165 まりょく
※ヴィンス所長の講義が始まります。
どうにか気味の悪さを飲み込んだところで、気を取り直して再度所長の研究室へと向かった。
研究室のすぐ前で言葉を交わしたからだろう、僕とセルマさんが知り合いであることが所長に知られた。別に隠していないので構わない。知られたついでに彼女が所長の研究室を訪れていた理由を聞いたことも話した。
それを聞いた所長は驚いたようだった。どうやらセルマさんの事情――魔力を失ったこと――は、内密にされているらしい。教会でもほんの一部、研究所では所長のみしか知らない。口止めがされている。もちろん、セルマさんはそのことを知っている。知っているうえで、僕に話したようだ。
なぜだ……ッ!
まあ、知ってしまったものは仕方ない。僕が誰にも話さなければいいだけだ。そんなに軽く流せるようなことではないが、軽く流さないとやってられない。
知ってしまったついでに、原因究明にたった1人で挑んでいる所長の考察に付き合うこととなった。
「親の形質が子に受け継がれる現象を遺伝という。この形質というものは、例えば我々人間ならば毛髪やまぶた、皮膚などの色や性質という有形のものもあれば、才能や性格といった無形ものもある」
遺伝学、つまり自然科学の内容だ。何も難しいことではない。頷いて続きを促す。
「では魔力は、その量や魔法の才能というものは、果たして遺伝されるのか。遺伝されないならば、後天性のものなのか」
そこを問題提起しますか……てっきり遺伝されると思っていた。そうでなければ平民よりも貴族が多く魔力を持つ傾向にあることを説明できない。偶然、の一言で片づけるのは無理だろう。
「どれだけの魔法をどの程度扱えるかは環境によって大きく左右されることは明らかで、後天的であるといえる。では、魔力の量が一生において増えることも減ることもないことが広く知られており、さらには個々人が魔法の方向性によって得手不得手を自覚している、という点はどうだろうか」
魔力の量は、確かにその通りだ。魔法の方向性は……テッドが火魔法に特化しているのがいい例だろうか。確か、親や兄弟も火魔法が得意だったっけ……その事実だけなら、火魔法が得意な家系、と考えられなくもない。
「魔力の保有量は先天性であると言えそうだ。そして魔法……魔力の扱いにも、先天的な要素がありうる、というのが現段階での一般見解だ」
一般見解。うん、異議なし。
「彼女、セルマは例外だ……といっても、彼女の立場上、あまり公にすることもできないが……魔力が後天的に獲得、喪失された唯一の事例だ。魔力研究への異なるアプローチが期待できる」
……あれ、後天的に獲得って、言い切っていいのかな。ただの勘違いじゃないのかな……まあ、話の腰を折るのはやめておこう。
「本来、魔力は体内に溜めるものだ。使えば減るし、時間が経てば増える……ストックとフローの概念に当てはめようとする者がいたが、魔力をシステムとして捉えるにはまだ解明できていない要素が多すぎる」
所長が紙に簡単なフロー図を書き込む。大気、鉱石、海、生物……魔力の流れが俯瞰的に描かれる。
「環境中に魔力が存在しているからといって、我々が環境中の魔力を体内に取り込んでいるとは限らない。体内で生成しているかもしれないし、生成した魔力と環境中の魔力を混ぜて取り込んでいるかもしれない。能動的なものか、受動的なものか、どちらにせよ任意に取り込めず、自然に任せるしかないのが現状だ」
取り込むにしろ、作るにしろ、溜めるにしろ、魔力を扱う器官は体内のどこにも存在しない。そして、意識してそれらの反応速度を調節することもできない。困ったものだ。
「彼女はどうだろうか。環境中の魔力を取り込めなくなったのか、自身で生成できなくなったのか。現在、彼女の体内には検出できるだけの僅かな魔力すら存在していないことは分かっているが、これは全ての魔力が体外へ放出された、と見れるのか。それまで内外を自由に移動し蓄積していたものが、なぜ内に留まらなくなったのか」
…………分かりません。
「さて、ここまでの話は全ての魔力が同一であると仮定した場合だ。魔力は共有されず、循環せず、全て消失するものだとするとどうだろう」
魔力が、消える。つまり、保存則に喧嘩を売る、ということか……思い切った仮説だ。
「物質は絶えず魔力性物質を放出し、魔力性物質は消費されるか一定期間を経て崩壊するかで失われていく。つまり、魔力性物質とは循環システムを持たず、消失の一方向へのみ流れゆく各物質固有のものである……時代遅れどころか化石レベルの、科学とすら呼べないような考え方だが、君に否定できるかい?」
所長がにやりと不敵に笑う。なるほど、魔法科学の礎を成す自然科学に対し、真っ向から対立する気満々のご様子である。めちゃくちゃすぎる。恐ろしい人だ。
「魔力性物質はその発生源となる物質の数だけ多種多様に存在し、全て寿命や魔法への適性が異なる。そのため、固有のDNAから成る固有の身体を持つ我々人間を始めとする生物は、各自固有の魔力性物質を生成、保有しており、結果、体内に留まる魔力量や魔法の得手不得手も各自異なる」
……はい。
「つまり、特定一個人と同じ魔力性物質を生成、保有、利用する者は他に誰一人として存在しない。例えば、誰もが異なる指紋を持つように。このような魔力性物質の特徴を魔紋と呼ぶとしよう。いつか、個人を特定する手段にこの魔紋が利用できる日が来るかもしれない」
…………なるほど。
「魔紋があるとするならば、子が親と似た魔紋を受け継ぐ、それこそ遺伝とも呼ぶべき現象が起こるのも当然ではないだろうか。既知の事実として、親子は同じ遺伝子を持ち、似た形質を発現する……つまり、同じ物質を持つのだ。それに、母親の胎内で血液を共有し、母体の魔紋に晒され続けることになる。発生のどの段階で魔紋が定まるかが不明でも、これだけの条件があってなお遺伝様現象を否定する方が困難ではないだろうか」
………………ふむ。
「魔力性物質が一方向性であり、魔紋が存在することを前提に考えるならば、セルマの場合はどうなるだろう。魔力性物質が生成されなくなっただけではなく、魔紋が変わった……つまり、崩壊期限が縮んだことで検出できないほど短い寿命になった、適性が変わったことでそれまでと同じ魔法が使えなくなった……それに、たった今思いついたが、既存の手法では検出できない魔紋に変異した、そんなことまで考えられるのではないだろうか」
……………………。
「ふむ、既存と異なる……とすると、魔紋には多数派と少数派で二分されるのかもしれないな。今まで魔力があると考えられていたのは多数派で、その逆が少数派。それぞれ魔力の扱い方が異なるため、少数派は魔力が無く、魔法が使えないと思われていたのかもしれない」
ちょっと待って。どうして話しながら考察を進めるんですか。いけませんよ。僕の頭が混乱します。
「仮に多数派を陽性、少数派を陰性とすると、セルマの魔紋は陰性から陽性となり、再び陰性となった、ということか。そして陽性魔紋を検出、利用する手法しか知られていない、と。ふふ、面白くなってきた」
はははは~、自分の世界に入ってらっしゃる~、楽しそうで何よりです~。
魔力の正体を解き明かす道のりはとても長そうだ。いろんな話を聞いたけど、その全ては経験則である。科学的な裏付けのある説は皆無で、推測の域を出ない。
とはいえ、魔力議論を全て無駄と切り捨てるようなことはしない。魔力という、確かにそこにあるはずなのに形や量が不明瞭で、掴みどころのないふわふわとした曖昧な謎のエネルギー体を、国中のめっちゃくちゃ賢い研究者達が検証を重ね、言葉を尽くし、論理立てて表現してくれているのだ。
めちゃくちゃありがたい、その一言に尽きる。
正しいかどうか、なんてどうでもいい。僕が魔力に抱く印象を寸分違わずに文字に起こしていただけたなら、それだけで感涙に咽び地に頭を擦りつけ感謝の言葉を捧げられる。それだけの価値がある。
現状、魔力を操り魔法を扱うのは感覚に頼るしかなく、その精度は個々人の想像力に依存しているといっても過言ではない。その想像力を支える確固たる概念を持つことができれば、それだけで魔法の威力が上がりそうだ。
魔法科学の研究者達が魔法使いとしても優れているのはそういった面があるから、なのかもしれない。常日頃から魔力を扱っているのだ。魔力とはいかなるものか、自分の中で確かなイメージがなければやっていけないに決まっている。
そういう意味ではセルマさんが魔力を授けられた力だと信じ切っていたのは正解なのかもしれない。あくまで魔法を使うなら、という話ではあるけど。
僕にとっての魔力とは……流体だ。一度、妙に感覚が冴えて魔力を見ることができたが、あの日以来、僕の中では常にそのイメージだ。
魔力とは一か所に留まることなく孤立系の中で循環し続けるもの。
孤立系としては、人間……生物の身体が代表的だろう。内と外の境界が物理的に明確で、魔力だけでなく血液という流体が既に存在している。その流れに便乗するように、魔力もまた全身の隅々まで行き渡り、巡り続けるのだ。
レジーは身体強化以外は全くできないそうだが、元々体内を満たしている魔力を使うのだから、身体強化のような自身の身体を対象にした補助魔法は魔法の中で最も簡単だしできて当然だろう、というのが僕の偏見だ。
次に難しいのは生活魔法や攻撃魔法と呼ばれる魔法だと思う。体内の魔力を体外へ放出し、その魔力を循環させる新たな孤立系を作らなければならないのだ。そういう意味では、木や土魔法のような、既に閉鎖系の枠組みができあがっている物体に作用する魔法は簡単な方だろう。
とはいえ、環境中にも魔力が存在し、その内は大なり小なり魔力で満たされているのだ。そこへ侵入し己の魔力空間を作り、孤立系を構築するなど、侵入される側からすれば理不尽以外の何物でもない。その理不尽をゴリ押す力が強ければ強いほど、魔法が上手い……そういうことだと思っている。
その前提で考えれば、回復魔法や弱体化を代表とする補助魔法のような、意思ある他者の孤立系へ侵入しなければならない魔法は最も難しいと言えるだろう。回復魔法は互いの同意があり、受け入れる態勢が整っている場合が多いためにそこまで難しく思われていないかもしれないが、弱体化はその真逆だ。
他者の意思を捻じ曲げ、抵抗を押さえつけ、孤立系をこじ開け、魔力をねじ込み、己の支配下に置く。文字にしてみると恐ろしい魔法だ。難しいと言われているのも納得である。
……これが僕にとっての魔力。このイメージに最も近い魔力の在り方を確立させることができれば……もしかしたら、ベレフ師匠を御する日も遠くないのでは……!? わくわくしてきた!!
となれば、僕よりも強い人に聞いてみるべきだろう。
質問! あなたにとっての魔力とは?
「ん、デタラメ、かな」
師匠がうさんくさい笑顔で答える。僕もついつい笑顔になる。なるほどなるほど、デタラメですか、それは貴方という存在のことでしょうかねぇ、はははは、まったく、貴方という人は、なかなか面白い冗談を仰る。キレそう。
「大丈夫、信じる者は救われるんだよ」
何言ってんだコイツ。
「魔力がどれだけ強くても、負けないでね、クリス」
修行中の会話は、師匠の意図を推測できる程度に必要な単語が出揃っていたんだな、というのを思い知らされる。師匠の中では筋が通っているのだろうが、前後の発言がどのように繋がっているのかさっぱり分からない。何を言いたいのか、これっぽっちも分からない。僕は理解することを諦めた。
「魔力は魔力だ!」
ノワールの、一点の曇りもない素晴らしい笑顔が少し憎い。まあ、質問する前に思ったさ、聞く意味あるのかな、って。力こそパワーって感じだもんね。難しく考えなくても、ノワールぐらい頭空っぽにして受け入れるのが一番なのかな。
「いくらあっても困らないし、もっとたくさん欲しいな!」
お金かな?
「どっか落ちてねえかな?」
魔力って落ちているものなのか。言葉通り、ノワールが周囲をキョロキョロと見回す。つられて周りに視線を巡らせるが、何の変哲もない、いたって普通の日常が送られているだけの王都の街並みが見えるだけだ。ノワールに視線を戻せば、眉間に皺を寄せて口を尖らせている。うん……がんばって。
「難しいな」
ブランが真剣な表情で腕を組み、考え込む。そう、僕はこういう反応が欲しかった。僕と同じように悩む姿が見たかった。まったく、人選を間違えすぎちゃったよ。
「常に側にあるようで、実はどこにも存在していない。決して手が届かない、遥か遠くにあるもの。表面をなぞることすらできない、別次元の概念。この世に生きている限り、誰にも理解できないもの。それが魔力だと思うよ」
んんん、詩的だ……僕が期待していた答えと違う。
「言葉を尽くして虚像を描くことが距離を縮めるとは限らない。むしろ、本質から離れ、思考を雁字搦めに固める行為かもしれない。常識を疑って不条理に身を投じることが近道だったりして、ね」
ふ、とブランが柔らかく微笑む。はぐらかされたような気がするが……別次元の、理解できないもの、か……言葉で表現するのが難しいというより、不可能、なのかな?
…………魔力、難しい。