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162 としょしつ

 その再会は唐突に訪れた。





「クリス?」


 学校の図書室で専門書を漁っていると、どこかで聞いたことがあるような、落ち着いた声が聞こえた。その声がした方向へと振り向けば、サラサラとした銀色の髪と澄んだ琥珀色の瞳の少年が驚いたように目を見開いてこちらを見ていた。


 少年はその細い腕で分厚い本を何冊も抱えながら、微動だにせず突っ立っている。半開きの口とぱちぱちと何度も瞬きしている瞳からは、隠しきれない幼さが滲み出ている。


 そして何より……その全てに、見覚えがある。


「クリス……だよね」


 少年が爽やかな笑みを浮かべる。こちらへと歩み寄ってくる。その笑顔を見上げながら、思い浮かんだ名前を告げてみる。


「ポール?」


「うん、そう。久しぶりだね。半年ぶり……かな?」


 半年。たった半年、されど半年。久しぶりに出会ったポールは……かつての面影を残しつつも、青年への過渡期らしく、不安定ながらも大人びた雰囲気を醸し出す美少年となっていた。


「久しぶり! 雰囲気変わったね、誰かと思った」


「そう? クリスは……全然変わらないね。見てすぐに分かったよ」


 ポールは変わらぬ笑みを浮かべているが、僕の表情は苦い笑みへと変わる。本当にね、僕って変わらないよね……この、万年幼児体質……いつ脱することができるのやら。


「時間ある? せっかくだしいろいろ話したいな」


「もちろん」


 返事をしてから窓の外を確かめてみれば、まだまだ日は高い。ノワールが迎えに来るまで、十分すぎるほど時間はある。少し待ってて、と言ってポールが抱えた本の貸出手続きのためにカウンターへと速足で向かう。僕も読んでいた本を元の位置に戻し、ゆっくりとその後を追う。


 土産話を持って帰る約束をしたこともあるが、レジー以外にも誰かと話してみんなの近況を知りたいと思っていたので運が良い。それがポールだというのがさらに良い。


 レジーは少し気まずいし、テッドは気まずいどころじゃない。エドはちょっぴり怖かったし、アルは正直めんどくさい。ポールだって油断ならないところはあるけど、態度は友好的だ。土産話という名の作り話、3回目とはいえやはり少しは緊張するし、どうせなら話しやすい相手に語るのがいい。


 手続きをしているポールの姿を遠目に見ながら、改めて僕の半年を頭の中で確認する。


 主な目的は帰省だったけど、その道中はたくさんの村や街を巡るちょっとした冒険。しかし行き当たりばったりな旅であり、王都に戻ってくるまで予想外に時間がかかってしまった……そんな"物語"だ。


 ブランやノワール、ベレフ師匠から投げかけられた数々の質問をも乗り越えた、矛盾なき完璧な物語。ポールを納得させられない訳が無い。さあ、どこからでもかかってこい。僕の準備は万端だ。


 そんな僕の胸の内に気づくことなく、手続きを終えて本を抱え直したポールがすぐに僕を見つけて小さく手を振る。笑顔で手を振り返しながらポールの側へと駆け寄り、小声で話しながら図書室を出た。




 2人並んで廊下を歩く。ちょうど授業の合間の休憩中のようで、教室を移動する多くの下級生達とすれ違う。


 その中でも特に固まって動く集団を見れば、彼らの着る制服はまだまだ真新しい。その腕に抱える教科書の懐かしさに、新入生の頃を思い出してしまう。まあ、秋入学の僕と春入学の彼らでは少し違うだろうけど。


 狭い廊下を抜ければ、テーブルや椅子がいくつか置かれたホールへと出るが……休憩中なだけはあり、ほぼ満席である。雑談に興じる者や頭を寄せ合い勉強へと充てる者など、次の授業が始まるまでの隙間時間を各々自由に過ごしている。


 ポールは歩調を緩めて空いた席が無いか探していたが、諦めたようで別方向へと足を向ける。


 大人しくついて行けば、中庭が見渡せるテラスへとたどり着く。そこも満席であったが、どうやらポールが目的としていた場所では無いらしく、そのままテラスを横切っていく。


 中庭に入っていくのかと思えば、中央ではなく端へと向かう。そうして植木をひとつ越えれば、質素なテーブルと椅子が2脚置いてあった。


「いつも空いてるんだよね、ここ。僕のお気に入りの穴場。静かでいいでしょ」


 振り返ったポールが得意げに微笑む。妙に色っぽい仕草だ。女の子を何人か連れ込んだことがあるに違いない。


 テーブルに本を慎重に置くポールを横目にさっさと椅子に座る。もしかして穴場すぎて手入れもされてないのではないかと思ったが、特に汚れも見当たらず、座り心地も悪くない。ポールの言う通り、先程までの喧騒も遠く離れ、葉擦れの音が聞こえるほどに静かだ。これなら落ち着いて話せそう。


「次に会うのは卒業式かなって思ってた」


 ポールが椅子に腰かけながら言う。卒業式って……冗談かと思って笑えば、ポールも笑いながら続ける。


「もう毎日学校に来てるのって僕ぐらいだよ。エドも来ないし……」


 意外だ。レジーとテッドとアルならともかく、エドまで学校に来てないだなんて。その驚きをそのまま告げれば、ポールもそうだろうとばかりに頷いて同意する。


「宝石職人さんのとこに弟子入りして、学校に来る余裕が無いみたい。もうだいぶ会ってないや」


 聞けば、エドは職人の自宅兼工房に住み込みで扱き使われているらしい。勉強するのに図書室の本が必要になるのでは、と初めは何回か様子を見に行ったポールも、住み込み先に置いてある本の方がより実践的であることを告げられてしまえば、何も手伝えることがない。


 それに、職人の方が割と気難しいようで……客でないポールを容赦なく邪険に扱うそうだ。そこまでされては足しげく通うわけにもいかず、特に連絡を取り合うこともなく現在に至る、とのこと。


「そういえばポールは毎日学校に来てるんだっけ」


「うん。働こうにもまだ14歳だから難しいんだよね。それで、この1年間はとにかく勉強しまくることにしたんだ。今日はたまたま授業が休みだったから図書室に行ってたんだけど、そのおかげでクリスと会えたんだから運が良いや」



 話題はお互いのことへと移る。



 ポールは卒業後は父親の行商を手伝うそうだ。今は各国の経済や政治、地理や歴史について特に勉強しているようで、目の前に積まれている本の題名には「外交」の文字が見える。


 てっきり父親が現在進行形で既に国を跨いでの大規模な商売をしているのかと思えば、実際は王国内でのみ活動しているらしい。そこでポールは今後は外国にも目を向けるべきだ、と見て自主的に勉強しているそうだ。


 外国の商品は貿易船、つまり海路で運ばれてくるものが主だが、当然ながら船を動かせるのは大きな商会のみ。そして大きな商会が扱うのは大きな需要が見込める商品のみ。彼らが見逃しているニッチな商品を、個人が陸路で流通させれば儲かるのでは……というのがポールの考えだ。


 面白い考えだと思う。しかし、珍しい考えでは無い。成功すれば確実に利益が得られるだろうが、言葉にするほど簡単では無い。簡単でないからこそ誰も手を出していないのだ。それを成すには想像する以上に山積する膨大な問題の数々を解決していかなければならないだろう。それをする覚悟があるのか?


 そんな気持ちでついつい追究してしまえば、ポールも負けじと勉強の成果を発揮してくる。専門外の僕を納得させられる程度には十分に情報を集めて分析しているようで、とても楽しい。



「……じゃなくて!」


 しかし途中でポールによって遮られる。何故だ。僕はもっと議論したい。陸路と海路について、経路別の流通経費差額の検証はなかなかに面白い。どうすれば陸路で帝国の商品をもっと安く仕入れられるんだ。


「クリスが何してたのかまだ全然聞けてない!」


 そういえば確かに……学校へは週に2回来ている、ぐらいしか話していないっけ。そんなことよりも帝国の商品を、だな……。


 そんな僕の思いはポールの満面の笑みによって打ち砕かれた。


「帰省、どうだった? 楽しかった?」


 どうやら話を戻すつもりは無いらしい。わざとらしい笑顔はいくら見つめても少しも崩れない。仕方ない、僕の話をするか……そう思ったのが伝わったようで、笑顔が嬉しそうに緩められる。


「うん……幼馴染と久しぶりに会えて、いろいろ話ができたから……孤児院の仕事を手伝ったりしてあまりゆっくりはできなかったけど、それはそれで楽しかったよ。これで、心残りは、もう無い」


 ポールの瞳に一瞬だけ暗い影が差す。意味深な言い方をしっかり深読みしてくれたようだ。ブランやノワール、ベレフ師匠には告げていないけど、僕が死にかけたことをポールを始めとする友人達は知っている。そのうえでこの言葉を聞けば、まるで故郷の人達に別れの言葉を告げたとでも思うだろう。


 違うけどね。僕の目的は人と会うことでは無く孤児院へ行くことだった。孤児院に残されているかもしれない、僕の出生に関する情報。それがあるかどうかを調べに行っただけだ。


 結果、僕が孤児院へと入ることになった経緯が、僕とランカスター家に血のつながりが無いことが分かった。それはつまり、何の遠慮も無くランカスター家から逃げられるということだ。


 僕の悩みの種だった貴族問題に希望の光が差した。未だ解決には至ってないが、情報を手に入れたことで僕の迷いは消えた。そして何より、ブランとノワールがいるから怖くない! だいたいの悩みはこの2人の存在で解決したも同然だ!


 ありがとう、ブランとノワール!


 そういうわけで心残りはもう無い。僕の表情も清々しくなるというものだ。そんな僕は前向きに、今後の冒険者活動を見据えて国内放浪の旅を始めたのである……という物語をポールへと聞かせる。


 話しながらポールの表情を観察するが、不審に思っている様子は無い。行商を手伝う予定から、僕の旅にとても興味があるようだ。どんな道を通ったのか、村や街、住民達の雰囲気についていろいろ聞かれる。


 実際、そんなとこ通ってないから知らないけど――――



「……クリス?」



 知らない……。


 なら、僕は、どうやって、王都まで――――



「どしたの? クリス?」


「あ、ごめん……えっと、どこまで話したっけ」


「セントステッドの宿に着いたとこ」


 すぐに頭の中が切り替わる。宿に着いたら……いつものように部屋に荷物を置いて、身だしなみを整えて、宿の夕食を食べるんだ。その宿で出された食事は野菜がとりわけ美味しくて……。


 ……話しているうちに、一瞬感じた違和感が何だったのか、すっかり頭から抜け落ちていた。




 日が少し傾き、授業があるから、とポールが席を立つ。


「そうだ、クリス。ずっと、聞きたいことがあったんだ」


 首を傾げて続きを促す。テーブルに置かれた本の縁をゆっくりとなぞっていた指の動きが止まり、琥珀色の瞳が僕へと向けられる。


「クリスは……どうして、あの2人の冒険者のことを、そこまで信じられるの?」


 僕がブランとノワールと3人で冒険者として活動している話をしたからだろう。といっても、僕らについての話題は少なく、自然とレジーとテッドの話へと移ったのだが……。


 ちなみに、その2人は冒険者として積極的に活動しており、一切登校していないらしい。しかし寮にはまだ入っているため、毎日門限ギリギリに帰ってきているのをよく見かけるそうだ。


 ただ、門限までに帰ってきてはいるものの、しばらくすれば抜け出して夜の王都へと繰り出している……というのがポールの談。その姿を目撃したわけではないが、毎晩その気配を感じている、だとか。


 みんなが寝静まった真夜中に、物音ひとつ立てずにこっそりと。そこまで聞くと、テッドが得意そうだ……と思ったが、レジーひとりの仕業だ、というのがポールの予想。テッドの隣の部屋であるポールが言うのだから、おそらくそうなのだろう。はたして、レジーは真夜中の王都で何をしているのか?


 秘密の特訓か、それとも夜遊びか……直前まで互いに面白おかしく適当な予想をしていたのだ。だというのに、まさか、その話題の取っ掛かりであった僕らのことが今ここで再び出てくるとは思わなかった。それも、このような質問という形で。


「どうして、って……そりゃあ……」


 何度も助けてもらった。相談に乗ってくれた。親身になってくれた。守ってくれた。


 僕がブランとノワールにしたことは少ないが、2人が僕にしてくれたことはとても多い。今だって、現在進行形でお世話になりまくっている。僕が頼れば、2人は必ず応えてくれる。騙されたことは一度もない。


 それだけのことをしてもらって、2人のことを信じられない、なんて……言えるわけがない。信じて当然ではないだろうか。


「だからだよ。どうしてその2人は、クリスにそこまでしてくれるの? 何の利益があって? ただの親切心でそこまでできる? 損得勘定を抜きにして、人はそこまでできるものなの?」


 ぐ、と言葉に詰まる。そんなことを言われても……困る。僕らの間に、そういった打算は感じられない。2人のことを疑ったことなど、一度もない。


 もしかしたら怒るべきなのだろうか。しかし、ポールの顔は真剣そのものだ。悪意は感じられない。ただひたすらに疑問に感じているだけの表情。


 いくら返す言葉が無いからといって、怒りで誤魔化すのは良くない。でも…………でも、そんなこと、言われても…………。


「ごめん、意地悪な質問だったよね……僕、クリス達の信頼関係が、羨ましいのかも。変なこと言っちゃった」


 琥珀色の瞳が逸らされ、気まずげに揺れる。


「でも、少しだけでも、考えてみてほしい。その関係って、そんなに……綺麗なものなのかな。信じられるもの、なのかな。それが、知りたくて……それに、クリスが傷ついてからじゃ、遅いから……」


 よかったら、答え、教えてね。そう言い残して、ポールは中庭から出ていった。その後ろ姿を黙って見送る。完全に気配が無くなっても、しばらく視線を動かすことができなかった。


 僕と、ブランと、ノワール。僕ら3人の関係性は……そんなに、歪、だろうか。



 ……気づけば、ノワールが迎えに来る時間まで中庭で物思いにふけていた。




 学校の正門が見えるところまで出てくれば、目敏く僕の姿を見つけたノワールが全身全霊で腕を振り回す。見慣れた人には見慣れたいつもの光景だが、何人かは初めて見るようで身体をビクリと振るわせている。分かる。怖いよね、あの人。


 不審者の動きを止めるべく、急いで黒頭の元へと駆け寄る。ギリギリ学校の敷地外に立つノワールが、周囲からの刺々しい視線を少しも気にせずに僕を引き寄せ抱きしめる。


「おつかれ! 帰るか!」


 僕の返事を待たずに身体を反転させて宿へと走り出す。待って、僕を降ろして。


「よっと」


 降りようとする僕の意思に反して、ついに肩へと担がれてしまう。僕は荷物か。降ろしてくれ。


「さっさと帰るぞー!」


 ノワールが本格的に走り出す。周りの景色がどんどん流れていく。


 どうしてこうなった。




 ……その晩、いつもなら別々のベッドで寝ることを渋々了承するノワールが、その日だけは朝まで僕を離してくれなかった。

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