episode 26 : Blanc
何度も繰り返した自己問答。
問。お前は、何故、王都にいるのか。
答。復讐するため。
目的は定まっている。
俺達と家族を引き離した研究者達に復讐すること。
方針も定まっていた。
復讐対象と手段を知るために情報を集めること。
――――対象は研究者。手段は皆殺し。
そんな浅はかな考えを主張するクロを抑え続け、何年も経ってしまった。
時々、クロの言う通りにすべきだったのではないかと考えてしまう。
無関係な人間を殺せば、それだけ混乱を引き起こす。
そうすれば、より多くの無関係な、罪の無い人間を巻き込むことになる。
それを避け、外道だけを殺そうと思った。
俺は過剰な暴力や無駄な殺生は嫌いだ。
クリスも動物を狩りすぎないように、と常々言っていた。
殺すならば苦しめないように、とも。
当時はクリスの言うことに従うだけだったが、今なら分かる。
命を弄べば、憎き研究者達と同等の存在にまで落ちぶれてしまう。
己の欲望を満たすために際限なく命を犠牲にする、そんな下衆と同じことは絶対にしたくない。
何より、クリスのいいつけを破って嫌われたくない。
幻滅されたくない。
…………たとえ、手遅れだとしても、それでも、まだ、きっと…………。
喰った人間から記憶の断片を奪ったことで、最低限の情報は得られている。
復讐対象は王都を拠点に活動している研究者。
奴等は「魔物」で何らかの実験を行うために俺達を捕獲しようとしていた。
また、あの森で遭遇した人間達は皆同じローブを身に纏っていた。
つまりは同じ組織に属していたということだろう。
朧気ながらも覚えているそのローブはフード付きで黒色。
袖や裾に何らかの刺繍が施されていたように思うが……色や柄は思い出せない。
また、奴等は組織の末端だったのだろう。
実験のために捕獲する、という目的は読み取れたが、具体的にどのような実験をするのか、どのような結果を得たいのか……そういった肝心なところは分からない。
末端が存在するということは、中枢も存在するということ。
どうやら「魔物」を狙う人間はそれなりの規模の組織を形成しているらしい。
その反面、「魔物」捕獲の際に"事故"で亡くなった研究者及びその所属先に関する情報を手に入れることはできなかった。
……どこぞの浮浪者ならばともかく、正式に組織に属していた人間の死を隠すなど容易ではないはずだ。
ローブとはいえ制服があったというのに、同様のローブを採用している"研究組織"が王都に存在しないというのもおかしい。
あからさますぎる。
どうやら「魔物」を狙う組織は表立った活動ができないような組織らしい。
後々分かったことだが……この下衆共は、非倫理的な、違法な動物実験に手を染めている。
いくつもの、数えきれないほどにたくさんの命を徒に毟り取っている。
では、どうやって奴等の悪行を……氷山の一角だろうが……知ることができたかというと、奴等の被害者――――王都周辺の魔物達を喰うことで把握できた。
初めは金稼ぎと名売りで始めた魔物狩りだったが、まさか魔物達が奴等の被害者だとは思わなかった。
偶然とは言え、彼等を弔い、下衆共の情報を得、さらには新たな力……彼等自身の姿を借りることもできた。
おそらく、「魔物」だからこその能力なのだろう。
魔力を持たない動植物を喰ったところで何も得ることはできないが、魔力を持つ動植物は……ヒトを含め、本来の種としての姿と個体毎の記憶を奪うことができるようだ。
最初、クロが魔物を喰った時には何を血迷ったのかと驚いたが……クロの思いがけない行動には時々助けられる。
そのおかげで俺達は復讐対象を絞り込めてきている。
とはいえ、その過程は決して楽ではなかった。
今に至るまで、冒険者として、密偵として多くのことをやってきた。
やらざるを得なかった。
何の後ろ盾も無い、ただの冒険者だった。
己の腕っ節だけで上り詰めるしかなかった。
対立し、媚びを売り、取引し、恩を売る。
表ではブラン、裏ではアッシュとして、数々の依頼を受けてきた。
いくつもの金を、情報を、時間を、命を、遣り取りしてきた。
研究所と王都の爆発だって、俺達の手引きだ。
貴族達の手足として、馬車馬のように働かされた。
もし王都で反乱が起これば、それにも俺達が加担していることになる。
今となってはただの無駄足だったが、しかたない。
……いや、無駄でもない、かな。
ようやくたどり着いた、復讐への大事な足掛かり。
しかし、魔物達を喰う度に流れ込むのは、苦痛。
何者かに襲われ、捕らえられる苦痛。
家族と引き離される苦痛。
拘束され、自由を奪われる苦痛。
未知の場へ運ばれる苦痛。
悍ましいモノが流れ込む苦痛。
身体を引き裂く苦痛。
精神を苛まれる苦痛。
自我が崩壊する苦痛。
破壊衝動に突き動かされる苦痛。
止まない食欲に襲われる苦痛。
満たされない睡眠欲を耐える苦痛。
心身を蝕む性欲が止まない苦痛。
無用な殺生を繰り返す苦痛。
異物を取り込み続ける苦痛。
何者かに身体を傷つけられる苦痛。
立ち止まることのできない苦痛。
死の直前に意識が戻る苦痛。
取り込める記憶は曖昧ではあるものの、そのほとんどが苦痛で占められている。
知覚を焼き切りそうなほどの痛みを錯覚するほどだ。
それでもクロは止まることなく喰い続けている。
ひたすらに力を求め続けている。
クロがクリス以外の全てに対して憎悪を抱いているのは理解しているが……あの痛みをいくつも乗り越えられるほどのものなのかと時々恐ろしくなる。
心配にもなる。
だが、それ以上に、頼りになる。
しかし、クロに甘えるわけにはいかない。
そう思い、発狂しそうなほどの苦痛を耐え忍んだ。
自然と溢れ出てくる供養の涙を流し続けた。
決して弱まることのない怒りの炎を燃え滾らせた。
繰り返せば繰り返すほどに思う。
もはや、この身は俺だけのものではない。
それは数多の命から託された無念からか、都の腐敗を憂う正義感からか、はたまた幾度も呼び起こされた、別離に伴うあの悲しみから湧き上がる怒りからか……。
必ず、あの下衆共を、1人残らず殺してみせる。
必ず、俺達の復讐を果たさなければならない。
……懸念があるとすれば、クリスのことか。
俺が復讐心を強めれば強めるほど、クロのクリスに対する執着が強くなる。
正直、俺はずっと反対だった。
確かにクリスを王都で見た時は驚いたし、以前のように共にいたいと思った。
せめてヒトの姿でだけでも、クリスの側に立ちたいと思った。
話したいと思った。
しかし、俺達にはやることがある。
それも人殺しだ。
クリスにはこのことに関わってほしくない。
そんな汚い世界に近づいてほしくない。
俺達の中に燻るものに気づいてほしくない。
遠くから見ていられるだけでよかった。
幸せに生きている姿を見られればよかった。
ベレフコルニクスを殺せばクリスが悲しむのは明らかだが、それでも、それまででも、綺麗な世界で生きてほしかった。
だというのに、クロが接触してしまった。
分かっている。
俺にはクロを止められない。
ある程度抑えることはできても、それは時期を遅らせ、範囲を狭める程度だ。
止めることはできない。
……そりゃ、クリスと話せるのは嬉しい。
笑ってくれて、嬉しい。
すごく、嬉しい。
一緒に生活できる。
すごく、すごく、嬉しい。
もっと一緒にいたい。
もっと笑ってほしい。
もっと、自由に、幸せに、楽しく生きてほしい。
そのためにできることをしたい。
だから、近づきたくなかった。
意志が弱まりそうで、決意が鈍りそうで、怖かった。
今の家族がいるならば、復讐なんてしなくていいんじゃないか。
そう思ってしまいそうで、今の生活に満足しそうで、恐ろしかった。
……今更だ。
絆されつつある自覚もある。
いや、絆されているんだろうな……既に、クリスのために何度も動いてしまっている。
初めは渋々、のつもりだったのに。
クリスの魔力を常に探るクロを見逃した。
冒険者に絡まれたところを助けた。
祭りの花火を見た。
魔物に襲われたところを助けた。
いろんな店で食事をした。
一緒に冒険する約束をした。
装飾品を贈り合った。
年末年始を共に過ごした。
……任務中でさえもクリスの側にいたがるクロに手を貸した。
時にはクロと共に王国へ戻り、狐や犬の姿を取ってクリスに近づいた。
クロに代わり、異様な魔力に惑わされるクリスに魔力を分け与えた。
異様な魔力に乗っ取られたクリスを、クロと手分けして追った。
封じられ、塗り替えられた記憶を語るクリスを受け入れた。
今後の人生を支えるつもりで、パーティーにクリスを入れた……。
しかし、俺と違ってクロはクリスとどれだけ時間を過ごしてもその復讐心が揺らぐ気配は無い。
絶えず他者を喰い、奪い続けているからだろうか。
俺から尋ねなければクロが教えてくれることは無いが、クロと俺とではかなりの力量差があるようだ。
まさか、帝国に分身を残して自身は王都へ向かっていただなんて……しばらく気づけなかった。
それだけの力があるんだ、たとえ俺が腑抜けてしまおうが、クロならやってくれる。
なんて、いけないな……また甘えている。
家族のために、必ず復讐を遂げる。
もう、あの下衆共は、目の前だ。
絶対に、逃がさない。