158 だいろく
今日こそブッ倒す。
第五曜日の夜から研究室で過ごし、六曜の朝から修行が始まる。文字通り、朝から始まる。
――――――しまったッ!
ベッドから飛び起きる。体内で魔力を練り上げ身体を覚醒させる。その魔力を体外へ、仮眠室の中へと拡散させる。魔力を通して部屋の隅々に異常がないかを確かめる。
ベッド、テーブル、椅子、キッチン、棚、窓、カーテン、天井、灯り、壁、扉――――の、隙間。研ぎ澄ませた感覚が、僅かな違和感を捉える。
どうやら先手を越されたらしい。研究室は既にヤツの領域とはいえ、仮眠室までは侵入させてはならない。だというのに、睡眠中に扉を封じていた風魔法が弱まっている。打ち消されたのかもしれないが……やはり、寝てしまうと集中が途切れる。いっそ朝まで寝ずにいるべきか……。
とにかく、反省は後だ。まだ扉を封じる力が残っているとはいえ、完璧ではない。やろうと思えば物理的な手段で突破できる。それでも未だに閉じられたままというのは、ヤツが見逃してくれたに過ぎない。
舐めやがって……。
補助魔法、五感を強化。最初から全力でいく。油断はしない。息を潜めて執務室の様子を窺う。想定通りだが、隣の部屋まで魔力は広げられない。闇討ちはできない。攻撃を仕掛けるには扉を破り、飛び込んで身体ごと魔力をねじ込むしかない。
執務室から物音は聞こえない。が、気配はある。部屋の中央あたり。どうせ書斎机にでも凭れてニヤついているんだろう。隠れるつもりは少しも無いらしい。正々堂々、真正面から僕の攻撃を受けるつもりってことか。
くそッ、朝から腹の立つヤツだ……ッ!
ヤツの魔力が部屋の中に入ってきていないことを再度確認し、身体をベッドから浮かせる。扉の前まで移動し、目を閉じる。細く長く息を吐く。
一発ぐらい当てないと、気が済まないんだよ!
さて、想像してみよう。ヤツへ一撃お見舞いするまでの道のりを。まずはこの扉を開けるところ……いや、開ける前、からだ。触れた瞬間、ヤツに察知されるのは間違いない。一度触れてしまえばもう後戻りはできない。
今回は雷魔法で攻める。前回は風魔法で挑んだが、笑顔でかき消された。それも、必要最小限の魔力で。防ぐのではなく、打ち消す形で。
ヤツに魔法が届くまで、その僅かな時間を与えてしまったのが全ての敗因だ。その一瞬でヤツは魔法を正確に見破り、打ち消しに来る。それが分かっていれば、扉を開けてから魔法を構築するような馬鹿な真似はしなかったのに……。
同じ轍はもう二度と踏まない。遠慮もしない。火魔法や水魔法を使わないだけ感謝してほしい。雷魔法なら大事な資料が傷つくことはないはずだ。たぶん。まあ、過剰に魔力を練り込んで威力を上げるんですけどねェーッ!
というわけで、手の平大の帯電球体を作ります。次に、扉を勢いよく開けます。間髪入れずに攻撃対象までの誘導経路を構築します。そして即座に魔法を発動します。するとどうでしょう、扉が完璧に開き、僕の姿を相手が認める時には……すでに感電しているのです!
問題は経路を瞬時に構築できるか、ぐらいかな。感電死の可能性は考えなくていいよね、どうせ死なないだろうし。殺すつもりで襲わないといつまでも勝てそうにないし。
……うん、どうせならどんどん攻撃してやろう。雷魔法が終わったらどんどん風魔法をぶつけてやろう。ふふ、完璧だ。
経路の構築が失敗する可能性とその原因は……やっぱり、部屋を満たしているであろうヤツの魔力だよな。その隙を突くには……絶縁状態にされる前にさっさと魔力をねじ込むか、別に誘導体を作るか……だとすれば…………。
…………くくくく、待ってろよ、ベレフ師匠…………!!
「いやあ、今日は危なかったなあ。死ぬかと思った」
嘘つけ。
「クリス、どんどん手段がえげつなくなっていくね。もうちょっとぐらい手加減してよ。怖いでしょ」
嫌だよ。
「あ、ベーコン食べる? 脂を摂りすぎると胃もたれしちゃうんだよねえ。もう若くないってことかなあ」
知るか。
「ふふ」
笑いやがって……。
前回よりも進歩はしたのだろう。雷魔法の準備をして、扉を開け、誘導体……霧状に水魔法を発動し、雷魔法を発動、魔力を部屋にねじこみ、風魔法を連発……ここまで数秒も経っていなかった。ベレフ師匠も驚いた顔をしていた。
それでも、魔法は1つも有効打とならなかった。直撃したはずの雷魔法は、体表から床へと意図的に流された。水魔法は一瞬で蒸発した。魔力は部屋の4分の1を占める前に押しとどめられた。風魔法は即座に打ち消された。
駄目押しに殴りかかってもみたけど、何を原料にしたかも分からない、おそらく土魔法による壁を作られてばっちり防がれた。最終的には抱きしめられて頭を撫でられていた。
なんでだよッ!
…………初撃の雷魔法は、受け流されたが当たってはいた。僕の作戦はバレていなかった。ベレフ師匠は後手に回らざるを得なかった。だというのに、躱された。なぜだ。何が足りなかったんだ…………。
「今日は前回の復習と……雷魔法の練習しよっか」
「……分かりました」
「前回は……木魔法、だったよね。基本、早打ち、遠打ち、直射、曲射、連射、球、矢、壁、剣、盾、鎧、罠、拘束、回転、収束、発散……一通りやってね。最後は相殺。雷も同じだから」
……今回の修行は3回目。1回目は僕の実力測定と簡単な質疑応答。その結果、2回目で木魔法を叩き込まれた。おそらく、1回目の時に木魔法が一番簡単だと言ったせいだろう。全然簡単じゃなかった。思い知らされた。しかも雷魔法も同じって今言ったよな。前回同様に叩き込まれるってことか。嘘だろ。
僕が木魔法のことを簡単だと思っていたのは、自然に既に存在している、元からほぼ完成された状態のものを利用目的に応じて変形させる、という、他の魔法にあるようなエネルギーの変換やら維持やらといった段階がいくらか省かれているからだ。あと軽い。浮遊させるのが楽。
確かに、それは間違いではなかった。間違いではなかった、が……些細なことだったのだ、というのを嫌というほど実感させられた。
ベレフ師匠にとって、それは基本の話でしかない。木魔法の基本、つまり、植物に干渉すること。成長を促したり、組成を弄って強化したり、変形させたり……そういうのは、全部、基本。できて当たり前。ていうかできてないとお話にならない。そういう段階のものらしい。
ベレフ師匠が僕に叩き込むのは応用的な技術。早打ちだ連射だ盾だ収束だというやつだ。基本が土台にあってこその応用であるため、これら応用的な技術を成し遂げるには、基本となる植物への干渉ができなければならない。干渉が終わって、それからどうするか、という話だ。
例えば、打つ。それは球状であったり、矢状であったり、壁状であったり。例えば、身に纏う。それは剣であったり、盾であったり、鎧であったり。例えば、仕掛ける。それは足止めであったり、檻であったり、毒であったり。そして、それらの大きさ。正確さ。複雑さ。
一通り実践させ、繰り返させ、覚えさせ、精度を高め、模擬戦で使わせる。2日間の短期集中講座。とても、とてもとても、とてもとてもとても、キツい。泣きそう。
だいたい、ベレフ師匠の求めてくる水準が高すぎる。精度を高めろと一言で言われても、たったの1日で最高水準まで技術を向上させられるわけがない。なのにそれを求めてくる。何度実践しても認めてくれない。日暮れまで続く指摘からの指摘からの指摘。褒めてくれない。ひどい。いつもの甘さはどこへいった。
「今日の結果次第で今後のやり方が変わるから、頑張ってね」
え。何それ。聞いてない。頑張ったら……どうなるんだ。何を基準にどういう風に変えるんだ。怖い。頑張るべきなのか。頑張ったら余計に厳しくなったりするんじゃないだろうな。嫌だよ。これ以上キツいのは嫌だ。
「手、抜かないでね~」
うわあ。何でも無さそうに言ってますけど、あの、それ、どういう意味なんですか。説明を要求します。情報を公開せよ。
「ほらほら、早くご飯食べないと、時間無くなっちゃうよ」
誰のせいで食欲が無くなっていると思ってるんだ! この野郎!