132 お仕えいたします
私の名はヘイリーと申します。ランカスター家のメイドであり、先日クリス様のお世話を担当することとなりました。
そんな私の初仕事は、王都ゴールドを出られたクリス様をお迎えに上がることでした。
クリス様は、御誕生後間もなく、賊により攫われたと旦那様から伺いました。その後、共和国との国境線にほど近い、大きな森が周囲に広がるウェイズレイの孤児院で幼少期を過ごされました。
それまでの4年間をどのように過ごされたのかは旦那様の手を以てしても明らかにならず、クリス様ご本人も覚えてらっしゃらないとのことです。
……身元の確認に時間を要したとはいえ、14年間もの長い時を市井にて過ごされたことから、旦那様の御意向により、アドルフ様ではなく、クリス様として今後もお呼びするそうです……。
そして9歳の時、王立研究所魔物生態学研究室主任、ベレフコルニクス様に引き取られました。約3年間、ウェイズレイ郊外の小屋でベレフコルニクス様と過ごされ、12歳の時に王都ゴールドへと戻られました。
クリス様はベレフコルニクス様を魔法の師として慕い、ゴールドへと戻られてから数か月はベレフコルニクス様の研究室で共に過ごされたとのことです。
同年秋、王立学校中等部に入学、以後学校寮にて過ごされました。
特に親しかったご友人方は、王国東部の農村リハム出身のレジナルド様、王国中部の湖畔都市ターナルク出身のアルダス様、王都ゴールド出身で、御父上が行商を営まれるポール様、御家族が鉄工所を営まれるテッド様、御父上は商会の会長を務められるも、一時期御友人の家庭で過ごされたエドウィン様、以上の5名となります。
クリス様の学業成績は非常に優れており、ほぼ全ての科目で最高評価を頂いております。どうやら運動に苦手意識を持たれているようで体育実習の評価が低くなっていらっしゃいますが、身体の発育を鑑みるに、それほど問題にはなりません。
現在3学年後期時点で、取得単位数は卒業要件をほぼ満たされております。とはいえ、後期1学期を1科目も履修せず、そのうえランカスター家に無断でウェイズレイへと向かわれた、などと耳にされた時の旦那様の心痛の程は計り知れません。
そうでなくとも、夏季休暇最終週には北のウェルゴッド山脈へ御友人方と向かわれ、遭難されました。
これ以上は旦那様とて看過できません。
何度か対話を通じ、御納得していただいた上で学校寮からランカスター家の御屋敷へと移られることを望んでいらっしゃいました。しかし、急遽部屋を整え、退寮手続きを済まし、クリス様をお迎えに上がることとなりました。
……メイド長から伺った内容を掻い摘んで思い出しながら、私はこの状況に大きく動揺しておりました。
メイド長が仰っていたように、また、私が抱いた印象としても、クリス様は知的でいらっしゃいます。軽率なところが最近目立っていたとはいえ、思慮深い方でいらっしゃいます。その振舞いは市井で過ごされたとは思えないほど紳士的で、学校での評判も概ね好評であると伺いました。
「僕を追ってきたんだろう」
クリス様が、宿で休息をとろうと、予約していた部屋へと向かっていた私共の前へと現れ、その扉を遮るようにして、腕を組み、壁に凭れていらっしゃいました。
「さっさとその手枷をはめるといい」
クリス様は、類稀なる魔法の才能をお持ちです。恐れ多くも、抵抗された時のため、対魔法使い用の手枷は用意していました。
しかし、それが、既に、見破られていた、とは。
「王都へ連れ帰るつもりだろう」
その表情からは一切の感情が、思考が読み取れません。
壁から離れ、組んだ腕を解いたクリス様が……護衛の1人へと、手枷を持つ者へと歩み寄ります。
そして、細い両腕を差し出されました。
「早くしろ」
圧倒されつつも、護衛が慌てて手枷を荷物から取り出します。
では、失礼します、とその手枷を腕へとはめようとしたときでした。
「馬鹿め」
それまで一切の表情を浮かべていらっしゃらなかったクリス様が、口角を鋭く吊り上げました。
その豹変ぶりに驚く間もなく、手枷がはめられた、その、瞬間。
「クリス様!?」
意識を失われ、その場に崩れ落ちました。
「ああ、アドルフ、どうして……」
急ぎ王都へと戻り、クリス様を私室へと運び入れ、ベッドで眠るクリス様の手を奥様が握られております。
クリス様が意識を失われてから5日。そのうち4日は移動に費やされ、御屋敷に戻られてから1日が経ちました。
「ねえ、ヘイリー」
「はい、奥様」
憔悴した様子の奥様に心を痛めつつ、頭を下げます。
「せめて、この子の手枷を、取ってあげて……」
奥様が、クリス様の手枷を指先でなぞります。
「このようなもの……必要ありません」
「承りました」
顔を上げ、クリス様の私室から出て、急ぎメイド長の元へと向かいます。
通常の手枷と違い、対魔法使い用の手枷は専用の道具が無ければ外すことができません。というのも、この手枷は魔道具の1つで、魔力を封じることで被使用者を弱体化させて拘束を可能にする、とのことです。そして、魔道具はその性質上、魔力的な作用が働いて機能しています。特に、今回のような拘束具等は物理的魔法的衝撃への耐性が非常に強く、簡単に拘束から逃れることができないようになっています。
そのような魔道具は、機能停止用の魔道具を用いなければ、解除することはできません。
そしてそれは、メイド長が持っておられるはずです。
使用人室へと向かえば、メイド長が書き物をされていました。
「ヘイリー、どうしました」
「はい。奥様が、クリス様の手枷を外すように、と」
メイド長が筆を置き、席を立ちます。
「分かりました。来なさい」
使用人室を速足で出たメイド長に続き、使用人室を後にしました。
「早く、アドルフを……!」
メイド長と共にクリス様の私室に戻った私を見て、奥様がすぐに立ち上がりました。
「奥様、今すぐお外しいたしますので、少々お待ちください」
「いいから、早く!」
「失礼いたしました」
礼をする時間も与えられず、急ぎクリス様の眠るベッド脇へとメイド長が歩み寄ります。
そして、金庫から取り出した木箱より、不規則に突起がついた、白い棒状の物を取り出しました。
それを、白い手枷に開けられていた穴へと通し、捻れば、手枷が外れ……。
同時に、クリス様がお目覚めになられました。
「ア、アドルフ! 起きたのね! 私が分かりますか? 貴方の母です!」
「奥様、御子息様はクリス様でいらっしゃいます」
「ああ、ええ、そうね、クリス、ねえ、返事をして、私が分かりますか?」
寝起きとは思えないほどにぱっちりと開かれた丸い瞳には、あの宿で見たような険がちっともありませんでした。
「クリス……?」
奥様をじっと見上げていらっしゃったクリス様は、にっこりと、無邪気に微笑まれました。
「ねえ、ヘイリー、ヘイリー」
「お呼びでしょうか、クリス様」
小さな主の呼ぶ声に、微笑みながら頭を下げます。
駆け寄ってきたクリス様が、組んだ私の両手を握ります。
「一緒に、書庫に行ってくれる……?」
「喜んで」
不安げだった表情が、花が咲いたようにぱっと明るくなりました。
「ありがとう、ヘイリー!」
幼い主の手を引き、『暗くて怖い』書庫へと向かいました。
「お母様!」
「あら、クリス。ヘイリーとどこへ行くの?」
「書庫です!」
「そう、お勉強かしら? ふふ、クリスは偉いわね」
書庫へと向かう廊下で奥様にお会いました。
褒められ、頭を撫でられたクリス様は嬉しそうにはにかんでいらっしゃいます。
その一方で、奥様の表情は僅かに曇りました。
……目覚めてからというもの、クリス様は記憶障害になられたようです。
魔道具を制作した者や医師を呼びつけて原因を探ったものの、魔道具にそのような副作用は――そもそも、意識を失うことすら――なく、医師も記憶障害の原因を特定できませんでした。
また、魔力も同時に失ったようで……今のクリス様は魔法を使うことができず、魔法を使っていた、という記憶までも失われているようです。
御友人方も呼びつけてみましたが、彼等のことはおろか、学校での日々もお忘れになられていました。
覚えていらっしゃるのは、ベレフコルニクス様や孤児院で過ごされた幼少期のことのみで、最低でも直近4年間の記憶を失われたようです。
……一使用人が深入りすることはできませんが、どうやら旦那様と奥様はそのことに非常に落胆されているようです。
私個人としては、このような見目麗しい主にお仕えできることに喜びを感じていますが……しかし、貴族としての務めがあることを思えば、この状況を喜ぶわけにいかないことは承知しています。
唯一の救いは、クリス様が旦那様と奥様を自らの御両親であると告げられた際に、それはそれは嬉しそうに受け入れてくださったことでしょう。
ちょうど今、奥様に褒められてはにかんでいらっしゃる御姿を見ていると、場違いにも頬が緩んでしまうのです。
表情豊かでいらっしゃる奥様も、僅かにその表情を曇らせたといえど、クリス様の朗らかな笑顔を前にすれば自然と微笑まれます。その笑みが本心からのものであることは、ランカスター家に仕えてきた身として、十分に理解しております。
記憶と、教養と、魔力を失った、可愛らしい主。
初めてお会いしたあの日、まさかこのような事態になるとは思いもしませんでした。
しかし、綺麗で、純粋で、素直な、愛らしい主。
できれば、今後も仕え続けたい……そう、主の幸せと共に願わざるを得ません。