第六話
「………は?」
思わず呆けた声を出してしまう衣鳩。目の前にいる同じ年代ほどの女が、バス停の屋根に逆さまに立ち、衣鳩を見据えていた。
その女の着ている黒のMA-1、ゴツめのスニーカーの靴紐、首元ほどで雑に切りそろえられた髪などは全て、女が立っている屋根の内側がさも地面であるかのように重力に逆らっている。
女はレギンスに包まれたしなやかな足を曲げて屋根の裏にしゃがむと、バク宙の要領で180度回転し、路面に着地した。
衣鳩が状況を理解できないでいると、いつの間にかバス停の席に座っていた他の数人の客らが背後に回り込んでいる。女と客によって、完全に包囲された状態となった。
「え、ちょっと……何だよ!まさかお前ら歴史書ナントカってヤツか!?」
先程クーラの書から聞いた不穏なワードをとりあえず出してみる衣鳩。それを聞いて、女は表情を変えずに言う。
「その様子じゃ、なんにも知らないみたいだね。可愛そうに」
そのまま女は太ももに括り付けられていたホルスターから奇妙な図体の大きい拳銃めいた物体を取り出し、衣鳩にそれを向けトリガーを引いた。
BLAM!当たり前のように銃声が響き渡る。
銃声に驚き目を瞑った衣鳩だったが、自分の身体に衝撃が来ることはなく、恐る恐る目を開ける。
「あなた、私をヘリから奪取しようとした人でしょう?」
クーラの書が飛び出し、銃から放たれた十字形の刃をその身で受け止めていた。刃はその勢いをなくし地に落ちる。一方クーラの書は無傷であった。
「…話に聞いてはいたけど。本当に喋るんだね。異端の書って。しかも頭に直接」
女は顔色を変えずにクーラの書に銃口を向ける。
「あら、異端書と出会うのは初めてだったのかしら。じゃあ挨拶ついでに教えてあげるわ、暦史書管理機構」
女の眉がピクリと動く。クーラの書は続ける。
「あなたたちじゃ私を捕らえることはできない。傷をつけることさえできないわ。そして、私はあなたたちを今すぐにでも殺すことだってできる」
BLAMBLAMBLAMBLAMBLAM!
銃口が煙を吐き出し、クーラの書の紙面で留められた十字の刃はむなしく地面にバラバラと落ちる。女はトリガーから指を外し銃をホルスターに収めると、宣戦布告をするように言った。
「私たちは暦史書管理機構じゃない。私たちは『八瀬童子』。今は『エトセトラ』と結び、機構の奴らとは敵対している」
両者の間の緊張が高まる中、一つも状況を理解していない衣鳩がクーラの書に小声で問う。
「…なあ、ヤセ何ちゃらとかエトセトラってなんなんだ?」
「私も詳しく知ってる訳じゃないわ。ただ言えるのは八瀬童子は暦史書管理機構に仕えていた、言わば下部組織で、そしてエトセトラは暦史書管理機構に敵対する組織ってこと。どうして八瀬童子が寝返ったのかはわからないけれど…」
「そもそもその歴史ナントカが何なのかわからないんだが…」
女は周囲の客に扮した仲間に目で合図を送ると、衣鳩に冷たく「知る必要はない」と言い放つ。
「ただ一つ、私たちの名誉のために言うならば。私たちが寝返ったんじゃない。あいつらが裏切ったんだ」
そう女が言うと同時に、包囲していた八瀬童子たちが衣鳩を両脇から拘束する。
「うわっオイ…離せ!」
もがく衣鳩。クーラの書は力を溜めるように少しづつ上昇し、燐光を放ち始める。
「それ以上やったら、あなたたちの命は無いわ」
女は見極めるように屋根付近まで上昇したクーラの書を睨むと、こう言った。
「予定を変更しよう。異端書。コイツを殺さないと言ったら、どうする?」
クーラの書の動きが止まった。
「異端書というのは一つの目的に固執するモノらしいね。ここまでの追跡監視から、今アンタがこのヘナチョコ高校生に拘っているのはわかっている。コイツに危害は加えない。ただ私たちのアジトに来てもらう、それだけ」
衣鳩が「は!?なんでそんな勝手な……!」などと言いながら再度もがき始めるが、八瀬童子たちの拘束は固い。そうこうしている内に、本来バスが止まるべき場所に黒のバンが止まった。
「どう?」
問いかける女。クーラの書は少し考えた後、「下手なことをしたら、命は無いと思いなさい」と釘を刺し、燐光を収め衣鳩のバッグに自ら飛び込んだ。