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150 ひさしぶり

 久しぶりの研究室。





 目が覚めた。天井を見つめ、現在地を把握する。ここは研究室。僕はソファで寝た。仮眠室のベッドではない。昨日のことを振り返る。



 髪を乾かし終え、声をかけた師匠の反応は鈍かった。よっぽど疲れていたのだろう。僕に寄り掛かって薄く開いた目はどこも見ていなかった。仕方ないので半分寝ている師匠に肩を貸し……というか、ほぼ担ぐような形で仮眠室へと運び、ベッドに寝かせた。その方が疲れも取れると思ったからだ。



 ソファから身体を起こす。少し身体が痛い気はするけど、これぐらいたいした問題じゃない。研究室を見回す。朝日の位置はまだ低く、部屋は薄暗い。おそらく師匠はまだ寝ているだろう。ソファから降り、さっさと服を着替える。朝食を用意しないといけない。食材を仕入れに行かねば。


 静かに室内を歩く。書斎机から研究室の鍵を取り出す。所持金を確認する。上着を手に取る。そっと出口へ向かい、鍵を外し、廊下に出て、施錠する。足音を立てないようにして廊下を進み、研究室からだいぶ離れたところで駆け足になる。


 さっさと買って、さっさと戻ろう。






「おはよ、クリス」


「おはようございます」


 研究室にある本を読んでいたら、寝起きのだらしない格好をした師匠がひょっこり現れた。髪も服もひどい有様だ。ぼんやりした顔で立ち尽くしている師匠を捕まえてソファに座らせ、取ってきた櫛で髪を梳く。黙々と髪に櫛を通していると、師匠が、ふ、と笑った。


「世話焼きだなあ」


「師匠がちゃんとしてないからです」


 髪を梳き終わる。背後から目の前へと移り、いつもの髪型に……ゆるく編んだ三つ編みを横に流して肩にかける。毛先を紐で結び、終わり。初めてやってみたけど……うむ、我ながら素晴らしい出来だ。


「ありがとね」


「飲み物淹れてくるんで着替えて待っててください」


 仮眠室に入る。豆も茶葉もこの部屋にあるので、飲み物を用意するにはここに入るしかない。温めたり蒸らしたりするちょっとの時間でカーテンを開けたりベッドを直したり、窓を開けて換気をしたり……なんだろう、この手際の良さ、もしや、宿で働いた経験が僕をここまで動かしているのか……?



 コーヒーと紅茶を手に部屋を出る。師匠がソファに腰掛けてテーブルに並べられた食事を見ていた。パンにサラダにスープにベーコンエッグにヨーグルト。当宿の朝食、基本の献立でございます。マグカップを師匠へ、ティーカップを僕の側に置く。そのまま師匠の隣に腰掛ける。


「ありがと」


「いえ。どうぞ、食べてください」


 師匠がにこにこと笑いながら僕の髪を梳く。いや、食べてください。冷めますよ。冷めても温めますけど……。




 朝食を食べ終え、食器を片付け、コーヒーを飲む師匠の隣に腰掛ける。話したいことが……話さないといけないことがある。


 師匠の様子を窺う。何を考えているのかよく分からない、ぼんやりとした表情でコーヒーを飲んでいる。まだ眠いのだろうか。疲れが取れていないのだろうか。そう思うと声をかけづらい。今すぐ話さないといけないわけじゃないし、また別の日にでも話そうかな。


 マグカップがテーブルに置かれる。師匠が背もたれに寄り掛かる。その動きを目で追ってしまい、師匠と目が合う。師匠が笑って小首を傾げた。


「帰ってきてからもずっとバタバタしててごめんね」


 ソファに座り直し、師匠の方へ身体を向ける。微笑んだままの師匠が視線を遠くに向け、言葉を続ける。


「今晩なら、ゆっくり話せるかな……」


「……無理は、しないでくださいね」


 頬が緩む。仕方ない、もう1泊するか。ブランとノワールにも伝えないといけない。我が儘ばっかりで申し訳ない……たぶん、ブランは許してくれる。ノワールは……顔を合わせたらしばらく解放してくれないかもなあ。まあ、僕が悪いんだし、我慢しよう。


 師匠が魔力を練る気配がする。懐かしい。変な話だけど、僕は師匠の魔力が好きだ。過不足なく魔法へと変換されるので、魔力の残滓というか、気の乱れというか、そういった違和感が全く残らない。表現が適切かは分からないけど、空気が綺麗で、過ごしやすい。


 本棚から数冊の本が宙へと浮かび上がり、書斎机へとゆっくりと降りていく。食後の休憩もそこそこに、師匠はさっさと研究に取り掛かるようだ。無理をするなと言った矢先のこれである。


「それじゃ、すぐに終わらせるように頑張るね!」


 いや、無理をするな、と。




 僕は研究室でどのようにして過ごしていただろうか。開け放った仮眠室の窓枠に肘をつき、春の穏やかな朝日と少し強い風に目を細めて外を眺める。研究室で過ごしていたのは……ちょうど3年前の今頃から半年近くと、長期休暇、か……そういえば、いつだって師匠はずっと何かを読んだり書いたりばかりしていたような……。


 主に僕の相手をしてくれていたのはジュディさんだった。そのジュディさんは今日はいない。トッシュさんは僕が外出する時に一緒についてきてくれた。そのトッシュさんは今日は忙しそう。基本的に2人が分担していた仕事を1人でやっているんだから当然だ。手伝おうと思ったのに、僕が手伝うほどの仕事量ではない、と半ば追いやられるようにして仮眠室へと移ってしまった。


 何も手伝うことが無い時は……学校の勉強とか、本を読んでいた、かな。研究室や資料室にあるのはほとんどが魔物に関する資料だけど、現地調査が必要な分野だからか、一見関係無さそうな資料も多くある。自然科学や魔法科学はもちろん、数学とか考古学とか心理学とか、中には小説も混じっていた。


 気になる本を探し、見つけ、読む。その作業は楽しい。まあ、内容が難しいから、全く理解できないものもあるんだけど……それでも、知らないことを知ることは楽しい。となれば、資料室にでも行って本を漁ろうか。


 それか、ブランとノワールがまだ王都にいるなら、と思いかけてやめる。確かにノワールに捕まっていれば気が紛れるけど、僕の暇つぶしにノワールを使うだなんてとんでもない。2人が自由な冒険者と言えど、その階級は高い。上級ギルド員を拘束すれば、それだけ恨みを買いそうだ。ここ最近ギルドに通っていて感じた周囲の雰囲気からしてみても、それはあながち間違いでもなさそうだった。


 何か、僕が冒険者達やギルド職員達に認められる方法は無いものか……なんて、地道にこつこつ依頼をこなすのが最短だとは分かっていても、考えてしまう。


 それはともかく、本を漁ろう。窓を閉め、仮眠室から執務室へ。書斎机では師匠もトッシュさんもガリガリと筆を走らせていた。かなり忙しそう。本当に僕は手伝わなくていいのだろうか。足音を立てないように静かに扉へと向かい、廊下に出る。


 またあの中を通るのは気まずいな……ノワールが迎えに来るであろう夕方頃まで、資料室に引きこもろう。





 バートさんから1人になるな、と言われた。そのことをブランとノワールには伝えていないけど、2人は僕が1人にならないようにしてくれている。研究所への送り迎えまでしてくれるなんて……過保護だ。ありがたいけど。


 研究所内にいる間はだいたい研究室にいるだろうし、ということは師匠が近くにいるはずだし、あまり周囲に気を使わなくていいだろう、と油断していた。師匠の目の前で攫われるなど……考えられない。師匠が遅れを取るなど、想像できない。安心しきっていた。だから、資料室に1人でいた。


 ああ、悪く言い過ぎた。ちょっと予想外のことがあっただけだ。大丈夫、何の問題も無い。落ち着いて対処しよう。


「会うのは初めてかな。私はこの研究所の所長、ヴィンスだ」


「初めまして、クリスです。ベレフコルニクス主任のお世話になっています」



 なんでこんなところに、偉い人が来るんだよ!

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