37 たすけて
今話もよろしくお願いします。
男に迫られたところをくすんだ白髪の女の人に助けられた。
「これ、あなたが注文したものでしょう? どうぞ」
いつの間にか女の人が僕の手からスイカを受け取って男の人に差し出していた。男の人はまた舌打ちをして、女の人から乱暴にスイカを奪って離れていった。その後ろ姿が人の波の中に消えるのを、震える指先で胸元のターコイズを両手でぎゅっと握りしめながら、目で追いかけた。
「大丈夫ですか?」
「……あ、はい、すいません、ありがとうございます」
女の人に視線を向ければ、心配そうに眉間に皺を寄せていたけど、僕の返事を聞いてふんわりと微笑んだ。それから背後を振り返って周囲をさっと見渡し、お騒がせしました、と綺麗なお辞儀をする。はっとして周りを見れば、いつの間にかできていた野次馬が崩れ去っていくところだった。女の人が僕の方に向き直って口を開く。
「ご無事で何よりです。どうか、貴方に神のご加護のあらんことを」
そう言って胸の前で両手を組んで目を閉じるのをずっと見ていた。目を開き、組んでいた手を解くのも、またふんわりと微笑むのも、その一つ一つの動きをずっと目で追っていた。
「セルマ・ティアレ=アイテルと申します。是非、教会にいらっしゃってください。神はいつでもお見守りくださっております」
「……は、い」
セルマさんはふんわりと笑みを残し、その場を立ち去って人の流れへと紛れ込んでいった。遠目でもすぐに分かる真っ白のローブにくすんだ白髪はすぐに見えなくなった。通りを流れていく人の波を見ていると、横から肩を叩かれる。びくりと全身を震わせて振り向く。
「クリス、ごめん、聖女様に見とれるのは分かるけど、ちょっと注文を……。大丈夫か?」
エドが行列を作っているお客さんと果物を指し示しながら僕の顔を覗き込む。聖女様? ああ、もしかしてセルマさんのことだろうか。それよりも早くジュースを作らないといけない。エドに頷き返し、無理矢理意識を切り替え、ターコイズから手を離して一番手前に置いてあったグレープフルーツを手に取った。
それ以降特に問題が起こることはなく、無事に実習を終えることができた。
手早く後片付けを済ませれば、すぐに図書館の研修室を借りて売上の計算や3日間の問題点を洗い出し、当初の計画を改善するための議論を始めていた。その間、僕はずっと、あの一連の出来事を、思い出していた。
隣からつんつんと腕を突かれて、はっとして意識を引き寄せる。ああ、何度このようなやりとりを繰り返しただろうか。どうも、ぼーっとしてしまう。
「クリス?」
「なに?」
「いや、今日、何があったんだ?」
斜め前の席に座っているエドの問いの意味を考える。今日、何があったか。いろいろあったけど、今の僕の状態を心配して言っているのだろうか。それともあの問題について当事者である僕から事情を聞こうとしているのだろうか。実は単にセルマさんのことを聞きたいだけだろうか。
なかなか答えない僕を見て横にいたポールが補足をしてくれる。
「ほら、聖女様がいらっしゃった時だよ。あの男の人と何があったの?」
ああ、それか……。正直、エドとポールならともかく、あとの4人には知られたくないな……。でも、実習のためにも、聞かれたなら、答えないと。でも、言いたくない。知られたくない。
黙り込んでいるとエドが椅子から立ち上がって僕の肩に手を置いた。肩が跳ねる。いつの間にかターコイズを両手で握りしめていた。その握る手に力を込め、より強く、強く握りしめる。エドが僕の肩から手を離す。
「場所、移すか」
頷いて、ゆっくりと立ち上がって、エドと一緒に研修室から出た。
エドについて行った先は談話室だった。エドに促されて椅子に座る。ターコイズを握りしめる両手から力が緩まない。緩められない。しばらくしてエドが紅茶の入ったマグカップを2つ持ってきて、片方を僕の前に置きながら、テーブルを挟んだ向かいの椅子に座った。どうやら談話室には紅茶があるらしい。
「クリス……。何か、あったんだな」
確信しているかのようにエドが言う。そりゃそうだ、誰が見たって僕は普段通りじゃない。どうしてここまで動揺しているのだろう。そんなに、こんなになるほどの衝撃だったのだろうか、あの男は。分からない。ただただ不安、いや、不安なのだろうか。分からない。訳が分からない。
無理に話さなくていいから、落ち着くまでここにいよう、そう言ってエドは紅茶を飲んで、ずっと傍にいてくれた。
しばらくして、紅茶が温くなったころにようやくターコイズから両手を離せた。紅茶を一口飲んで、僕を心配そうに見つめていたエドと目を合わせて、ゆっくりと、事実を話した。
そんなに内容は多くない。腕を掴まれ、この後空いてるか聞かれ、断れば、連絡先を教えてくれと、腕を、引かれ、顔、が、近く、に……。
たった、それだけ、だ。
何度も息が詰まり、視線が下がり、ターコイズを握ろうとしてしまった。それでもどうにか顔を上げて、最後まで告げた。エドは、気づけなくてごめん、話してくれてありがとう、と悲しそうに笑った。
それからエドと研修室まで戻って、ポールと一緒に3人で先に寮に帰らせてもらった。特に会話は無かった。部屋に入る前に、2人の顔を見て、おつかれ、ありがとう、と言って笑った。たぶん、笑えてた、はず。
崩れ落ちるようにベッドに横になって丸まる。ターコイズを握りしめて、目をぎゅっと強く閉じた。
ベレフ師匠、ブラン、ノワール、どうしていないの。なんで、いないの。
早く帰ってきてよ。
たすけてよ……。
ありがとうございました。
男だらけのいぬヒトについにヒロイン来ました。スタンディングオベーションもらえる気がします。




