157 がっこう
おしえて、ブランせんせい!
実は僕、貴族疑惑があるんです! そのせいでとある貴族からしつこく付きまとわれてて……どうしたらいいでしょうか?
「潰そうか?」
「黙ってろ」
学校まで迎えに来てくれたノワールは、宿に着けば流れるように僕を膝の上に乗せて抱え込む。仕方ないのでそのままブランにランカスター家とのいざこざを打ち明けてみれば、背後から物騒な発言が聞こえた。まるでちょっくら散歩にでも行ってくるかのような軽さだ。ブランの容赦無いツッコミがありがたい。
「ランカスター、か……」
腕を組んで考え込むブラン。どうやら貴族に関しても知識があるらしい。さすがブランだ。後頭部からは相変わらず危ない提案が聞こえてくる。どうしてそういう発想しかできないんだ。
「伝統貴族ではあるけど……あまり噂を耳にしたことは無いね。それこそ、嫡男の誘拐とか、養子を探しているとか……政治色の強い話は聞いたことが無い。良い意味でも悪い意味でも普通なんだと思う。子爵領の雰囲気も悪くなかったし、厄介な相手ではないよ」
ふむ。ブランが言うならそうなのだろう。安心した。
「返事、してもいいんじゃないかな。ノワールがいる以上、クリスが危険な目に遭うことはないし……難しく考える必要は無いよ」
そっか。それじゃあ適当に返事しとこっと。
「飯か?」
「…………ああ、もうそんな時間か。大丈夫? クリス」
「う、うん、ありがと、ブラン」
ブランの返事を待たずしてノワールが立ち上がったせいで僕の身体が宙に浮いている。こんな情けない格好で発言せねばならない僕の気持ちを少しは考えてくれ。離せ離せと手足をバタつかせてみれば、すぐに床に下ろされた。しかし回された腕は離れない。
「ノワール。話、聞いてただろうな。気をつけろよ」
「おお! 飯だ飯だ!」
聞いていたのか聞いていないのか、いや聞いていないだろこれ、としか思えない反応。不安になる。訴えようにも、後ろからずいずい押してくるノワールに逆らえず、宿の部屋から出る。
「クリスは誰にも渡さねえよ!」
あー、うん、ありがとう。でも、そういう発言はせめて部屋の中でお願いします。恥ずかしいから。
「……ありがとうございます。私が責任を持ってデズモンド様にお届けいたします」
いつものように図書室へと押しかけて来たエリーゼさんへとすぐに手紙を渡せば、少しの間を空けてから、僕が差し出した安っぽい手紙を恭しく受け取った。それを何も入っていなさそうな小さな鞄へと丁寧に仕舞う。
大事に扱ってくれているところ申し訳ないけど、そんな大層なものじゃない。ご無沙汰しております、ご心配をおかけして申し訳ありません、これ以上ご迷惑はおかけできません、今までありがとうございました……内容としてはそんな感じだ。
合間合間に僕が平民であることは強調したし、子爵様の情け深さにこれでもかと感謝しまくったし、それに応えられないことに恐縮しまくりの遜りまくりに謝ったし……ここまですれば、僕がどれだけ嫌がっているか分かってくれるだろう。諦めてくれ。頼む。
「…………ねえ、クリス」
「うん?」
おずおずとエリーゼさんが話しかけてくる。どうやら用事は手紙のことだけでは無いらしい。まだ何かあるのか、一仕事終えた清々しい気分になれそうだったのに、なんて思いを微塵も顔に出さないように笑みを浮かべる。
「私達、15歳でしょう? 成人はまだだけど、一人前と認められる歳よ。今までは子供のやることだからと見逃せてもらえたけど、これからはそういうわけにはいかないわ」
「そうだね」
どうやら僕に物申したいらしい。結論から述べないその言い回し、真綿で首を締められる気分だ。まったく、エリーゼさんも暇じゃないだろうに、わざわざ大変だなあ。相手は僕だ。平民だ。何も気にせず、言いたいことはハッキリと言えばいいのに。
「もうすぐ王太子妃主催の夜会があるの。よっぽどの事情が無い限り、誰もが参加するわ。この夜会が、私達が社交界にデビューするのだとお披露目する場なのよ。クリスも、まだ間に合うから、だから――――」
「ふうん、そうなんだ。頑張ってね。じゃ」
本当にしつこい。僕は平民だ。貴族じゃない。いつ分かってくれるのだろうか。エリーゼさんの返事も待たず、さっさと背を向けて図書室へ戻る。
図書室内は防音性が高い。外の音はほとんど入ってこない。とはいえ、入り口の扉が開いていればそこから音が入ってきてしまう。
扉が閉まる直前、僕を呼び止めようとするエリーゼさんの声が聞こえた気がした。振り向くべきかと悩む間もなく扉が閉まる。うーん、これは……無視したことになるのだろうか。平民が、貴族を。ひえー、なんと無礼なことか。もし校内でなければ首を飛ばされそうだ。いや、校内でも何らかの私刑が与えられそう。こわ。
しばらく閉じた扉の前で待ってみたけど、再び開く気配は無い。感じてもいない恐怖を和らげる溜め息を吐き、荷物を置いたままの席へと戻った。
学校が始まってからというものの、エリーゼさんがしつこくてついついそのことばかりに気を取られていたけど、学校にいるのはエリーゼさんだけではない。顔見知りの寮生や同級生とは何度もすれ違っているし、挨拶だって交わしている。遠目に視線が交わるだけの時もあれば、背後から声をかけられる時もある。
そして、当然ながら、特に仲の良かったあの5人も、校内にいる。
僕が履修した3科目に、彼らはいない。彼らが帰る寮に、僕はいない。必然的に会わなくなってしまったが、もちろん会いたくないわけじゃないし、避けているわけでもない。避けようにも、彼らがどこにいるのかが分からないのだから避けようがない。
とはいえ、会おうとしていないのは間違いない。校内で偶然すれ違う時を待つぐらいなら、さっさと寮にでも会いに行けばいい。それをしないのは僕に覚悟が足りていないからだろう。
5人のうち、最後に会ったのはレジー。変装して宿で働いていたことはバレている。突然だったとはいえ、事前に連絡せずに仕事を辞めてしまったことがとても申し訳ない。恩を仇で返したようなものだ。次に会った時にはそのことを謝りたい。
次がテッド。喧嘩別れという表現が正しいのかは分からないが、僕らの間にかつてないほどに深い溝があるのは間違いない。いったいどんな顔をして会えというのか。というか、もう話すのも無理だよね。だいたい、僕、悪くないし。こっちから歩み寄る必要は無いよね。
そして、ポールとエド。直接王都を出ることを告げた2人。土産話を待っている、と快く見送ってくれたポールと、何かを探っているかのようだったエド。態度は違えど、聞き出したいことがあるのは2人とも同じだろう。それを置いておいても、会いたいな。2人と話すのは楽しかった。
……アル。何を言われるか予想できない。できないけど、機嫌は悪そうな気がする。突然殴り込みに来そうなアルが未だに姿を現していないのが不気味なぐらいだ。もし出会ってしまえば、間違いなくセルマさんのことで怒られる。あーあーやだなー。
みんな、何をしているんだろう。気にならないわけがない。まあ、4人は想像できる。ギルドに行くか、勉強しているか、どちらかだろう。残りの1人がまったく分からない。遊んでんのかな。
ま、考えたってどうにもならない。彼らの優先度は低い。会えようが会えまいが、それで何がどうなるわけでもない。そりゃ、このまま一度も話すこともなく卒業、なんてしまえば悲しすぎるけど、そんなことがありえるだろうか。ないだろ。うん。たぶん。
魔法物理化学の本を閉じて背伸びをする。明日は新人冒険者、明後日と明々後日は魔法使いの弟子として過ごす。もっともっと魔法の腕を上げなければならない。まだまだ知識は足りていない。勉強の余地はいくらでもある。少しの時間も惜しい。
習うより慣れよ、なベレフ師匠の容赦無い指導を思い浮かべてついついげんなりしながらも、目を閉じて本で読んだばかりの内容を頭の中に思い浮かべる。
雷魔法は、電気……電子を利用した魔法。電子にエネルギー変換した魔力を与え励起状態に、かつ攻撃対象への誘導経路をイオン化により構築、後に放射。この時の光と熱の放出比によって攻撃性の大小を定められるが…………。
各過程に求められる魔力操作を、エネルギー量を、供与、維持、放出の間合いを、1つ1つ確認する。何度も何度も繰り返し想像する。
朝昼晩、春夏秋冬、晴れ曇り雨、より速く、より遅く、より小さく、より大きく、より長く、より短く、より暑く、より寒く……想定しうる限りの環境で、相手を変え、型を変え、それに応じて計算する。理想は無意識、最低限でも一瞬の間での暗算。
もちろん攻撃する場合だけではない。体内の神経系を機能障害に、体表に火傷を、一時的に動きを鈍化……攻撃された場合の対処方法も覚えなければならない。装備による予防、体内の魔力による抵抗、絶縁体の構築、回復魔法の施法……。
……目を開ければ、いつの間にか橙色に染まっていた室内と、輝く紫電。ふう、これが悩みなんだよね。あっという間に時間は過ぎるし、魔法は勝手に発動するし。今は人が少ないからいいけど、試験前とかで混雑してる時とか追い出されそう。困ったなあ。