第四話
衣鳩を見つけた祓がまっすぐ向かってきたので、衣鳩は慌てて体勢を立て直す。
「お土産買ってたんだ、何買ったの?」
「え!?あの〜あれだよ、八ツ橋、生のやつ」
「生のやつって…」
衣鳩の言い方が面白かったのか、祓は吹き出すように笑い出す。その笑顔を見て、衣鳩の緊張も少しほぐれたようだった。
「物部もお土産買いにきたのか?」
「そ、もう自由時間終わっちゃうからね。…そういえば衣鳩君一人なの?他の班員は?」
「それがはぐれちゃってさ…今から合流しようと思ってたところ」
「え…それは早く合流したほうがいいね」
そうなんだよな…と、心ここにあらずといった感じでぼんやりとした返事をしながら、衣鳩は祓の顔色をうかがう。
(…普段と変わった様子はないな。昼に送ったメッセージを見ていないか、それとも、気にもしていないか…)
祓はすぐそばに饅頭菓子の試食のプラ箱があるのに気づく。少しかがんでフタを開けると、横にあった爪楊枝で4等分にされた饅頭をぷすりと刺すと、ひょいと口に放り込んだ。
「うむ、おいしい。お土産、これにしようかな…ん?」
そこで祓は衣鳩が自分の顔色をうかがっていることに気づいた。祓は数秒考えて、なるほどといった様子で再度プラ箱のフタを開け、爪楊枝を取り饅頭を刺す。
「ほい」
そしてそのまま饅頭を衣鳩の口にねじ込んだ。
「おむぁ!」
予想外の出来事に衣鳩は目を白黒させながらも、饅頭を口に収める。祓は声を掛けられ反対を振り向くと、彼女の班の班員たちが彼女を呼んでいた。
「あ、皆呼んでるからもう行くね!早く班に合流しなよ!」
そう言ってその場を離れようとする祓を、衣鳩は高速で饅頭を咀嚼し飲み込んだ後呼び止めた。
「…物部!」
クエスチョンマークを浮かべたような顔で振り返る祓。衣鳩は少し躊躇ったが、勢いに任せて言葉を投げる。
「あの…送ったメッセージ、読んだ?」
「え! ごめん今日あんまりスマホ見てなくて…」
「いや大丈夫大丈夫!後で読んでくれればそれで…」
心のなかで衣鳩はホッと胸をなでおろす。そう衣鳩が安心している最中、祓の表情がどんどんと曇っていくのに衣鳩は気づけなかった。
祓は眉根を寄せると、スマートフォンを取り出し画面をつける。衣鳩が「あ、いや、今確認しなくても、ぜんぜん後で、後で読んでくれれば」などとあたふたしているのをスルーし、祓はチャットアプリではなくメールを開く。
「………」
メールの送受信を何度か更新した後、祓はメールを閉じてすぐさま電話をかけた。呼び出し音が鳴り、鳴り続けて、祓は目を閉じて、電話を切った。
彼女が目を開けた時、その目には、途轍もない強さの決意が存在した。
「お姉ちゃんからのメールがない。電話をかけても繋がらない。七堂からの連絡があるわけでもない」
「なに…え?」
「ううん、意味分かんないよね、大丈夫。気にしないで」
祓は大きく息を吸い込み、長く長く吐く。
「ごめんけど、私の班員に私はしばらく戻らないって伝えてくれる?」
「それはいいけど…なんだ、どうしたんだよ」
お守りを握りしめる。その存在感は、彼女の意志をさらに強いものにした。
「お姉ちゃんに、このお守りを渡さなきゃいけない。だからごめん!」
その場から駆け出す祓に衣鳩は声を掛けることもできず、立ち尽くしたまま、伸ばしかけた手を下ろした。
「………」
衣鳩はクーラの書からの無言の圧力を感じる。スマートフォンを耳に当てることもせず、衣鳩はクーラの書に問いかけた。
「…やっぱ追いかけた方が良かったのか?」
「すごーく特殊な振られ方をされたとかでなければ、確実に追いかけた方が良かったわね。というか大抵の主人公はここで追いかけるにしろ何にしろなんらかのアクションを起こすのだけど…ただ棒立ちしてるのは初めてね」
クーラの書はあからさまに呆れた声で言った後、黙ってしまった。
………
外に出ると、そろそろ日も傾き始めるような時間だった。空はまだ赤くはないが、どことなく一日の終わりを感じさせる。
(この時間じゃ、合流できても自由行動時間の終了間際だな…班員に怒られなきゃいいけど)
行動班との長時間の別行動という、自分のやらかしていることの重大さに今更気づいて青ざめる衣鳩。そうこうしている内にバス停に到着した。合流するためにはバスに乗らなければならないので、バス停の簡易的な屋根の下のベンチに座ってバスを待つことにする。いくつかあるベンチには、他の客が間を空けて何人か座っている。
「ねえ衣鳩」
衣鳩が暇を持て余す前に、クーラの書が衣鳩に話しかけた。衣鳩はスマートフォンを耳に当てる。
「どうして祓ちゃんを好きになったのかしら?」
「!?」
唐突な話題に動揺を隠せない衣鳩。脇に抱えられた本が少し跳ねる。
「好きになったキッカケよ!何かしらあるでしょう?」
「なんだよいきなり…まああるけどさぁ…」
鼻の頭を掻きながらチラチラと近くに座っている客を見る。そんなことをしながら、衣鳩はある日の朝のことを思い返していた。
………
「あれ、今日は早いんだね」
6月の珍しく晴れた日の朝だった。新しいクラスにも馴れ、だんだんと気が緩んできて最近遅刻ぎみだったから早起きしてみた。始業40分前登校の理由は、そんなものだった。
「そっちこそ、いつもこの時間より早く来てるってことだろ?何時起きなんだよ一体…」
雨の残り香を日の匂いが上塗りし、早朝の穏やかな、それでいて背筋の伸びるような静謐な空間を作る。そんな空気の只中に、彼女、物部祓は居た。
「いやぁ、目が覚めちゃうんだよね、眠くても。早い時間に起きるのが当たり前だったから…」
見れば彼女も着席して時間は経っていないようで、机の上に置いたバッグから、予習だろうか、今日の科目の教科書を取り出しているところだった。俺の席は彼女の斜め前にあって、席が近いこともあり彼女とは多少は話せる間柄だ。
「あ〜、家が厳しかったとかか」
彼女は何年か前までは別の地方に住んでいたそうで、こちらに引っ越して来てからは一人暮らしなんだとか。毎日弁当を作ってこの時間というのはもう、何時に起きているのか想像もつかない。
「ん〜そう、ま、そんな感じかな」
もうこんなに早く起きる必要ないのにね、と少しはにかみながら彼女は言う。俺は席に荷物を置くと、つい、と彼女のほうを見る。その大きな瞳にぱっちりと目線が合ってしまい、数瞬耐えたが俺は目を逸らしてしまった。クエスチョンマークを浮かべたような顔でもしているのだろうか。確認はできなかった。
目を泳がせ、彼女の机の上に止まる。なにかしらの話題を探して、目に止まったのは彼女のバッグに付けられたお守りだった。
「…そのお守り、なんか珍しいやつだったりする?なんというか、見覚えはないけどやけに特徴的なんだよな」
そう言った瞬間、彼女はバッと手を伸ばし、お守りを隠すように握ってしまった。
「あっスマンなんかアレだったか、良くない話題だった…?」
地雷を踏んだか、と内心で大汗をかいていると、彼女は胸元でお守りを握ると、ふるふると首を横に振って言う。
「ごめんごめん、全然そんなんじゃないよ、ただお姉ちゃんからもらった大切なお守り、ってだけ」
そう言って手のひらに載せたお守りを眺める彼女の目には、郷愁と愛情、そして決意があった。
「…!」
俺は小さく息を飲んだ。日常、いたって普通の生活をしていればまず抱くことはない、恐ろしく感じられるほどの決意。今までどの人間からも感じたことのない強さのそれが、彼女の可愛らしい顔から、隠しようもなく発されていた。
この一瞬。心臓が鐘をつき始めるこの瞬間。忘れることはないだろうと思う。
その彼女が見せた大きな感情に俺は、どうしようもなく惹かれてしまったのだ。
………
「…今ここで言わなきゃダメか?そういうのちょっと、ハズいと言うかなんというか…」
「あなた回想がだだ漏れよ。一言一句完璧に記録させてもらったわ」
その予想外の言葉に、衣鳩は顔を赤くして異端書を目の前で激しく揺する。
「は!? オイふざけんなそれはナシだろテメ〜〜〜〜!!」
クーラの書にはなんの効果もないようで、平然とした雰囲気(顔がないので雰囲気だ)で揺さぶられている。抗議はしているものの、衣鳩はクーラの書に半ば気を許してきているらしく、なんだか日常めいた空気すら感じられるようだった。だがその空気も、長くは持たなかった。
数瞬後、衣鳩の前に、突如として逆さの女が現れたからだ。
「黙りな、ヘナチョコ高校生」
その言葉以上に、目の前の突然の異常な光景は、彼の口を塞ぐのに充分な衝撃をもたらしていた。