リクス・リーシェルト
聖典教会。
元は各神殿の教典の編纂を行う部署が統合されたものであった。
歴史と共に神官の養成も行うようになり学術機関、所謂『大学』の性格を帯びるようになる。
今では神官と教典の供給を一手に行い、意思決定機関である評議会には各神殿から派遣された神官が名を連ねる。
教典の編纂を主に行う事務的な組織であり、位置づけは神殿の下位に置かれている。
ある時、異世界から来た者達が持ち込んだ教典の影響を受け、選民思想に傾倒した教典原理主義の過激派が生まれた。
統合暦六○一年、聖典教会の異端とされ破門された【聖ボルヌギス派】は、しかし幾つかの国に国教として迎えられた。
それらの国では今でも酸鼻極まる亜人の弾圧が続いている。
ベルパスパ王国の隣国、パスパ山脈西方十五カ国の一つであるアッパネン王国もまた聖ボルヌギス派に傾倒した国であった。
* * *
「【虐殺公女 リクス・リーシェルト】」
「あら違いますよ。私は光の三神殿は星の神殿より聖権をいただいた【星の聖女】です。聖典騎士などと称するごっこ遊びの騎士よりも遥か上の地位ですから、間違えないようにしてください」
【聖典騎士】という役職は聖典教会にも各神殿にも存在せず、アッパネン王国が独自に設けたものである。
当然に教義上の地位など無く、信者としての立ち位置は聖女とは比ぶべくもない。
「黙れ。忌まわしき混ざり者の血族ごときが聖女を騙るな」
「そうですか……。では、死ね無礼者」
リクスから強烈な殺気と共に黄金の魔力が吹き上がる。
「散れ!!」
騎士達の下から猛烈な勢いで突き上がった無数の鋼の槍。
「ギャ―――」
「ゴバッ」
避け得なかった四人の騎士がモズの早贄のように串刺しとなる。
「風の精霊たる戦乙女に契約をもって命ずる。彼の者をその槍で貫け」
「我が力よ嘆きの火を宿し矢となって敵を貫け・【哭焚矢雨】」
宙へ逃れた騎士達が魔法を放つ。
顕現した風の精霊の群れが槍を構え突撃し、二十を超える数の炎の矢がリクスを襲う。
「所詮は教典狂いの自称共。よくもまあこの程度の力で騎士など名乗る」
リクスが視線を向けた先、彼女の黄金の魔力から巨大な水の蛇が生み出される。音の速度を超えて空を走り騎士達の魔法を全て呑み込む。
「うわア―――」
「バカなっ――」
池程もある水蛇の口蓋の中に二人の騎士は消えていった。
「悪鬼めっ」
鋼の槍の間を跳躍しかわす騎士が構える魔導弓、その核たる風錬玉が眩い光を放つ。
放たれた矢は暴風を纏い、鋼の槍を砕きながらリクスへと迫る。
「終わりだ!! 偽りの聖女!!」
鋼の槍を切り裂き進む騎士の魔導剣に輝く土錬玉。
黄土色の輝きに強化された剣は金剛石の塊さえも容易く切り裂く。
「雑魚共が」
リクスが聖銀の槍を回転させる。。
一瞬で長さを伸ばした槍、両端に現れた穂先の刃が描いた弧の軌跡は矢と剣を断ち、騎士達を両断した。
僅かの間に部下の全てを失った黒衣の騎士は、地面から絶え間なく生じる鋼の槍を避けながらセラミックスの繭へと向かう。
(魔王の娘は無理だが、せめてこれだけでも)
駆けながら跳躍し、上段へと構える。
「チェアアア」
振り下ろされた聖銀の剣はあっさりと繭を切断した。
「な!?」
繭の中に手応えを感じず。
凝らした目にはがらんどうの中が映っていた。
「いや、普通に考えていつまでも保護対象を戦場のど真ん中に置きはしないでしょう」
聖銀の槍を軽く払って血糊を飛ばしたリクスが呆れたように呟く。
「さてどうします? あなたも死にますか?」
「……」
地面から出現する鋼の槍が止まる。
静寂が流れ、沈黙した騎士はリクスを警戒しながら脇に茂る森の闇の中へと去って行った。
「シャクナゲ、あれの追跡をお願いします」
「御意」
リクスの傍らに現れた忍び装束の女エルフ達。
シュッという音を残して森の中へ入って行った。
「さて。魔人王国の王女であるノイノ様、そのご子息のルルヴァ様とご息女のペローネ様ですね。私はリーシェルト公爵の娘リクス・リーシェルトと申します」
背後のペローネ達へとリクスは振り返る。
「あの、助けていただいてありがとうございます」
ペローネが頭を下げる。
艶やかな黒髪を結わえたテールがパサッと動いた。
「気にしないで下さい。貴族の家に連なる者として主君たる王族の方を助けるのは当然です。なにより私、こう見えて聖女をやっているんですよ」
紫の瞳がパチリとウインクをした。
「ええと、凄かったでし、とても格好良かったです」
「ふふふ。ありがとうございます」
ボコリと地面の中から土の繭が現れる。
それが解けると中から横たわったルルヴァが現れた。
「兄さんっ!!」
ルルヴァへ駆け寄ったペローネが水の治療魔法を掛ける。
蒼い輝きの中でルルヴァの傷が癒えていく。
「兄さんっ! 兄さんっ!」
しかしルルヴァが目を覚ます気配は無い。
「ペローネ様落ち着いて下さい。彼は魔力が尽きてしまっているようですよ」
『魔力切れ』の症状には個人差がある。
酩酊するような者もいれば眠り込む者、または疲れを感じるだけの者もいる。
腰の道具入れから薬理酒の瓶を取り出したリクスが横たわるルルヴァに呑ませようとする。
顔に掛かる瑠璃色の髪をそっとのけた時。
リクスの動きが止まった。
「リーシェルト様?」
リクスの白い頬は紅潮していた。
瞳は潤み、吐く息は荒くなっていく。
そして。
(可愛い)
血と泥に汚れたルルヴァの顔を覗き込むリクスは自分の中を強い熱が駆け巡っているのを感じた。
頭はふわふわしてまともに考える事が出来ない。
朦朧とする視界の中、少年と呼ぶには可憐な顔がどんどん近付いて来る。
本能が理性を振り切り、全く抑えが効かない。
(ダメ、ダメ、……もうダメ)
唇が合わさる。
それはどんな甘露よりも甘く、どんな熱よりも唇を焼き、今までの自分を焼き尽くすほどのものだった。
自分には許婚がいる。
政治的意味のその相手は奇しくもルルヴァの異母兄である。
しかし。
もうそんなモノどうでもよかった。
彼が欲しい。
私の人生は彼だけがいればいい。
阻む者は、全て壊して進めばいい。
貴族の力、聖女の力、そして私自身の力。
これを止められるモノなど存在しない!!
リクスの黄金の魔力がルルヴァの中へと流れ込んでいく。
うっすらと朱の瞳が開かれていく。
その中に映る自分の目は、どうしようもなく熱く潤んでいた。
ルルヴァは自分の中へ優しい力が入って来るのを感じた。
身体を支配する冷たい痛みが徐々に消えていった。
(暖かい)
それは春の木陰の微睡みにも似て。
疲れ切って麻痺した心と体の感覚が蘇ってきた。
ゆっくりと目を開いていく。
そしてルルヴァの瞳に映ったのは黄金の髪をした女性。
人形のように整った顔は、しかし強い熱を湛える紫の瞳が調和して、それを超える美しさを醸していた。
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