人生の師
私の父は、教師のことを、
教員
と呼んでいました。
父に尋ねたことはないですが、
「師」ではない
という意味でしょう。
何故なら、
生徒に教えることよりも、生徒から教わることの方が、
遥かに大きい
からです。
私も、教師と教員を書き分けようと思ったのですが、いきなり第一話で失敗してしまい、諦めました。
私にも、
人生の師
と仰ぐ生徒がいるのです。
私はその生徒を、
不登校の彼
と、呼びます。
そう、彼は不登校です。
小学校の中盤から、学校に行かなくなり、
中学は、一回も行かず、
高校は、
通信制に入ったのですが、期限がきてしまい、
また、入り直したのですが、
七年在籍して、
結局卒業出来なかったのです。
私が、
人生の師
と仰ぐのは、
不登校の彼が、私の考えが間違っていることを教えてくれたからです。
私は塾の経営者なのに、学校に価値なんて感じていなかったんですよ。
学歴なんてどうでもよかったし、
学校なんてどこでも同じ
と、思っていました。
三十年以上前の話ですが、テレビで「笑っていいとも」を見ていた時、タモリさんが、
「才能のない奴は、学校へ行け」
と言ったのです。
これはインパクトがでかかったねえ。
自分のことを言われている、
としか、思えなかったですね。
学歴なんて、
才能のない私が苦労して身につけるもの
そういう皮肉しか、頭に浮かばなかったです。
「勉強しろ」と言うのは、「死ね!」と言ってるのと同じ、
どんだけ才能があるんだよ。
そんな私に、不登校の彼は、学校の重要性を、
視覚的
に教えてくれたのです。
その場面を見た時、一瞬にして、私は自分の考えが間違っていることに気づきました。
その日は、彼の御両親が、塾に話し合いにみえた日でした。
私は塾の2階から、駐車場を見ていました。御両親を待っていたのです。
駐車場に一台の車が止まりました。
そして、車の中から、まるまると太った一組の男女が降りて来たのです。
丸く見えたのは、上から見ていたからかも知れません。
そして、後部座席から、ヒョロッとした、小さな子供が現れました。
彼です。
彼の体には、筋肉らしきものが、見当たりません。
背も低いです。
この時、不登校の彼は、二十歳を越えていました。
同じ遺伝子を持つ同じ生き物
には、全く見えなくて、衝撃を受けたのです。
大きさが全く違うんですもの。
原因は、明らかです。
小学校から、学校に行ってないからです。体を動かさなさ過ぎたのです。
彼は、小学校から不登校だったために、肉体的には、
二度と成長しない
のです。
私は、
勉強なんて、やりさえすれば誰でもできる
くらいにしか考えていなかったので、
学校に行かなかったら、どうなるか
なんて、思ってもみなかったのです。
この衝撃を、友達に話してみたのですが、
表現力がなくて、全然伝わらなかったです。
友達の次男が、小学生なのに、不登校気味だと聞いて、
「ぶん殴ってもいいから、学校に行かせろ」
と、言いたかったのですが、
前提となる
学校の価値
が理解してもらえなかったため、言えませんでした。
もし、あなたのお子さんが不登校だったら、
ぶん殴りましょう。
学校へ行かなくても、十分な学力を身につけさせてみせる
なんて馬鹿な考えは止めましょう。
学校で身につくことを、個人でやろうとしたら、いくらお金がかかると思っているのですか。
年に一千万円では、足りないですよ。
ただただ、ぶん殴って、学校に行かせましょう。
口で説明して、理解させる
頭のおかしいことは、考えないで下さい。
学校の価値が理解出来た時、
それは、
手遅れ
を、意味するのです。
私は、たまたま、彼に
手遅れ
を見せてもらえたから、言えるだけなのです。
どうですか?
不登校の彼は、
人生の師
に相応しいでしょう。
人生なんて、そんなもの
なんですよ。
本当の大事さに気付いた時、その時には
手遅れ
なんです。
学校に行かなくても、不登校の生徒を対象にした、いろいろな取り組みがあるのでは?
彼もいろいろなところに通っていました。
そもそも、私の塾に来たのも、不登校の生徒を集めた塾の先生が、
「大学受験をするなら、受験用の塾に行った方が良い」
と、言ってくれたからです。
何故その塾で勉強を教えようとしないのか?
それは、その塾が、
詐欺
だったからです。
彼の話によると、塾に行っても、
マンガを読んでいるだけ、
なのだそうです。
彼はマンガも読むし、読書家なので、漢字が全く読めないわけではないのですが、
彼の人生には、
努力
は、ないので、
漢字はほとんど書けません。
小一程度の漢字なら、書ける場合もあります。
算数は、割り算は出来ません。足し算や引き算も、桁数が大きくなると、怪しいそうです。
私が彼に教えていたのは、高校の数学なので、大きな数字を扱うことがほとんどないので、関係なかったですが。
この彼に、因数分解や二次方程式を教え、高卒認定を合格させたのだから、自慢しても良いと思います。
昔、「ビリギャル」というのが、流行りましたが、そんなのとは、次元が違うのですよ。
「ビリギャル」の時、
まず、合格大学を見ました。
次に、出身地を見ました。
それで、もう十分でした。
何を見ていたと思います?
軍資金
です。
プロですからね。金さえあれば、いくらでも、戦い様があるのですよ。
私は趣味でネウヨの書いた文章を読んでいるのですが、
こんなの、お金のことを考えれば、嘘ってバレバレじゃん
みたいな話が、やたら多いのです。
同じように、なろうの作品でも、戦争のシーンが多いのですが、
こんなんで戦争して、どうやって利益を挙げるんだよ
みたいに思えて、興ざめです。
特にミリオタの人は、
利益を無視
する傾向が強いです。
広大な草原を手に入れるために大軍で戦争する
理想的な展開で戦争に勝って、
草原を苦労して農地に開発し、
その開発も大成功して、
それで、やっと利益が見込める
こんなののために、誰が命を賭けて戦うんだよ。
しかも、軍の主力が重装歩兵。
金かかり過ぎだろ。
論功行賞の時、どうするんだよ。
草原なんか貰っても、管理費がかかるだけだぜ。
まあ、受験戦争もお金で動いているのです。
話がズレてしまったので、次話は、彼の英語から。




