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男に案内されて近くのオフィスビルに移動した。
上層階の一室、看板などはない。
男は暗証番号を入力、黒い板に手のひらを押しつけて中に入った。
「ちょっと崩させてもらうね。ラボにこもってるから丁寧な言葉づかいは慣れないんだ」
男は上着を脱ぎ、ネクタイを外してから話はじめた。
男は俺に席をすすめ、冷蔵庫から缶ジュースを出してテーブルに並べた。
「好きなものを飲んで」
「どうも」
「翔太君、本当にありがとう。ここまできてくれる人を探すのも大変で大変で」
「でしょうね、って他でも勧誘してるんですか?」
「もちろん。大きいプロジェクトだからね。ごめんごめん、まだ自己紹介していなかったね」
男は俺にタブレットを渡してきた。
「僕はこの会社の技術者」
画面に表示されていたロゴマークは「ホール・ワールド社」。
通称「ホワールド」。
検索サイトをはじめ、クラウド、ビッグデータ、GIS、デジタルパブリッシング、ネットワーク機器開発・製造・販売、ホーム・コンピューティング、自動運転に自動翻訳に自動流通など、ネット世界を空気・水レベルで支える大企業だ。
インターネットを使っていて知らない人は絶対にいない。
そんな大企業が、ごく普通の大学生である俺に何?
ホワールド製のタブレットから顔を上げて男を見る。
「信じられないかもしれないけど、ボクはホワールドのエンジニアの一人。正確には日本法人だけど。証明になるかな? 自分のスマホ見てみて?」
自分のスマホを見ると、何もしていないのにアプリが立ち上がってホワールドのロゴマークが表示された。
ロゴマークをタップすると画面が切り替わって動画が始まった。
目の前にいる男が、画面で手を振っている。
画面から目を上げると、確かに同じ男がいる。手を振ってきた。
「うちが作ったOSだからね。外からでも操作ができるんだ」
男は話を続けた。
「あと君を特定した方法なんだけど、5年前、金縛りの頻度が高くなったときに検索したでしょ? うちの検索サイトで。『金縛り+原因』とか『金縛り+病気』とか『金縛り+解消』とか」
「特定のキーワードで検索する人が現れてたらユーザを追跡するようなプログラムになっていてね、それで君を捜し当てたんだ。そう、『金縛り』になりやすい人を探してたんだよ」
「同じような方法で他の人も探してる。書店や図書館の検索サービス、ネット書店の注文や医者の問診データベースなんかも使って」
驚いた。
ウェブ上で飛び交うデータを収集するのはもちろん、そこから発信者を特定して追跡、監視している。できるだろうし、やっているだろうと思ってはいたけど、事実として知らされるととてもヤバイ情報だ。
「それからしばらく君の周辺を調査してさ、仕事をお願いして問題ない人物だってことを確認して、今回勧誘したわけ」
困惑して固まっている俺をスルーして、男が話し続ける。
「そうそう、さっきの守秘義務の破った場合のあらゆる手段って話だけど、うちの会社の『可能なあらゆる手段』だからね。相当な覚悟をした方がいいよ。例えば、軽いところだと……」
「君が中学時代に作ったプロフィールサイトが発掘されて、掲示板やSNSで拡散される」
「えっ?」
「うちにアーカイブされてるからね。簡単な話さ」
「次に、君の名前をWEBで検索すると、『翔太 犯罪』とか『翔太 逮捕歴』とか『翔太 変態行為』とかの関連キーワードがサジェストされるようになる」
「……」
「君のパソコンに違法なファイルをダウンロードさせて、警察に通報する」
「君がスマホのナビに案内されて細い道を歩いていたら、同じくナビに案内された大型トラックが正面から……」
「なーんてね、冗談だよ、冗談」
「……」
「もちろん、仕事の話を受けてくれればそれまでだし、断ってくれても構わない」
「秘密さえ守ってくれるなら、君の害になるようなことは何もしない。今までと全く同じ生活ができる。約束する」
「……」
「じゃ、話を続けさせてもらうね」
俺の無言の抗議を無視して強引に話が進められた。
プロジェクトというのはゲームの話であった。
いわゆるフルダイブ型。接続用のギアを体に取り付けて、意識を完全にプログラム内に移して体験できるゲームだ。
「プログラムは山を越えたんだけど、今度はテストプレイが必要でね。ゲームの細部をつめたりエラー探しやバランス調整をしたりで、人員と時間をテストに投じる必要がある。でも、そこまで時間の余裕は無いんだ。どこの世界も競争でね。テストしてる間に他の会社が先に発表する、なんて事は絶対に避けたい」
男はいったん話を区切って、息をためた。
「そこで目を付けたのが『金縛り』なんだ」
「金縛りですか?」
「ああ、金縛りっていうのは、つまり脳の暴走でね。そうだ、ちょっと動画を見てもらおうかな」
示されたタブレットを見ると、寝ている自分が移った。
「あん?」
位置関係から、ノートパソコンのカメラらしい。
「ごめんごめん。業務で手に入れた個人情報その他は業務上必要な以外のうんぬんかんぬん」
「いや、承諾してないし」
「ほんとゴメン。このへんは手段を選んでなくてね」
「謝ってるけど変える気ないですよね」
男は返事の代わりに少し笑った。
「あ、そろそろだよ」
男の声につられて画面に目を戻すと、ちょうど画面の中の自分の目が開いた。
その目がもの凄い早さでグルグル動いた。そしてあっという間に再び目が閉じられた。
「えっ?」
「もう一度スローで見てみよう。画面の下にタイマーがあるから気にしてみて」
動画がリピートされた。今度はコマ送りだ。
俺が目を開けた。
目はまず天井の照明に、続けてこたつ上のパソコン、離れた場所のテレビ、顔の横のスマホへと向かった。
手は小さく動いている。痙攣?
最後は目がパソコンの画面を向いた状態で固まり、まぶたが下りた。
経過時間は1秒弱。
1秒だ。
「さっき脳の暴走って言ったけど、こういうこと。金縛りにあった時間、君は30秒くらいに感じていたかもしれないけど、実際はだいたい1秒」
「脳の処理能力が異常に高まるけど体がそれに追いつかない。それが金縛りなんだ。手も動かそうとしてるんだけど暴走した脳の処理速度に比べると動いていない、動かせないように感じるんだ」
「……」
「話を本筋に戻すと、我々ホワールドでは、暴走できる脳、処理能力がブーストできる脳を持った人を探している」
「開発中のゲームでは現実の1時間でゲーム内の1日、5時間プレイして5日間の体験ができるゲームスピードを考えてる。これが普通の脳が安定的に処理できる限界でもある」
「ところが、暴走可能な脳の持ち主だと倍、つまり1時間で2日のプレイが可能なんだ。君が現実時間で100時間のテストをした場合、ゲーム内時間は200日。それだけのテストプレイができる。君のような能力を持った人達を雇って、1ヶ月でテストプレイを終わらせて、最短でリリースしたいんだ」
「君の脳が、能力が必要なんだ。是非協力して欲しい」
それから様々な条件の説明を受けた。
1日の仕事や健康診断のタイムテーブル。
外出は許されないものの研究所内の施設利用、飲食は全てタダ。
タブレットでの書籍閲覧、映画の鑑賞も全て無料で無制限。
ネット使用は検閲付きらしいけど、引きこもりには天国のような条件だ。
そして1ヶ月の報酬は、引っ越し代どころか2年は暮らせるくらいの金額だった。
話の流れでこの説明自体に対する報酬も受け取った。
「というわけでどうだろう。外出は許可できないが、社会的な手続きなどは問題が生じないよう協力する」
「万が一だが健康に影響が出そうな場合は即刻テストを中止する。その場合の報酬は全額プラスアルファで支払う」
結果として受けることにした。
世界初の、フルダイブRPGのテストプレイ。そして高額報酬。
多少の不安はあるけど、魅力の方がだんぜん大きかった。
「じゃあ、3日後、君のアパートに迎えの車が行くよ」
「君の携帯、メールアドレスなんかは今まで通り使えるよ。それでもしばらくいなくなるわけだから、親御さんやアパートの大屋さん、大学の先生や親しい友達くらいには話を通しておいた方がトラブルが無いよ」
「はい、わかりました。そうします」
「もちろん秘密は厳守でね」
「…ええ」
「僕も嫌な仕事はしたくないんだ」
「………よくわかりました」
1月27日 読みやすさ向上の意図でちょこちょこ変更。ストーリー的には変わりません。