哀愁
過去を変える事は出来ない。
どんなに悔やんでも。
どんなに嘆いても。
剣を振るい知を修め魔を極めても、心は過去に焼かれ続ける。
無垢な時を過ぎて、それを知った時。
人は絶望を知る。
* * *
リーシェルト公爵家所有飛行艦 フィレンツ内艦長室
「そうか。ベルトナッド侯爵家とナテスファン侯爵家の到着は明日になるか」
「はい」
艦長である虎獣人のブブナンの声に答えた秘書官は、持っていた書類を彼の机の上に置いた。
「それと例の、イスカル殿下のご子息が負傷者の治療の手伝いをしたいと申し出ておられます」
「……。能力的には問題ないようだな。天の属性と初級医術魔法も使える……此処に十二歳と書かれているのはマジか?」
「はい」
医術魔法の初級。
魔法式による負傷や風邪等の治癒を行い、民間に在る者達の大半の能力が初級というカテゴリーとなる。
呪詛や猛毒、伝染病等を扱う中級から魂の領域に手を出す上級などは完全に高度な医療を専門とする者達の領域だ。
しかし医術魔法はその習得が難しく、初級でさえ適性がある者達が努力に努力を重ねてやっと辿り着ける領域である。 専門的な知識の習得から、高い魔力の保有量と繊細な魔力操を行える能力が要求され、自身が持つ適性属性との分野の相性が問われる。
魔法(もしくは魔術)を用いない治療の技術はあるが、それは魔法(もしくは魔術)を用いるよりも大変に効率が悪く、格段に効果が低くなる。
医療において魔法(もしくは魔術)を学び、専門的な知識と技術を学び。
それらを修めて治療魔法から医術魔法の階梯に至る者達は僅かである。
(それを子供が修めた、か)
ブブナンはその才能に畏怖した。
そして彼が才能の炎を燃え上がらすためにくべた、子供である事ができた日々を想い悲しんだ。
「パムの町では開拓者協会の治療院で手伝いをしていたそうで、そこの医師に学んだそうです」
「そうか。まあ『魔王の森』はまだしも『赤土の大森林』が近かくにあるからな。パムの開拓者は王都の開拓者よりも負う傷が多くなる事だろう」
【樹海の魔王】が残した『魔王の森』は、戦後はパムとアッパネン王国を隔てる天然の城壁となった。
それに反して、有史より強大な魔獣が多く跋扈する『赤土の大森林』は交通の要衝に面しながらも、長く人跡未踏の地であり、現在でもその脅威は変わらない。
過去にあったパムはアッパネン王国に対する城塞都市であり、戦後に交易都市として復興できたのはイスカルを始めとした圧倒的な強者や、魔王戦争で滅亡したドワーフの国の技術者が齎した魔導技術の恩恵によるものであった。
「アークバレット卿の推薦もあるし、いいだろう。許可する。指示はフラゴ先生に頼め」
「はい」
秘書が退室する。
そのドアが閉まる音を聞いてからブブナンは一息吐く。
(お嬢様、無理をなさらなければいいが……。冷徹に振る舞おうとされるが本質は情の深い方だ。今回も本来なら王立学院で何事も無く過ごされていたはずなのに)
王立学院の新学期は九月から始まるが、リクスは星の聖女の務めの為にリーシェルト公爵領に留まっていた。
そしてパム襲撃の急報(街壁が破られており、ほぼ陥落の状態)を知ると自らミカゲと共に救援団を組織し、リーシェルト公爵家の騎士団だけをその能力で迅速に移動させた。
(王都に時折来られた時に師事をいただいたイスカル殿下。そして……)
今でも思い出すと少し震える。
紅い鎧を纏った魔王軍の大将軍。
我らの最強の一角であった光の勇者の右腕を斬り取った女。
魔王の娘でありノイノの姉。
そしてリクスの友人、いや悪友であった【紅刃槍 ノルファ】。
(ノルファ殿の事をお嬢様は『利用しているだけ』と嘯いていらっしゃったが)
昔はよくリーシェルト公爵家の城を抜け出してノルファと一緒に冒険をして、楽しそうに笑い合いながらに城に帰って来た。
戦い方も生き方も信念も、そして捻くれた一面もリクスはノルファから学んだ。
(そう、本当はあの紅刃槍の女傑をお嬢様は姉のように慕っていた)
赤土の大森林に囲まれたパムの地形は陸の孤島である。
生い茂る非常に高い木々と魔獣、そして定期的に現れる深い霧。
飛行艦が進むのは非常に厳しい環境であり、それ故にリクスがいなければ此処まで早くパムの住人を救助する事は不可能だった。
がむしゃらに、そして必死の形相で神器を駆使してこの地まで飛行艦二隻と二千名の人員を移動させ。
一人、数名の部下を伴なってパムへと先行した。
ノイノ達を助け、しかしノルファの死を知った。
感情の抜け落ちた顔で、ただ一度だけ地面を殴り付けた。
そして自分が成すべきことを成す場所へと歩いて行った。
ブブナンは思う。
『お嬢様は立派である』、と。
貴族として立つ者として。
戦場に身を置く者として。
十三歳の少女がそう振る舞う。
それがどうしようもなく悲しくてならなかった。
脳裏を過るのは死んでいった友達と、大恩ある前リーシェルト公爵の顔。
(あの戦いから十二年。……、……。……短かったな)
傍らに置いたコーヒーの湯気が消えていた。
冷めて香りの無くなったそれを呑み干した。
(魔王が居なくても……、……結局は人は争う運命にあるのか)
憂いを湛えた瞳が窓の外を向く。
夜空に瞬く星々の光は、十二年前と何も変わらなかった。




