新たな同居人
引き続き、虫嫌いな方はご注意ください。
キョーカは別段虫嫌いというわけではない。
もちろん、刺したり不潔であったりして人間生活に害を及ぼすものに容赦はしないが、見た目の悪さだけで差別したりはしないのである。(キョーカがどうしても好きになれない見た目の虫はナメクジだけである。頼むから私の前では殻を背負ってくれ、と願うほどに)
彼女は特に益虫と呼ばれるものには寛容であった。
ある日、ごくありふれた普通の女子大生キョーカの目の前をそれはそれは小さき生き物がピョコピョコと横切って行きました。
茶色っぽくて、ふさふさした毛があり、大きな眼と八本の脚を持つ。それすなわち…
「ハエトリグモ…?」
そう、ハエトリグモである。
キョーカはしばらく彼を目で追っていたが、すぐに視線を逸らした。
ハエトリグモはその名の通りハエを捕食するありがたい存在である。巣を作らないタイプであるので、家が蜘蛛の巣屋敷になって困るということもない。彼はキョーカに益虫と判断されたため、全力で見逃されたのだ。
こうして、一人と一匹の奇妙な共同生活が始まったのだった。
それから、キョーカは幾度となく彼と遭遇することとなる。
ある時は机の上を横切り、ある時はリモコンの下から顔を出し、またある時は床を歩いていて危うく掃除機の餌食になるところだった。
何度もキョーカの前に現れるハエトリグモ。次第に、彼女は彼に愛着を抱くようになっていった。
「やあ、チャーリー。今日も元気だね」
壁掛けのコートの裏に潜んでいた彼に、キョーカはそう声をかけた。彼女は何度目かの遭遇の後、彼に名前を付けていたのである。
ハエトリグモに名前を付け、会うたびに挨拶し、挙げ句の果てには手に乗せて可愛がる。はたから見たら狂気の沙汰。学友に知られたらドン引きものである。しかしキョーカはこの小さき同居人をいたく気に入っていた。小さくて毛がふさふさしたものはたいてい可愛いというのがキョーカの自論である。犬猫しかり、ハエトリグモしかり。
しかし、そんな幸せな生活も長くは続かなかった。
チャーリーが姿を見せなくなってしまったのである。
丸3日、一週間、一ヶ月……
もう、彼と会うことはないのかもしれない。キョーカが諦めかけたその時であった。
目の端で、何かが動いた。
「チ、チャーリー⁉︎」
机の隅を飛び跳ねる小さき生き物。それは紛れもなく探し求めていた彼であった。
「よかった、帰ってきてくれたんだね‼︎」
この時見つけたハエトリグモが数ヶ月前に姿を消した彼と同一の個体であるという保証はどこにもないのだが、そんなに細かいことを気にしてはいけないのである。
「?」
キョーカは再び何かが飛び跳ねたのに気づいた。よく見るとそこにはチャーリーの他にもう一匹、彼より一回り大きく黒っぽいハエトリグモがいた。
キョーカは、お仲間を連れてきてくれたのかと勝手に納得する。
「よし、じゃあ君は…」
命名、エリザベス。
彼女は新入りのハエトリグモにそう名付け、我が家の同居人として受け入れた。
これは、彼女と彼らの出会いと別れの物語である。