第三話
その本は、『クーラの書』と名乗った。
「ね、いいアイデアじゃない?これで周りを気にすることなく話せるわ!」
衣鳩は通話していないスマートフォンを耳にあて、クーラの書を小脇に抱えていた。
「本当に俺以外にお前の声は聞こえてないんだよな?」
「心配しなくていいわ、あなたの脳に直接話してるから。最初からずっとそうしているし」
ふ〜ん、と、いまいち納得していないような相槌を打ちながら、彼の目は様々なお土産の上を滑っていく。
クーラの書と衣鳩は、土産物だけを扱った駅前の三階建の商業施設に来ていた。言ってしまえば、大きなお土産屋さんである。旅行シーズンだからかそれなりに人も多く、怪しまれずにクーラの書と会話するためにはスマートフォンで通話をしている風を装う必要があった。
クーラの書の提案で彼らは衣鳩の片想い相手へのプレゼントを買いにこの施設を訪れたのだが、その間ずっとクーラの書は絶え間なく喋っていた。そのおかげで衣鳩はクーラの書と話すことにずいぶん慣れてしまっていた。
「俺の告白を手伝うっていうけどさ…本なんかに恋愛のことがわかるのか?」
「何言ってるのよ、本だからこそよ!何事も先人に学べって言うでしょう?私の中には先人たちの恋愛譚が山程綴られてるんだから!」
「例えば?」
「なんでもあるわよ。それこそあなた位の年齢の少年少女の恋愛譚なんて数え切れないくらいに。もちろん大人たちの恋愛もあるし、なんなら龍と人間なんて珍しいのもあったわね。私は好きよあの話、ハッピーエンドだったから」
「なんだそれ、フィクションの話か?」
衣鳩は抹茶味のバームクーヘンを眺めながら聞き返した。
「フィクションじゃないわ。私が全部見てきた物語だもの」
「ホントかよ…」
疑って言いながら、衣鳩は色とりどりの金平糖の瓶を覗き込む。
「とにかくね!今まで千以上の恋愛譚を記録してきた私に言わせれば、とにかくまず押さなきゃダメよ!行動を起こさないと相手の記憶に残らないし、一人で考え込むと空回りするわ!」
「その点に関しては結構頑張ってきたと思うんだけどな、俺…」
「それじゃあその点は信用しましょう、わからないことを想定しても仕方がないし」
「それホントに信用してるのか?」
「正直言うと半信半疑ね、あなた臆病者だから」
一階をあらかた見終わった衣鳩は二階への階段を登り始める。どうやら一階は食品系、二階にも食品があり他にも服飾品や食器などが置いてあるらしい。
「プレゼントは何か想定していたものはあるの?」
「いや特には…その場で見つけようと思ってた」
「………」
「なんだよ!急に黙るなよ」
「…まあいいわ。修学旅行の夜の告白ね…一見なんの面白みもないけれど、気の利いたプレゼントの一つで状況はいかようにでも変えられると思うわ!」
「面白みがないとか言うなよ!というか、結局なんでお前はそのことを知ってんだ?」
衣鳩は小脇に抱えた古ぼけた本を見下ろす。今までで見てきたどの本とも一致しない、奇妙な雰囲気を持つ本である。
「端的に言うなら私が、『精神に介入することができる異端書』だからって理由になるけれど」
衣鳩は生八ツ橋が36個入った箱をひっくり返しながら聞き返す。
「異端書?」
「私みたいな本のことを異端書って呼ぶ人間たちがいるのよ、暦史書管理機構の奴らとか。面倒なのよねあいつら、いっつも追いかけ回してきて。あなた告白して生八ツ橋渡すつもりなの?」
「いや見てただけだけど…」
衣鳩は不穏なワードをスルーしつつ生八ツ橋を棚に戻す。これ以上の厄介事に首を突っ込む気はさらさらなかったので、『暦史書管理機構』という単語は聞かなかったことにした。
「お前みたいな生きてる本が他にもいるってことなのか?」
「本はみんな生きてるわ。あなたたちだって本みたいなものよ。入れ物に入った情報。その入れ物が違うだけ」
衣鳩は食べ物コーナーを離れて服飾品コーナーへ移る。
「私にはあなたの思考が読むように把握できるし、私が念波であなたの思考に情景を書き込めばあなたをその通りに動かすことも…あら、あれなんか良いんじゃないかしら」
「あれって…あの簪か?」
訳のわからない話を聞き流していた衣鳩は、クーラの書と同時にその簪を見つけていた。近づいてみると、ショーケースに入れられたその簪は目配せするようにその身を煌めかせた。
「良いじゃない!カワイイし、ギリギリ買えないことないでしょう!」
「いやま確かにギリギリ買えないことないけどさ、簪だぞ?」
衣鳩はショーケースを覗き込んで言う。
「簪なんて普段使えないだろうしいらなくないか?」
「普段使いしてほしいならティッシュでもあげなさいよ。告白よ?プレゼントなのよ?その場の雰囲気が良くなるようなロマンティックアイテムが良いのよ!」
なるほどなあ、とぼやく衣鳩。その直後に、脇に抱えたクーラの書が暴れだしたので慌ててクーラの書を抑えつける。
「うわっなんだよ!」
「グダグダ言ってないでちゃっちゃと買ってきなさい!」
「わかった!わかったから暴れんな!」
暴れる本を脇で抑えつけながら、衣鳩はカウンターへ向かい会計を済ませる。財布はスッカラカンになった。
プレゼント用のラッピングをしてもらい、品物を受け取る。
「…そういえばお前、いつまで付いてくるつもりなんだ?」
「そりゃあなたが告白するまでよ!だって私は恋愛譚なのよ。恋の顛末を記録するのが私の存在意義だもの」
「マジかよ…邪魔だけしないでくれよ」
ここにきて衣鳩はクーラの書から逃げることを完全に諦めた。このおかしな本は人智を超えた存在であり、今の自分にはどうにもできない、だが予定通りに行けば今日中にはこいつから解放される。そう思うことにして、衣鳩はこの異端書の存在を後ろ向きに受け入れることにしていた。
「プレゼントも買えたし、そろそろ戻らないとまずいな」
衣鳩はスマートフォンを取り出し、元々行動を共にしていた班のスケジュールを確認して、とりあえず現在班員たちがいるであろう場所に向かおうとする…が、
「…ヤッバい」
販売施設に入ってきたグループの中のセーラー服を着たとある人物を見て、衣鳩は固まってしまう。艷やかな長い黒髪、よく笑いよく変わる表情、透き通るような声。彼女の名は物部祓。見間違えようもない、衣鳩の片想い相手であった。
(…いつも学校のカバンにつけてるお守り、今日はちゃんとバッグに付け替えてるんだな…かわいいな)
「かわいいなじゃないのよ何をボケっとしてるのよ!」
「うわお前いきなり脳に叫ぶなよ!あと思考も読むな!」
「だだ漏れで妄想してる方が悪いわよ!そんなことよりチャンスよチャンス!話しかけに行くのよ!」
「バカ無理だって呼び出しのLINE送った後だし今は気まずっ!?」
脇に抱えられたクーラの書が衣鳩を本の背で押し出し、よろけた衣鳩は祓の視界に入ってしまう。無理矢理押し出されておかしな体勢になった衣鳩は、パッと衣鳩の方を向いた祓としっかり目が合ってしまった。
「……よう」
頭の中が真っ白の衣鳩は、ただその一言しか絞り出すことはできなかった。
………
商業施設屋上
無造作に伸びた髪を、邪魔そうに払いのける。MA-1の女は屋上の縁に座り込み、施設前の道を見下ろしている。隣の指輪をした男がその様子を横目に報告をする。
「ターゲットは異端書との三度目の接触の後、行動を共にしています。その後特筆すべき行動は見られず…どうしました?」
女の眉間に皺が寄る。今しがた施設に入っていった学生グループの一人の顔を反芻し、記憶に違いが無いことを確かめる。苦々しい表情のまま、女は呟いた。
「どうしてここでお前が出てくる…京都支局長物部伽藍の妹、物部祓…!」