第二話
「はぁっ…はぁっ………!」
謎の喋る本からダッシュで逃げ出した衣鳩は、表通りに戻って待たせていた修学旅行の行動班に合流する。待っていた班員の一人の、親友であり無類の都市伝説フリークでもある椋木が声をかけた。今回の告白の件も彼にだけは話してあった。
「おっ衣鳩、お前どうしたよそんなに走って。なんか買うものあったんだろ?置いてきゃしないから安心しろって」
「本が!!」
息も絶え絶えになりながら発した一声で、他の班員が何だ何だと衣鳩に目を向ける。衣鳩は彼らに背を向け椋木の肩に手を回し、顔を近づけて小声でまくしたてる。
「本が喋ったんだって!!」
「は?」
「お前ならなんか知ってんだろ!?行きの新幹線でナントカの妖刀とか忍者のナントカとか言ってたじゃん、その類のやつが出たんだって!!」
「は〜衣鳩お前、わかってねぇなぁ…」
椋木はため息をつくと衣鳩の腕を振り払い腕組みして語りだす。
「あのなあ衣鳩。まず刀の存在しない時代から受け継がれた妖刀だとか、現在まで存続している忍者組織とか、そういうアホみたいなモンは存在しないわけよ。それがわかった上で、都市伝説を楽しむってのが俺のモットーであってだな」
「知らねえよそんなモットー」
「だからお前のそのしょーもないドッキリにも騙されねえっつの。大体なんだよ喋る本って。もっと京都らしい嘘あっただろ」
「いやホントに居たんだって…」
取り付く島もない椋木に衣鳩が二の句を継げられずにいると、椋木は「行くぞ衣鳩」と声をかけて先に進んでいた行動班のほうへと歩いていってしまった。
(いや…やっぱり聞き間違いだったのかもしれない。店員が声をかけてきてただけの可能性もあるからな…いやむしろそっちの方が可能性としてはあるか)
衣鳩はそう思うことにして班の方に向かいつつ、走って喉が乾いたのでペットボトル飲料を取り出そうと背負ったリュックを前に持ってくる。
チャックを開けると、中から本が飛び出してきて「こんにちは!」と言った。
「うわっ!?!?」
のけぞって尻もちをついた衣鳩は、即座に体を起こしてそのままその本から遠ざかるためにダッシュし始める。衣鳩が背を向けた時点で本は忽然と姿を消しており、周囲の人たちは衣鳩に奇異の目を向けた。
「あれ、またあいつ走ってどっか行ったな…」
なかなか追いついてこない衣鳩の様子を伺っていた椋木だったが、「まあそのうち戻ってくるだろ」と言って次の目的地への道のりを検索し始めた。
………
「…ターゲットは異端書と二回目のコンタクト、ターゲットが移動を開始すると同時に異端書は再転移した。三度彼の元に現れる可能性が高いかと思われる」
走り去った衣鳩を物陰から監視する20代後半の男が一人。腕時計に偽装した通信機器で何者かに報告をしているようだった。男は黒いマスクと左中指にゴツい指輪をしているところ以外は、一般人に紛れ込めるような当たり障りのない服装をしている。
「…了解。これより監視班、対象と異端書の関係の確認作業に入る」
口元に近づけていた腕時計を離すと、男は携帯端末を取り出し監視対象の現在位置の報告を手早く確認する。そのままいくつか端末で指示を出すと、携帯端末をポケットに仕舞いながら違和感なく人混みに紛れる。
「あんまりウロチョロしないで欲しいよな…人払いするこっちの身にもなって欲しいわ」
………
気づけば衣鳩は、来たことのない寺の境内に迷い込んでしまっていた。寺の敷地内は妙に静かで、見渡す限り誰もいない。
寺の中を見学できるコースの入り口を見つけたので、走り疲れた衣鳩は休める場所を求めて入り口へ向かった。
(マイナーな寺なのか…?それにしては観光客向けの設備が整ってるみたいだけど)
寺の中に入ると、気温が一段階下がったような気がして衣鳩は身ぶるいする。コースを見学する人も案内する人もおらず、ちょっとした歴史的価値のありそうな品が展示されている薄暗い板張りの通路を一人で進んでいく。
(なんとかあの意味わからん喋る本も撒いたようだし、そろそろ行動班に戻らないと…)
歩きながら横目で展示品を仏像、陶器、古びた本、と通り過ぎて、嫌な予感がして衣鳩は振り向いた。
「ねえ、そろそろ逃げないでくれると助かるのだけど!」
例の本が展示スペースに鎮座していた。
衣鳩は諦めたようにそのままその場に座り込むと、頭を抱えてため息をつく。古びた本は展示スペースから浮遊して衣鳩の前まで移動し、続けて話しかける。
「あなたに危害を加えるつもりはないの!ちょっとだけ話をさせてほしいだけなのだけど…あら、日本語じゃ通じないのかしら」
「通じてるよ」
衣鳩は半ば投げやりになりながら答えた。ようやく返事を返したことに明らかに喜んだ声色で、本はさらに言葉を発する。
「ああよかった!私を運んでた人たちは英語圏の人たちだったけれど、降りてからは日本語ばっかり聞こえたのよね!そうなるとやっぱりここって日本なのかしら?」
「そうだよそんでお前は一体なんなんだ!?」
古びた本は怒鳴られたことで少し飛び上がり、衣鳩から距離をとる。
「…どうしてそんなに怒っているの?」
「意味のわからん浮いて喋る本に追っかけまわされたら誰でもこうなるだろ!」
「あら、私が今まで出会ってきた人たちはそんなことなかったのにね」
古びた本は、睨みつける衣鳩にゆっくりと近づき、囁く。
「あなた臆病者なのね?」
「臆病とかそういうことじゃ…!」
本は払いのける手をひらりと躱すと、衣鳩の頭上を踊るように回り始める。
「でもそんなあなたが今日、愛の告白をするんでしょう?」
「なっ…んでお前がそれを知ってんだ!」
顔を赤くする衣鳩を尻目に、本は歌うように語りだす。
「だって私は恋愛譚。恋する者のことならなんだってわかる。あなたの恋の成就のさせ方も」
本は回るのを止め、衣鳩の顔に急接近する。
「ねえ衣鳩ヒロマサ。私の可愛い可愛い主人公。私はあなたの恋を実らせにきた、恋のキューピットなのよ」