167 ちから
空気が重い。
宿に戻ると、風邪で寝ていたノワールは既に目を覚ましていた。部屋に入ってきた僕らの表情から何かを察したのか、ベッドの中で無言を貫いている。
テーブル越しに僕と向かい合うブランは、ゆっくりと装備を外した後、こちらに見向きもしないノワールを不満気に睨みつけている。が、それも数秒のことで、深い溜め息の後、僕へと視線を移す。
「先日、バートって男も言っていたけど――――」
ブランとノワールが冒険者となってから主に受けてきた依頼は魔物の討伐、次に護衛等の傭兵業。特に、後者の依頼を受けられる程度の信用を得られるまでは、ほぼ毎日、魔物を狩る日々だった。
一般的な新人冒険者が受ける依頼と言えば、王都内での雑用だったり、外での簡単な採取だったりと、安全なものばかりなのだが……幸か不幸か、2人は初日に彼等自身の強さを証明してみせた。同時に、いかに凶悪で、そして……協調性が無いか、それも存分に見せつけた。
通常ならば、安全な依頼を通じ、新人冒険者は社会性を身に着け、人との繋がりを得る。仲間を見つけ、共に学び、成長していく。力を身に着け、戦い、護る。そうして積み上げた結果が”信用”となり、”階級”という肩書となる。
しかし、2人はその王道を無視した。
「俺達には……地位が必要だった。できるだけ、早く」
社会的地位を持つ者には力があるが、力がある者に社会的地位があるとは限らない。2人が欲するもの――権力、金、情報――を手に入れるために、2人は唯一持っていた”戦闘能力”を使うことにした。その力に見合うだけの社会的地位である”上級冒険者”という肩書を手に入れるために。
ひたすらに力を振るい続け、ついに地位を手に入れた。それ相応の信用も付随してきた。冒険者同士の横の繋がりを捨てることにはなったが、貴族や商人等、特権階級との縦の繋がりは勝ち取れた。ようやく、望んでいたものを手に入れるための準備が整った。邪道を突き進んだ甲斐があった。
そして、これからは、築き上げたこの立場を駆使して……権力を、金を、情報を、奪い取る。
「地位も、貴族とのコネも、そのための足掛かりに過ぎない」
ブランはそう言うけれど…………。
冒険者達は、国を始めとする特権階級から自身を護るために手を取り合った。そうしてできた冒険者ギルドは民営の組織であり、国民、特に力を持たない平民達の支援によって成り立っている。それに応えるように、冒険者達は平民の、下層階級の暮らしを護っている。
それは特権階級からの理不尽な支配に対する抵抗はもちろん、逆に権利行使が不十分で乱れた統治からの救済も含まれている。
そういった弱き者達の声を受け、代理で特権階級へと訴える。
時には、代表として特権階級から施しを受け、下層へと分配する。
特権階級と下層階級の緩衝材として、互いが直接関わらないように、無駄な軋轢を生まないように、冒険者ギルドは第三者に近い立場として間に立つことで、二者間のやりとりを円滑に進める役割を担っている。
それが……冒険者を始めとする国民と、ギルド、特権階級の三者の関係だ。
僕達のような平民は、特権階級……国や貴族、商人と距離を置こうとすれど、縮めようなどとは思わない。普通は、だ。しかし、目の前の2人は……違う。権力を、金を、情報を得るために……特権階級の人間へと、接近した。
なぜ、そこまで異質にならなければならなかったのか。
いったい……2人は、何を求めているのか。
「俺達は、両親と、弟を……奪われた」
――――家族。
「一筋縄ではいかない相手だ。目星は付いているが……まだ証拠が足りない」
虚空を見つめる金色の瞳が昏く澱む。
「あともう少しだ。あと、もう少しで…………手が届く」
ギリ、と軋む音。
「たとえ、貴族の犬となろうと、必ず――――」
……それが、2人と周囲の間にある確執の原因、なんだね……。
「今まで黙ってて、ごめん。もうパーティーも組んだのに……これじゃ、騙したようなもの、だよね。でも、パーティー解消、すぐ、できるから……」
ブランが席を立つ。
「解消、したくなったら、言ってね。俺、ちょっと……外、出てる」
静かに扉が開閉され、足音が遠ざかっていく。
部屋に残されたのは、終始無言だったノワールと、僕。ノワールはベッドに寝転がったままだ。起きてはいるようだけど……特に、何かを言いそうな気配は無い。
家族を救うため、か……いや、明言してはいなかったけど……でも、2人はずっと、家族のために、それこそ血の滲むような努力をしてきたのか。
僕は……騙されたのだろうか。2人の目的を知らずにパーティーを組んだことは……騙されたことになるのだろうか。
家族を救う、ということは……誰かと対立するのだろうか。争うのだろうか。最悪の場合……攫う、のだろうか。だとしたら……僕は、知らず知らずのうちに人攫いの一端を担う可能性もある、のか……そう考えれば、確かに、ひどい話、か。いつの間にか悪事に手を染めていました、なんて……笑えない。
では、今のパーティーをどうするか。
解消すると、2人とのパーティーという繋がりは失う。が、別に、絶交するわけではない。会えなくなるわけではない。形だけでも距離を置くことで、いざという時には2人との関連性を否定する材料にし、己の身の潔白を証明する……それだけだ。
では逆に、解消しない、となると……いつか、2人が起こすいざこざに巻き込まれることになる。
巻き込まれる……場合によっては、堂々と表を出歩けなくなる。王都に、もっと言えば王国にいられなくなる。それが嫌なら、説得して、2人を思いとどまらせなければならない。
己の身の安全を優先するならば、解消一択だ。2人とその家族の方が大事ならば……存続一択、だ。
僕は……どうする?
「ノワール」
「ん?」
呼べば、すぐに返事とともにノワールが起き上がる。顔色は悪くない。機嫌も……悪くなさそう。いつも通り、何も考えていなさそうな表情をしている。
「ブランとノワールって……いろんな人から狙われてるの?」
バートさんが言っていた。ようやくできた隙なのだ、と。いろんなヤツらが狙っている、と。何を狙っているのかは分からない。バートさんがブランと何を交渉しようとしていたのかは、分からない。
前回の話と合わせて考えれば、僕が2人と共に行動をするようになったことがそのきっかけとなったみたいだけど……。
「あー、まあ、敵は多いだろうね」
「それって、2人が……」
貴族の犬……つまり、貴族に媚びを売っている、から……?
「すっげえ勢いで階級上げたからなあ……嫉妬もあるんだろうけど」
嫉妬。若くして上級となった、その強さに……腕っ節だけで上り詰めた、その実力に、ということか。
確かにありえそうだ。階級を上げる方法は多岐に渡るはずだ。その中には冒険者同士の協力が必要なものもあるだろう。一切協力せず、孤立していた2人が上級となり、その恩恵を受けている。これほど面白くないことはない。
「だいぶ貴族に気に入られてるし、いろんなことに関わったからな。それだけ金になる情報も抱えてるって思われてるんだろ。ま、俺はぜーんぶ忘れたけど」
いひひ、とノワールが笑う。さすがノワールだ。面倒なことは全てブランに押し付けるスタイル、まったくブレない。可哀そうなブラン。
「んで、今はクリスが狙われてる」
「え」
何でもないことかのようにサラリと告げられた事実。何それ聞いてない。
「でも俺がいるからだいじょーぶ!」
ベッドから飛び起き、満面の笑みでノワールが僕へと一直線に駆けてくる。咄嗟に動けず、そのまま真正面から抱き着かれる。椅子が大きく傾く。こわっ!
「クリスは何も心配しなくていいぞ!」
ほ、ほんとうに? いや、そういうわけにはいかないでしょ……。
「僕が狙われてるって、どういう――――」
「安心しろ! 全員ぶちのめしてやった!」
ぜ、全員? そんな、複数いたの? 僕を狙っていた人が? え、なんで? う、うう、なんか、混乱してきた……。
「だからな、パーティー解消なんてする必要無いし、むしろ一緒にいた方が絶対にいい! 間違いない!」
あー、えーっと、そうなる、のか……? 既に狙われてるんだもんな、うん……無意味に離れたところで、余計に敵に隙を与えることになるだけで、つまり僕が襲われる危険性が高まるだけで……となると、存続、一択……?
あれ、僕の身の安全を優先するなら、解消するべきだと思ったのに……これじゃ、どう考えても存続一択じゃん。
存続となると、僕の経歴に傷がつく可能性が高まるが……あくまで可能性の話だ。必ずそうなるとは限らない。2人が今後どうするか次第だし、仮に僕の予想通りだったとしても、説得に成功すれば最悪の展開は避けられる。失敗したところで、極論、事が片付き次第、王国を出ればいいだけだ。
ついでに、相変わらず僕が狙われてしまう、と。これについてはパーティーを解消すれば解決するような問題ではないし、悩むことではない。いや、まあ、僕からすれば大問題だしめちゃくちゃ悩ましいことなんだけど、パーティー存続の是非に関わるような内容ではない。今考えることではない。
となると、ふむ……ブランの言い方からして、解消した方が僕のためになるのかと思ってしまったけど……全然そんなことなさそう。まあ、ブランだって判断を誤ることはあるよね。だいぶ動揺してたっぽいし。
結論。パーティーを解消したところで何も解決しない。むしろ、僕の身が危険に晒される原因となってしまった2人と距離を置いたところで僕が狙われている事実は変わらず、状況を悪化させるだけ。パーティーを存続させた方が何倍もマシ。
ブランは……僕のことを大事にしてくれるのは嬉しいけど、少し過保護だよね。そりゃ、安全が一番だけど、冒険者なら多少のリスクを背負うぐらいがちょうどいいんじゃないかな。もうちょっと僕の事を信じてほしいなあ。乗り越えてみせるから、ね。
そして、僕も意識を改めなければならない。僕は15歳で、冒険者だ。被保護者ではない。どこにいても、身の安全は保障されていない。常に何かしらの危険がすぐ隣で息を潜めている。
周囲に甘えて、いつまでも平和ボケしたまま日々を過ごしてはいけない。自立しなければならない。自衛しなければならない。
僕は……冒険者なんだ。
僕が真剣に考えている間に正面から背後へと移動し、僕の髪に顔を埋めて遊んでいたノワールを引き離す。
「決めたよ、ノワール」
「んー?」
「これからもよろしくね」
ノワールを見上げて告げる。僕の言葉を聞き、呆けた顔で何度も瞬きをしている様を見つめる。僕の言いたいこと、ちゃんと伝わってるのかな……思わず苦笑する。つられたように、ノワールも笑う。
「ああ! もちろんだ!」
再度、抱きしめられる。分かってるのかなあ、これ。まあ、分かってなくてもいっか。ノワールだもんね。
「ブランにも言わなくちゃ。近くにいるかな」
「いるいる。宿出てすぐのとこにいる」
ノワールを背中にくっつけたまま席を立ち、部屋の外へと出る。くっ、気を引き締めようにも、この状況があまりにも緊張感に欠けるせいで……! でも、常にふざけているようなノワールでも、ちゃんとブランの気配を察知しているんだ。僕もそれぐらいできるようにならないと……!
「クリス、喉乾いてないか? ジュースもらってくるな!」
だから、この程度で、気を緩めるわけには……ッ!!
「いや、いいよ、ていうか休んでなよ! まだ風邪治ってないでしょ、ねえ!」
病人が止まることなく廊下を駆け抜け、曲がり角の向こうへと姿を消す。1人残された僕の叫び声が空しく響き渡る…………ううっ、負けるな、僕。