうしよう」 俺はそう言ったが、まだもう少し頑張りたいので、気を逸らそうと、ちらっと人魚の肩越しに東の空を眺めると、手の切れそうな細い上弦の三日月が浮かび、だけどさっきまで群青だった丘の稜線が、少しずつ白み始めていた。
夜が明けると人魚は泡になっちまうんだっけ? 俺たちの時間も、もうすぐ終わりなんだな。
と、そう思ったところで、人魚が再び俺に狂おしく口づけてきて、それと合わせるように身体の中心もキューっと俺を締め付けてきた。
俺もそれに激しく応えながら、少しずつ俺の内側から、命の源がせりあがってくる予感を感じ取った。
人魚も背中を反らせて、抑え切れずに細い声を漏らす。
さあ、いよいよ、エピローグだ。
~ 黒い髪の人魚 (了)~