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episode 22 : Aldous

 普通を、作る。



 人間の感情は操作できる。

 勘違いさせやすい、と言えばいいのだろうか。例えば、吊り橋効果というものがあるように、吊り橋の上で緊張や恐怖から心拍数が増加したとき、その場に誰かが居合わせた場合、その誰かのせいで心拍数が増加している、その誰かのせいで緊張している、つまりその誰かは自分にとって特別な人なのだ、といった勘違いをしてしまうそうだ。

 そうでなくとも、世の中には迷信が多い。雲の形だとか、放り上げた靴の落ち方だとか、花の枚数だとか、そういった無意味な事に人はいちいち意味を持たせたがる。非科学的で馬鹿らしいが、信じる奴は信じる。言い出した誰かの思い通りに動き、その結果に一喜一憂する。


 情報操作、は言い過ぎかもしれないが、そういった眉唾物を垂れ流し、それを信じる奴を上手く引き寄せて金を落とさせる、というようなことをしている街で育ったからだろう。なんとなく、人は単純だ、というのを感覚的に理解していたように思う。


 それを実感したのは教会で過ごしていた時だった。教会の中は過ごしやすい。暑くなく寒くなく、うるさすぎず静かすぎない。自然と心が静まり、物事に集中できるようになる。神聖さとはこういうものなのだろう、と思っていた。


 しかし、それは作られた環境だった。魔法を学べば学ぶほど、聖堂で祈りを捧げる聖職者達の姿を見れば見るほど、それは確信へと近づいた。


 室温はもちろん、音をどれだけ反響させどれだけ吸収させるか、空気をどのように流すか。そういった小さなことが誰かの手によって積み上げられ、教会の中は人工的に快適な環境が保たれている。

 過ごしやすい環境、というだけで、人は落ち着く。自然と静まる。集中する。そして自ら空気に神聖さを与える。自ら作り出した神聖さを、あたかも教会という建造物が、神という存在が作り出したかのように錯覚する。


 人は、環境を整えてやれば勝手に勘違いする……が、それはあくまで間接的な操作だ。教会で礼拝する人達に……特定の場所で、特定の目的のために訪れる人達に、特定の感情を与える……魔法の力を借りなくとも、その程度ならば何もせずとも自然にそういった感情を抱くだろう。

 端的に言えば、直接的な操作もできる。その様子を俺は直に見た。いや、直にされた、と言うべきか。それに気づいたのは、司祭さんからあるお願いをされた時だった。そして同時に、その時感じた自身の変化が、以前から度々あったことに気づいてしまった。


 既に、俺は、何度か操作されていた。


 だから俺はそのお願いを受け入れた。そこまでして俺を救い出してくれた人達からのお願いを断るわけがない。そこまでして俺にやってほしいことがあるのを分かっていて、断るわけがない。俺が教会を裏切るわけがない。

 そして、奇しくも教会はまた俺を助けてくれた。その技術はまさに俺が求めていたものだった。



 勉強でも遊びでも恋愛でも、普通がいい。成功も失敗も、人並みでありたい。人付き合いも、趣味も……そして仕事も、これから先の人生を普通に過ごすことが俺の目標で、願ってやまないことだ。どれにも深入りせず、振り回されず、束縛されず、普通に過ごしたい。

 そう思っていた。今もそう思う。今後もそう思い続ける、はずだった。


 俺の普通の人生には、多くの普通の人間が関わっている。雑談に興じる人間もいれば、悪さを企む人間もいる。同性の人間もいれば、異性の人間もいる。堕落した人間もいれば、前を見続けている人間もいる。その全てと同じ距離感を保ち、同じ関係性を築き、同じ反応を返す。

 そのはずだった。今もそうしている。今後も続けていく、はずだった。



 分かっている。例外がいる。客観視できない人間がいる。感情的になってしまう人間がいる。それは俺の理想で、俺の目標で、俺が本心から望んでいるそれ・・そのものだった。一目見た時から大きく揺さぶられた。欲しくてたまらなくなった。目が離せなくなった。頭から離れなかった。苦しかった。手が届かないところにあることが許せなかった。俺のために、手に入れたかった。


 悩むことはなかった。確実に手に入れたい人間がいて、確実に手に入れるための方法がある。ならば、その方法を、確実に成功できるようになるまで練習するだけだ。そして、その練習相手は事欠かなかった。

 どうすれば、距離を詰められるか。どうすれば、関係を深められるか。どうすれば、好意を作れるか。どうすれば、感情を操作できるか。どうすれば、愛されるか。親しいとはどういうことか。好きとはどういうことか。恋しいとはどういうことか。楽しいとは、安心とは、嬉しいとは、恥ずかしいとは、寂しいとは……不安、恐怖、不快感、怒りとは……。


 全て試してみればいい。俺が実際にされたように、体温を慎重に調節すればいい。顔、首、胸、手、腹、足……部位別だけでなく、全身も……そうやって温度を僅かに上下させた時の変化を、記憶する。

 皮膚の温度。体内の温度。熱の抵抗。表情。感情。心拍数。発汗量。言動。思考。集中力。判断力。何度も、何人も試した。観察した。記録した。傾向を掴んだ。相関性を見つけた。作戦を立てた。


 だから、お茶会を開かせた。




 黒い髪色は、彼女がごく普通の人間である証拠だ。彼女は魔法が使えない。彼女は髪を弄らない。たったそれだけのことが、彼女のことをよく表している。交友関係や暮らし、性格、嗜好が、次々と推測できる。

 控え目な表情も、少ない口数も、よく手入れされた肌も、髪も、ほんのりと赤く染まっている頬も、整った鼻も、古傷が残る指も、女性らしい柔らかさも、膨らみも、その全てが欲しい。


 何かが特別秀でているわけでもなければ、劣っているわけでもない。彼女よりも可愛い人間を知っている。彼女よりも明るい人間を知っている。彼女より賢い人間を知っている。彼女より器用な人間を知っている。彼女よりも不細工な人間を知っている。彼女よりも暗い人間を知っている。彼女より愚かな人間を知っている。彼女より気が使えない人間を知っている。

 彼女は、まさに普通だった。普通の家で、普通に育ち、普通に学校へ通い、普通に将来を見据え、普通に生きている。俺が本心から望むものを、全てを兼ね備えている。

 彼女を手に入れたかった。彼女を俺のものにしたかった。



 アル君といると、落ち着く。

 当然だ。緊張で上がりそうな体温を俺が下げている。


 アル君といると、楽しい。

 当然だ。気が乗らなそうな低い体温を俺が上げている。


 次はいつ会えるかな、と不安そうな顔。

 当然だ。心臓周りの体温を上げて脈を強めている。


 またね、と寂しそうな顔。

 当然だ。全身の体温を下げて脈を弱めている。



 嬉しそうな顔。恥ずかしそうな顔。幸せそうな顔。本心からの言葉。本心を隠した言葉。本心を滲ませた言葉。声に出さない思考。思考が導き出す願望。欲求。色情。


 彼女は普通だ。魔法が使えない、純粋な性格。複雑なことは何も無かった。思った通りになった。彼女の心を手中におさめるのも時間の問題だった。

 それほどまでに、普通だった。彼女こそ、俺が求めている姿そのものだった。


 俺は、俺の手で、俺が望むものを手に入れている。一歩一歩、確実に、理想に近づいている。これさえあれば、俺は絶対に普通になれる。



 しかし、この方法が、技術が通じない相手がいる。いや、通じる時は通じている。通じない時がある。手応えが無い時がある。

 原因が分からない。唯一、その1人だけがうまく操作できない。俺の思い通りにならない。腹が立つ。俺の目指す状況が作れない。

 アイツだけが普通じゃない。アイツのせいで普通から遠ざかる。これでやっと勝てると思ったのに、勝てない。普通になれない。



 そして、アイツは消えた。また消えた。消えろなどと露程にも思っていないというのに、消えた。ふざけるな。本当にふざけんな。しかも、また見つけ出せなかった。魔力を使い切っても見つけ出せなかった。アイツはどれだけ俺のことを掻き乱せば気が済むのか。本当に腹が立つ。消えるな。掻き乱すな。ただそこにいろ。俺がお前に勝つまでそこにいろ。どこにも行くな。そう言い聞かせないといけないのか。お前の自由を奪わないといけないのか。だったらそうしてやるから戻ってこい。さっさと何でもない顔をして戻ってこい。おい、どこにいる。何をしている。生きてるだろうな。生きてろよ。帰って来いよ。でなければ、許さない。絶対に許さない。勝手に逃げたお前のことを、俺は一生許さない。



 小さな物音さえも気になって眠れない日々が続いていた。話し声や人気が無くなったタイミングで気晴らしに降りた深夜の玄関ホールには、膝を抱え込んだアイツがいた。ようやく姿を見せたアイツに、苛立ちをぶつけようとした。

 しかし、顔を上げたアイツの、見たことのない、向けられたことのない、寒気がするほどのその悍ましい瞳を見続けることができなかった。

 妙な言いがかりに、不信感を露わにした表情。言葉も、魔法も、何も受け付けようとしない姿勢。その一瞬の隙を、実力で、口先だけで突いた。恐怖に歪み、拒絶を露わにした表情。何も映していない瞳。気づけば、手を伸ばしていた。




「う、あ、あ」


 気を失ったアイツの側で、黒猫が俺を睨み上げる。


「たす、け」


 何かにうなされ、苦しんでいる。


「い……」


 アイツが伸ばした手に黒猫が顔を摺り寄せる。


「や……め……ッ」


 俺が伸ばした手は黒猫に引っ掻かれた。


「こ、ろ――――」




 司祭さんからはコイツのことを教えてくれるように頼まれている。そして、コイツは聖女様と繋がりを持った。興味を持った。それらの出来事は時期がズレているから、関連性があるかは分からない。しかし、無いとも言い切れない。司祭さんはコイツと直接会話したこともあると言っていたが、俺にはそれが意図的だとも偶然だとも言い切れない。

 ただ、俺はできる限りのことがしたい。コイツに関することで何か成し遂げたいことがあるならば、それを手伝いたい。司祭さんは、教会は俺に何を求めているのだろうか。それが知りたかったし、知ろうともした。


 結果、何の成果も無かった。相手は俺よりも弁の立つ大人であり、俺が魔法を学び技を真似た師でもあるのだから当然だ。それに、そこまでして聞き出したいと思えなかった。俺に話さない判断をしているのに、その意に反することをしたいとは思えなかった。

 一度試してからというものの、二度と同じことはしていない。俺が司祭さんからのお願いの真意を知りたがっていることは伝えてある。俺に話してもよいと判断してくれれば、きっと話してくれるはずだ。それまで待てばいい。


 しかし、そのお願いが無くとも……俺は、コイツのことを知ろうとしただろう。

 コイツは例外だ。既に深入りしてしまっている。結果、振り回されている。それは俺が最も忌避していることだ。最悪の状況だ。この状況を脱しなければならない。しかし、原因が分からない。解決法が分からない。頭から離れない。腹立たしい。掴みどころがないのが許せない。俺のために、明らかにしないといけない。


 俺を脅かすコイツを、放っておけない。

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