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166 しんよう

 今日も冒険者稼業を頑張……れない!





「くしゅっ」


 少し前にもこんなことあったなあ、なんて思いながら鼻を噛むノワールを見つめる。熱のせいか目は潤み、ゴホゴホと咳き込めば咳き込むほどに顔の赤みが増していっているように見える。とても辛そうだ。


「ぐ……きっつう……」


 ベッドの中に潜り込み、呻くような声でノワールが呟く。息は荒いし目は虚ろだ。本当に余裕が無いのだろう、すぐ近くで様子を窺っている僕に見向きもしない。そっと額に手を当てる。


 ……当然ながら、熱い。ノワールが目を閉じる。眉間の皺が取れた。気持ちいいのかな。後で額に濡れタオルでも置いてあげよう。


「風邪、引きやすいんだね」


 頭痛に響かないように小さく呟く。普段の言動からそうは思えないが、どうやらノワールはとても繊細らしい。まさか、こんな頻繁に風邪を引くような虚弱体質だったとは……体調には気遣ってあげないとな。


「……無理、するなよ」


 後ろに立って様子を見ていたブランが掠れた声を出す。ちらりと振り返れば、ブランは沈痛な面持ちでじっとノワールを見下ろしていた。


「季節の変わり目だからかな。それともまたお酒飲んじゃった?」


「いや……昨日は、何も、変わったことはなかった」


 前回ノワールが風邪を引いた時には自業自得だと厳しく告げていたというのに、今回は随分と落ち込んでいる。責任を感じているのだろうか。どれだけ体調管理してても、誰だって風邪引く時は引いちゃうよ。原因が思い当たらなくても仕方ないと思うよ。


 ノワールに視線を戻せば、虚ろな目がこちらに向いていた。少し開いた口からは荒い息が漏れるのみ。何か言いたいことがあるのだろうか。しばらく目を合わせてみたが、何の言葉も発せられない。とりあえず、力なく放り出されていた手を握り、優しく撫でる。


「ねえ、ブラン。回復魔法、使わないの?」


「……クリスに頼んでも、いいかな」


「僕?」


 驚いて振り向く。自慢じゃないが、僕は回復魔法が下手だ。間違いなく下手だ。勉強も修行もしていないので、魔力量にものを言わせて全身へと無駄に魔法を施し、強引に治すようなやり方になる。それはとても身体に良くない。過ぎたるは猶及ばざるが如し、というやつだ。確実にノワールの寿命が縮む。ブランなら分かっているのでは。


 しかし、どうやら冗談ではないらしい。振り向いた先には真剣な表情で僕を見つめるブランがいた。何故だ。理解できない。どう考えても僕がやるべきではない。動揺を思いっきり表情に出せば、ブランが辛そうに顔を歪めた。


「ノワールにはその方がいい、きっと」


 ……いいのか? いやいや、よくないでしょ。そうは思うが、苦しんでいるノワールの近くでうだうだと言い合っていつまでも辛い思いをさせてはノワールが可哀そうだ。さっさと引き受けて僕が回復魔法を使うか、断ってブランに押し付けるか、どちらかだ。


 ブランが僕から視線を逸らす。その表情は……悔しそう、に見えないこともない。本当はブランが回復魔法を使いたいのだろうか。強く断ればブランが代わりにやってくれそうな気はするけど……それもまた、ブランにとっては不本意かもしれない。うーん……。


 ああもう、やるか、回復魔法。ノワールと再び向き合う。先程まで僕を見ていたノワールは、今は目を閉じて仰向けに寝ている。握っていた手を離し、額に手を置く。ブランがやれって言ったから、だからね。僕は悪くないよ。それに、ノワールなら回復魔法が下手な僕を怒ったりしないって信じてる。


 ……んんんん……そんなのでいいのか……? いや、よくないんだけど……。


 よくないけど、やるって決めたからには集中だ。できる限り、無駄に回復魔法を施さないようにしよう。基本的に、炎症を鎮めればいいんだ。想像するんだ、まず手始めに頭痛の原因を…………って、いやいやいやいや知らんし! 脳なのか! 脳の炎症を鎮めればいいのか!! え!? 脳の炎症って!? どこよ!?




 ……とにもかくにも、パニックになりながらもどうにか風邪の諸症状を和らげることはできた。しかし、良いのか悪いのか、落ち着いたノワールはそのまま眠りに落ちた。正直、やっちまったのかと思った。肝が冷えた。


 しばらく様子を見ていたけど、呼吸も脈も安定しているし、熱がぶり返しそうな気配も無い。本当は目が覚めるまでずっと側にいたかったけど、寝ているノワールにできることは何も無い。それに1人で寝かせたまま出かけても問題無い程度には安全な宿に泊まっている。


 と、いうことで、ブランとギルドへ向かうこととなった。


 金銭的に余裕が無いわけでもないのにそこまでして依頼を受ける必要があるのだろうかと思ったが、どうやら僕の冒険者としての階級を上げるためにもできるだけ数をこなしたいらしい。お手数をおかけします。ありがとうございます。


 上の階級であればあるほど、その人物は実績を積んでおり、名前と顔が知られており、信用に足る、ということの証明になる。この信用というのが実に便利なものだそうだ。


 ギルドカードは身分証明書としてあらゆる場面で使えるが、カードを見ればどの階級に位置するのか、詳しく見ずともそれ自体の色ですぐに判別できる。上級であればあるほど素材が特殊で偽造が困難なため、疑う必要も無い。


 そうして信用の度合いを示すことができれば、以降は"冒険者様"である。


 冒険者ギルドは平民側の組織であり、国や貴族との緩衝材としても機能しているため、あらゆる面で平民の生活を保護しているのだ。そのギルドで実績を積んでいる冒険者など、歓迎するしかない。日々の感謝を伝えるしかない。もてなすしかない。


 そういう意識が浸透しているため、上級冒険者というのは実に過ごしやすい。宿の主人にノワールの体調不良を告げれば、恐ろしく真剣な顔つきで力の限り看病すると宣言してもらえるぐらい融通が効くようになる。


 傍から見れば脅しに見えそうな気もするけど……それが信用というものだ。"宿泊"という商品を通じて信用を内外に示しているのだ。この信用を失うのは互いに、さらには全平民にとっての痛手……それを理解し、適切に扱えてこその上級冒険者。


 なのだが、ノワールはそんなこと知らない。理解しない。天上天下唯我独尊。ゴーイングマイウェイである。というわけでブランがその肩書を十二分に誇示しなければならない。


 僕の階級を積極的に上げる理由にも、そういった事情が含まれるらしい。実に申し訳ない。




 冒険者ギルドの入口を潜り、いつも通り掲示板へと真っ直ぐに向かう。魔物の字が書かれた依頼書を視界に選り抜き、内容を流し読む。難易度順、報酬順、掲載時期順……頭の中で情報を整理し、どの依頼が最も美味しいか考える。


 考えたところで、必ずしもノワールがその依頼書をふんだくってくれるとは限らないので、あまり意味はないが――――そこまで考えて、今日はノワールがいないことを思い出す。あー、考える必要、無かったや。僕、毒されちゃってるなあ。


 掲示板の前で立ち止まる。こうやって立ち止まって掲示板を眺めるのは久しぶりだ。どの依頼を受けるのだろう。ブランに聞こうと振り返り、驚く。


「あ、クリス。ごめんけど助けて。痛い」


 バートさんの腕がブランに捩じ上げられていた。


「え……えっ!? 何してるの、ブラン!」


 慌ててギルドホールの真ん中にいる2人の元へと駆け寄る。依頼書を見るのに集中していて全く気づかなかった。これだけ殺伐とした状況にありながら2人揃って少しの音も発さないって……気配消しすぎ!


 感情が欠落した、寒気を感じる無表情でバートさんを見下ろすブランの腕を掴む。冷ややかな金色の瞳がすっと僕へと向けられる。無言の圧力に、ぞわり、と背筋が凍る。


「ブラン、離してあげて……?」


 ギルドホールが静寂に包まれる。誰も動かない。ごくり、と喉が鳴る。怖い。ブランの腕を掴む手に力が入る。金色の瞳が細められ、バートさんが解放される。


「くあー、痛かった。助かったよ、ありがと、クリス」


 バートさんが軽く笑いながら、捩じ上げられていた肩から手首にかけてを擦る。ブランの表情は変わらない。一言も発さず、じっと僕を見つめている。


 ブランから視線を逸らす。腕を握っていた手を離す。バートさんへと身体を向ける。視界からブランを外す。妙な焦りが心臓を締め付ける。


「いえ……それよりどうしたんですか、バートさん。またこんな忙しい時間帯に」


「クリス見つけたから追いかけてみた」


 なんだそりゃ……また前回みたいに心臓に悪い登場をして僕を驚かせようとでも思ったのだろうか。それでブランから手痛い仕打ちを受けたっていうのか。


「ほら、1人、黒髪の方がいないでしょ? チャンスかなって思ったんだけど、そんなことなかったね」


「ノワールのことですか? 今、風邪引いてて……それで、チャンスっていうのは」


 僕の言葉を聞いてバートさんがにっこりと笑う。親指で休憩所を指し示す。はい、立ち話も何だし場所を移しましょうってことですね。分かりました。


 バートさんの隣に並んで休憩所へと向かう。ちら、と背後を確認すれば、相変わらず冷え冷えとした無表情のブランが音もたてずについて来ている。


 ブラン、どうしたんだろう。この雰囲気、まるでノワールだ。殺気が迸っていないだけマシだけど……。




 テーブルを挟んで向かい合う僕とバートさん。ブランは僕の斜め後方に立っている。席を勧めたけど、無視された。ずっとバートさんを見ている。怖い。


「本当は前回会った時にいろいろ話聞きたかったんだけどね。怒らせちゃったから一度撤退して、また仕切り直すことにしたわけよ」


 ブランから射殺さんばかりに絶対零度の視線を向けられているというのに、全く気にも留めずに真っ直ぐ僕を見て用件を述べる。とても自然な笑顔が逆に不自然だ。どんな鋼の精神力があればこの場で笑顔になれるんだ。


「黒髪の方がいないなら、今度こそいけるかなって思ったんだけど……」


 ちら、とバートさんの視線が僕の背後へと向けられる。僕もそっと背後を見る。もちろん、そこにいるのはブランだ。いつもの、戦闘のために、全身を武装している、見慣れた格好の、ブラン。見慣れないのはその表情だ。


 ノワールとお揃いの濃い緑のストールを、口元を隠すようにして首に巻いている。普段は少しも気にならない隠れた口元が、感情の抜け落ちた金色の瞳しか見えない今は気になって気になって仕方がない。


 怒っているのだろうか。笑っているのだろうか。緊張しているのだろうか。興奮しているのだろうか。呆れているのだろうか。恐れているのだろうか。何も分からない。ポーカーフェイスにも程がある。せめて何か言ってほしい。


「どうやら白髪の方も油断ならなかったっぽいね。言うならば……番犬ってところか」


 バートさんがにっこりと人の良い笑みを浮かべる。もしかして、バートさんはブランを怒らせたいのだろうか。神経を逆撫でするような発言はやめてほしい。自重してくれ。いや、そもそも僕がほいほいついていかなければよかったのか……くっ。


「なあ、飼い主さん。分かってるでしょ。やっとできた隙だ。いろんなヤツらが狙ってる。事になる前にさっさと終わらせた方がいい。これは助言だ」


 ……バートさんが纏う空気が変わった。細めていた目が、弧を描いていた唇が、ゆっくりと硬い表情へと変わっていく。黒い瞳がブランを見る。


「もっと言おう。これは取引だ。分かってるだろうけど」


「失せろ」


 背後から聞こえた声が信じられず、目を見張る。バートさんの意図は分からないが、助言だと言っている。それを、ここまで強く、拒絶するだなんて。


「…………本気? 今の状況、理解してるでしょ、カイラル。上級だろ、君ら」


「聞こえなかったか。いい加減、鬱陶しい。俺達を嗅ぎまわるな」


「そう…………交渉決裂だね。じゃ、退散するよ」


 バートさんが席を立つ。その瞬間、ギルドホールの喧騒が全身に響く。驚いて身体がびくりと揺れる。なぜ今まで聞こえていなかったのか。まるで先程までとは別の世界へと飛び込んだかのようだ。めちゃくちゃうるさい。視線が一瞬だけギルドホール内へと逸れる。


「気まずい空気にしちゃってごめん。またね」


 耳元でバートさんの囁きが聞こえる。返事をしようと声の方向へ視線を戻す。しかし、その先には誰もいない。視線だけで周囲を見渡す。いない。席を立ってギルドホール内を見回す。いない。どこにもバートさんがいない。


 ついさっきまで、目の前にいたのに。声がすぐそばで聞こえたのに。呆然と立ちすくむ。置いてけぼりをくらった気分だ。よく分からないうちに話が始まって、進んで、終わった。さっきまでの時間は何だったんだ。夢でも見ていたのだろうか。


「クリス」


 はっとして振り返る。ブランがすぐ隣に立って僕を見下ろしている。その瞳は……先程に比べれば温度がある。何かを思案するように瞳が揺れている。


「宿、戻ろっか」


 ぽつりと、感情を殺した、わざとらしく平坦な声が届く。前回バートさんと会った時はノワールを宥める1日だったが……今回は、なんだか嫌な予感がする。ブランの瞳は、小さく揺れながらも、その内に決意を秘めている。きっと……何か、話があるのだろう。


 ……こういう日は、いつか来るだろうと思っていた。ブランとノワールの2人と一緒にいれば誰だって察する。周囲からの意味深な視線。言葉。態度。処遇。その奥に見え隠れする暗い感情。


 奇しくも、僕はレジーと行動したことがある。普通・・の冒険者達がどのように振る舞い、どのように扱われるかを見ている。良くも悪くも、冒険者の間に遠慮は存在しない。何度か顔を見たことがある、それだけで話しかける十分な理由になるのが冒険者だ。ギルドに通うだけで、仲間が増えていく。


 その時と今とを比べれば……彼等の階級が下級か上級かの違いはあれど、それだけでは説明しきれない、明らかな違和感がある。


 その差は、何故、生じているのか。


 何故、ブランとノワールは、普通ではないのか。



 こくり、と頷く。ブランがゆっくりと瞳を閉じた。

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