ペンギンの部屋
「ところでさ、この部屋は奥へ進む扉が無いけれどどうやって行けばいいのだろう?」
優は髪を縛り直して帽子を被りながら尋ねる。相手は先ほど出会った同じ人間の男性、セイレン。そして頰に鱗の跡が彼を海獣にしようと蝕んでいる。
「辺りを調べるしかないな。舞台、座席、壁や床、徹底的に」
そう言ってセイレンは舞台の方へと向かっていく。
「壁といえばさ、あのペンギンのポスター、あとアシカのやつ気になってたんだよね。あーゆーポスターって剥がせばなんか出てきそうじゃない?」優はそそくさと座席の後ろスペースに移動して、12匹のペンギンが並んで行進している横長のポスターに目をやった。皆んな同じポーズをしているのが可愛らしいと思う。
「でもここにいるやつはみぃんな襲ってくるんだろうね…鰯なら可愛いもんだけどさ。鮫の時は本当に死ぬかと思った。いや、半分死んでたわあれ。よく生きてたなあ。」
そう言いながらポスターをビリッと破く。何も起こりはしなかった。
「…うーん、駄目かあ。」
他の策が見つからないなあと思いあぐねていた、その時にステージの方からセイレンの「おい」と呼ぶ声がした。
「これを見ろ」
片手に紙みたいなものを持っている。紙には活字体で何かが書かれているようだった。優はステージに上がってセイレンの持っている紙の詳細を確認する。それには四つの計算式が書かれていた。
「んーなになに、2+5=7、5+6=11、8+7=3、8+9=◯…?こーゆー謎解きっぽいの超苦手なんだけど…お手上げだ!」
優は両手をぶんぶんと振り回す。セイレンは冷ややかな目で優を見ていた。
「うるせぇ。気が散るから喋るな。8+7だけ式が間違っている。これがヒントになるだろうが…。」
「ますます分からないよ。これ普通に17じゃ駄目なの?いや、別に答えが出ても何に使うのか分からないんだけど。」
暫くううんと考えてみても分かりそうもなかった。優はどのくらい時間が過ぎたのだろうと無意識に癖で腕にある時計に目をやった。やはり針は動かずに壊れたままではあったが。
その時セイレンが優の右腕を掴んで寄せる。
「うわったった。びっくりした!?どうしたのさ!」
「分かった。これのことか。」
「は?これ。腕時計のこと?」
「そうだ。12にきたらまた1,2,3,と計算していく。だから3個目の計算式は12からまた1になって計算している。」
「あ!!分かったなるほど!時計に見立てた式ってことね!なるほど!じゃあ最後の式の答えは5なんだ!!…いや分かったところでどうすれば…。」
「裏にも何かある。…なんだ?ペンギン?」
紙の裏を覗き込むとペンギンのスタンプが右端の下の方に小さく書かれていた。
「ペンギン…あ!これ。さっきのペンギンポスターがあった!こっちこっち!」
優は舞台から飛び降りてペンギンのポスターを取ってきて舞台に戻ってくる。
「これも12匹なんだよね。関係あるかな。」
「5番目のペンギンを調べろ。」
「5番…あ!5番目のペンギンだけ剥がせられる!シールみたいな…あ、裏に何か書いてある。」
ポスターの順番に並んでいるペンギンの写真、その5番目に並んだペンギンのシールを剥がすと裏には緑でfと書かれていた。
「f…?とりあえずノートに書いといた方がいいのかな。」
優はそう言ってリュックから筆箱とノートを取り出して空いているページに記入した。その間にセイレンはまた次の仕掛けを見つけたようだった。今度は座席の方だ。
「貴様が先ほどタオルで拭いていた場所だ。後ろの背もたれに文字が書かれている。…来い。」
舞台にいる優を呼ぶと、優はノートを持って座席スペースの中央の方へと移動した。
「ええ〜…どれどれ。半分握手幸福な歴史ぃ??……分からん…半分握手、幸福な歴史?半分握手幸福な歴史…。」
座席にはまたもや活字体で「半分握手幸福な歴史」と書かれている。それが何を示すのか分からずに、優は繰り返し唱え続けた。
「ううん…半分…握手…幸福な…これパスしない?全然分からないんだけど。」
「これ英語じゃないのか。」
「!英語?いや、漢字だけど」
「半分はhalf、握手はhandshake」
「あ!確かによく見たらそれぞれの単語の間に二つくらい隙間がある!じゃあ幸福はhappyでしょう?歴史…えと」
「history」
「それよ!」
優はご機嫌になってノートに書き込んでいく。そしてある一つの共通点に気づいた。
「これ分かった!冒頭が全部hなんだ!」
それに気づき「h」とノートに書き込んでいく。
その時アシカのポスターからビリリと破れるような音がしてその方向を見てみるといつからいたのか灰色の愛嬌満点の生き物が死んだような目で此方を見ていた。きゅるるとおかしな音が響く。口からはゴキュという音が鳴った。本物のアシカがポスターから出てきたとでもいうのか。
「ねえ、可愛い。可愛いけどこれさ、あの…」
アシカは腕と尾を使って優の方へと向かって口を大きく開ける。狩の勢いを漂わせながら牙をガチガチと鳴らした。
「はい!!やっぱりいいい!!!来るよね!」
優は一目散に舞台の方へ登っていった。それを見てアシカは狙いを優ではなくセイレンの方へと向ける。どうしたものかと思いあぐねた時に未だに下にいたセイレンがアシカに向かって首にあたる部分に強烈な蹴りを入れた。アシカはそのままふらふらと揺れた後に大きな音を立てて倒れてしまう。ぶくぶくと泡を吹き出しながら、「キュア…」という蚊の鳴くような声が聞こえた。
「助かった…。」
優がホッと胸をなでおろすのもつかの間セイレンはアシカの首を黒いブーツを履いた足で抑えた。メキメキと骨が壊れる音と言葉にならないアシカの叫び声が耳を支配する。
優はたまらずにセイレンを睨みつけて叫んだ。
「ちょっと!助けてくれたのは感謝するけれど…でも、そこまでしなくてもいんじゃない!?あれでも動けなかったじゃん!」
セイレンは優の方向を見て不思議そうに話した。
「は?障害物だろうが。弱い者は虐げられるだけだ。」
優はその言葉を聞いてズンと腰が重くなる衝撃に駆られ、ふらふらと座り込んでしまった。顔をうつむかせながら拳を強く握りしめる。
「そんなこと…ない…。」
「…おい。アシカの身体に文字が浮かんでいる。」
セイレンはアシカの身体をステージへと引きずり持っていく。アシカはもうピクリとも動かなかった。上を向いて、セイレンにされるがままになっており、階段を登るたびに尾びれが地面にあたり力なく揺れた。優はアシカの姿を見れなかった。あんまりな出来事、セイレンの攻撃力にカタカタと震えてしまう。怖いという三文字が脳裏によぎった。
セイレンは面倒臭そうな顔で眉をひそめている。
「…面倒な奴だな。貴様は食われてもよかったとでも言うのか。俺が殺らなければ貴様の命はとうに無かった。」
「…それはそうだけどさっきのは不必要だったじゃん!」
「こんくらいやらねぇとここの連中は蘇るぞ。貴様もここで生き延びたいなら攻撃の仕方くらいいくつか身に付けろ。」
「…分かったよ…。」
優はアシカにぐるりと目を向けて、確認する。確かにアシカの腹の部分にsという字が書かれていた。優はノートにsの字を書く。力強く握ったためにボールペンはインクが少し漏れてしまった。
「これでhとsとfが揃った。」
「…埒あかないし、また探索でもしようか。」
2人は再びステージの上でヒントになりそうなものを探してみる。壁や床、カーテンの裏側など、二手に別れた後、優は念入りに調べることにした。優が通り過ぎた途端壁に文字が浮き出て、優はびくりと肩を揺らす。
「うわ…なんだよ突然。…『死んじゃった死んじゃった。』…!?」
アシカの事だろうと思いつつ、吐きそうになる気持ち悪さを懸命に堪える。口元を抑えて目を見開いた。本当になんなんだここは。
他のところを調べようとその文字が書いてある位置から一目散に走ればまた、バシュっとインクをこぼしたような音を立てて文字が2箇所から浮き出てくる。それぞれが書いてある内容は『お前も死ね。』『悲しむ事なんて何一つない。おいで。おいで。』と文面が刻まれてきた。優は壁から距離を取り、カーテンの裏側へと移動した。気味悪くて額に汗を掻いた。そこにはボールがいくつも散らかっていた。踏まないように気をつけて避けながら歩くとガンと何か硬いものを蹴る感触がした。見ると目が付いた箱のような形の入れ物が置いてある。しかし、ただの入れ物かと思いきや、ぎょろりと鋭く瞳をかっぴらき、のぶとく、滑舌の悪い声で優に喋り出した。今更箱が喋る事にも驚いたが、何よりその気持ち悪い口調が耳障りで目眩がする。
『おいおいおじょおじょお嬢ちゃんんん?散らかす?いけないいいい。食う?食っちゃう!!食っちゃうぞおおおお』
「は!?く…??ちょ、待って。ご、ごめんなさい!!何をすればいいの。」
『ボ…ボール…ボール食う…食えないなら、お嬢…嬢ちゃん…食う。』
「分かったから!ボールね!」
優はボールを慌てて拾い上げる。ソフトボールほどの大きさの柔らかいカラフルなボールはよだれを垂らした箱の中に入れると吸い込むように飲み込んでいった。床に散らばっている赤や緑、青色等のボールを拾い上げるとその気味の悪い箱は『ぐうう』と唸り始めた。
それから少し経つと箱から釣り竿を吐き出した後に動かなくなった。先程の唸り声はいびきだったのかもしれない。
優は溜息を一つ吐いて自分の身体から汗が徐々に吹き出るのを嫌でも感じていた。暑いからではなく、不安を掠めているのだ。鼓動を鳴らしながらその釣り竿を持ってセイレンのいる、反対側のカーテン裏へと向かう。セイレンも何かを見つけたようで、訝しげな顔をして腕の中にやっと収まるほどの大きなサイコロを持っていた。
「さっきなんかきもいのいた……サイコロ?何か書いてある?」
「貴様こそなんだそれは」
「よく分からないけど手に入れてさ、これも何かに関係してるのかな。そのサイコロ、なんか鍵みたいなの付いてるね。」
「ああ、中になにか入っている。開けるには此奴に四つの文字を入れて解除する必要があるな。」
そう言われてよく見ると、ダイヤル式のロックが掛かっており、アルファベットを4つ入れる必要があった。今現在はaの位置に全て固定されている。
「これってさっきのアルファベット入れればいんじゃない?fとhとsだっけ?あ、じゃあ残りの一つは何??」
「いや、他に目ぼしいものは…其方には無かったのか。」
「…うーん特に無かった…あるとしたらこの釣り竿が関係してる…?fishing!とか?でも7字だし……。」
そこまで考えて、優は顔をぐっと上げて口を大きく開けて、あっと叫んだ。瞳を輝かせて嬉しそうに話す。
「fishだ!この竿きっと棒みたいな形だからI…つまりiに例えている…って事は並べ替えるとfishになる!」
「…成る程な。いれてみるか。」
優はわくわくしながらセイレンがダイヤルを回す姿を眺める。セイレンが順番に回していき、hまで入れた瞬間にカチリと鍵の開く音がした。立方体の上面が開いて中は空洞になっている。嬉々として優は覗いてみるが、中身を見た途端2人の身体が強張り眉間に皺を寄せて唖然としている。
「…魚だな」
「…魚だね」
これだけ大掛かりな謎を解いていったにも関わらず、サイコロの中から出て来たものは魚の形をした置物だった。
「これ…結構重いなー持てるっちゃ持てるけど何に使うかさっぱりだよ。」
「この窪みに嵌めてみてくれ。」
セイレンは気になることがあるようで、優に丁度ステージの真ん中ぐらいの位置にある歪な形の窪みにはめるように促した。優はそれに従って置物を持っていく。ぴったりとハマった時カチリと合わさる音と共に真後ろで扉を開くような音が聞こえた。
その置物がはまった真後ろには壁しか無かった筈だったが、あり得ないことに扉が現れていた。鉄でできた重そうな扉だ。
「あれ…さっきまで、扉無かったのに…?」
「…開けてみるぞ。」
「…おー…。」
セイレンが扉を開くと中からは冷気と共にペンギンが1匹顔を出して現れた。
「ぺ…ペンギン!?」
ペンギンは1匹ではなくてその扉の奥に大量にいたようで、次々ととどまることなく溢れるようによちよちと可愛らしく歩きながら出てきた。
最初に出てきた先頭の一匹がくるりと此方を向いたと思いきや、左の手を挙げ、その瞬間にその他のペンギン達は一斉に走るような速度で床を滑り出した。そして1番前のペンギンはなんと、向かい側の壁に突進して、ポスターの貼ってあった筈の壁を突き抜けていったのだ。壁にはトンネルのようにでかい穴が空いた。
「…SFか…よ。やっぱり夢…ではないんだよねぇ。」
「残念ながら現実だ。」
そのペンギンの勢いに、セイレンと優は巻き込まれてしまい、気づけばペンギンの上に乗ってそのトンネルへと進んでいた。暗いトンネルは緩い下り道になっていて、そこをジェットコースターみたいに進んで行く。
「凄い!凄いよ!夢じゃないんだ!ペンギンの上に乗っているんだ!私達!」
「煩い。」
優は宝石のように目を輝かせて、暗いトンネルでめいいっぱいの笑顔を浮かべていた。セイレンは片膝を立てて座っており、頬杖をついてしかめっ面をしている。
やがてトンネルから光が見えてくるとペンギン達はよちよち歩きになって、捨てるようにぺいと優達を乱暴に下ろした。部屋に冷気が立ち込める。
「いったあ……。あ……凄…。凄い…!」
優は瞳を飛び出すように見開いた。口が僅かににやける。
目の前にはペンギンの世界が広がっていた。大きい氷岩が置かれており、何メートルにもなる天井に鋭い氷が届きそうだ。その氷の周りには先ほどのペンギン達が滑ったりして群れで遊んでいる。その下は水辺になっていて水飛沫が飛びそうな勢いでペンギン達がダイブをする。檻も水槽も何も無い、剥き出しの状態でペンギンのエリアを眺めているといった今の状況に感動だけの一文字で表すにはあまりにも無粋だと優は思った。
「ぺ…ペンギン…この…凄い…なんていうか…夢みたい…。」
「何故そんな驚く。たかがペンギンだろう。」
「いやいやいやいや!外国ではもしかして普通なの!?普通は水族館でペンギンなんてガラスで覆われてるし、動物園ですらこんな間近で見られないって!だってほら、ちょっと踏み外しでもしたら水の中に真っ逆さまでしょう。」
「外国…?」
「あれ、だってその目とか絶対外人でしょ?いやぁ…にしても…こんなギミックがあったなんて…。」
「…あぁ。」
2人はやがて立ち上がり、ペンギン部屋の中を散策することにする。
冷蔵庫のように寒かったが、興奮した熱が緩和させてくれた。
氷山にいるような感覚に浸っている。こんな場所に恋人と来れたとしたらなんてロマンチックなのだろう。今の状況でそんな事を考えるほどにはこの世界に順応してきているのかもしれない。実際隣にいるのは鉄仮面の出会ったばかりの成人男性だが。
優はセイレンに尋ねた。
「セイレンさん、彼女いないの。」
「は?彼女?」
セイレンは怪訝な顔で返す。
「いやぁさセイレンさん美青年じゃん。端正な顔立ちですし身長も高いよね?180くらい?外人さんだからだろうけど目も綺麗だし、モテるでしょう。あーでも性格捻くれてるもんなぁ。無理か。」
「さらりと悪口を言いやがって。
交尾をする相手の事ならいない。そもそも俺はずっと1人だ。」
「え!?親は!?つか交尾て」
優がそう聞いた時にセイレンはすこし目を伏せた。
「物心着いた時には何処かへ行った。」
それを聞いて優はしまったと顔をしかめた。
話す話題を間違えてしまったか。
「………ごめんなさい。」
セイレンは切れ長の目を最大限に丸くして優を見る。
「行かせたのは貴様じゃないから謝る必要など…」
「いや!そうじゃなくて!辛い事思い出させるような事を言って…。」
「…………昔の事だ。」
セイレンがそう言うと優はうつむきながら少し口角を上げた。
「でも…そっかあ。ありがとうね。」
「は?何がだ。」
「セイレンさんって最初絡みづら〜って思ってた!なんか会った時も無理やり連行されたって感じだったし!でもさ!ちゃんと自分の事話してくれてセイレンのこと知れて嬉しかったからさ!」
優はセイレンを見て、今の状況が閉じ込められていることなど忘れるくらいに楽しそうに話した。
セイレンは優の方から目を背け先へと進んでいく。
「…相変わらず変なやつだ。」
呆れるようにセイレンは呟いた。