深海魚の部屋
中盤差しかかってるんじゃ無いでしょうか。
新キャラちょいちょい出して行こうかな。
早く真相にいきたいです。
少々r15
セイレンと優が少しずつ仲良くなっていきます。
そういえば。
優はふと祖父の事を思い出した。祖父は田舎町に住んでいて頻度は少ないが会える日をいつも楽しみにしていた。祖父も良くしてくれて、海によく連れてってくれていたっけ。魚が大好きな人だった。昔はよくダイビングをしていたと言う。今はそんな体力は無くて悔しいなぁと言っていたのを覚えている。
そんな祖父が感極まって語る話が1つあるのだ。
何の生き物かは忘れてしまった。イルカだったか鮫だったか、はたまた鯨だったか。泳いでいる途中で何かしらの生き物に遭遇したらしい。物凄く雄大な生き物だったんだって。背中に乗って泳いだり、一緒に潜ったりしたらしい。しばらくずっと一緒にいたみたいで、その生き物も祖父を気に入ってて島付近で毎日祖父が来るまで必ずうろうろしていた。祖父は友達が出来たと大喜びで話していたのだ。毎日、毎日、遊んでいたと。
「一緒にいるうちに言葉がなんとなくわかるんだよ。お腹に子を宿してるんだと。男の子みたいだ。良かったなぁ。親は子を守るのが使命だからなぁ。」
今となっては老いぼれの妄言だろうと思うのだが、その話は小さい頃は冒険譚みたいでワクワクしたものだ。
昔祖父は沖縄の孤島の中でも最南端の孤島に住んでいた。と言うよりもその頃ダイビングにハマって有名な場所を転々として暮らしていたらしい。子どもながらに馬鹿だなぁと思った。しかし、そういった自由奔放な馬鹿さが小さい頃は羨ましかった。
大事なものが一つでもあれば人間は大丈夫。
祖父の口癖だ。祖父の趣味は本当に胸を張って語れるもの。自分にはまだそんな物も人も存在しなくて、祖父のように大事だと思えるものが欲しかった。自分を形成する何かが欲しかった。
「大事なもの…か。」
優は全身が鉛になるように重くなるのをドッと感じた。進んでいくと突然目の前にガタッと看板が落ちてきて、反射的に避けたが、当たっていたら致命傷だ。これまでに怪我をした部分がチリチリと痛む。
「………え?」
『深海魚』そう書かれていた。
「電球が今にも切れそうだし、暗いし、不気味だな。」
優は辺りを見渡した。廊下を突き抜けたそこは扉になっていて更に開くとひらけた部屋になっているのだ。今までより重々しい雰囲気の気味の悪い部屋だった。水槽は細々と設置されており、壁際に沿って様々な種類の深海魚が展示されている。優は一人で恐る恐る歩く。バールを片手に持って。
「セイレンはずっと一人で怖くなかったのかな。私だったら死にたくなるな…ここに1年…か…。」
先程からセイレンが隣にいたことにより、守られているという安心感から、とりあえず大丈夫。と信じていた筈だったのだが、そんな事は無く、もうすでに死ぬのでは無いかそんな不安ばかりが付き纏う。それでも自分が道を切り開かなくては行けないのだ。今度は自分がセイレンの支えにならなくては一緒に行動する資格が無い。ふっと一呼吸置いて、ハダカイワシやホウライエソが展示されている横を歩いていく。あの個水槽にいたバラハナダイもいた。後ろにギロリと突き刺さるような視線を感じた。その視線があまりに痛くてすぐさま振り返る。あまり気に止めなかったが、セイレンが途中で言っていた言葉を思い出した。
『タコよりもっと厄介なものに俺らは目をつけられている。』
その言葉と同時に先程直視できないほどの酷い目に遭った男子高校生の姿を思い出した。血塗れで虚無を感じさせ、涙の跡が痛いほど残り、跡形も無い…、とそこまで考えたところで蹲るほどの吐き気を催した。
「ゔぇおっおぅおっえぇえ」
吐いてしまった。ずっと何も食べてないため、胃液しか出なかったが。そういえばここに来てから何も食べていない。お腹が空かないのだろうか。優のリュックの中にはビスケットやグミが詰め込まれていた。後で食べよう。少しは息抜きになるだろう。と気を確かによろりと立ち上がる。
厄介な敵…あの、ハギナとかいう女の人みたいなものだろうか。
「わぁ、可愛い女の子がいる。どうしたの?こんな所に。」
せっかく立ち上がった身体は反射的にバビュンと効果音でも立つように音のような速さで壁際の水槽まで遠ざかる。水槽にごつんと大きくぶつかって鈍い音を立てていった。嫌なことを考えてしまった後の出来事の為、優は完全に疑いの目を見せて身震いしながら凝視する。相手は歳の若い、セイレンより少し年下と思われるほどの爽やかな男の人…と思いきや、瞳の左半分は黒く丸いまなこになっておりとても人間のものとは思えなかった。髪も左半分は少し緩くウェーブした黒髪と思いきや右半分はぶつぶつと斑点のような模様があって、灰色になっていた。そして極め付けは腕の部分に腕じゃないもの、エイのようなカーブを描いた大きなヒレが付いているのだ。よく見れば長い尾も付いていた。
ハギナ…ともしかして同じような人物では無いのか…?
「あはは、ごめんねぇ、驚かせちゃったー?君に危害を加える気は無いんだよ。やぁ初めまして僕は飛川。こんなとこで出逢うなんてひょっとして運命かもしれないね。」
「……人間?」
「そ、君と同じ人間。の、つもりだけどね。」
「つもりって事は…セイレンが言っていた…自我を失いつつあるって事…ですか?いずれはハギナ…みたいに?」
優は考察をするかのように聞こえないくぐもった声でボソボソと呟いたがどうやら聞こえていたらしい。
「ねーえ、セイレンに教えてもらったの?って事は彼ともう知り合いなんだ?」
「セイレンの事を知っているの!?」
「まぁね、あいつ暗いでしょ。」
「お願い!!セイレンを…助けて下さい!!」
「…へぇ?」
「セイレン…今別のとこにいるんですが、動けなくなっちゃって、多分貴方なら同じ半魚化した身体なのだから分かりますよね?セイレンの身体はもうヒトじゃないんですか?」
「…いいよ。助けてあげても。」
「本当に!?」
「うん。セイレンがなんで動けなくなってるか多分理由分かるし。取り敢えず進んで使えそうなの探そっか。」
そう言って飛川はカンテラを左ヒレに持って歩き出した。照らされて先程よりも視野が広く見える。優もついていこうと水槽から離れると、突然バリンという音とともに鋭い刃が優を捕らえていた。すぐさま逃げたが、どうやら右腕に刃が掠ってしまったようで血が流れた。地面が優の血を吸い上げていく。優の瞳は闘志に彩られた。先程の恐怖の色彩とは違って。
「すぅー…ふぅ…フー…。」
一呼吸おいて、直ぐに目の前の魚に向かっていく。ノコギリのような鼻を持った魚も次にどうやって優を仕留めるか胸を高鳴らせていたが、ノコギリの刃が優を突く事はなく、優は素早く避けてバールを思い切り相手の頭部にぶつけた。反動で手がひりひりと電流でも通ったかのように震える。しかし、手放さずにしっかりと握りしめて様子を見守った。その魚は目を開いたままぶくぶくと泡を出している。どうやら気を失ったらしく、その場で倒れる。地面へガシャと音が響いた。
「あ」
バールが真ん中で折れて落下した音だった。こうなってしまってはあまり使えないだろう。
「へぇ。凄い。肝が座っているね。感動した。ここまで来て生きているだけのことはあるね。まぁまだまだ奥は続いているんだけどね。」
いつの間に優の元へと踵を返したのか飛川は嬉々として優の様子を眺めていた。この一部始終見守っていたらしい。
「…はは…笑えない…。」
「大半の人間は最初らへんのホホジロザメのとこで死ぬんだって聞いたよ。でも、このノコギリエイも倒してるの凄いじゃん。」
「飛川さん、そのノコギリエイ、口から何か…なんだろう…吐き出しました。これは…鍵?」
優は唾液に塗れている鍵を拾い上げた。掌くらいある、割と大きな鍵だった。
「ねぇ、優ちゃん。見てよ。ここ1枚だけ床が剥がれているの。捲れるみたい。おっもしろーいギミック。」
飛川は優から数歩離れたタイルへとしゃがみ込んで色褪せている一枚のタイルを剥がそうとした。
「はぁ。」
「何かあるのかな…あ、ボタンがあった。」
外すと点灯した青色のボタンがあり、飛川が押すと点灯をやめてしまった。
「何にもなんねーじゃん。つまんなー。」
「…。取り敢えず…他にもこの部屋のこと…あれ?飛川さん。後ろ、照らしてください。」
「ん?…おお。こんなんあったんだ。」
飛川が優の指し示す方向にカンテラをかざすとリュウグウノツカイの絵画がそこには飾られていた。長い身体で存在感を表していた。暗い深海の中で輝いている。
「すご…。」
優が見惚れていると、飛川は不機嫌そうに喋る。
「ねぇ、他にもなんかあるみたいよ。こんなの見てないでもっと可愛いの見よ?イルカとかさークリオネとか。」
「…。」
飛川の調子に呆れつつもそれから少しばかりこの深海魚の部屋の探索をしていると、優はある水槽に目をやった。他は普通の水槽なのだが、この水槽だけ上下にボタンが設置されていた。試しに押してみると、1、2と数が変動していく。
「これ、何を指しているんだろう…上と下の数…?魚の数とか?ここにいる深海の上の方下の方にいる魚と分けるとか…?でもそんなこと分かるわけない。……。」
「ゆーちゃん〜僕暇なんだけど。」
「いや、手伝って下さいよ!」
優は眉間にしわを寄せながら、リュウグウノツカイの絵画の方へと戻ってみる。ここに何かヒントが描かれているような気がするのだ。と言っても圧倒的な絵が描かれているだけなのだが。暫く眺めているとある事に気が付いた。
「数…上下…顔の上の髭が6本…下の髭が2本…?あぁ!!!」
まさにすぐ気付くべき簡単な謎解きだった。リュウグウノツカイの髭の数が入れる数字の答えになっている。早速ボタンのついた水槽へ戻る。
「6…と2…。よし!」
入力した途端
ガガと引きずるような大きな音が鳴った。
「ええ!??水槽が…」
その大きな音は目の前に設置された水槽が一人でに動いた音だった。奥にまた違うエリアがあるようだった。
「あっはっは。新しい部屋だ〜。優ちゃん。入ってみようよ?」
優は無言で頷いて、その開いた水槽の部屋へと入っていく。深海魚がその様子を殺気走る目でじっと見つめていた。
「ふふ、優ちゃん中々面白そうな部屋じゃ無い?ごちゃごちゃしてて玩具箱みたい。」
その部屋は整理用の箱が敷き詰められていた。所謂倉庫みたいなとこだろう。部屋の中はそんなに広くは無いのだが、物が多い分探すのが大変億劫だ。そもそも何があればセイレンを助けられるのかもよく分かっていない。優が気になったのは部屋の隅にある左端の点灯した青色のライトが気になった。チカチカとして目が痛くなる。隣には同じ形の明かりの灯っていない電球がある。
「さっき飛川さんが押したボタンがここに繋がるって考えると、他の色のボタンをまた探せばいいのかな。」
優は箱を探っていく。大体は空段ボール箱や、よく分からない機械の部品、魚のご飯などあまり関係ない物が多そうだったが3つ鍵の付いた箱があった。1つ目の可愛らしい装飾が施された箱は6つのボタンが縦2列横3列あり、押せば大きくなったり小さくなったりとサイズが変わった。規則的に大小揃えていくものらしい、2つ目大きい黒い箱は4つのボタンが一列にあって上右下左の4方向に向きを変える事が出来た。3つ目のアンティーク調の箱は鍵になっていた。ノコギリエイから出てきた鍵を試しにはめてみようとしたが、サイズが合っていないようだった。
「あ!この大小って!」
優は急いでこの倉庫部屋から出て行った。深海魚コーナーも出て行き、セイレンのいる場所へ向かっていく。長い廊下の中央壁際にはセイレンが倒れていて、そして奥と手前、真ん中には6つの像が飾られている。シャチの像だ。
「セイレン!大丈夫…?」
優は真っ先にセイレンに声を掛ける。
「…あ…?」
セイレンは気怠げな低い声で答えた。まだ身体は疲れ切っているようで、頬の鱗も濃く、汗もとめどなく流れている。
「セイレ…!」
優は安堵してセイレンの手袋越しの手を握る。セイレンの手はそれでも凄く冷たかった。まるで魚の様だ。優は一瞬ゾッとしてしまった。しかしすぐにセイレンが話しかけたので気にすることはなかった。
「おま…え、今、どいつといる?」
「え?若い男の人だよ。双曲っぽい腕の…陽気な、セイレンより少し若い、かな?」
「くっそ…が…おい。俺も行く。」
「はぁ!?まだ辛そうだよ!休んでて大丈夫だよ!!?」
「いい。というか、俺の体調の優れない理由は俺が一番よく分かっている。…そいつを頼る必要はねぇ。さっき充分休んだ。大丈夫だ。」
それでもまだフラフラとセイレンはおぼつかない足で歩いている。
「ねぇ、やっぱ…。」
「あの像か。シャチの。全部サイズが違うな
俺の一番近くにあったシャチは真ん中で大きくて王冠を被っていた。それを上に見立てるのならば、上が小大大、下が大小大になっていた。」
「流石じゃん…!!丁度調べようと思っていたんだよ!」
優はセイレンの身体を支えながら共に先程の箱の部屋へと戻っていった。
「なるほどな。謎を解いたらあの水槽が開いて部屋が出てきた。…ところでその男は何処へ行った。」
「あれ!?本当だ。どこ行ったんだろう…。」
箱の部屋の中にも深海魚の水槽の部屋の中にも飛川の姿は見当たらなかった。ここはほぼ一方通行になっていてはぐれることは無いと思うが、ここにいるのは深海魚達と優とセイレンだけだった。セイレンは隣ではぁと溜息をついた。
「まぁ、いないなら好都合だ。」
「そうもいかないよ!あの人も元は人間な筈だよ!一緒に行った方が私達も助け合えて助かる可能性は高いんじゃない?仲間は多い方が…!」
「仲間…あぁ、そうか。そもそも貴様は勘違いしてたんだな。だから、必死に助けるわけだ。甘いな。気持ち悪りぃ。貴様はただの鍵なだけで仲間になったつもりはない。俺は自分の目的の為に貴様と手を組んでいるだけだ。利用しているだけだということを忘れるな。」
セイレンはそれだけ吐き捨てて、装飾された箱の前にしゃがんでボタンを揃えていった。小大大、大小大にボタンを合わせていく。見事カチリという音と共にその箱は開いて、中には点灯した赤いボタンが入っていた。セイレンはそのボタンを無言で押す。すると、そのボタンは点灯をやめ。部屋の隅の青のライトと赤のライトがカチカチと音を立ててより一層光を増して、ガガガとそのライトの乗っていた床が沈んでいった。
「お、…覚えてるよ。けど…。」
優は俯きながら、唇を震わせた。
「別に仲間でいいじゃん。私はもうセイレンが大事なんだから…!」
拳をぎゅうと握りしめて、ゆっくりと顔をあげる。セイレンは此方を向いていた。きょとんとした様子で優を見ていた。いつも首回りのコートの布地で隠れている口が珍しく垣間見えて、半開きになっている。優は立っていたため見下ろす形になってセイレンと目を合わせた。
「大事とは何だ。」
「は…?」
「貴様といる事は俺にとってメリットがある。俺といる事は貴様にとってメリットがある。それだけの関係だろうが。それだけぇ…。」
「それだけだったよ。最初は。でも、セイレンだって私を必死に助けてくれた。私はセイレンの事もっと知りたいって思ったし
、もっと一緒にいたいって思ったんだよ。だから、あー上手くいえないけどさぁ!あの、そんだけの関係だなんて言わないでほしい。」
「そんだけの関係だろうが。俺らは。なんで、そうやって。貴様はいつもいつも、空回りばかり。」
セイレンはだんだんと苛つきを顔に表していた。だって眉は潜めて冷たく氷のような透き通った瞳は少し焼かれたように濁っていたから。
珍しかった。
いつも冷静沈着で何事にも興味がなさそうなセイレンを怒らせてしまったようだ。しかし、疲れているセイレンはこれ以上言い争う気は無いと、ふらりとしながら歩いていった。
ライトのあった床の沈んだ先は更に底の部屋がある様だった。なるほど地下の隠し部屋ということか。そもそもここの水族館自体が先程からずっと降っているし窓も一つも無いのだから地下の可能性が充分に高い。まぁ、今はそれは差し当たって問題では無い。問題はこの下の部屋に行く方法が無いのだ。高さが割とあるのでそのまま降るのは抵抗がある。最悪そのまま降りれば骨が折れるかもしれない。沈んだ範囲が広いので下の様子は見えるのは救いだ。
「ロープとかハシゴとかあればいいんだけどなぁ。」
「使えそうなやつ探してみるか。他にも空いてねぇ箱あるだろ。あれはどうだ。」
セイレンはそう言って黒い大きな箱にくいと目を向けた。矢印の書かれたボタンが1列に4つ付いており、カーソルを回せば向きが決められるやつだ。
「向きを揃えるらしいんだけど…分からないや。うーーん?4つ?」
「そういえば、先程の部屋に違う向きの魚がいたな…。そいつらを確認してみるか。」
「お!おぉっ!私が見てくるよ!セイレンは休んでいてよ!」
優は大急ぎで深海魚の水槽を確認しに行った。いくつかある水槽の中で、気になったのがずっと向きを変えずにぷかぷかと不自然に泳いでいる魚がいたことだ。気味の悪い魚だ。と思った。黒くて目が死んでいるようで牙が鋭くていかにも深海に潜んで弱者を貪り食うような見た目だ。水槽の横にある説明書にはホウライエソと書かれていた。そのホウライエソは一列で浮かんでおり、上下右右の向きを向いていたのだ。これで先程の箱の謎は解けたと優は踵を返し箱の部屋へ向かおうとしたが、足で何かを蹴ってしまっていた。慌てて確認すると、そこにあったのは飛川が持っていたはずのカンテラだった。優は目をまん丸にしてカンテラを見つめる。なるほど、これがあったから明るくてこの謎を解く時にスムーズに解けていたのか。
「飛川さんの…どうして。」
直後真後ろでパリンと音がしてホウライエソが仇を見るような目で優を見つめて今にも食ってかかろうとしていたので、優はセイレンの待つ部屋へと急いだ。
「上下右右…これでいいか?」
「うん!それで開くと思う…!」
「…本当に大丈夫か。」
「いや、どうゆうこと。ねぇどうゆうこと。」
セイレンは優に向かって怪訝な表情をしながらボタンのカーソルを回した。上、下、右右…とボタンを揃えていくとガチャリと開くような音がした。優が箱を開いてみると、中には折り畳まれた梯子が入っていた。優はセイレンと顔を見合わせた。
「ナイスじゃん!!やったあ!」
優が手を上げて喜びそのままハイタッチしようとセイレンに手を伸ばしたが、流石の反射速度でひらりとかわされてしまった。セイレンは梯子を掴んで、沈んで穴あきになった床へと持っていく。
「寝ぼけてねぇでさっさと下へ進むぞ。はよ準備しろ。」
「酷い!」
優は文句を呟きながらもしっかりとセイレンを追いかけていく。
梯子を立てかけ、しっかりと上の方を重しをつけて固定する。このままゆっくり降りていけば、よく分からないパイプやらコードが散りばめられている。水槽の裏側にある機材か何かなのだろうか。優の身長くらいの大きなゴツゴツとした機材も置かれていた。先程の倉庫部屋よりもさらに部屋は小さくて少し息苦しさを感じた。端には水の入った水槽がずらりと置かれている。
「なんだこれ…。なんというか…こんなとこに何が…。」
「おい。壁に鍵穴があるから、鍵を探せ。割とデケェ鍵穴だ。」
優が絶句しているとセイレンは他の機材を退かして、その壁に取り付けられた鍵穴を見つける。掌サイズくらいの大きな鍵穴だった。鍵穴の周りには四角形の線が入っている。おそらくこの中に何かがあるのだろうか。
「…ねぇ。これ。」
優は自分のリュックの中から掌サイズの鍵を取り出した。ノコギリエイが飲み込んで、そこから出てきたものだ。おそらくこの鍵を使うのだろう。優はその鍵を差し込んでみるとみるみるうちに吸い込まれていった。
「…!!吸い込まれた…!」
「使い捨ての鍵じゃねぇか。」
「あ、中に鍵あるよ。アンティーク風の箱これで開くんじゃない?」
鍵は吸い込まれると、鍵穴を含んだ四角形がカチャンと取り外された。中にはアンティーク調で古めかしい鍵が入っていた。優は鍵を取って、上に戻ろうとすると何やらセイレンが端にある水槽の水をひっくり返して身体からそのまま被っていった。
「セイレンさん!?!ちょ、ちょ、何やって…ええ!?」
「うるせぇ。」
セイレンは水槽の水を被った後に、空の水槽をどかして、また別の水の入った水槽に顔を入れた。飲んでいるのだ。塩水を。優は口を手で押さえその様子をただじぃっと眺めていた。奇妙な光景だ。美青年が奇行に走ったのか。優の目線からはそう見えた。すると先程息を切らして汗を垂らして体調の優れなそうな姿から一変していつもの鉄仮面の顔で作り物のような姿でそこに佇んでいる。
その優の唖然とした目線からセイレンは何を考えていたか汲み取ったようでため息を吐いた。
「……俺は、ほぼ魚の様な状態だから、海水に浸ってねぇと、その成分が切れると動けなくなる。魚っていうよりも河童みてぇなもんだろうが…。さっきの深海魚部屋でも水槽から漏れた海水あったからそれでもよかったが、…その貴様と一緒にいた男が気になって急いでたからな。別に被害がねぇならいいか。」
「ははぁ…なるほど…。多分その漏れてた部分はノコギリエイが破ったとこかな…。セイレンは私の事心配してくれたんだね。ありがとう。絶対人間に戻ろうね。大丈夫。私がなんとかする。」
「当然だ。鯨を引き寄せる力が貴様にあるんだから。」
「ねぇ、セイレンは私を食べないよね?」
「は?」
「ハギナ…さんのあの目が…怖かった。セイレンもいずれああなるかもって思っちゃって…今こんな事考えるのは可笑しいし考えたくないんだけど…セイレンはあんな風にならないでよ。絶対変わらないで。じゃないともうこんなとこで生き抜ける自信が無いんだよ。」
優は拳をきつく握りしめた。この部屋は上の倉庫部屋から電気が漏れてるくらいで、目を凝らさないと何があるかよく見えない。セイレンの位置から優の表情はよく見えなかった。よく見えないし何を考えているか分からないものだった。
「…食わねぇわ。人間になること、ここに出る事だけを考えてる。魚になって長居する気はねぇ。」
「よかっ…!!」
「つぅかフラグ立てんじゃねぇ。胸糞悪りぃ。」
「はあ!?なんてこと………!!?」
優が言葉を言い終える前に、莫大な音とともに床が揺れて、壁が部屋を覆うように動いている。水槽がガタガタと音を立てて崩れ落ち、ガラスの破片が飛び散った。機材は押しつぶされて、原型が壊れかけていた。左右の壁が同時に迫っているのだ。瞬時に理解した。左右の壁に押しつぶされるという古典的なギミックだ。
「は!?ちょ、どうすれば」
「死にてぇのか!さっさと梯子登れ。上行くぞ。」
「お、おう!」
セイレンは声を荒げて優の腕を掴んだ。セイレンの後ろを優はついていき、梯子を踏み外したりして動揺しながらも急いで元の倉庫部屋へと梯子を登っていく。全力で登り終えた頃、下を覗くと、その部屋はもう存在しなかった。唯の床になっていた。恐る恐る優はセイレンの顔を覗き込んだ。セイレンはここに来てからずっと不機嫌を顔に表している。
「笑えないわ…これは。私達完全に殺す気じゃんこの水族館。」
「あいつらはそうゆうつもりだろうが。」
セイレンは立ち上がり、ぱっぱ汚れた黒いコートの裾を払う。優は顔を顰めて、アンティーク調の箱のところへと向かった。跪いて先程見つけた鍵を使って開けると中にはこれまた違う鍵が入っていた。てっぺんにはイルカの装飾がされている。
「イルカの装飾、鍵、ここからは行き止まり
かな…ねぇ。どうする?そういえばセイレンお腹空いてない?さっき死にそうになっておいてなんだけどさ、ビスケットとかポテチ持ってるの。」
優が背中のリュックを半分開けてお菓子を取り出そうとする。帰ってきた返事は冷たかったが。
「ビス…?そんな事よりとっとと鯨を見つけるのが先だ。早く離れてぇ。貴様といると苛々する。」
「は…はぁあ!?!?確かに私はトロいけどこっちは心配してるし、セイレンの為を思って動いたりしたしさぁ!もっと…」
「そうじゃねぇ。苛々っつうか…。お前が、危ねぇ時とか……呼吸が出来なくなる?気持ち悪くなる?苛々する。」
「…?いや、呼吸はして。なんで疑問。」
要は自分が危なっかしいから見てて腹が立つということかと優は落胆する。
セイレンはしっかりしているようで、偶に言動が浮世離れしているのだ。そもそも彫刻のように線の細くまるで神話の神様のような見た目で浮世…とは程遠いのだが。
「…取り敢えず、俺が体調乱したのは悪かった。今後お前から離れないよう全力を尽くす。」
「……それ絶対他の女の子に言うなよ…。」
セイレンの言葉に恥ずかしくも男に耐性の無い故にストンと矢が心臓に刺さった。こんな綺麗な顔の青年からそんなストレートな言葉など口説き文句にしか聞こえなかった。嬉しいようなこっぱずかしいような。顔が火が出るように赤くなるが、セイレンの事だ。浮世離れした言動、律儀な性格からそんな言葉が出てくるのだろう。
「そんなことより、この鍵見たことないか。多分ここの深海魚部屋の隣だと思うが。」
セイレンが鍵をまじまじと見つめながら言うと、優はサァと青ざめた。何故なら何となく、気付いていて、分かっていたからだ。次のルートについて。あの、ハギナと邂逅した
「ハギナさんの部屋に戻るの!?無理無理無理!!セイレン捕まりそうだったじゃん!無理だって!逃げられる自信ないよ!」
「じゃあここに一生いろ。どうせ出ねぇと行けないだろうが。」
「いや…それは、…すみません。」
「幸いな事に、すぐ隣に行けば扉だ。ハギナに見つからなければ、何一つ難しいことは無いだろう。」
「逆にハギナがそこにいれば無理ゲーじゃ…。」
優は頭を下げて何もかもを諦めたようにとぼとぼとセイレンの後ろを歩いていく。倉庫部屋から出て、深海魚部屋に差し掛かった時ににセイレンは優の方を振り返った。館内はゴポというあぶく音の他、ほぼ静寂に包まれていた。少し肌寒い館内には、カンテラの怪しい光がゆらゆらと揺れて照らしている。
「ん?何よ。セイレン。人の顔を見て。」
「…いや。うるせぇと思えば急に潮らしくなるし、謙虚だと思えば失礼な奴だし、ころころ変わって…忙しいな。」
「…変人ってことなら聞き飽きたよ。よく言われるし……あーー!この話終わり!!行こ行こ。大丈夫!覚悟は出来てるよ。私もいるしセイレンもいるし。」
優はずんずんとセイレンの腕を引っ張って進んでいく。セイレンの腕から鈴のような音がチリンと鳴った。心を浄化させてくれるような心地の良い音色だ。深海魚の部屋を抜けて、セイレンの休憩していた像のある廊下へと戻っていく。そして、目の前のドアへと辿り着いた。ここを開けると隣にもう一つドアがあるのだ。しかし、あの暴食の化け物、ハギナもいれば、甲殻類の生き物が襲ってくることも証明している。想像するだけでも気持ち悪くなって吐き気を催してしまう。どうしてこんな思いをしなくてはいけないのか。逆に何一つとして怖がってないセイレンの神経を疑ってしまうほどだ。そこが安定剤になっていたりもするのだが。
「せめて武器が欲しい…。」
「あのバールはどうした。」
「ぼろぼろになって捨てた。」
「まぁ、あいつの姿自体がナンヨウハギみてぇなもんだし、毒さえ気を付ければ対抗する術はある。」
不安を胸いっぱいに抱き、鍵を開けて扉を開いたら
開けた目の前に青色と黄色のコントラストが目を引く人を模した女性が顔いっぱいに狂気の笑みを浮かばせて優の首元目掛けて触っただけで血が出てしまうと思わせるような鋭い牙で噛みつこうとしていた。
「きゃあっっっっ!!!??」
「鯨間優!糞が!」
セイレンは目の前にいるハギナにガンと沈ませるように蹴りを入れる。腹に見事にその蹴りはヒットして、そのままハギナは身体を覆うように蹲った。と思えば、そんな隙を見せたのはほんの一瞬でセイレンにすぐさま反撃してセイレンの脇腹の肉をえぐった。セイレンが痛みに蹲れば怯えた優に向かって上半身のヒレの何処にそんな力があるものか腕を鷲掴み自分の身に隠していたヒレにある針で刺す。
「がぁ…!!?ゔ…」
「テメェ!」
「ア…ハァ…血肉ガぁ…ホシイノぉ…欲しいカラ…チョおダイ…」
その勢いでハギナは優の首目掛けて噛みついたが、優が咄嗟に首を庇って左腕を突き出した。しかし深い部分まで牙が食い込んでしまったので、血の量は尋常じゃない。顔を歪ませて、腕が千切れるかのように湧き上がる痛みを我慢する。
優はもうこれで終わりだと目を瞑る。その直後、ザバァという大きな波打つ音とともに刺さった牙が抜かれ、ハギナの身体を離れていった。優は朦朧とする身体で誰かに引っ張られた。ごぼりという音と浮遊感を感じてゆらゆらと揺れて心地よい、先程の痛みなど忘れそうな程の幸福感が湧き上がっていた。水中の中で漂う海月のような、誰かに守られているよう感覚だ。ゆっくりと目を開いてみる。水面が見えた。また水位が上がったのだろうか。なんとも言えない安心感の中またゆっくりと眠るように目を閉じた。
どのくらい時が経ったのだろう。
目を開くて口元が赤く染まったセイレンが見下ろしていた。セイレンは優の視線に気付くや否や、ため息を吐く。
「はぁ…生きていたか。」
「セイレン…!無事だったの。」
「無事だったのはこっちのセリフだ。やっと目を覚ました…貴様何も覚えてないのか。」
「…?」
「ルカ…鯱が現れて、貴様をここに連れてきた。…当時のここの覇者だ。昔は一番強かった。今は雑魚そのものだが。」
「…え。」
吃驚して起き上がると、やけに気怠い身体に激痛が走る。しかし、そこを感じた部分は止血が施されていた。針の刺さった腕には丁寧に包帯が巻かれていた。消毒液の匂いがする。どうやら血はもう出てないみたいだ。
「ここは、俺らの入ろうとしたイルカの扉を入ってその通路の右側にある部屋だ。休憩室だ。」
優はそう言われてあたりを見回してみる。確かに、部屋中の消毒液の匂いや、消毒箱をセイレンが持っていたことからなんとなく理解出来た。水族館内の休息部屋なのだろう。ソファやら机やら、簡易ベッドやらカーテンやらまるで自分の学校の保健室でも見てるみたいだ。周りに細々と配置された水槽に目がいく。グッピーみたいな観賞用の魚がうようよいた。
ギシリと音が軋んだ。なんの音だろうかと下に目をやれば自分は折畳式の簡易的なベッドの上へと横たわっていた。セイレンが包帯を弄りながら傍に座っている。
「…一応解毒はしたが、あまり動かねぇ方がいい。」
「んん…。倦怠感がすごい。」
「あいつの毒が麻痺だからな。痛みはどうだ。」
「ちょっと動かすと痛いけど、動けるし、多分慣れるさ。ハギナは?どうしたの?」
「…噛み殺したつもりだが、畜撃していた。多分死んでねぇがかなり深傷を負わせたから何日か動けねぇはずだ。」
なるほど、口元のやつは血か。
セイレンの顔に飛び散った赤がぼたりと垂れた。
「セイレンの言う…シャチ…ってのは、私を助けてくれたの?喰うべき存在だろうのに。」
「あいつは、普段ここの一番奥の部屋にいつもいる…らしい。見たことないから分からねぇが。人間が好きなんだとよ。」
「…!そんな生物もここにいるんだ!皆襲ってくるわけじゃなくて。」
「ペンギンらもそういった系統だろうが。ハッ、気の弱ぇ奴らだから、自分を支配した奴らを恐れてるんじゃないか。」
「支配?ここは元々飼われてた海洋生物なの?自我が無くなるわけでは無いの?」
「…勘だ。詳しくは知らん。ところで、知らない存在なのにどうやってシャチを呼び出したのかが重要だ。その要領で鯨を呼ぶことは出来ないのか。」
優は自分の鼓動が少しずつ速くなるのを感じる。
「あ、あの…私実は鯨の呼び出しか…」
「鯨を呼ぶことで条件があるなら出来る範囲ならなんでもする。」
汗が滲んだ。布団をぎゅうと握って身体が発火したように熱くなる。自分の手汗がやけに気持ち悪かった。
ごめん。ごめん。本当に。ごめん。
調子に乗って嘘ついてごめんなさい。
鯨は見た、確かにいた。でも呼び出し方は分からない。そのうち来てくれると勝手に思っていた。でも来ないんだ。ただ私も鯨に閉じ込められただけの存在だったんだ。
今更言えない。あんなに期待してくれていたのに。
「…もっと奥に行けば鯨に会えるよ。声がするもの。汽笛のような音が。」
「奥までか…面倒だな。シャチのとこよりかは手前か。」
「と、とりあえず呼んでるからそっち向かえばいいよ。」
「そうかよ。」
「そんな事よりセイレンは…脇腹…大丈夫なの?」
「脇…?あぁ、少し齧られただけだ。もうほぼ治った。」
「えぐられてたよね!?」
「こんくらいの傷どうって事ない。」
セイレンはそう言うと座っていたベッドから立ち上がる。優も立ち上がろうとするが、よろめいて上手く立ち上がることが出来なかった。取り除けなかった毒が少し残っているのだろう。萎むかのように座り込んでしまう。
「はぁ、仕方ない奴だ。」
「…ごめん。ずっと迷惑掛けっぱなしで。先に調べてて…」
「ほら。早くしろ。」
セイレンは優の前にしゃがんで、それから後ろを向いた。手だけは裏返して優の方に向けている。自分のベッドの側についているカーテンが風も無いのに揺れるのを感じた。
「…は?」
「?早く乗れ。」
「おんぶ!?ちょ、ちょっ、まってよ。私、重いし。」
「持った時軽かっただろ。貴様がいなくなるのも不便だ。」
「…リュックとかもあるよ…?」
「構わねぇっつってんだろ!早くしろ!」
「は、ハイ!!」
優は恐る恐るとセイレンの肩に手を伸ばし、それからゆっくりと身体を預けた。セイレンの身体は冷水のようにヒヤリとして冷たい。ぞくりと背筋が凍った。足を引っ掛けて、身体は背負っているカーキのリュックに引っ張られそうになるので必死にセイレンにしがみつく。顔は感じた温度と裏腹に熱くなっていく。意外と髪がさらさらかと思いきや、癖があったり、綺麗な藍色だったりこんな近くで見れることがないのでまじまじと観察してしまう。人間に戻って、ここをもし一緒に出れたら会う事もないんだろうし、こんな事も忘れてしまうんだろうか。心臓の音が速度を上げていた。
セイレンはきっと覚えてくれやしないだろうなぁ。
休憩室を出て、セイレンがドアを開けて部屋を出ると左手には直ぐ近くにイルカの絵が描かれた扉がある。その向こうにはハギナが倒れているのだろうか。
セイレンは右側を迷わずに突き進んでいった。腕が揺れるたびにチリンチリンと音が鳴る。
「セイレンは、その腕のやつ何でつけてるの。」
「いきなりだな。」
「いいじゃん。同じ脱出同盟だよ。知りたいじゃん。」
「なんだ。脱出同盟って。雑だろ。」
「じゃあ、…人魚同盟とかどうよ。セイレンってセイレーンから来てんでしょ。あれって人魚じゃないの?ほら、スターボックスのさ。」
「あれはどっちかと言えば怪物だ。…勝手にしろ。これは、貰ったもので魔除けになるから付けてるだけだ。…まぁ、親の形見で大事なものだが。」
「…そっか。可愛いなぁって思ったの。あと綺麗な色で、セイレンがそこにいるんだって分かって安心するからさ。」
優はセイレンの肩に顔を乗せた。
ゆらゆらと揺さぶられる中で、廊下はそのまま進んでいく。角を曲がったところで大きな水槽に差し掛かった。壁がそうゆう柄かのように一面にアクリルガラスで覆われている大きな水槽だ。下はガラス張りになっていて足元にも海で見るような大きな魚がいくつか泳いでいた。タイとかスズキとかそんなありふれた魚だろうか。奥の方で平らになっているのはヒラメだとすぐに気づいた。横の水槽の中にはバンドウイルカが沢山いる。多分深海廻も中間まで差し掛かっているだろう。水槽では親子のイルカが寄り添って泳いでいる。たまに戯れあったり、側でふざけていたり。自分達の事を眼中に無いようだった。『人間に興味のない魚』だ。とても気持ちよく飛んでいて、水飛沫をひたすらに上げていた。あぁ、そうだな。萌子や母さん、父さん、大丈夫かな。向こうは私の事なんてどうでもいいって思ってるだろうけど。優はか細い声で語り出す。
「セイレンはさ、勘違いするなって言ってたけど…。」
「は?」
勘違いしてしまうよなあ。だってあんなに綺麗に止血をしてくれて、包帯を巻いて、おんぶをしてくれる。私の歩幅に合わせてくれている。セイレンの事を守りたいって思っているのに逆に貰ってばかりだ。でも嬉しかった。なんだかんだずっとセイレンのペースになってしまっている。
でも、「なんで優しくしてくれるの?」という質問に対してどうゆう返事が欲しいのか自分自身分からなかった。だから聞かないことにする。
「ううん。なんでもないや。それより、可愛いね。イルカ。自由に泳げて、綺麗で羨ましいや。」
「…羨ましいものか。こんな狭いところに閉じ込められてんだろ。本来こいつらはもっと広い世界へ行ける。希望がある筈だ。」
「この建物に?」
「そうだ。…俺らだって閉じ込められてるもんだが、人間を食らおうとするコイツらも一緒だ。」
キュウ、キュウ
イルカ達はようやくこちらに気づいたのか優達の姿を見て高く鳴き声を上げた。尾びれを振って楽しそうに、珍しそうにしている。
優はその様子をガラス越しにじっと眺めた。
「家族が一緒だから、辛くないんじゃないかな。このガラスの中なら海みたいに危険も無く、生き物にとっては平和なのだろうし。」
海は隔たりがない分様々な魚、哺乳類、人間、船、それらが共存している為、命の危険が伴う。海だって何処でも嫌いなわけじゃない。汚染されて赤くなっている海だって世の中には存在するのだが、水族館のアクリルガラスの中にいれば食べられる事も無いし仲間を失う事も無い。鑑賞されるのを我慢さえすればの話だが。どっちがいいのだろう。でもやっぱり自分だったらセイレンに言っておいてなんだが、自由な方がいい。鑑賞される、というのは周りと比べられる、周りに見下される事もある。そう考えると突然フラッシュバックした。脳裏に嫌な映像が流れ出す。セイレンの肩を掴む手を更に強めた。セイレンは気にしていないようだった。
「私はさ、小学校の先生になりたいなあってずっと思っていたんだ。教壇に立つ先生がかっこよくてさ、あんな風にみんなをまとめていけたらなぁって思っていたの。でもね、違った。先生だったらずっと小学生の想いでいられるって無意識に思ったの。今なんて何も持ってなくて、ずっと変わりませんようにって事しか思っていない。小さい頃とずっと一緒がよくて、でも、願っても願っても周りはどんどん私から離れていく。みんな成長してさ、側にいてくれない。」
セイレンは黙って優を背負いスタスタと歩いている。
「小学校の先生になりたいんじゃ無くて、小学生のままでいたかっただけだと思う。大きくなっていくにつれて周りの会話や環境について行けないし、見下してくるし、波長も合わない。変われない私を周りは嘲笑う。だからこんな怖いとこ出たいんだけど出たくないって気持ちもあるんだ。現実に帰るのが怖い。」
セイレンは溜息を吐いた。優はセイレンの髪に顔を埋める。髪まで冷たかった。それが今は居心地良かった。
「何が、夢が無いだ。馬鹿か貴様は。夢が無いんじゃ無くて、『変わらない世界』に夢が変わっただけだろうが。」
「は?そんなの絶対叶わないし!」
セイレンは顔をこちらに向けた。頭にクエスチョンマークを浮かべたような表情を見せる。
「夢はでっかい方がいいだろ。」
それを聞いて優は一瞬ぽかんとしてからひっくり返るような大声で笑った。さっきまで元気なかったのが嘘のようだった。下品な笑い声は館内に響き渡る。キュウとイルカが声に合わせてまた鳴いている。セイレンはまたもや不思議そうな顔をした。だって、人一倍正論を放ちそうで真面目な見た目のセイレンから、将来と言うには冒険し過ぎた夢を認めてもらえるのだ。嬉しくて、今の子供のままの自分を受け止めてもらえた事が、そのままでいいって言われてるみたいで幸福だった。
「あはははは、ねぇ、まさか、セイレンからそんな言葉が聞けるなんて思わないって!冗談でも元気出た!ありがとう!」
「うぜぇ。」
優は面白くなって続けて聞いた。
「あんたはさ、将来の夢とか…あんの」
「…。」
「いや。言いたく無いならいいけど。」
「…み」
「ん?」
セイレンが微かに微笑んだ気がした。怒った姿、興味のなさそうな姿、そんな姿ばかりを見ている。そんな姿は沢山見たのに今ここにいるのは目を閉じて想いを巡らし口元がコート越しで隠れてても分かるくらい楽しそうに話す穏やかな綺麗な青年がそこに居た。
「海だ。親が好きで昔よく話を聞いた。俺は一度も行ったことがない。此処よりもでかい場所らしい。世界の大半の海水があると聞く。」
「うみ…。そっか。いいね。あ!ねぇ、沖縄行きたい!海がめっちゃ綺麗らしいよ。そこへ一緒に行こうよ。此処を出たらさ。2人で。絶対楽しいよ!」
優は祖父の話を思い出した。子どもを宿した海獣の話。祖父の話し方は巧みでいつか行けたら、そしたら祖父に伝えようと密かに思っていた。
「……沖縄って何だ。」
「は!?!?沖縄知らないとかある!?あーでも外人さんだから…まあ無理ないか。日本の場所だよ。県。ほぼ島だけど」
「……そうか。島とやらが沖縄と言うことか?そこに海があるのか?」
「ね!約束だよ!海行こうね!」
「考えておこう。」
セイレンは、コートで隠れていて口元は見えないが、冷静を装いつつも嬉しそうだった。
それを見て優はもう迷う必要は無いと思った。ここを出たらずっと変わらないセイレンと海へ行く。一緒に綺麗な夕焼けを見たり、泳いだり、潮風浴びて笑い合って、そんな幸せな未来が脳裏に浮かんだのだ。だから、それを叶える為にここを出る事が今の夢に変わった。セイレンと一緒にここを出る。今までふわふわとした曖昧な目標が絶対的なものへとなる。
キュウとまた鳴く声がする。
ーー大事なものが一つでもあれば大丈夫ーー
祖父の口癖をまた思い出す。
セイレンがずっと変わらずにいてくれるならきっと充分なのだ。無垢なセイレンと一緒にいたい。自分の馬鹿みたいに生きるのが下手な悩みを態度は冷たいけどちゃんと聞いてくれて答えてくれるセイレンと、ここぞと言うときに守ってくれるぶっきらぼうで優しいセイレンとーーーーー。
やがてイルカの水槽を抜けて新しい部屋へと扉を開く。
レプリカの海の世界を旅してる私らはきっと鯨を見つける。大丈夫。保証のない奇跡だって何回も起こしてやる。