125 動かない
1日目が終わった。
2日目で変わったことと言えば、朝から僕がいたこと、ようやく全員で自己紹介ができたこと、ぐらいだ。人手不足だとは思っていたけど、今ここの孤児院で働いているのは僕を除いて3人のようだ。そのどれもが女性で、キャロルは最年少となる。
僕が加わったところで、まあ最年少だし、男手が増えたと喜べるほどに頼りがいのある外見では無いし、でもまあ昨日手伝ってくれていたのは知っているし……喜べるっちゃ喜べるけど、そんな諸手を上げて喜ぶほどではない、という感じの反応だった。ごめんなさい、小さくて。
1日目はなんだこいつ、という視線を向けてきた子供たちも、今日はまたいるぞこいつ、という視線に変わっていた。たぶん、慣れてくれた……のか? 1日中騒がしいし忙しいのでよく分からない。よく分からないうちに朝食になるし片付けになるし勉強になるし昼食になるし片付けになるし遊びになるし昼寝になるし……。
今日も今日とて僕はさり気なく魔法を連発した。全ては子供たちの安全のためです。そういえば僕が魔法を使えること、説明し忘れたな。キャロルしか僕が魔法を使えることを知らないし、僕がさり気なく魔法を使って子供たちを怪我から救い出していることは僕しか知らない。ちゃんと事後報告しなければ……怒られないよね?
流れ作業のように女性3人が子供たちをお風呂へとぶち込んでいる間に、僕は身体を拭いたり髪を乾かしたり寝間着を着せたり……次から次へと出てくる濡れ鼠達を順番に捌けなくなったので、最終的にタオルや温風が飛び回る恐ろしい空間ができてしまった。子供たちはキャッキャ言って喜んでいた。純粋でよかった。
そして今晩もベッドに倒れこむ。
「つ、か……たぁ……」
昨日よりも言葉成分が薄れ、溜め息成分が濃い。何を言ったのか自分でもよく分からない。光魔法を天井から床へと移動させ、光が直接目に入らないようにする。間接照明だ。ベッドの影が天井へと伸びているのをぼんやりと見つめる。
そしてまた、ノックの音が聞こえる。
「クリス?」
「どーぞ」
身体を起こしながら返事をする。昨日よりも遠慮が無くなり、扉がすぐに開かれる。光魔法で部屋が明るいことにも驚かず、すぐに蝋燭の火を消して部屋の中へと入ってくる。
「今日も1日おつかれさまでした」
「おつかれさまです」
笑みを浮かべ、ふざけたように改まった言い方に僕も笑って言い返す。昨日と同様に蝋燭を置き、ベッドに腰掛けるのを目で追う。今晩は最初から僕の隣に腰掛けた。
「昨日の続き、話さなきゃね」
話せるようになり、読めるようになり、走れるようになっても、僕がみんなと遊ぶことはなかった。それを心配したキャロルは常に僕の隣にいた。キャロルが心配していると気づいていたのか、いなかったのか、僕は頻繁に話しかけてくれるキャロルに対し、必要最低限の返事しかしなかった。
自由に動けるようになればなるほど、僕は孤児院の中を、街の中を、調べ続けた。僕が知りたいことを探し続けた。見つけた本を読み続けた。もしかしたら、僕はほとんど寝ていなかったのかもしれない。
「みんなと一緒にするのは、ご飯と、お昼寝と、お風呂ぐらいだったかも」
僕は誰とも遊ばなかった。誰とも話さなかった。誰にも懐かなかった。
「あたしはクリスについていくけど、クリスはあたしについてこないんだよね」
ついてきてほしくない、とは思わなかった。ついていきたい、とも思わなかった。去る者は追わず、来る者は拒まず。仲良くしたくない、とも、遊びたくない、とも思ってはいなかった。ただ、優先度の低いそれらは、僕を動かさなかった。だから、僕の隣に来るのはキャロルぐらいだった。
「……行かないで、って言ってくれるの、期待してたんだけどなあ」
僕は止めない。止めないからキャロルも離れる。
「でも、あたしが戻ると……ほっとしてるのが、分かったから」
僕に自覚は無い。自覚が無いからキャロルの言うことは分からない。
「だから余計に、離れられなかった」
今なら分かる。僕は……キャロルにだけ、心を許していた。許していたけど、巻き込むつもりはなかった。だから、何も話さなかった。
「……なのに」
そう。ここまでの記憶と、ここからの記憶は違う。僕は、ここからの記憶はわりとはっきり覚えている。僕が知りたいのは、ここまでの記憶なんだ。
いったい僕は、何を探していた?
「突然、人が変わったように、なって……」
やはり、何かが思い出せない。
「……笑うように、なって」
あんなに、必死になっていたのに。師匠を見つけて、あんなに歓喜に震えたのに。
「遊ぶようになって、夜に部屋を抜け出すこともなくなって……」
師匠が、僕にとっての何かの答えのはずなのに。
「……思いつめることも、なくなってた」
……思い出せない。
「今、少しだけね、安心してるんだ」
キャロルの声音の変化に、顔を上げる。隣に座るキャロルは僕を優しく見つめていた。
「今のクリスは、あたしの知ってるクリスだから……」
頬にキャロルの手が触れる。暖かい手だ。その手に、自然と視線が移る。恐る恐る、手を重ねた。キャロルの手は、いつも暖かい。
「クリス……」
キャロルの手が、僅かに震える。ゆっくりと頬を滑り落ちていく。僕の手も一緒に落ちる。ベッドの上に重ねて置かれた手に、キャロルがもう一方の手も重ねる。僕の手を握り締めるように、両手で包み込む。その手を見つめるキャロルの睫毛が、細かく震えているように見えた。
「ひどいこと、たくさん言って、ごめんね……」
弱々しい声だった。まるで泣いているかのようだった。
「クリスが離れるのが、嫌で、離れてほしくなくて」
キャロルが目を閉じる。僕の方が身長が低いとは言っても、顔を覗き込めるほどの身長差では無い。今、キャロルがどんな表情をしているのか、僕からは見えない。分からない。
「ごめん……」
ふと気づく。帰ってきて、初めてキャロルが謝るのを聞いた。それまでずっと、ありがとうだったのに。謝罪ではなく、お礼の言葉が咄嗟に出るキャロルなのに。今は、謝罪の言葉だ。
「キャロル」
顔を伏せていたキャロルが、ゆっくりと顔を上げる。その瞳は潤んでいた。僕と視線を合わせると、涙が零れた。ひとつ零れると、次から次へと涙が溢れてきた。
5年経ったのに……5年経ったからなのだろうか、キャロルにとって、僕に大っ嫌いと言ったことが、こんなにも自身を苦しめることになっていたようだ。
そんなに悔やまなくていいのに。そんなに、泣かなくていいのに。空いていた手でキャロルの涙を拭い、抱き寄せる。
「大丈夫だよ。僕は気にしてないよ。ありがとう」
泣き止むまでの間、頭を、背を撫でながら、胸を貸した。