追手
「っ!」
踏み込みから加速して放つルルヴァの全力の刺突。
風を切り裂き突き出した氷の剣。
しかしそれは黒衣の騎士が持つ聖銀の剣によって難なく受け止められる。
黒い面ぼおの中から覗くのは冷たい青色の眼。
「さすが魔王の血を引く者。聖銀に触れた剣の魔法がまだ残っている」
聖銀の性質は魔力を散らす。
下位の魔法は完全に無力化し、持つ者によっては上位魔法さえ斬り裂くことが出来る。
また霊体や精霊の血を持つ者達にとって天敵となる金属。
「くっ」
ルルヴァの氷の剣の切先は砕けるも、剣身はその半分の形を残していた。
横薙ぎに放たれた騎士の蹴り。
ルルヴァは氷の剣で受け止めるが、身体を大きく吹き飛ばされる。
宙で回転して勢いを下ろし、足で地面を削りながらも辛うじて着地を決めた。
「あの町で無様に泣いて逃げた少年とは思えぬな」
騎士はチラリと魔獣の死体を見る。
「戦いで成長したか。それも驚異的な速さで」
剣を構える。
騎士の頭上、上段に構えられた剣が黄昏の光に染まる。
冷たい殺気がルルヴァに向けられる。
虫の音は途絶え、凍り付くような静けさが森に挟まれた街道に満ちる。
「魔王の血は絶やさねばならん。故に私は君を殺す。恨むならば自分の血を恨め」
ルルヴァは荒くなる自分の呼吸を感じながら、氷を再生させた剣を構える。
逃げ場は無い。
残り八人の騎士達がルルヴァ、そしてペローネ達を包囲するように展開している。
目の前の騎士から抜き出た圧を感じるが、それでも他の騎士達もあの黒狼の魔獣よりも格上の気配を感じる。
パムの町の情景。
友達の姿は炎の中に消えた。
石畳の道が赤く染まる。
横たわる人。
その姿に、自分達が重なる。
(ここで僕は死ぬのか)
(いや)
(違うっ)
恐怖で涙はもう溢さない。
一片の恐怖がこの場では致命の枷となるのを理解する。
だからルルヴァは自分を奮い立たせる。
最も信じる強さ。
それを念じ想う事によって。
(父さんっ)
ゆっくりと虫の這う速度で足を滑らす。
騎士の姿を、部分を注視するのではなく全身を視界の全てで捉える。
景色の色は褪せ、静と動だけの世界となる。
「チェアアア」
雄叫びを上げて騎士が動く。
地面を踏み割り、音を後に残し、聖銀の剣が光を切って振り下ろされる。
刹那よりも少し。
ルルヴァが微かに捉えた騎士の剣の動き、その起こり。
一歩にも満たない足の移動。
僅かに掲げる氷の剣。
刃を覆う全力の朱色の魔力。
振り下ろされた聖銀の剣が氷の剣へと打ち下される。
ルルヴァはその力を必死に受け流そうとするが、騎士の聖銀の剣は、威力を減ずる事無くその軌道を変える。
刃の向きはルルヴァを捉えて離さず。
騎士の力、聖銀の効果を受けた氷の剣は刹那の時間の流れの中で砕けていく。
ルルヴァは朱い自分の魔力を操り、砕けた氷の欠片をも使って、騎士の剣を逸らそうとする。
氷の剣が断ち切られる。
そして氷の破片の連なりの上を聖銀の剣が滑ってゆく。
ルルヴァの瑠璃色の髪が舞い散り、腕を聖銀の刃がかする。
その結果に騎士は瞠目する。
外れた聖銀の刃が起こした風がザンッと音を立てて木を切断した。
「面白い」
黒衣の騎士の言葉に初めて感情が宿る。
驚き。
そして愉悦。
余波に吹き飛ばされたルルヴァは息を荒げて片膝を突く。
右腕に出来た傷からは赤い血が流れ出した。
「面白い存在だよ君は。皆敵確殺のこの技をまさか君のような子供が防ぐとは」
クフクフと漏れるのは笑い声か。
「そうだな、試練を与えよう。これを乗り越えた時君はもっと強くなる。そう、強くなって私を楽しませて……そして殺されろ」
騎士がパチンと指を鳴らすと、静観していた他の騎士達が動き出した。
剣を構え、また弓に矢をつがえる。
彼らの武器の魔導機構が作動し、錬玉核が各々の属性の輝きを放つ。
「兄さんっ」
「来るなっ」
結界の中で足を踏み出したペローネを止める。
最後の力で氷の剣を生み出す。
「僕がこいつらを止める。だから母さんを連れて逃げろ!!」
強い疲労が襲う身体を必死で立ち上がらせる。
(魔王の娘である母さんを、人間の手が殺す事があってはならない)
そうすれば、共に歩み始めた人の世界はまた血と断末魔が満ちる戦場へと変わる。
共存の象徴であった故郷のパムの町は消された。
だから、ここで母を失う訳にはいかない。
それはパムの人達に託された想い。
新しい時代への希望。
決死でも成す覚悟。
そして敵に対する必殺の意思。
荒々しく濃密な殺気に、ペローネ達に向かおうとしていた騎士もルルヴァへと向き直る。
(父さんに勝ちたかったなあ)
「さあ生き残って見せろ少年。やれ」
振り下ろされた手は処刑開始の合図。
放たれる魔法、放たれる矢。
眩い閃光と巨大な爆炎がルルヴァを襲った。
「いやああああ!!」
ペローネの絶叫が木霊する。
黒衣の騎士は渦巻き燃え上がる火柱を眺めて。
「これは駄目そうだな。見込みがあると思ったのだが、クフフ、まあ当然か」
へたり込んだペローネを睥睨する。
「さて、あとは君達を処分するだけだ。抵抗できるならしたまえ」
騎士の聖銀の剣が一振りで涙するペローネの結界を切り裂く。
魔導短杖を構えるペローネを一顧だにせず、鉄靴の蹴りが彼女をボールのように蹴り飛ばした。
「がはっ、はあ、はあ」
「君は彼のように面白くはないな」
荒い息を吐くペローネに聖銀の刃が振りかぶられる。
騎士が彼女の命を断とうとしたとき、周囲の騎士達が絶叫を上げた。
「た、隊長!!」
「どうした?」
部下の声に応えるも刃は止めず。
しかし少女の首を断ち斬るはずの一撃は、金属が打ち合う音と共に止まった。
騎士の聖銀の剣が別の聖銀の剣と交差している。
その使い手は、目の前に突如として現れた白い法衣を纏った金色の髪の少女。
少女が剣を払う。
「くっ!?」
その華奢な見た目からは想像もできない力に不意を突かれた騎士は身体を飛ばされ、しかし危なげなく着地を決める。
少女の正体を朧げに察した騎士の頬を冷や汗が一筋流れる。
そして視界に入った影にギョッとする。
魔王の血を引く少年がいた場所を、セラミックスの輝きを持つ繭が包み込んでいたのだ。
「アッパネン王国の聖典騎士団、その暗部の方々ですね。こんな時間までゴキブリのように這いずり回って。本当にご苦労さまです」
クルクルと回された少女の剣が一瞬で槍に変わる。
トンと石突を地面に置いた少女は穏やかに微笑えむ。
微かな光と闇の混じり合う黄昏に絶世と呼ぶに相応しい少女の容貌が浮かぶ。
切れ長の紫眼が魔性の灯のように輝いていた。