138 ひみつ
吐いた息が、暗闇に白く浮かび上がっている。
今日は大晦日。王都で過ごす、3回目の年越しまで、残り数時間。少し高級なホテルの部屋を借り、テラスに備え付けてある椅子に腰かけて王城を眺めながら、ゆっくりと過ごしている。
「間に合って、よかった……」
机を挟んで夜景を眺めているブランが呟く。本当ならあと数か月ほど帝国に滞在する予定だったけど、雇用主の方が気を使ってくれたおかげで一時的に戻って来れた、らしい。
それから急いで戻ってきて、王都に到着したのがほんの3日前。僕を探して王都中を駆け回っていたノワールが、ようやく見つけた僕を勢い余って突き飛ばして気絶させる、という衝撃的な再会だったけど、嬉しいことに変わりない。
そんなノワールは、椅子の上に胡坐をかいて、脚の中に僕を入れて抱え込んでいて……椅子に腰かけてるのかノワールに腰掛けてるのかよく分からないけど、とにかく今年も3人で過ごしている。
ちなみに、ノワールは王都に戻ってきてからずっとこんな感じだ。1年間分の僕を補給するまで離したくないらしい。どういうことだよ……。
「間に合わせてくれてありがとう」
きっと、無理して戻ってきてくれたのだろう。いつまで王都で過ごすのかはまだはっきりと聞いていないけど、しっかり休んでもらいたい。そういう僕の思いもあって、王都の中を連れまわしたりはせず、こうやってのんびりと過ごしてもらっている。
まあ、その結果が、このべったりノワールなんだけど……。
「そろそろノワールも限界だったからね……」
ブランが僕、というより僕を抱え込んでいるノワールを半眼で見つめる。ノワールは僕を抱え込んだまま寝ている。器用なことをするなあ。
さすがに4日目になるともう慣れたけど、本当にノワールはずっと僕にくっついている。帰ろうとする僕を引き留め、代わりにブランが連絡するから、とめちゃくちゃな理由で僕を宿に連れ込み、まるで抱き枕のようにベッドの中にまで連れ込まれた。
身の危険を感じそうだ。怖くはないけど、困る。
それだけ寂しかったのか何なのか知らないけど、ノワールが可愛らしいから許すことにする。本人に面と向かっては言えないけど。まさか年末の休みをノワールにくっつかれてまともに身動きもできずに過ごすことになるなんて思いもよらなかったけど、許す。この程度で怒るほど、僕の器は小さくない。
ぴくり、とノワールの手が動く。その度に起きたのかと僕の肩に乗っている顔を見上げるけど、目は閉じられたままだ。ずっとこんな姿勢のままでいると身体が痛くなりそうだけど、大丈夫なのだろうか。気持ち良さそうに寝ているので、どうも起こしづらい。
ブランも今日はノワールに甘い。それまで事あるごとに僕を離すように口うるさく言ってくれていたけど、今ばかりは半眼で見つめるだけで何も言わない。声も潜めてくれている。
どうやら帝国で限界になっていたらしいし、その様を間近で見ていたのはブランだろうし、我が儘を止めないのにはいろいろと思うところがあるからなのだろう。僕も、これでノワールがまた働けるようになるのなら、ちょっとぐらい犠牲になってもいいかな、なんて思う。限度はあるけど。
静かな寝息を聞いていると僕も寝てしまいそうだ。冬だというのにノワールがくっついているせいで寒くないし、ブランと話そうにもノワールのせいでいまいち格好がつかない。無言が気まずいような関係では無いけど、年を越すまで寝たくない。
とりあえず、ノワール、起きてくれないかなあ……。
「……ねえ、クリス」
ノワールの手がぴくりと動く。ブランの方を向くと、少し悲しげに眉を下げていた。
「俺らがいなかった間、何があったか、聞かせてくれる?」
「うん、いいよ」
なんだ、そんなことか、と笑みが浮かぶ。本当なら出会ったその日に積もり積もったことを話すだろうに、この後ろにいるべったりノワールのせいでその時間すらまともに取れなかった。この機会を逃したら、もう話す時間は無いかもしれない。僕としても願ったり叶ったりだ。
何から話そうか。勉強の話はつまらないからやめておこう。いや、少しは話してもいいかな。授業中の雑談とか、寮での出来事とか、印象深いことぐらい、話してもいいだろう。
あと、今年は王都の外に頻繁に出たから、そのことを話そう。その理由が金稼ぎっていうのは、笑われるかな、怒られるかな。だって、予想外の出費があったんだもん。
ああ、そう思うと、いろいろあったな。実習があって、教会に行って、貴族に会って、猫を拾って、山に行って、孤児院に行って……。
……変な人に絡まれたとか、色恋沙汰とか、喧嘩したとか、聖女とのいざこざとか、貴族になりかけたとか、襲われたとか、遭難したとか、サボったとか、潜入したとか、そういうのは言えないな。
特に、最近のことは絶対に言えない。学校サボって、退寮して、貴族の屋敷とか教会とか、いろんなところに忍び込んだ。情報はその分たくさん得たけど、学生の本分じゃない、って言われそう。
何を話して、何を話さないか……すぐに頭の中で話の道筋を整理し、春からの出来事をゆっくりと話すことにした。
矛盾しないように、不可解なところが無いように、脚色した僕の1年弱を丁寧に語った。
これは僕の成長物語だ。交友関係と行動範囲が広がった。知識も技術もどんどん身に着けた。学校では基礎的な内容を扱う授業をほぼ制覇した。発展的な内容を扱う授業も一部履修したし、4年生からはさらに一部の応用的な内容の授業だけを履修するつもりだ。
それと同時に、ブランとノワールと一緒にいろんな依頼をこなす。15歳になるから、ギルド員登録だってできる。もう誰にも文句は言わせない。4年生の後期からはほとんど冒険者同様に活動したっていいだろう。卒業は余裕でできる。
自信満々に語った。ブランもちゃんと聞いてくれた。狙ったところで笑ってくれた。時々質問されたけど、ちゃんと答えられた。おかしなところはどこにもない。完璧だ。
夏休みが明けてからは1人で周囲の村や街を旅してみた、ということにした。山に行った経験から得た自信で、つい若気の至りで結構遠くまで行っちゃったけど、これで僕が冒険者として2人と一緒に行動をしても、かなりの迷惑をかけるようなことはない、はず。まあ、遠出しすぎて外泊申請期間内に帰れなくてまさかの退寮処分となってしまったけど……ということにすれば、僕が寮に戻らない理由にもなる。
とにかく、すごいな、と言ってほしかった。褒められたかった。だからついついやっちゃった。
そう言われたら怒りづらいだろう。思った通り、ブランは困ったように笑うだけで、怒ることはなかった。どこに行ったのかと聞かれたけど、それは師匠との手紙とか図書館の本とか授業とかでちゃんと事前知識は仕入れてある。問題無い。無難だけど、実感がこもっているかのように語れた。僕は役者だな。
「……うん、そっか、そっか」
話し終われば、ブランは薄く微笑みながら何度も呟いていた。僕は達成感でついつい笑顔を浮かべていた。今回話した内容、ちゃんと何かに書き留めとかないとな。まさか忘れることは無いだろうけど、念のため。そんなことを考えていると、僕を抱えていたノワールの腕が動いた。
「クリス、すげーな」
頭をぽんぽんと撫でられる。後頭部を流れる手の動きに合わせて声の方を見上げれば、寝起きで緩んだ表情のにこにこノワールがいた。
「俺も残りの仕事、頑張んねーと」
「応援してるからね」
返事の代わりに、改めて抱きしめられた。ブランが小さく溜め息を吐いていた。