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桜国記  作者: 槇名新
1/3

桜の下で君と出逢う

一応ファンタジーのつもりで書いてますが、どちらかというとマジックリアリズムよりの作品かもしれません。

 それは、小さな声で囁かれる伝承。

 13人の少女の声で囁かれる伝承。

 薄薔薇色した少女の唇から、薄桃色した少女の耳へ。

 二人だけの秘密を共有する少女特有の、花びら二枚分の小さな微笑みを伴い、せせらぎのように小さく小さく囁かれる伝承。 

 ある少女は、春の木漏日の中。

 ある少女は、夏の木陰の中。

 ある少女は、秋の枯れ草の中。

 ある少女は、冬の白雪の中。

 継承に相応しい少女の耳に、そっと囁きかける。


うろの森には、魔女様が棲んでいるの」


 と。



 春とはいえ、まだ肌寒い空気の中、みなもの掌の温もりにほっとする。

 西の空にはラベンダー色の夜の残滓がうっすら残っているが、東の空は真っ平らなセルリアンブルー。

 美月は、まだ太陽の恩恵を受けていない冷え切った空気を大きく吸い込んで吐き出す。

 白くなる息が少し面白くて、何度が繰り返していると隣でみなもが美月の真似をしていた。

「まだ朝は寒いね」

 微笑む美月に、みなもはおぼろげな微笑みを返す。

 美月はみなもの手をしっかりと握り直して、早朝の散歩の折り返しの角を曲がろうとした時、ふと桜のことに思い至った。

「あそこの桜、もう咲いていると思う?」

 美月がみなもの深い目を見ると、みなもはこくんと頷いた。

「そう、じゃあ今日は遠回りね」

 みなもの手を引っ張って川辺の道へと降りると、湿った土と真珠みたいな朝露に濡れた緑の香りが鼻孔に満ちる。

「あのねぇみなも、このあいだのクラス編成、高等部からの入学生で凄い変な人が入ってきたの」

 美月は思い出したのかくすくす笑う。

「名前が凄いの。英雄の『英』と霊魂の『霊』って書いて『はなぶさみたま』って読むらしいんだけれど字面が『英霊』って、ちょっと強烈なインパクトだったなー。あ、英霊って凄く偉い人のたましい? って意味だったかな」

 この双子の妹がどれほど自分の言っている言葉を理解しているかは、5年経った今でもよくは判らないけれど、朝の散歩の途中に学校で何があったかを話し続けるのが美月の習慣となっていた。

「それに背も凄くおっきいの。スタイルもいいんだけど、目が紫外線に弱いとかでいつもサングラスをかけていて髪が殆ど顔を覆ってるから、美人かどうか判らないのよ」

 靴の下に感じる柔らかい露草の感触をゆっくりと確かめるように歩きながら、子供に囁きかける母親の、春の陽射しの口調で語り続ける。

 みたまの学校での奇行を話そうとした時、目の前の色彩に変化が訪れた。

 咲き乱れる、五枚の花弁を持つ春の女王。

 命芽吹く季節の先頭を華々しく飾り、未練なく散りゆく女王。

 茶色と緑の地面が桜色の絨毯になり、誰にも踏まれていない桜の花弁の上をみなもの手を引いて歩く。

 今日はカメラを持ってきて正解だったな。

 美月は肩に掛けた2眼レフのカメラ――フレクサレットの古びた革ケースの感触を確かめる。

 川沿いの桜並樹、ピンクのトンネルを暫く歩くとこの街の名所にもなっている桜の大木へと邂逅する。

「綺麗ね」

 美月は京都の桜の銘木の管理をしている人が、桜は朝が一番美しいと言っているという話を思い出して半世紀前に誕生したカメラを取り出した。

 ファインダーを覗いて、真四角に切り取られた反転世界を覗いた時、隣のみなもがゆっくりと桜の大木の根元を指差した。

 ごく自然に指先へと視線を走らせた美月の視線の先、木の根本で誰かが寝ていた。

 酔っぱらいかしら?

 一瞬、眉を顰めた美月だが、近づくと寝ている人物の輪郭が少女のそれであることが分かり、小さく胸騒ぎがして小走りで駆け寄る。

 そこには、眠り姫が居た。

 桜を敷布にし、桜の寝間着を身につけた眠り姫。

 桜の花で殆ど隠されているが、彼女が一糸纏わぬ事は判った。

 不思議と埋もれていない整った顔を見て、美月は昔美術館で見たドラローシュの絵――水面に眠るように浮かんでいる少女の絵を思い出した。

 美月の胸がざわめく。

 肩に掛けたカメラを胸の前に構えると、細かい計算などせずに勘で被写界深度とシャッター速度を合わせる。

 シャッターをレリーズすると、ファインダーが一瞬暗くなり、世界が銀塩の幕へと転写された。

 美月はほっと溜息をつくと、満足げにカメラを見詰めた。

 写真を撮っていて時折感じる「何か」を写し撮れた感覚が指先に残っていた。

 そして、その時初めてやっと自分が何の前に立っているのか理解した。

 しかばね

 『彼女』を表現するのはその一文字で足りた。

 美月は足下の屍体をよく見ると、見知っている顔だと気が付いた。

「これは、どうしようも無く死んでいるね」

 背中に掛けられた突然の声に美月の心臓が飛び上がり、みなもの手を堅く握り直して振り向く。

 刹那、一陣の烈風が駆け抜けた。

 強烈な風が美月の髪と桜を宙へと踊らせ、世界が桜で埋め尽くされる。

 風が吹き抜けた後、一人の少女が立っていた。

 ひょろりとした長い躰を着古されたパーカーにボロボロのデニムが包んでいたが、そんな格好よりも、その顔に視線が自然と釘付けになる。

 亜麻色の緩やかにウェーブの掛かった長い髪を頭の後ろでスカーフでまとめている。

 だが何よりも印象的なのは、その瞳だった。

 夜明け前の空を染める深紫。

 その瞳に見詰められて一瞬吸い込まれそうになる。

「どなたですか?」

 人嫌いのみなもをかばうように一歩前に出て、少女を見詰め返す。

「気丈だな。それを見て驚かないとは」

 少女は感心したように視線を屍体へと向ける。

 ちらりと後ろにある屍体を見た美月は、改めて少女へ視線を向ける。

「ただの屍体じゃない。何もしないものに驚く必要があるの?」

「へんじがない。ただのしかばねのようだ」

 少女はフラットな声を出した後、小さく嗤う。

「兄貴のやってたゲームでそんなセリフがあったな。確かにそうだ。屍はあくまで屍だ。返事もしなければ起きあがって襲ってくることもない。究極の無反応。それが屍の本質だ」

 少女の小さな嗤い声が収まると、美月は少女を睨む。

「貴女こそ、何をやってるんですか?」

「何、その屍体があまりにも美しかったからスケッチしていたんだ」

 少女は微笑むと手に持ったクロッキー帳を掲げた。

 横に大きめの唇が、微笑むとひどくあどけない。

「それにしても、君は面白い『モノ』を連れているな」

 少女は美月の後ろのみなもを目を細めて見る。

「だから、貴女はどなたなんですか?」

 苛立ちが声に混ざるが、いつもは家族以外の他人を見ると怯えるみなもが全く怯えていないの不思議だった。

「そうだな、一つ言えるのは、私は君と同じ『眷属』の人間で在るということかな」

「眷属?」

「君は、その屍体の前でまず何をした」

 少女は深紫の瞳に稚気の光を灯らせてくつくつと嗤う。

 美月は自然にカメラを後ろ手に持った。

「そうだろ。全ての事に優先して自分の創作衝動を優先させる。君はそういう因果な『眷属』の一員なんだよ」

 少女は美月の目を見詰めると、後ろのみなもに視線を移し微笑んだ。

 その瞬間、美月の背中に驚愕が走る。

 みなもが他人に――微笑んだ?

 顔は見えないが、繋いだ掌から伝わる感じでみなもが微笑んでいるのが判る。

「さて、私は帰るよ。いや、今朝は実に面白いモノと3つも出会えて気分がいい。それではまた」

 少女は振り返るとゆったりと歩いてゆく。

「ちょっと、待ちなさいよっ!」

「待つのは嫌いなんだ」

 のっぽのシルエットは歩みを止めずに去ってゆく。

「まったく、何なのかしらね」

 美月は眉間に人差し指をあてて溜息をつく。

 それにしても「それではまた」って?

 よく分らない事だらけの出会いだったが、とにかくこの屍体を警察に連絡するなりしてなんとかしないと思い至り後ろを振り返ると、みなもが屍体の脇に座り込んで顔に手を伸ばしてる。

「ちょっと、みなも止めなさい」

 美月が叫ぶと同時にみなもは美月に手を差し伸べた。

 みなもの指先には小さな花びら。

 淡い桜の色彩の中に緋色の血脈のような模様が走っていた。

「これ……桜?」

 足下から一枚、染井吉野の花弁を拾うと、その花弁と見比べる。

 色もその模様も明らかに違っていた。

「なんで……この花びらだけ?」

 美月は改めて少女の顔を見る。

 確か、中等部の時に一つ下の学年にいた少女だった。

 美月は花弁をハンカチに挟むと、ポケットから携帯電話を取り出して110番をプッシュする。ワンコールで繋がり、やたらとハッキリした事務的な口調が耳に響く。

「もしもし」

 美月はみなもを立ち上がらせると、スカートの裾についている桜の花びら払い落としながら、静まりかえった晩秋の湖面のような声で言う。

「屍体を見つけたんです」



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