124 動けない
聞きたい、こと……?
キャロルは柔らかい笑顔のまま、ずっと僕を見つめている。質問に対する答えよりも、どうしてそんなことを聞くのかという疑問ばかりが浮かんでくる。見つめ返すだけで何も言わない僕に焦れることなく、揶揄うこともなくずっと微笑んでいたキャロルは、何も言いそうにない僕にゆっくりと語りかける。
「何かあるんだろうなって、そういう顔してるなって、思ってたの」
キャロルがベッドから立ち上がり、僕の隣に腰掛ける。その動きをずっと目で追った。
「クリス、変わらないね」
僕の頭に手が置かれる。その手がゆっくりと僕の頭を撫でる。目の前でキャロルは微笑んでいる。ゆっくりと、ゆっくりと僕の頭が撫でられ続ける。
かつてそうしていたように、話さない僕の隣にそっと寄り添ってくれている。ただただ、僕の隣で頭を撫でてくれている。僕が言葉を発しないことに、不安げな顔も不満げな顔もせず、優しく微笑んでくれている。すぐ近くに感じる温もりに、髪越しに伝わる暖かさに、気持ちが楽になっていく。
懐かしい感触に、顔を伏せて、そのまま撫でられ続けた。
僕がここの孤児院に入った時のことを、キャロルは意外にも、しっかりと覚えていた。
「朝にね、旅をしてるっていう男の人が訪ねてきたの」
森に子供が捨てられていた。預かっていただけるだろうか。そう告げた旅人はフードを深々と被っており、顔は見えなかったが、その低い声から男性だと分かった。
「その頃は、院長先生にくっついて手伝うのが好きだったから……」
突然の来客が腕に抱えていたのは、綺麗な亜麻色の髪を持った幼子だった。熱があり、真っ赤な頬にぐったりと閉じられた両目から僅かに見えた碧い瞳は、幼いキャロルにはとても印象的だった。
「話はよく分からなかったけど、紙を見ながら話し合ってたの」
成長具合から年齢を推測したり、院長によって名付けられることが珍しくない中、その幼子の年齢と名前は初めから分かっていた。どうやら幼子と共に置き手紙もあったようで、旅人から手紙と幼子を受け取った院長はすぐに看病に取り掛かった。
「熱がなかなか引かなくて、ずっと意識が朦朧としてて、大変だったよ」
解熱薬を飲ませ、汗を拭き、手を握り、傍で見守った。そして数日後の朝、幼子ははっきりとその両目を開け、キャロルを真っ直ぐに見つめた。
「熱が引いて、目が覚めて……嬉しかった」
キャロルはすぐに院長を呼びに行った。結果として院長以外にも子供が何人か来てしまったが、ようやく目覚めた幼子に、誰もが体調を気遣う言葉と、目覚めた喜びの言葉をかけた。
「でもね」
その幼子は、泣くことも笑うこともなく、順々に子供たちの顔を見回した。名前を呼んでも、体調を尋ねても、一切返事をせずに見つめ返した。恐ろしい程に空っぽな感情を、表情を、真っ直ぐに向けてきた。
「クリスは……話せなかった」
環境の変化に驚いているのかもしれないし、病み上がりでまだ意識がはっきりしていないのかもしれない。人見知りなのかもしれないし、話す体力が無いのかもしれない。ひとまず軽い食事を摂らせようと院長が幼子の身体を起こしたが、手を離すとその小さな身体はゆるゆるとベッドの中へと沈んでいった。
「しかも、動けなかった」
幼子は、立つことはおろか、座ることもできないほどに衰弱……というより、筋肉がついていなかった。あまりの未発達ぶりに、院長は表情を曇らさざるを得なかった。
「その日から、毎日お世話をしに行ったなあ」
キャロルは熱心に僕の相手をしてくれた。毎日僕の名前を呼び、話しかけ、身体を支え、撫でてくれた。覚えている。いや、思い出した。キャロルはずっと傍にいてくれた。ずっと僕を見てくれていた。
「名前を呼んで、クリスがこっちを見てくれた時……すっごい、嬉しかった」
僕は……。
「その頃からかな、少しずつ歩くようになったのも」
僕は何を……。
「……時々ね、クリスが寂しそうだったから」
何を探していた……?
「だから余計に、世話を焼きたかったのかも」
何かを、探していたはずだ。
「クリスが喋るまでかなり時間がかかったし、みんなと同じように遊べるほどに体力をつけるのにも…………」
話せなかったのではなく、話さなかった。遊べなかったのではなく、遊ばなかった。それよりも優先すべきことがあった。知らなければならないことがあった。見つけなければならないものがあった。それを周りに聞くつもりは無かった。知っているはずがなかったから、期待していなかったから、何も話さなかった。話さなくとも不都合は無かった。
だから僕は、日中に動くのは必要最低限にしていた。みんなが寝静まった夜に、動かなければならなかったから。邪魔されずに集中して動けるのは夜しかなかったから。そうしてまずは孤児院の中を調べ尽くした。そうして次は街の中を調べ尽くした。最後に街の外へ、森へと踏み込んだ。
そこで師匠に出会った。それでやっと、僕は安心した。そして、師匠の近くへ、行こうと……。
真横から視線を感じ、はっと顔を上げる。僕から頼んでわざわざ話をしてもらっていたのに、途中から思考に没頭してしまっていた。恐る恐るキャロルの方を見上げてみれば、相変わらず微笑んでいたキャロルと目が合った。
「クリスが口数少ないのは、前からだもん」
僕と目が合うと、すぐにキャロルは口を開いた。
「でも、それだけいろいろ考えてるんだなっていうのは、見れば分かるよ」
何も言わない僕に、そのまま言葉を続ける。
「ずっと一緒にいたんだからね、これでも」
「……うん」
返事に困り、とりあえず頷いた僕の額に、キャロルは人差し指を当てた。とん、と少しだけ押され、頭が後ろに下がる。何をされたのかいまいち理解できずに見上げる僕を、キャロルは可笑しそうにくすくすと笑った。
「今日はここまでね」
キャロルがベッドから腰を上げ、チェストに置いていた蝋燭に手を伸ばす。ポケットからマッチを取り出そうとするのを手を伸ばして遮り、代わりに火魔法で蝋燭に火を点ける。ベッドに腰掛けたまま、蝋燭に触れることなく僕が火を点けたことにキャロルは目を丸くしていたが、すぐに笑顔で僕を見る。
「ありがと。じゃ、おやすみ。また明日ね」
「うん、おやす、み……」
キャロルが自然な動きで僕の首に腕を回し、頬と頬を当てる。予想外すぎる行動に呆然としている間に、キャロルは手を振りながら蝋燭を手に部屋を出て行った。
1人残された部屋で、ぐるぐると頭の中を駆け回るいろいろな言葉達を無視し、とりあえず光魔法を消す。暗い部屋でベッドに勢いよく倒れこみ、見えない天井を睨みつける。
「……僕は、子供じゃないぞ……!」