146 おせわに
営業妨害はダメだよ。
受付を次の夕番の人に替わり、控え室に入る。バートさんは紅茶を淹れていた。いつも通りの横顔に、罪悪感が膨れ上がる。入り口に立つ僕をちら、と横目で確認し、おつかれ、と言ってくれる。それに返事をせず、すぐ隣まで歩み寄る。
「先程は私の知人が申し訳ありませんでした」
腰から直角に頭を下げる、全力の謝罪である。たっぷり10秒は数え、ゆっくりと顔を上げる。バートさんが僕の顔を見つめていた。怒っているわけでも、驚いているわけでも、面白がっているわけでも、迷惑がっているわけでもない。いまいち感情の読み取れない表情に戸惑う。
「ま、座りなよ」
促されるまま、椅子に腰掛ける。机にティーカップが2客置かれ、バートさんも座る。
「どーぞ」
今はそれどころではないのでは……しかし、勧められたからには頂くしかない。お辞儀をして、一口。バートさんもカップを口に当てる。2人、無言でカップを置く。かちゃり。バートさんが小さく溜め息を吐いた。
「……いつもより、香りが薄い、です……」
僕の好きなバートさんの紅茶じゃない。なぜだろう、すごく悲しくなってきた。バートさんの紅茶がいつもと違う。
「動揺が味によく出てるだろ」
「……すいません」
その動揺の原因に心当たりがある。謝罪以外に発すべき言葉が見つからない。
「シアン」
カップから視線を上げる。バートさんと目が合う。
「春から4年生だな」
その通りだ。だけど、どうして僕が学生であることを知っているのだろう。そんなことは一言も言っていないはず。
「登校拒否はこの程度にして、ちゃんと勉強しろよ」
疑問に思う一方で、納得もしてしまう。そりゃ、調べるよね。訳ありの子供を、どんな問題を抱えているかも分からないような人間を雇うなんて、無理な話だ。
「あと、ノワールとブランがいるなら変装する必要は無いはずだ」
あの2人の名前まで。でも、不思議ではない。バートさんは情報通だ。そのことは普段の様子から分かっていた。バートさんも隠していなかった。むしろ、慣れた様子だった。以前から生業にしていたのだろう。
「あいつらは良い意味でも悪い意味でも有名だからね。安心安心」
きっと、ただの従業員じゃない、というのは合っている。きっと、これがバートさんの本来の姿だ。そして、僕はその姿を見せてもらえるだけのものを示せたのだろう。
「ただし、変装しないなら2人からあんまり離れるな。隙を見せるな。相手も諦めが悪いみたいだ」
嬉しい。ありがたい。この情報は信頼できるものだ。間違いない。そうでなければ、話してくれていないはずだ。僕は認めてもらえたんだ。
「面倒なヤツらに狙われちゃって、かわいそうに」
ありがとう、バートさん。本当に、ありがとう。
「さて、退職祝いはこんなもんかな。短い間だったけど楽しかったよ、クリス。今後も情報屋のバートをご贔屓に。お茶くらいはサービスするよ」
ありがとうございます。そう告げようと開けた口に飴を入れられた。オレンジの爽やかな酸味と甘味が口に広がる。
喋れない。笑顔のバートさんを見つめる。喋る代わりに、こくり、と頷く。優しく肩を叩かれる。視線が外れる。カップを手に取る。口へ運ぶ。その横顔はいつも通り、何を考えているのかよく分からない。でも、その横顔に、とても安心できた。
「気に入らない」
最後にバートさんが脱染剤で僕の髪色を戻してくれたので、本来の姿でバートさんと女将さんにお礼と謝罪ができた。バートさんは特に何も言わなかったけど、豪快な女将さんは、気にしちゃいないよ、と豪快に笑って見送ってくれた。
「俺、アイツの目、嫌い」
外で待ってくれていたブランとノワールの元へ向かえば、まだ機嫌の直っていなかったノワールがバートさんのことを悪く言い出した。背中側から抱き着きつつ、口を尖らせながら僕の頭に顎を乗せている。相変わらずのべったりノワールだ。
「そんなこと言わないでよ、バートさんにはたくさんお世話になったんだから」
「……もう関わらないからいいだろ」
僕を抱きしめるノワールの腕に力が込められる。勝手に決めるなよ。ちょっと口論しただけで、そんなに嫌わなくてもいいのに。というか、ノワールの屁理屈のせいで言い合いになっただけで、バートさんは僕を守ってくれただけで、それで嫌うのっておかしくない?
「とにかく、どっか入ろうか。ちょっと早いけどご飯にしよう」
呆れている雰囲気を隠しきれていないブランから笑顔で提案される。うん、そうしよう。ノワールのせいで今回も全く話ができていない。どこか落ち着ける場所に行きたい。それで、今の状況とか、今後の予定とか、いろいろ話したい。
「肉!」
ノワールが低い声で呟く。呻き声のようなその声に苦笑する。我が儘ノワールだ。めんどくさいなあ。ブラン、大変だね。溜め息混じりに、はいはい、と応えたブランも、疲れた笑みを浮かべていた。
ブランに案内された店にたどり着くまではもちろん、店の中に入っても、さらには席に着く直前までずっと僕にくっつき、挙句の果てには僕を膝の上に乗せようとするノワールから必死に逃げた。そのせいで余計にふてくされていたノワールだったけど、僕のご機嫌取りと肉料理のおかげですぐに笑顔になった。
結局、いろいろ話が聞けたのは料理が届いてからとなった。ノワールが肉を黙々と食べている間に僕とブランが話す感じだ。ノワールが肉を食べ尽くして口を開きそうになったら僕の料理を分けてあげた。嬉しそうだった。それに黙る。一石二鳥だ。
「一応、予定通りの帰国だよ。ちゃんと依頼された分は働いたから大丈夫」
さすがにもう一度休みをもらったわけではないだろうとは思っていたので、驚くことはない。無事に帰ってきてくれてよかった、という安心感に心置きなく浸れる。
「これからはまた以前のように、宿を借りてギルドに通う日々になるね」
「ねえ、ブラン。そのことでお願いがあるんだけど」
ブランの表情は柔らかいままだ。僕のお願いが何なのか分かっているのだろう。僕の表情も緩む。
「僕も一緒に泊まらせてください。それで、ギルド員登録をして、一緒に依頼を受けさせてください。もちろん、勉強は続けます。なので毎日ではないけど、学校に行かない日は僕を連れて行ってください。お願いします」
「もちろんだ! よろしくな、クリス!」
ノワールが満面の笑みで返事をした。違う、いや、違わないけど、違う。僕はブランに言ったんだ。そりゃ、ノワールにも了承を得ないといけないけど、僕はまずブランにお願いしたんだ。ちょっと黙ってて。
ブランは横割りしてきたノワールを困ったように見ていたけど、すぐに僕へと視線を向けた。その表情は笑顔だ。眉は下がっているけど、たぶん、ノワールのせい。
「俺も……構わないよ」
「ありがとう、ブラン! ノワールもありがとね」
静かに微笑むブランの隣でノワールが身体を左右に揺らして嬉しそうに僕を見ている。なんでこんなに機嫌が良いんだろう。
「15歳になるからね。もう一人前として認められる歳だ。いつまでも行動を制限する権利は俺には無いよ」
嬉しい。僕の意見が尊重されている。僕の意思が信頼されている。きっと、自由になっただけ、責任が重く伸し掛かってくるのだろう。それがどれぐらい重いのかは分からないけど、それよりも喜びの方が勝る。頑張ろう。15歳になるのが楽しみだ。
「……何より、こんな大人の前で、偉そうに語れることは無いよ……」
うんざりした声音と表情に驚く。その視線の先を見れば、ノワールが机に突っ伏していた。さ、さっきまでニコニコ楽しそうに揺れていたのに、何があったの!? ブランがノワールのグラスを手に取り、匂いを嗅ぐ。眉間に皺が寄った。
「いつ酒を頼んだんだ、コイツ……!」
……ああ、ブラン、苦労してるんだなあ……。