第十二話
祓は七堂に引きずられるように連れられて、昇降機で上へ向かっていた。
ガタガタと音をたてる昇降機は、驚くべきことにどうやら木製のからくりで動いているようだった。七堂はその昇降機の壁に手をつけて、何らかの能力を発動させて上昇の速度を早めていた。
酸素の薄い下層を脱出し、朦朧としていた頭がはっきりとしてくる。
「…七堂、もう大丈夫、立てるくらいにはなったみたい」
祓は真っ直ぐ自分の足で立ち、深呼吸した。
そして一拍置き、自分が何をしにきたかを思い出した。
「七堂!私、」
「わかっています。でも、少しだけ状況の整理と説明をしましょう。時間もありませんが、私たちがこれから何をすべきか、見極めるために」
そう祓を宥めると、七堂は確認するように質問した。
「祓様、お父様お母様がどんなお仕事をしていらっしゃったかご存知ですか?」
「…なんとなく。お姉ちゃんに聞いたのは、大切な本を守ってるとか…」
「そう、我々暦史書管理機構は、暦史書、又はコロンシリーズと呼ばれる書籍群を管理する組織です。世界中から探し出し、大衆の目から隠し、後世へ受け継いでいく。祓様のお父様お母様は、そういったお仕事をされていました。祓様もお読みになりましたね?」
祓はあの巨大な書庫で読んだ黒い本を思い出した。
「あれが暦史書…でも読んだけれど、なんだかおかしな、まるで超能力でも使ったみたいな描写があって、あれは本当に歴史を書いた書物なの?」
「暦史書、コロンシリーズに書かれていることは全て真実です」
言い切った七堂に、祓は驚きを隠せない。
「暦史書が示すとおり、そして私が今それを行使しているとおり、超能力は存在します。忌々しいことに、世界中に。機構が存在を隠蔽しなければならない三つの事象の内の一つです。もう一つは暦史書、そして最後の一つが『異端のモノ』たち」
「異端?」
「簡単に言うなら、『この世ならざるモノ』たちのことです。平安の人々はこれを怪異と呼びました。この脅威もまた、我々の対応すべき範囲内のものです。…伽藍様に託されたお守りは持っていますか?」
祓は慌てでポケットの中のお守りの感触を確かめ、安堵した。
「ちゃんと持ってる…私はこのお守りをお姉ちゃんに渡すために、ここまで来たんだ」
七堂は祓の決意に満ちた宣言に反応せず、説明を続ける。
「そのお守りの中には、刀の鍔が入っています。とある異端の刀の封印の、要となるパーツ。それを今、伽藍様は必要とされています。…封印の間へ向かいましょう、お姉様が待っています」
ふとそこで、祓は違和感を感じる。横目でちらと盗み見ると、七堂は微動だにせず前を向いて直立していた。
(こんなに淡白な人だったっけ…?)
ガコン、と昇降機が上昇を止めた。扉から出ると、そこが地上であるらしいことがわかった。祓が幼少期を過ごした、京都支局の大屋敷である。いやに静かで誰も居ない。外に面する廊下は、10月の外気に晒されて少し肌寒かった。
先導する七堂に付いていくと、静寂を破り、どこからか男が叫ぶのが聞こえた。
「ここです。ここに伽藍様がいます」
祓が息を整える暇もなく、七堂が両開きの戸を開け放った。そこにあったのは、異様な光景だった。
白装束の見覚えのある人たちが、虚ろな目をして大広間の壁に沿うように正座して並んでいる。その中央で、男が半泣きでうずくまっていた。
(あれは確か…京都支局副官…?)
男は震える声で語りだす。
「伽藍様…あなたが知っているかどうかはわからないが、前支局長、あなたの父親は、唐突に『八瀬童子を殲滅した』という報告書を出した」
男の向く左方向を確認すると、そこには確かに物部伽藍、祓の姉が座っていた。姉の姿を見た祓は飛び出していこうとするが、七堂が振り向きもせず腕で制止する。
男は感情を露わにして話す。
「私は理解できなかった。私は何度も理由を聞いたが、『裏切りがあった』の一点張り…あの時、彼の目は既に正気のそれではなかった」
祓は制止してきた七堂の腕を掴み抗議しようとその顔を見るが、そこで固まってしまう。彼女の目が、まるでガラス玉のように虚ろだったからだ。
「程なくして童子どもが討ち入りにやってきた…前支局長が亡くなられ、そしてあなたが支局長となった!」
祓がギョッとして身を引くと、七堂の腕の向こう、大広間の右側にライダースジャケットの男とMA-1の女が居るのが見えた。そしてもう一人。
(衣鳩君…!?)
「支局内でも評判の高いあなたが就任した時、私はようやく、近年の騒乱で衰退しつつあった京都支局を立て直せると思ったんだ。東京支局に次々に重要書籍群が移管されていく状況で、あなたがしていたことと言えば、私を除く重要ポストの人間を引き連れてこの大広間に引き籠ることだけだった!」
自分の呼吸が耳につく。祓はお守りを胸の前で握りしめた。訳のわからない状況に、足元が傾くような感覚を覚える。
「だから私は自分で動いたのだ。あなたの権限を使い、海外から東京支局へ移管される異端書を京都支局への移管に変更し、エトセトラを偽って童子どもの生き残りに奪わせた。そして大阪班から傭兵を雇い異端書の奪い合いをさせ、童子どもの戦力を削り隙を見て潰してしまうつもりだった」
ライダースジャケットの男が苛立たしげに言う。
「なるほどな。俺と八瀬童子、どっちが異端書をゲットしてもあのクソ野郎に渡るようになってた訳だ」
「エトセトラから異端書を奪還したとなれば、京都支局の権威も復活するだろう…そう思っていたが、結局それも私の一人相撲に終わった…」
啜り泣く男は、顔を上げて再度叫んだ。
「伽藍様!!ここであなたが何をしていたのかは知らないが、あなたには京都支局を背負う義務がある!!私のことはどう処分してもらっても構わない、殺してくれたって良い、だが京都支局だけは!!京都支局だけは、死んでも守ってくれなければ困る!!」
「殺してくれたって良い、などと言うものではない」
いつの間にか、広間の端に居たはずの伽藍が副官の前に立っていた。
「悲劇の味が鈍るからな」
副官の背から貫通した長大な刃が、血の光沢を身に纏わせていた。伽藍の目には青く冷たい光が満ち、その青は妹とよく似た黒髪にまで顕れ始めている。
祓は目の前で起きた衝撃的な事態にへたり込んで動けなくなってしまった。
耳鳴りのような音が聞こえる。どうやらその音は、伽藍が副官を刺した大太刀から聞こえているようだった。
伽藍が副官の耳元で囁く。
「物部伽藍がこの部屋で何をしていたか教えてやろう」
七堂はへたり込んだ祓の方を見ることなく言う。
「伽藍様はここで非常に凶悪な異端の封印をされていました。しかし…」
伽藍は大太刀を引き抜きながら、その口に笑みを浮かべて告げる。
「この刀、つまりこの私の封印を行っていたんだ。…失敗したがね」
七堂は何かに抗うように首を回し、声を絞り出す。
「現在、暦史書管理機構京都支局は異端『愛絶』の支配下にあります。私も含め、自分の行動、発する言葉すら縛られた状態にあります。本当はあなたをここへ連れて来たくはなかった…私はあなたに逃げてと言うことすら出来ない…!」
七堂の目に一瞬だけ光が戻る。七堂の意図を理解した祓は、力の抜けた足に喝を入れ立ち上がり、とりあえず距離をとるために駆け出した。一度だけ振り返ると、七堂が自分を目だけで見送っているのがわかった。
祓は走りながら考えを整理しようとする。
(京都支局の人たちは皆ダメだ…何処かに助けを求める?何処に?そういえばあの知らない人たちは無事?衣鳩君が居たように見えたけど…たぶん見間違い、あんな所にいるはずがない!)
祓は姉の言葉を思い出す。『私が無事でなければ…』という台詞が脳裏をよぎり、祓は首を振った。
(お姉ちゃんが私にこのお守りを託してくれたのは、私を信頼しているからだ!だったら私のやるべきことは変わらない…このお守りを、お姉ちゃんに渡すんだ!!)