128 残らない
魔法を子供たちの目の前で使ってしまった。
「お、おつかれ、クリス……」
意識が戻ると、蝋燭の火に照らされたキャロルの顔が目の前にあった。
おかしいな。僕は、お風呂から次々と出てくる子供たちを拭いて乾かして寝間着を着せて……で、寝室へと押し込めていたはずだ。なんで……寝てるんだ?
「大丈夫?」
髪を下ろしたキャロルの困惑顔を見上げる。ちら、と視線をずらせば、見覚えのある2段ベッドの狭い空間に、色褪せた天井。もしかして、気を失った僕を部屋まで連れてきてくれたのだろうか。申し訳ない。
まさか、子供たちの相手で魔力を枯渇しかけるとは……ぼんやりとしたまま困惑顔のキャロルを見上げていると、頬に暖かいものが触れた。心地よい。眠い。目を閉じる。
反対の頬を何かがさらりと掠める。ギシ、とベッドが軋んだ。後頭部で何かが動く。そういえば、後頭部が暖かい。あと、少し硬いような、柔らかいような、この感触……目を閉じたまま考える。
この状況は……もしや……。
カッと目を開ける。びくり、と後頭部越しに振動が伝わる。目の前でキャロルが目を見開いている。表情筋をがっちり固めて、無言で起き上がる。背後にキャロルの気配を感じる。とりあえず、光魔法を使う。直接目に光が入らない位置で、淡く光らせる。蝋燭の火を、火魔法で干渉して消す。
頭がくらっとする。冷静に振舞おうとしたのに、魔力を使いすぎていたことを早速忘れてしまっていた。魔法が失敗しなくてよかった。頭がくらくらするのをじっと耐える。それで、だよ。
どんな顔して振り返ればいいんだ……。
キャロルの気配は動いていない。せめて、せめてキャロルが話しかけてくれたら……振り返りやすいのに……! 気まずい沈黙が続く。とりあえず、振り返ろう。じゃないと、どんどん気まずくなる。振り返れ、僕。表情筋をがっちり固めて、振り返ろう。
「クリス……?」
か細い声に肩が跳ねる。ああ! 先を越された! 内心の焦りを顔に出さないよう、ゆっくりと振り返る。いつもの生成りのワンピースに、淡い赤色のカーディガンを羽織ったキャロルが僕を見ていた。顔が赤い。
「だ、だいじょうぶ……?」
この質問、さっきもしていたな。原因は推測できる。きっと僕は倒れたのだ。子供を寝付かせる、という重労働があっただろうに、ぶっ倒れた僕の介抱までさせてしまうとは……よく分からない感情がぐるぐる回る。
「うん、今は平気だけど……迷惑かけたよね。ごめん」
「迷惑だなんて、全然! むしろ、あたしたちが謝りたいぐらいで……」
謝罪合戦が始まる予感がする。話を逸らそう。
「たぶん、僕、倒れたよね?」
「えっと……」
キャロル曰く、1日中子供たちに遊ばれてふらふらになりつつも、僕は子供たちを寝室に押し込めるのを手伝っていたようだ。僕を気遣ったキャロルが寝かしつけるから先に休んでくれと告げれば、虚ろな目でふらふらと部屋へと戻っていったらしい。
幸いにも、子供たちは僕で散々遊んで疲れたのか、すぐに全員寝てくれたらしい。そうしてキャロルが部屋へと戻っていると……僕が部屋の真ん前で行き倒れていた。
慌てて僕を抱え上げてベッドへと運び、そのまま膝枕をして僕が目覚めるのを待ってくれていたらしい。
ひ、ひざ、まく、ら……。
「みんな、魔法が初めてだったから……付き合ってくれて、ありがとね」
ふ、と目を細める。今日は大変だった。僕がスープとパンを救ったのを見た子供たちは歓喜した。魔法すげえ、と。しかし、それだけで終わらないのが自由な子供たちである。
たまたま目が合った幼い少女が、僕を見つめて、にっこりと笑った。
微笑み返そうとしたところで……少女が持っていた食器が宙を舞った。
着替えを終わらせた女性たちが食堂に来るまでの時間は、地獄だった。そこら中でスープとパンが舞った。何も知らない女性たちが食堂に一歩踏み入れてその光景を見た時の衝撃はどれほどのものだったろう。僕は物を同時に動かす練習をしていてよかったと心から思った。女性たちが止めてくれたおかげもあり、誰一人として食事抜きになることは無かった。
では、食事が終われば苦労も終わるかというと、そんなことはない。
片付け終われば、たくさんの期待に満ちた、綺麗な、それでいて残酷な瞳が僕へと向けられることになった。魔法使って、使って、との大合唱……怖かった。
そして僕は寂れた空き地で魔力を根こそぎ奪われることとなった。
水を霧状に噴射して虹を作ってみたり、たまたま咲いていた花を増殖させて花畑を作ってみたり、土で城を作ってみたり、馬車を作ってみたり、迷路を作ってみたり……。
水魔法と土魔法はまだしも、木魔法がかなり辛かった。花畑を維持するのに魔力を注ぎ続けなければならなかったからだ。そして、花畑で遊ぶのは女の子。女の子が1日中おままごとやらをして遊び続ける間、僕はずっと魔力を奪われ続けた。
その後の食事。昼食はまだよかった。魔力が残っていた。悪ふざけに付き合えた。しかし、夕食は無理だった。本気で無理だった。やけくそになって、熱魔法で僕自身の顔から血の気を引かせた。青白い顔に紫色の唇になった僕を見て、キャロルがすっ飛んできた。
仮病で子供たちから逃げよう大作戦は、子供たちよりも大人たちに効果抜群だった。引きずられるようにして部屋へと連れていかれ、無理矢理寝かされたところでようやく落ち着いたキャロルに事情を説明できた。怒るかと思ってびくびくしていたけど、キャロルは怒るどころか泣きそうな顔をした。申し訳ない。
とりあえず食事とその片付けの間、僕は部屋で1人休んだ。それからのお風呂には手伝いに参加したんだけど……結果は、まあ、この通りだ。
明日からどうなるのだろう。毎日ぶっ倒れたくない。しかし、加減というものを理解していない子供たちの前では……よっぽど僕がひどい顔をしていたのか、キャロルの手が額に添えられた。
「クリスって……体温、低い?」
突然の質問に驚いてキャロルを見返す。心配そうな顔が僕をじっと見つめている。
「夕食の時ね……子供たちから、聞いたの」
クリスお兄ちゃん、どうしたの、疲れちゃったの、魔法使いすぎちゃったの、元気なくなっちゃったの、じゃあもう魔法ねだらない、そうすれば元気になるよね、一緒に遊んでくれるよね。
一斉に群がって質問を浴びせてきた子供たちの声の中から、泣きそうな声がキャロルの耳に飛び込んできた。
魔法使いすぎたから、クリスお兄ちゃんの手はあんなに冷たかったの? だからあんなに真っ青になったの?
それが気になったキャロルは、僕が気を失っている間に体温を確かめたらしい。そして子供の言う通り、僕は冷たかった。顔色は悪くないのに、冷たい。年齢的に少し暖かいことはあっても、冷たいのは有り得ないのではないか。もしかして、魔法を使ったことがかなりの負担になっていたのではないか。
僕が目覚めるまで傍にいてくれたのは、それが気になったのもあるらしい。無理をしていないか。気分は悪くないか。不安になったキャロルは、それを確かめるまでは寝られないと思ったようだ。
「うーん、大丈夫だと、思うんだけど……」
自分の体温なんて考えたこともなかった。記憶を遡ろうにも、あまりにも意識してなさすぎて、相手の体温とか自分の体温とか分からない。
考え込んでいると、前髪が除けられた。視線を上げると、かなりの至近距離にキャロルの顔があった。